凪くんとお昼ご飯


 休日にわたしも凪くんも部活があれば、昼休みに会うことも出来る。休日にも凪くんと会えるなど、わたしはとても浮かれて朝からご機嫌だ。
 昼休みに食堂で待ち合わせをする。食堂としての営業はしていないが場所そのものは解放されており、部活の生徒や学校で自習をしている生徒が利用している。ちらほらひとのいる食堂に行くと、すぐに凪くんを発見した。ひとりだ。てっきり御影くんも一緒かと思っていたので、いくらか驚きつつ深呼吸をして向かう。
 凪くんはコンビニの幕の内弁当のフィルムをはがしていた。対面の椅子を引いて座る。

「こんにちは、凪くん」
「ちは、空山さん」
「御影くんも一緒かと思った」
「いくら俺でもデートに玲王は呼ばないよ」
「うぃ」
「はー、ご飯食べるのめんど……」

 動揺しつつわたしもお弁当を広げる。保温性弁当箱なので白米がほんのり温かい。凪くんは食堂の電子レンジ使用済みのようで、幕の内弁当からは湯気が出ていた。
 凪くんはぶつぶつ言いながら割り箸を割る。

「面倒くさいけどお腹は空くの、人体のバグ」
「家にいるときはゼリー飲料が主食だったよね」
「そうだったんだけど、部活行くようになってからはもうちょい人間らしいもの食べてる。コレも。ゼリーじゃ足りないくらいお腹空くし……玲王もちゃんと食べろって言うし……」
「健康的なのもそうだけど、ゼリーだったらすぐに食べ終わっちゃうだろうから嬉しいかも。食べてる間は凪くんと一緒にいられる」
「……俺、食べ終わったからってすぐどっか行ったりしないよ」

 こころなしか拗ねたように凪くんが言う。かっこいいとかわいいを両立されるとわたしがどんどん惚れていくのでやめてほしい。

「空山さんはさ、宇宙とか星が好きなんだよね」

 食事を開始しながら問われて大きく頷く。

「うん、うん。何で知ってるの? あ、天体観測部だからか」
「それもあるけど、流星群の話したじゃん。ペルセウス座流星群か双子座流星群かどっちが好きってやつ」
「ああ、凪くんが『流星<群>っていうほど見えるの?』って言ってくれたときね」
「あのときに空山さんが、自分はシブンギ座流星群? だっけ? が渋くて好きって言ったでしょ。第三のマイナー流星群の名前が出てきたら、星好きなんだろうなって思うよ」

 覚えていてくれた嬉しさで頬が緩む。四分儀座流星群は三大流星群のひとつだがペルセウス座や双子座ほどの派手さはない。だからこその良さもある。じっと夜空を見上げていて、流星を見られたときの高揚といったら。年末からお正月あたりに極大がくるので、学生でも観測する時間がとりやすいのもある。

「星はいいよ。宇宙もいいよ。スケールが違うもん。太陽の光なんて、わたしたちが見てるのは八分前の光なんだよ」
「ふうん……イメージ沸かないな」
「わたしも。ふふ、でもそのくらいスケールの大きなことが宇宙では起こってる。わたしたちがいる太陽系は天の川銀河に属してるんだけど、今や宇宙の銀河分布図みたいなものまであるんだよ。すごくない? どうやって分かったのっていう」
「うん。人間ってすごいね」
「でしょでしょ。ハピタブルゾーン……平たく言うと地球みたいな星が生まれるかもしれない領域のことなんだけど、そこに惑星があるのも観測されてるんだ。生命体はま……だ……ごめん、語ってしまった」

 昼食そっちのけで宇宙論を話してしまいそうになり、なんとか我に返ってストップをかける。凪くんも、熱く宇宙を語られても困るだろう。わたしは宇宙を話し始めると止まらない自覚があるので、そういう場でないときにはセーブするようにしている。
 わたしが慌てて謝ると、凪くんはきょとんとしていた。

「なんで謝るの? 話振ったのは俺だし、話してていいよ」
「興味のない話されるのって苦痛じゃない?」
「元々宇宙にそんな興味はないけど、好きな子が楽しそうにしてるのはいいなって思うし、空山さんは話すの上手いから面白いよ」

 わたしは握っていた箸を丁寧に置いてから両手で顔を覆う。ひとつ深呼吸をしてから再び箸を握った

「ほんと挙動が面白いよね」
「凪くんがわたしのこと考えてくれてるって喜んじゃった」
「……正直に、どうも」
「では宇宙の話をします」
「どうぞ」
「……改まると難しいね」
「じゃあ、空山さんが好きな宇宙のポイントは?」

 何気ない問いかけに、わたしの脳内は一気に散らかった。あらゆる引き出しから宇宙の雑学が溢れ出る。
 地球、太陽系、惑星、宇宙生命、素粒子、エトセトラ。わたしは特定の分野に特化しているわけではなく、まんべんなく色々好きなのだ。わたしの好きなポイントかつ、凪くんにも興味を持ってもらえそうで、専門用語のない分かりやすい事柄は何だろうか。
 わたしはハッとして前のめりになった。

「宇宙は気圧がすごく低いっていうのは、なんとなく想像出来ると思うけど」
「うん」
「つまり沸点が極端に低いの。宇宙服着ないと、体温で血液が沸騰するの」
「えっコワ」

