勇者になれる笛


 鍵盤ハーモニカは、息を吹き込むことで音が鳴る楽器だ。鍵盤楽器なので誰でも安定した音を出すことが出来る。軽く小さく、習得しやすく、価格も安いとあって、小学校の音楽の授業でも採用されている。
 "しゅくだい"で鍵盤ハーモニカの練習が出され、錦は律儀にこなしていた。簡単な楽譜を指定された回数弾くだけだ。錦は、超高難易度の譜面でない限り苦労なく弾きこなせるので、小学一年生レベルの譜面は一度見ただけで十分弾き終えられる。
 リビングのテーブルで、凌が向かいに座って錦の宿題を見守っている。
 
「サイズ感はぴったりだな」
「弾きごたえがないわ」
「はは、だろうな」

 錦はすうっと大きく息を吸って、マウスピースをくわえた。
 憶えている曲を小さな指で奏で始める。鍵盤ハーモニカはピアノとは違い、タンギングで音に違いをつけられる点が楽しい。鍵盤数の都合から不格好なアレンジが入ってしまうが、これはこれで味があっていいということにしよう。
 弾きながら対面の凌を見ると、微笑ましそうな表情から一転、唖然として錦を凝視していた。
 錦は演奏を止め、一呼吸置いてから首を傾ける。

「何かしら」
「……循環呼吸できるのか?今、一分は息継ぎしてなかったけど」

 演奏技術にはもう突っ込まれない。

「循環呼吸?」
「鼻から吹いながら口で吐き続けるってやつ。特殊な演奏技法だな」
「息を止められる時間も、普通の人間よりは長いと思うけれど」
「それハーモニカなんだから、息止めるのとは違うだろ?すごいな。俺、好奇心でチャレンジしたことあるけど出来なかったぞ」
「……機会があれば、吹奏楽器にチャレンジしようかしら」
「弾けるのって、ピアノとヴィオラとマリンバだっけ?吹奏楽は興味なかったのか?」
「単に、勧められたことがなかっただけよ。ピアノもヴィオラもマリンバも、暇つぶしの一環だったもの」
「七歳にしては暇がありすぎでは」
「わたくし、フルートやピッコロの音色が好きなの。小鳥がさえずっているようで」
「華奢な見た目の割に肺活量いるって聞くけど、錦なら大丈夫そう。安いのなら一万円前後であるけど……」
「ねだってるわけじゃないわよ?」
「分かってるけどそうじゃなくて。フルートは確実に指届かねーぞ」
「……それもそうね」
「手軽にオカリナとかどうよ。小さいし」
「素敵ね」
「今度、楽器屋のぞいてみるとして。もう一回、循環呼吸で弾いてみてくれよ。何分続くか見てみたい」
「ええ、いいわよ」

 一曲丸々息継ぎ無しで弾けてしまい、凌にテンション高く褒められたことは嬉しかったのだが。演奏中の「錦がオカリナ吹いたら本当に馬が来そう」という呟きが気になった。
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