バール振り回すアルバイターと不良とゾンビ


*「アポカリプスの砦」とは
ワケあって不良している少年たちVSゾンビの血なまぐさすぎる友情物語である。

短編でもいいかなーと思わなくもないけど糖度/zeroかつ書きたいところだけなのでガラクタに。
わたしは漫画知識のみです。終わり方も綺麗で絵も綺麗でカッコイイのでオススメですが如何せんグロイ&キモイのでもし読まれる際はご注意ください。

いいですか。不良とゾンビですよ。
(※この落書きはソフトですが)
サイトの注意書きにも書いてますが、苦情類一切受け付けませんので自己防衛お願いします。





 それは、武器調達のために自衛隊基地へと向かう道中でのことだった。
 前田、岩倉、吉岡、山野井の四人は、まさに盗んだバイクでひたすらに走っていた。
 見慣れたくはない生きる屍(アンデッド)たちを再起不能にしながら、血にまみれた道を走る。田舎のせいもあるのだろう、一度園を脱走して都内へ向かった時よりは、アンデッドたちは少なく感じた。
 安全を考えると走り続けるのが無難だが、最低限の休息、食料、ガソリンが必要になる。
 吉岡の後ろに乗る山野井の呼びかけで、前方に見えたスーパーに立ち寄ることになった。
 アンデッドを蹴散らしながら、バイクでダイナミック入店。出入口のシャッターを下ろすと、店内にいるアンデッドを手早く殺して回り、そしてバイクに詰めるだけ食料を積み込む。ずいぶん手馴れてしまった作業だった。
 
「なんかここ、変じゃね?」

 吉岡が陳列棚から栄養補助食品をとって開封する。貴重な栄養源をむさぼりながら、店内をきょろきょろと見回した。
 三人ともそれを否定せず、特に山野井は、眼鏡を拭きながら同意する。

「店内にいた奴らの数が多かった……あと、奴らの死体もな」

 山野井の言葉に、前田は床を汚す死体を見下ろした。確かに、田舎の割には多いような気もする。スーパーマーケットという人の集まりやすい場所だからだと勝手に納得していたが、違和感があると言われれば否定できない。

「ここで戦闘があったんですかね……」
「立てこもろうとして奴らの餌食になった、とするのが妥当だろう」

 岩倉がさらりと言い、前田にペットボトルと軽食を渡した。
 時間を決めて、小休憩。
 シャッターを下ろしているとはいえ、長居はよくない。今こうしている間も、アンデッドはシャッター前に集まりつつある。
 そろそろ行くか、と岩倉と山野井がバイクにまたがる。前田が岩倉の方のサイドカーに、吉岡は山野井の後ろに乗る。余談ではあるが、前田はバイクの運転が出来ないので他三人でローテーションしている。最も体力がある岩倉の運転時間は二人よりもやや長いのだが。
 奴らの体当たりでゆるんだシャッターの前で、エンジンをかける。運転していない二人はバイクにつかまりつつ武器も手にしている。

「では、行く――」
「ま、待って!」

 岩倉を遮って、前田が声を張る。なんだ便所か?と三人の視線が集まる中、前田の視線は後方、陳列棚の方に向いていた。
 シャッターの外では、入店待ちのアンデッドが行列を作り始めている。

「んだよ前田」
「だ、誰かいるみたいなんだ、さっき何か……っ」

 他三人も思わず振り返る。
 この秩序が木端微塵となった環境で、生きている人間に出会ったことがないのだ。外界と遮断されている松嵐学園の人間も、戦闘で減っている。この無法地帯に、生きた人間がいるとは思えない。
 
「誰か、いるんですか……!」

 それでも、生きた人間の存在を望んでいる自分たちがいる。
 前田は武器であるゴルフクラブを握りしめながら呼びかける。

「い、生きた人間、ですか……っ」
「!」

 エンジン音に紛れる小さな声だったが、四人は四人ともそれに気づいた。
 陳列棚の陰から現れた人影は、バールらしきものを握りしめ、分かりやすいほど体を震わせている。どうやら一人で、仲間は見当たらない。
 血まみれのジャージに乱れた髪で、よたよたと前田たちを窺っていた。
 雰囲気はただの軟弱者だが、この状況で生きているという事実だけで、その人影が"うまくやれる"人間なのだと分かる。
 吉岡が素っ頓狂な声を上げた。

「うへあ、生き残り?!まじかよ」
「一人のようだが……仲間は」

 岩倉の問いかけに、人影はぶんぶんと首を振る。一人です、と絞り出す声は乾いていて、バイクと距離をとって立ち止まってしまった。
 四人は視線を合わせ、苦々しい表情やため息をつきながらも、考えることは同じらしい。
 前田は一番わかりやすく嬉しそうに笑みを浮かべ、サイドカーから身を乗り出した。