 凪くんが大きな目を瞬く。
 
「体中の水分が沸騰するの。やばくない?」
「やばい。宇宙好きポイントでそれが出てくるのもやばい」
「へへへ」
「照れるとこじゃなくない?」

 照れていると言うよりも、嬉しいのだ。凪くんがわたしの好きなことに興味を持ってくれただけではなく、反応をくれたことが。宇宙好きは公言しているので、璃乃はもちろんクラスメイトとも宇宙の話を時々するものの、好きなひとは特別に思えてしまう。
 嬉しい、嬉しい。好きなものを好きなひとと共有できることはとんでもなく嬉しい。

「凪くんにわたしのことを知ってもらえて嬉しい」
「……好きなコのことは知りたいでしょ」
「んん、へへ」
「あんまり照れると俺もつられるから控えめにして」
「無理かなあ」

 凪くんを前にしても照れずに対応するなど、いつになるやら。
 凪くんはもそもそ動いて割り箸を置くと、お弁当を避けてテーブルに突っ伏した。幕の内弁当は三分の一ほどなくなっているものの、大半が残っている。
 凪くんが眠たげな声を出す。

「食べるの面倒になってきた……」
「だと思った。午後も部活なんでしょ?」
「ん。残りは夕方に食べようかなぁ」
「ご飯食べられるほど休憩時間って長いの?」

 少しの間。

「玲王は良いって言うから」
「御影くんって凪くんに甘いよね」
「玲王も空山さんも変わってる。俺みたいなのに構うなんてさ」
「それだけ凪くんが魅力的なわけですよ。魔性の男」
「なにそれ」

 凪くんが突っ伏した姿勢のままで顔を上げる。笑顔とはいかないまでも、目を少しだけ細めているのが分かる。凪くんは表情筋すら仕事を放棄しがちだが、その分、目元に感情が出るような気がしている。
 わたしと一緒にいてこの表情なんだと思うとまた嬉しくなってわたしの口元が緩む。内心の舞い上がりをそのままに、わたしは凪くんの髪に触れた。
 心拍数が悪化した。
 つい、で行動してしまうのはわたしの悪い癖かもしれない。

「空山さんってちょくちょく自滅するよね」
「ぐうの音も出ない」

 しかし手を引っ込めるのももったいなく、わたしはそのまま凪くんの頭を軽く撫でた。「寝そう」完全に食事を諦めてされるがままの凪くんに、先輩が重なる。先輩はスキンシップが大変好きなタイプのサモエドなので、どこをどう撫でても嬉しそうにする。
 
「凪くんは先輩に似てるなあ」

 笑顔で呟くと、突っ伏していた凪くんが体を起こした。頭を撫でていたわたしの手を掴んで、首を傾ける。

「だれ」

 わたしは手を掴まれて硬直しつつ、なんとか凪くんの問いを復唱した。接触する前は事前予告してほしいと心から思う。

「だ、だれ?」
「先輩って誰。俺に似てるの?」
「似てる。大きくて白くてふわふわしたところが」
「……俺以外にそんなやついるの?」

 凪くんの声音と前髪からのぞく目が剣呑な色をしていることに気付き、慌てて空いている手で携帯を取り出した。
 これはまさか、俗に言う<嫉妬>なのでは。誤解されるのは本意ではないが、その感情そのものは嬉しい。凪くんと一緒にいると、もう何もかもが嬉しい。
 一番新しい先輩の写真を表示して凪くんに示す。寝ているところに父親の眼鏡をかけられた先輩である。

「これ、先輩。うちで飼ってるサモエド」
「……犬?」
「そう」
「名前が<先輩>?」
「うん」

 凪くんが脱力して、またテーブルと一体化する。わたしの手は握ったままだ。振り払うことも出来ず、サビたブリキのような動きで携帯を仕舞った。

「ちなみにまだ二歳です」
「後輩じゃん。誰が命名したの」
「わたし。<お兄ちゃん>か<店長>か<マネージャー>で迷った」
「最高のネーミングセンスじゃん……」
「声が瀕死だけど大丈夫?」
「だいじょばないところだった」

 握った手に力を込められる。凪くんは姿勢を変えずに手だけを上げて肘をついた。自然とわたしの手も持ち上がり、腕相撲の体勢になる。
 握られる照れくささを困惑が上回ったところで、凪くんが呟いた。

「レディー……」
「えっ」
「ファイッ」

 突然戦いの火蓋が切られたが、凪くんの腕に力はこもっていない。試しにわたしから力を入れてみても、案の定、凪くんの腕はびくともしなかった。面白いくらいに動かないし、顔を上げてもくれない。両手をつかっても動かない。
 あまりの歯の立たなさにおかしくなって笑うと、凪くんがようやくテーブルと分離してくれた。

「俺は犬じゃないです」
「あ、うん」
「はい終わりー」

 凪くんは腕相撲で容易く勝利を収めると、わたしの手を離して幕の内弁当の収納に取り掛かった。
 わたしも、凪くんとの時間に名残惜しさを感じながらお弁当を片付ける。また学校で会えると分かっているものの、分かれるというのはどうしたって寂しい。何時間でも腕相撲をしていたい。
 ぽこ、と軽くなったペットボトルが頭に乗せられた。

「じゃあ、また学校で」
「うん」
「どっちが先に教室訪問できるか競争ね」

 朝の逢瀬を当然とする言葉に、にへと笑った。

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