純黒1
ガヴィのスマートフォンには、一切なにも残っていない。アドレスはもちろん、メールも着信履歴も発信履歴も何もかも、随時削除するように設定されている。適当なアドレスなりメールなりが残っているスマフォもあるが、そちらはブラフであり、ガヴィが実際に使用することはほとんどない。
ブラフではない、ガヴィの本来のスマフォに、十一ケタの番号が表示される。音もバイブもない。見ていなければ着信には気づかない。おまけに随時削除という特別仕様なので、もちろん伝言も残せない。しかも番号も定期的に変わる。このあたりが、"ガヴィとはなかなか連絡がつかない"という理由だった。
幸いにもガヴィは、スマホをテーブルに置いて晩酌の最中だった。グラスを置いて、ソファに身を投げてから応答した。
「Hi, Vermouth. 」
『良かったわ、出てくれて。あなたにも協力して欲しいのよ』
「ぼくも暇じゃあないんだけど」
『ボスから、あなたを推薦されたものでね』
「……なぜ、ぼくに直接下りてこない?」
ガヴィは巨大組織のボスの懐刀とさえ言われる立場にある。電話の相手・ベルモットも確かにボスのお気に入りだが、自身の直接の上司が下した指令が同僚から告げられる意味が分からない。
ガヴィは普段の動向をボス以外には明かさないし、電話以外の連絡手段を保っているのも基本的にはボスに対してだけだ。そうであるのに、なぜ、ベルモットを介す必要があるのか。
『私、今ラムからの命令で動いていてね。ラムが、ボスからあなたを推薦されたそうよ』
「ああ……なるほどね」
『で、協力してくれるかしら?』
「二日くらいあれば、こっちも都合つけられる」
『今すぐよ』
「は?」
『今すぐ、日本へ来て頂戴。キュラソーが捕まったわ』
「……はあ?」
ガヴィは思い切り顔をしかめ、事の次第を問いただした。
キュラソーは、組織のNo.2であるラムの腹心で、非常に優秀な人間だ。それが潜入任務中の事故で記憶を失い、挙句、警察病院に搬送されているという。
ガヴィは舌打ちをこぼし、ソファから起き上がる。コートに必要なものを突っ込み、仕込んでいた武器を外していく。今から急いで、となると移動は航空機になる。ましてや日本への入国だ、武器の持ち込みは厳しい。船を手配する時間があればよかったのだが、そうも言っていられない。
銃器を持っていない状態は、ガヴィにとって非常に心もとない。ベルモットから武器を融通してもらうか、日本にいる武器屋に急ぎ話をつけるか、いくつか手段はあるが。
「何やってるんだキュラソーは」
『自分ならもっとうまくやれた、かしら?』
「……さあ、どうだか。で?」
『単刀直入に言うわ。ガヴィ、貴女のツテは使えない?』
「それもボスが?」
『ええ。ツテが何を指すのか、私には分からないけれど』
「率直に答えよう、無理だ。記憶喪失でなければ良かったんだけど」
『オーケー。やはり、迎えに行くしかなさそうね。貴女も協力して頂戴ね』
「分かってる」
『ところで、貴女今どこにいるの?』
「幸いにもアジア、とだけ。明日の昼には着く」
『了解』
躊躇なく通話を切ると、急ぎキーパッドを開いた。十一ケタを迷いなく打ち込んで、別の番号にかける。二、三言話して切り、また別の番号にかける。多忙な犯罪者は、大幅に狂った予定による損害を最小にするため、数人に端的な内容の電話をかける必要があった。
最後に航空機のチケットを確保するために電話をかけ、休む暇なくコートを羽織った。
*
組織でそれなりに地位がある者は、複数セーフハウスを持っているが、維持費もタダではないので、ホテル利用の方が多い。
組織がバックについているホテルは、もちろん日本にもある。表向きはただのリゾートホテルで、一般客も利用するし、従業員も血生臭さとは縁遠い者がほとんどだ。ただ、一フロアだけを組織が年中押さえており、組織の人間が最優先で利用できるようになっている。何も知らない従業員には、ただのVIPとして通っている。
急遽来日が決まったガヴィは、組織御用達のホテルに入った。高級思考のベルモットは、いつも最上級のホテルを自費でとっており別である。ガヴィより後に来日したジンらは、ガヴィと同じフロアに入っていた。
ガヴィは、来日してからジンらが合流するまでの短い期間で、キュラソーの様子見を行っていた。別人として潜入するにはベルモットの変装術が最適だが、ガヴィも潜入には慣れているので問題ない。ベルモットの方は、"確定している三人"の始末をつけるということで、キャンティ、コルン、ジン、ウォッカのサポートに回っていた。