「僕らと一緒に行きませんか!」
「いっしょ……」
「今から武器を調達しに行くんですけど、僕ら以外にも生きている人がいます。一緒に、行きませんか!」

 誘っているのは前田だ。だが、その声は懇願を含んでいた。
 人影は、ぱくぱくと口を開閉させるだけで同意しない。緊張か、安堵か、感激からか。この根城を捨てることに少なからず躊躇いがあるのだろう。
 来るなら早くしろ、と吉岡が言うが、反応がない。これ以上とどまってアンデッドが増えることがなにより困るのだ。
 問答無用で置いていかないのは、生きた人間が貴重であり、この惨劇を今生き延びている彼らだからこそ、人影の苦労が分かるからであった。

「早く!」
「……――いき、ます」

 小さく震えたテノールには、どこか決意の色があった。
 人影が――彼女がようやく動き出す。前田はサイドカーを降りて岩倉の後ろに乗り、その人物にサイドカーへ乗るよう促す。バールを握りしめるその人は、服どころか髪や皮膚も血まみれで、「よごして、すみません」と律儀に謝ってから乗り込んだ。

「じゃあ改めて行こうぜ!景気よく生き残りもいたわけだしな!」
「うるさい吉岡」

 そして四人は五人になって、スーパーのシャッターを突破した。




 アンデッドたちの動きは基本的に遅いので、バイクで走っていれば追いつかれることはまずない。加えて田舎道に入れば、比較的平和なドライブになる。
 緊張を緩められた前田は、サイドカーの人物が泣いているのに気が付いた。サイドカーに小さくなって、ぐずぐずと鼻をすする音がする。三人があえて声をかけない中、前田はあえて話しかけた。

「あの、」
「っぅぐ、」
「足元、水のボトルがあるんですけど。よかったら使ってください。顔洗ったらすっきりしますよ」
「、ふ、うううう、ああ、ありがどお」

 人物は泣くのに忙しく、四人はそれぞれ小さく苦笑していた。


 ひとしきり号泣した後、サイドカーの人物が上着を脱いだ。それの血がついていない部分に水を含ませて顔をこする。水を無駄遣いしないようにとの配慮だろう。しかし全身に及ぶ汚れはそれでは到底きれいにならない。
 もっと豪快に使えと言ったのは山野井だった。

「生き残った祝だ、今回の無駄遣いは見逃してやる」
「!……ぐ、うぇええ」
「泣くないい加減」

 スーパーを根城にしていたとはいえ、水の量は限りがあるし、アンデッドのリスクを考えれば、清潔な水の運搬には限界がある。
 人物は謝罪と礼と交互に言いながら、顔を拭き、髪も軽く拭き、ようやく見られる姿となった。
 察していたとはいえ目に見えて"それ"が分かると、少しばかり複雑で――反応したのは、その人物に一番近い前田だった。
 
「あ……やっぱり、女の人だったんですね」
「すみません、非力で……」
「一人で生き残った時点で非力ではねーだろ。で、名前は?」
「あ、橘です」
「俺は吉岡ね。これがノイマンこと山野井、そっちが岩倉と前田」

 橘から話を聞くと、大学生の彼女はあのスーパーでバイトをしていたらしい。客や店長の十数人でスーパーに立てこもっていたが、あっという間に仲間が減って一人になった。スーパーの二階にあるロッカールームに立てこもり、必要があれば一階に降りてアンデッドを殺しつつ物品を調達していた、と話した。また一人になったころから、戦闘外で震えが止まらなくなってしまったという。
 よくロッカールームにたてこもれたな、という問いに、橘はバリケードを沢山設置していたからと応えた。また、数十分おきに、ロッカールーム近くに来たアンデッドを掃除していたという。
 今回、ロッカールームで息を殺しているとバイクの音を聞き、もしやと思って様子を見に来たようだった。

「わたし、格闘技とかできないし。むしろ、運動苦手だから……足手まといになるの嫌で、どうしようかって迷ってて」
「まあ……前田が二人になったと思えば……」
「ひ、ひどいな吉岡君!否定できないのが悔しいけど……!」

 最近は頑張ってるよ、とぶつくさふてくされる前田に、橘が少し笑う。変わらずセルフマナーモードだが、ほぐれつつはあるらしい。

「あ、そういえば……あなたたち以外の生きた人間って、どこにいるんですか?」
「えーっと……松嵐学園、です」
「しょうらん……?あ、ああ、なるほど。あそこ、壁高いですもんね」
「そっちか……」
「え?」

