ギネス記録大幅更新


 リビングでニュースを眺めていると、濁点をふんだんに使った、文字では表現しがたい悲鳴のようなものが聞こえた。
 場所はキッチン。声の主は凌だ。
 聞いたことのない凌の声に、何事かと早足でキッチンへ向かう。ひょこりと顔を出すと、切迫した様子の凌が背を向けて立っていた。
 
「くそ、今まで見なかったから油断してた……」
「なにが?」
「アイツだよ、虫の中で圧倒的ヘイトを誇る生きた化石!」
「ああ、ゴキブリ」
「通称"G"だ……素早い、飛ぶ、という虫として珍しくないスペックを持ちながら、繁殖スピードの速さと屋内に出没するという気味の悪さから名前を口にすることすら躊躇う害虫だ……!」

 迫真している最中悪いが、錦にはいまいち伝わらなかった。害虫がいることだけは理解した。
 「新聞紙を!」と鋭く要求されるが、古紙回収ボックスに出したところだ。そう伝えると「スリッパ!」と続いて叫ばれる。錦がトイレからスリッパを持ってくると、凌は両手にそれを構えた。
 
「どこにいるの?」
「冷蔵庫の下」
「叩き潰すと汚れてしまうわよ」
「死んだらどうってことないし、ちゃんと綺麗にするよ。洗剤のほうが飛び散らなくていいとは分かってんだけどさ、なんというか、様式美的なものなんだよ。新聞かスリッパで仕留めねば」
「そういうことなら、止めはしないわ」

 侵入虫の排除を任せ、錦はリビングに戻る。テレビ鑑賞に戻ってすぐに、キッチンから格闘の声が聞こえてきた。パァンガシャン!と気味好い音が響き、錦はぺちぺちと手を叩く。
 
「ふふ、何か割れたわね?」
「瓶が落ちた……危ないからこっち来るなよ。すぐ掃除します」
「はぁい。お酒の?」
「おう。ワインボトル落ちた」

 凌の晩酌用ワインが犠牲となったらしい。遅れてアルコールと果実の香りがリビングにまで届いた。
 錦は一人のリビングで、そっと目を細める。
 
「ねえ、パパ」
「どした?」
「あなたが戻る仕事というのは、失態を命で埋め合わせるような組織なのかしら」
「……うん?」

 酒の名前に関することや、死ななければならなかった背景について、凌が話したことはない。錦もあえてすべてを知ろうとはしなかったし、知らなくても何も問題はなかった。
 しかし、彼が生き返るとなると話は別だ。まさに自殺する場面で出会い、見知らぬ男に追われていたこともあったくらいだ。彼が生き返った先、生命を脅かす危険があるというのならば、錦とて知らぬ顔ではいられない。

「日本の警察には、そんな物騒な雰囲気はないわ。アメリカの警察だというFBIは、命で償うような慣習があるの?」
「警察だって断言していることがまず驚きなんだが、なんでFBI?」
「事故のとき、赤井さんがFBIだと言っていたわ。だから、あなたたちもFBIだと思っていたのだけれど」
「ああ、初対面のときに三人いたからか……」

 瓶の破片を集める音に混じって、うなり声が聞こえる。

「んん……俺とあいつは、この国の警察だ。赤井はアメリカの警察。んで、悪い奴らを……調べに……」
「わたくしに、易しい言葉選びは不要よ」
「犯罪組織に潜入してて、その組織では酒にちなんだコードネームが与えられるんだ。だから、スコッチやらバーボンやらライっていうのは、犯罪組織にいる犯罪者の名前だな。俺を含め、あの場にいた三人がたまたま全員警察だったってだけで、犯罪組織は犯罪組織だからな」
「なら、スコッチが殺されたのはその組織での話で、凌の本来の所属というのは、この国の警察のことだったのね」
「ゴキブリ片しながらする話じゃなかったなコレ……」
「安心したわ。失態の埋め合わせに命を要求されるような職場に、復帰するのではないのね」
「組織はそんな感じだったな、犯罪組織らしく。……復帰の心配してくれてたのか?」

 しゃがんで片付けをしていた凌が顔を出す。少し照れが混ざった笑顔に、錦は深く頷いた。

「当たり前でしょう。わたくしが拾った命よ、みすみす捨てさせないわ」
「俺、めちゃめちゃ長生きできる気がする」
「せめて二百歳くらいは生きて」
「ははは、無理だな」

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