キュラソー奪還のためのメンバーが揃うと、自然とジンの部屋に集まった。ガヴィは、喫煙可ルームゆえに染み付いたタバコの臭いに顔をしかめたが、文句は言わなかった。キャンティやコルン、ウォッカ、そしてガヴィも、特別広い部屋にはこだわらないので集合するには不向きであるし、ベルモットの泊まるホテルを仲良くたずねるのも目立つ。ジンの部屋が都合がいいのだ。
全員で集まって、各々適当に腰かける。ベルモット以外は軽装だった。
いわゆる作戦会議の中心となるのはジンだ。キャンティ、コルン、ウォッカの三人は、こういった場面であまり口出しはしない。口を開いたジンはーータバコは消しているーーまず、ガヴィを睨んだ。
「なんでいる、ガヴィ」
「ベルモットから呼ばれた。ラムからの指名……いや、ボスからの推薦だな。断るわけにもいかないよ」
「そう、私が呼んだのよ。心強いでしょう?」
「チッ……余計な口出しするなよ」
「気を付けよう。ぼくとジンのやり方が違うことなんて、前から知ってる」
「あたいはアンタと組むの初めてだけど、ジンはそうじゃないのかい?ベルモット(そこの女)と同じで、一人でこそこそするのが好きなんだろ?」
「一度だけだ。……それで、キュラソーは」
ジンの苛々した雰囲気は、ガヴィがジンの車に向かってデザートイーグルを発砲したことがあるからだろう。ガヴィはしっかりと記憶していたが、わざわざ掘り返す真似はしなかった。
ジンの機嫌急降下に焦るウォッカと、首をかしげるキャンティとコルンは放置して、ガヴィは話を進めた。
「今は警視庁捜査一課の預りになってたけど、すぐに公安警察が身柄を引き取りに来そうだ。公安は、記憶喪失の女性が、警察庁に侵入した人物であると断定している。警視庁の連中には、情報が共有されていないらしい。
キュラソー本人の様子としては、記憶がない以外は問題ない。つまり、大問題だな」
「おかしなことを話してないだろうな」
「意識的に黙っているというよりは、組織のことも一切覚えていないみたいだよ。もしくは、意識の階層化がしっかり役立ってる」
「……キュラソーと直接話せたか?」
「いや、察しの通り面会謝絶だ」
ジンは一拍置いてから、端的に指示を出した。
「キャンティとコルンは、公安とキュラソーの動きを見張れ。ベルモットはバーボンの確保、ガヴィはキールを確保しろ。ウォッカは俺と来い、例の遊園地に向かう」
へい、とウォッカがいつも通りに返事をするので、ガヴィは違和感を流しそうになったが、キャンティが呆れ声で突っ込んだ。
「本気かい、男二人で遊園地なんて!」
「ぼくも同感」
「ならベルモット、ウォッカと代われ」
キャンティはやかましいし、ガヴィは喫煙を嫌う。ベルモットを指名するのは予想通りだった。しかしベルモットは、なぜか交代を渋った。遠回しに遊園地には入りたくないと言うのだ。
ガヴィの脳裏に、ある少年がよぎる。ベルモットの贔屓で、なにかと事件に関わっている彼のことだ、今回も何かあるのかもしれない。
ガヴィは、ベルモットとジンの間の空気が悪くなる前に、気だるげに声をかけた。
「ぼくがウォッカと代わろう」
「チッ……」
「やり方には口出ししないと言ってるんだ、ぼくで不足はないはずだが?」
「良かったわね、ジン。ちゃんとガヴィをエスコートしてあげて」
「あの世へな」
ドスの聞いた声にも、ガヴィは肩をすくめるだけだ。繊細な神経で、人の車を廃車に追いこむ真似は出来ない。
後日、遊園地へはジンのポルシェで向かったが、ガヴィが運転席に座ることは一度もなかった。わざと事故を起こされてはたまったものではない、というジンの警戒の現れだ。
「ジンと車に乗っていて始終運転しないのも、ジンに煙草を吸わせないのも貴女くらいのものよ」とベルモットは感心したように笑った。
運転しなくていいというのなら楽させてもらうが、一応、助手席から訂正はしておいた。
「車を壊すのが趣味な訳ないだろ」
「ネズミを狩った腹いせに、ポルシェ(こいつ)をガラクタにされちゃ困るんでな」
「ハーレーにもバイパーにも、大砲撃たなきゃいけなくなる」
「派手好きなのはどっちだ」
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