 松嵐学園は、青少年矯正施設――つまり監獄である。関東中の、タチの悪い不良が集まる監獄だ。
 そこに生きた人間がおり、四人はそこから来たのだから、なにかしら罪を犯して収監されていたということになる。ただし若干一名、冤罪。
 彼女が、一般人がそこに逃げ込んで立てこもっており、前田らのことを"たまたま学園に逃げ込んだ少年たち"と認識している可能性もあるが、極めて低いだろう。この四人の年齢が年齢だ。収監されていたと気づくはずだ。
 そのあたり突っ込まないのか――岩倉はちらりとサイドカーをうかがう。罪があることを後ろめたく思うような、繊細な神経はしていないが。

「僕たちは全員囚人だ。橘の身の安全は保障できないが?」

 山野井が意地悪く問いかける。
 同行を許した時点であえて危害を加えるつもりはないだろうに、と三人は思った。それとは別にして、女を学園に入れることに不安はあるのだが、今は置いておく。

「身の安全、なんて、もうどこにもないかなと」

 町の方を示して言う橘に、全員納得して頷いた。




〜武器調達、ボコール捕獲後。



 花畑と笠原が乗って来た装甲車の荷台部分では、常に五人の人間と二人の感染者がいる。運転は出来る者が交代で行い休みを取る。
 運転できない前田と橘――免許はあるが足が届かないのだった――は、休んでばかりはいられないと、感染者の見張りや外の様子を窺う役を率先していた。
 七人の中で一番ひどい栄養状態だった橘は、ボコール――山野井が便宜的に考えた呼び名で、死霊使い的な意味がある――の見張りを行いながら、与えられた栄養補助食品をかじっていた。先ほどまで運転していた吉岡が最優先で休憩、前田は窓から外を見、岩倉と笠原は周囲を警戒しつつ。運転席には山野井が座り、助手席には花畑がいる。
 特に盛り上がる訳でもないが、時折世間話やくだらない話をするので、車内は比較的リラックスモードだ。
 しばらく会話が途切れると、助手席の花畑がしみじみと口にした。

「はー……しかし、女の子に会えるとは思わんかったな」
「一人だけどな」
「そ、それは悪かったって」

 初対面時、花畑に性別を間違われた吉岡から訂正が入る。
 花畑は苦笑しながら謝り、ミラー越しに橘を見た。橘は、見開いた目をボコールからそらさずに、カロリーメイトを少しずつ消費していた。

「俺らかて二人でしんどかったけど……こう、苦しみを共有できる存在っていうのは心強いもんな。ほんまによう、一人で頑張ったなあ」

 花畑は橘の名前を呼んだわけではなかったが、このメンバーのなかで単独行動していたの橘のみだ。
 橘はすぐに自分のことだと察し、カロリーメイトを嚥下した。

「ありがとうございます。……いろいろギリギリだったことは、否定できません」
「一人と二人でも、大分違うよね。……僕もみんながいなかったら、とっくに死んでたし」

 前田の言葉に、学園で同室の三人が「だろうな」と頷く。笠原が「仲良いんですね」と言えば、肯定――曖昧にであるが――するのは前田一人だったが。その前田も、吉岡にげしげしと蹴られる。

「この四人に会えてよかったなあ」
「はい、そこは本当にそう思います」
「……てか自分、普通にしゃべれるんかい。あの小声ボソボソ喋りがデフォかと思っとったわ」
「元からあんなんだったら、わたし、スーパーでバイト出来てません」
「はは、そらそうやな。緊張ほぐれたんか?」

 良かった良かったと笑う花畑だが、橘の異変には気づいていた。
 震えもなくすらすらと話しているが、橘の視線はかわらずボコールに刺さっている。能面のように無表情で、むしろ震えている時の方が表情豊かなのは明らかだった。また、橘は一番状態が悪い――一人で生き抜いたのだ、まともに休めていたはずがない――にも関わらず、まだ一度も休んでいない。
 緊張がほぐれているのでは、という花畑の予想は、残念ながらはずれていた。
 花畑と笠原より、少しだけ橘と付き合いの長い四人は、橘の行動の意味に気付いていた。その理由も理解できるので無暗に注意はしない。
 だが、いつまでもこの調子では命取りになる。
 岩倉はため息交じりに声をかけた。

「橘、見張りは変わるから、いい加減休め」
「眠くないし、いいよ」
「我々の中で、最も顔色が悪いんだぞ。休める時に休まなくてどうする」
「でも、」
「いいから少し寝るべきだ」

