Little Girls


 低くうなるオーブンレンジを見つめる。黒い網のかかった窓ごしに、オレンジ色の光で包まれる庫内が見える。
 文明の利器で加熱されているのは、タルト生地に卵やきじほうれん草を混ぜた具材を流し入れたもの。フランスのアルザス=ロレーヌという地域の郷土料理、キッシュである。

「そうやって睨んでいても、焼く時間は変わらないわ」

 じっとレンジにはりつく錦へ、哀が呆れたように声をかける。錦が振り向くと、哀はカウンターチェアで優雅にコーヒーを飲んでいた。もう一つ、湯気の上がっているカップがあるので、錦の分も入れてくれたらしい。

「ふふ、待ち遠しいわ」
「十五分なんて、コーヒーを飲んでいればすぐよ。橙茉さん、ブラックで良かったかしら」
「ええ、ありがとう」

 錦もカウンターチェアに座り、コーヒーカップを持ち上げる。
 阿笠邸のリビングには錦と哀しかおらず、静かなものだ。
 ほうれん草を切ったり、卵を混ぜたり、と動いている間は会話もあったが、子どもらしくない子どもな二人はそれでも静かだった。コーヒーを飲むことで口がふさがれば、より静かになる。
 
「……」
「……」
「……」
「……」

 カップを持ち上げ、コーヒーを飲み、ソーサーに戻し、一息。それを何度か繰り返してから、哀が口を開いた。

「貴女、料理するのね」
「出来るようになりたいから、哀さんにご教授願ったの」
「こっちも穴場のスーパーを教えてもらえたし、博士の良い運動になったわ」
「帰宅してからこもりきりだけれど」
「今度の学会で使う資料作りよ。一回外に出て、良い気分転換になったんじゃないかしら」
「ふふ、哀さんのほうが保護者のようだわ」
「橙茉さんに言われるなんてよっぽどね」

 哀がおおげさに肩をすくめながら言う。
 小学一年生二人がブラックコーヒー片手に何を言っているのか、と突っ込める人物は残念ながらいない。
 
「その学会は、絡繰りに関するもの?」
「そうよ。失敗作ばかりだけど、よりによってオーバーテクノロジーな品に限って完成度が高くて。特に変声機の評価が……そういえば、橙茉さんは探偵バッジを持ってないのよね……?」
「あれは、少年探偵団に入った証なのでしょう」
「別のクラスとはいえ、誘われたんじゃない?入学前から吉田さんと知り合いだったって聞いているし」
「声をかけてもらったことはあるけれど、お断りしたわ。帰るのが遅くなると、パパとママが心配するもの」
「放課後に動くことも多いし、橙茉さんは家が少し遠かったわね。あの子たちとキャンプに行ったりしないのも、同じ理由?」
「冬場のキャンプなら参加するわ」
「そういえば、極度の暑がりだったわね、貴女」

 錦は否定しようと口を開きかけ、暑がりと言えば暑がりなのかもしれないと思いとどまり、深く頷いた。自分たちの性質が"暑がり"という言葉に集約されてしまうのは少々不服だが、日光が苦手なのは事実である。
 そろそろね、と哀がカウンターチェアから降りた。

「いっそ、博士に作ってもらったら?持ち運びできるような、小型冷却器」
「防犯ブザー付きの日傘で十分よ。それに、どうこうしようとは思ったことないもの。彼の発明は、すごいと思うけれどね」
「貴女がいいのならそれでいいけど……事件吸引機の江戸川君の友人を続けるなら、腕時計型の懐中電灯くらいは、装着をおススメするわ」
「ふふ、それこそ不要よ」

 焼き上がりを告げる電子音に、錦もカウンターチェアから降りる。

「夜暗の中でも、なあんでも見えるもの」

 冷却を開始したオーブンレンジの中を窓からのぞき込み、キッシュの香りに急かされてドアを開けた。熱風に顔をしかめ、強くなるこおばしい香りに手を伸ばす。
 すると、ぽすん、と。ほとんど重みのない柔らかいものが頭に乗せられた。

「もう、火傷するわよ。夜目が効くからって、無敵にでもなったつもりかしら」

 哀が呆れた顔をして、大きなミトンを差し出していた。

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