 他五人も参戦しての押し問答の末、折れたのは橘だった。
 渋々、不承不承を隠さず、ころりと横になって自分の腕を枕にする。横になってもボコールをがんとして睨みつけたままだったので、最終的に岩倉が自分の体の陰に橘を隠すように移動した。壁の方を向いて寝ろと言っても聞かないからである。
 またしばらくして、ようやく橘が眠りにつく。ボコールから橘をかばうような体勢になった岩倉は、宣言通りボコールの見張りを引き継いだ。
 そのころには、休憩モードの吉岡も寝息を立てていた。喧嘩や命のやり取りにも慣れ、いくらかアンデッドに慣れたとはいえ、常に気を張っているのは想像以上に体力を削る。
 笠原は、ようやく眠った橘を一瞥して、感心したような声で言った。

「すごく頑なでしたね……休みにくいのは、分かりますけど」
「目の前にボコールいますしね」
「もしかして皆さんと合流してからも、休んでないんですか?」
「睡眠という意味では全く」

 おろおろと震えている印象が強いのだろう、笠原は驚きを隠さない。前田は苦笑しながら首を振っていた。
 次いで花畑が問いかける。力のある男がそばにおり武器もあるのだから、もう少し気軽に休んでもいいのでは、と。それには運転席の山野井が応えた。

「橘の震えがないのは、最大の警戒をしている証だ。敵の前で腰が引けていてはすぐに死ぬからな、アイツらがいると、あんな感じだ」
「え、緊張がほぐれたから震えんなったんじゃないんか」
「敵に対する緊張がゆるむからこそ、状況に恐怖して震えるらしいです。逆に戦うときは震えもないし、瞳孔開いて無表情で、バール振り回すんですよ。こわい」
「……橘は一人だった。様子を見ている奴がいないから満足に眠れもしない――まして、目の前に敵がいるんだ、警戒を解けるはずがない。一人での生き方が体に染みついているんだろう」
「……それでも、休める時に休まないと、あとがもたん。学園に帰ってからも、どうせ一悶着あるだろう」

 岩倉は、自分の背に額をつけるようにして丸くなっている橘を肩越しに見下ろした。
 節操のない男の無法地帯に女を入れるのだ、何もないわけがない。松嵐学園は青少年矯正施設で、当然、生き残りも収容者であり、まともな神経をした少年などいないのだ。
 浅い眠りから覚めた吉岡は、くあ、を大きく欠伸をしながら岩倉の方へと視線を投げた。話は途中からしか聞いていないが、内容は察せていた。

「なんでこんな厄介なの拾ったのかね、俺ら。男装でもさせる?」
「……ツナギ着れば、体の凹凸は隠れるかな」
「肩幅がない上、顔つきもあきらかに女だ。衣服では難しいだろう」

 しばらく橘の男装で話が弾んだが、結局いい案もでず、常に誰かが一緒にいるという結論に落ち着いた。



〜自衛隊基地で武器調達、帰還後。



 長方形のテーブルを囲い、七人が腰掛ける。
 前田ら四人に、スーパーで拾った橘を加え、自衛隊基地で出会った笠原と花畑。
 四人は、学園を出る時は"車無し"という死刑宣告を受けたが――なぜそんな事態になったのかは割愛する――武器の調達の任を完了した褒美に、十分な食事が許されたのだ。
 山野井はこの待遇を、"飴と鞭"と表現した。
 この学園で今トップに立っている人物はとても頭が切れるのだ。彼――一ツ兜(ひとつかぶと)は、学園内の怪物で、二秒先が見えるという。一ツ兜は七人に新しいツナギを与え、温かい食事まで許可したのだ。
 久々の温かい食事に、七人ともひたすら箸を進める。八人目――花畑の息子も同席はしているが、"感染"している彼が食事をとることはない。
 橘がお誕生日席に座り、かたわらにバールを置いている。体を小さくしてかすかに震えるのは、もう皆見慣れた光景だった。
 そんな彼女は満腹になったのか、箸をおいて茶を飲んでいる。少食だなと突っ込まれると、育ち盛りの皆に比べれば、と苦笑した。
 と、その時。

「おやおや、四号室の皆さんお食事中でしたか」
「豪勢な食事だな」
「この非常時に」
「女までつれて」
「俺らも食事制限あるってのに」
「まるで病人かボクサーだよな」
「あーあ腹減ったなぁ!」

 絡んでくる囚人たちに、慣れていない花畑と笠原がまず箸を止める。次に、収監されたばかりだった前田。橘はすでに箸は置いていたが、うかがうようにコップの淵に口をつけたままじっとしていた。
 十分経験のある岩倉、山野井、吉岡は気にせず食事を続けている。図太くなければ、学園で過ごしていけない――否、繊細な神経の人間が収容されないだけだ。
 空腹だと絡む彼らに、吉岡がおかずを差し出せば唾を吐き、花畑の息子にハンマーを振りかぶり、橘に下衆な笑みを向け、彼らがこの非常事態でたまった鬱憤をぶつけているのは明らかだった。
 冷静さを取り戻した前田は、自分たちが囲まれていることに気付いた。
 二十人近い男たちが、鉄パイプやら鎖やらハンマー片手に。

「テメーらチョーシのって好き勝手してんじゃねーぞコラ!」

 吉岡が気だるそうに立ち上がった。

「んもー勘弁してよー。僕たち食事中なのよ。分かるよね?」

 そうしておもむろに、近くにいた男にハグをする。かと思えば、ブチリ、と生々しい音がした。
 吉岡は"噛みちぎった耳"を唾と一緒に吐き出す。

「――あああああああああああ!!」
「食事中は、静かにしろ」

 それにキレた一人が吉岡に殴りかかろうとすれば、岩倉に頭を鷲掴みにされテーブルへ叩きつけられる。岩倉は、山野井や吉岡から"ゴリラ"と揶揄されるほどの怪力だ。威力は推して知るべしである。
 次いで悲鳴が上がったと思えば、両目に箸が刺さった者がいた。今度は山野井だ。
 
「マナーも守れん猿は死ね」
「――テメェぶっ殺してやる!!」

 喧嘩が強い者――つまり元々収容者の三人が狙われる。そのおかげで、花畑と笠原にほとんど被害はなく、前田にも数人流れる程度だった。前田は決して喧嘩が得意な訳ではないが、数々の困難を潜り抜けたのだ、ある程度対処できるくらいの力は身についていた。ちなみに橘はテーブルの下。
 前田たちに優勢と思われたが、ある一人が声をあげた。

「三人に向かってばかりでどうする、弱いもんから狙え!」

 弱者を先に潰すのはなんらおかしくない。が、仲間意識というものが静かに芽生えている彼らにとって、それは聞き捨てならない言葉だった。
 狙われるのは、小柄な前田と女の橘だ。

「あ、女みーっけ!」
「震えてんじゃん!こわいんでちゅかー?」

 ゲラゲラゲラゲラ。
 テーブル下にいた橘は簡単に引きずり出され、男たちに囲まれる。バールを抱えたままであるが、震えておろおろと視線を泳がせる様子は男たちを煽るだけだ。
 近くにいた岩倉が庇おうと動くが、不意の金的によりダメージを喰らう。岩倉の動きを完全に奪うには不十分だが、数秒とどめるには十分だった。相手は即座に殴って沈めたものの、そのわずかな隙に、鉄パイプとナイフが岩倉に向かう。
 前田も、一気に相手が増え、身を守るのに徹していた。助けに入ろうとして攻撃された山野井や吉岡にも、殺意が向けられる。
 花畑や笠原は成人しているとは言えども、そもそも肉弾戦派ではない。人を殴ることにも抵抗があった。
 一気に劣勢となってしまった中――もはや相棒であるバールをふりかぶるのが一人。
 ちなみにこのバール、長さ七五センチ、重さ三キロの大型である。

「ぅぐッ」

 岩倉のそばにいた男がうずくまった。
 橘は鉄パイプを回避しながらむやみやたらとバールを振り回し――的確に急所を狙ってくるあたり、彼女の生活がうかがえる――その乱暴な攻撃に相手があっけにとられている間に岩倉達が復活する。
 十分なリーチと、重さ相応の破壊力。彼女の強みは、何より、相手を傷つけることへの躊躇いがないことだ。
 橘に手を出そうとしていた男たちは当然知らないのだ――橘が一人であの環境の中生きていたことを。
 そして、それに伴った実力――とは言い難いが――を持っていることを。
 豹変ぶりを何度も目の当たりにしている前田らは、「ああスイッチ入ったのか」とバールを振り回す橘を見る。瞳孔をカッ開いている女が鈍器を振り回す様子は見ものである。

「このアマ、ぶっ殺す……!」
「やってみろよ早漏野郎」

 橘が震えているのは戦闘外――戦闘中は、中々頼もしいのである。


 橘のいないところで、男たちが"自分たちが彼女に与える悪影響について"こっそり話し合っていることを、彼女は知らない。
 最も苦い気持ちになっているのは吉岡であることも、彼女は知らされていない。

- 39 -

prev(ガラクタ)next
ALICE+