4-1


「どーすっかなあ……」

 黒羽快斗は、都内の大学に通うごくごく普通の学生である。
 頭脳明晰で整った容姿をしているが、誰にでも気さくに明るく接するので近寄りがたさとは程遠い。友人も多く、彼の周りはいつも賑やかだ。
 一方で、黒羽快斗は犯罪者である。
 ビックジュエルのみをターゲットとし、神出鬼没で確保不可能な大怪盗として、広く知られている。毎度華々しい演出で現れ、決して人を傷つけず、盗んだ宝石は必ず返却するという犯罪者らしからぬ行為のため、ファンも多い。
 少し前に"本業"とは別件で大けがを負い、怪盗としての活動を休止していたが、つい一昨日無事に復帰した。
 アメリカでの犯行は日本よりも命の危険が大きいが、滞りなく終え、日本に帰国していた。ライバルの大学生探偵は、黒羽の宣戦布告をきっちり受け取ってくれたことだろう。
 怪盗としての活動は無事に終わったのだが、黒羽は帰国してそうそう頭を抱えていた。

「どーしろっつーんだよ……」

 人通りの多い、都内の交差点にて。巨大な街頭テレビでは、"怪盗キッド"の犯行が取り上げられている。
 黒羽はただ、散歩ついでにテレビを眺めていただけなのだ。
 怪盗キッドが盗んだエメラルド"オアシス"は、既に返却されている。テレビでは、ロサンゼルスで犯行に及ぶ怪盗キッドの様子や、国際指名手配犯に容赦のないFBI、海外にも多い怪盗キッドファンなどが報じられていた。
 黒羽が異変に気付いたのは、画面がオアシスの映像に切り替わったあたりだった。
 シルクのクッションに座る、大粒のエメラルド。天然ものには珍しいほど不純物も少なく、傷もない、ビックジュエルとして上等なものであることは間違いない。
 立派なものだったが、それは黒羽の求めるものではなかった。
 黒羽はオアシスの感触を思い出しながら帰路につこうとして、自身と同じ様に熱心に街頭テレビを見上げる人に気が付いたのだ。
 見間違いかと己の目を疑ったが、何度まばたきしても、その人影は消えない。
 熱心に。否、どこか遠くを見るように呆然と。その人物は棒立ちでテレビを見上げていた。
 黒羽が"彼女"を無視出来なかったのは、見覚えがあったから、というだけではない。
 彼女は、ガヴィと呼ばれている人物だ。
 怪盗キッドよりもよほど厄介で、凶悪で、命を奪うことになんの抵抗もない、極悪非道の大量殺人者だと知っているからだ。
 黒羽は、ひとつ深呼吸をして、雑踏にまぎれる殺人者に歩み寄る。ガヴィがその気になれば黒羽も一瞬で命を刈り取られるが、様子をうかがうに、この街中でどうこうする気はないように見えた。

「……お姉さん、どうかしたの?」

 ひとまず、何も知らない一般人を装って声をかけた。顔は黒羽快斗だが、声だけは別人のものにかえている。
 黒羽は大量の冷や汗と激しい鼓動に気付かないふりをして、とっさに逃走できるようにという一点に神経を集中させる。
 ガヴィは反応を示さない。聞こえていないのか、あえて無視をしているのか。

「なあ、えっと、おーい」

 人通りの多いこの場所で、いつまでも立ち止まっているわけにもいかない。
 黒羽は頭をかいて、おそるおそる、細心の注意を払って、ガヴィの肩に触れた。
 やっと、ガヴィは街頭テレビから視線を外す。乾いた笑みを浮かべる黒羽を、じいっと見つめた。

「えっと、あー……」

 人間かを疑うような身体能力の持ち主に「大丈夫か」とも聞けず、出会ったら逃げろと言われる犯罪者に「何をしているのか」とも聞けず。
 黒羽は意思の感じられないガラス玉に、早速自分の行動を後悔し始めていた。襲われないのは何よりだが、無反応すぎるのも困りものだ。
 
「助けて名探偵……」

 情けない己の声に一層頭を抱えた――その直後のことだった。
 足を"引っかけられて"バランスを崩し、同時に頭を"おさえこまれる"。
 黒羽の広い視界の端で、アスファルトが弾けた。
 ――狙撃されてる?

「え、ちょ、はあ?」

 ぐん、と肩の骨がきしむ勢いで腕を引かれ、理由も問う間もなく全力疾走する。
 ガヴィは黒羽の腕を強い力でつかんでおり、困惑する黒羽を引きずるように街を駆け抜ける。黒羽を振り向くこともなく、器用に人混みを縫って走っている。

「おい、ちょっと、待てよ!」

 黒羽の言葉にもガヴィは耳を貸さない。
 黒羽の考え過ぎなどではなく本当に狙撃されているとしたら、狙いはどう考えても黒羽ではなくガヴィだろう。怪盗キッドの素顔は割れていないが、ガヴィの顔はその界隈では有名だ。
 黒羽の抗議は無視され、腕を振り払うことも出来ない。黒羽は、ガヴィに声をかけたことを心の底から後悔していた。



「トムソンさんからの依頼が撤回された……?」

 大学の講義を終えて、いつものように毛利探偵事務所に足を運ぶと、小五郎から唐突にそう告げられた。
 小五郎は定位置のデスクに座って偉そうにふんぞり返り、呑気に煙草をふかしている。目が隠しようもなく笑っており、おそらく、依頼主から代金が支払われたからなのだろう。

「おう。『これほど手を尽くしていただいたのなら、日本にはいないのかもしれない』ってな。カリフォルニアでまた探すようなことを言ってたぞ」
「……そうか。あーくそ、依頼を達成できないなんてよ」
「日本に来てないヤツ探したって見つけようがねぇってんだ。とんだ時間の無駄だったな。ま、依頼料きっちり払ってくれたから、別にいいけどよ」
「きっちりどころか、かなり上乗せされてんじゃねぇの?」
「迷惑料だ、迷惑料!」

 小五郎が上機嫌にがはがは笑う。
 新一はデスクに置かれた封筒の中身を確認し、顔が引きつった。依頼を完遂出来ていないのに、報酬が大きすぎる。前金の羽振りの良さを思えば妥当だが、この金額を受け取るのは抵抗がある。
 このおっさんは、何も考えてなさそうだが。
 新一は、この報酬が蘭に渡るまで小五郎を見張らねばならない。いつもより気を張って、蘭の帰宅を待つことにする。
 勝手知ったる事務所のキッチンで、自分の分のお茶を入れ、接待用のソファに腰掛ける。

「なあ、おっちゃん。トムソンさん、何か言ってた?」
「今までの礼と、カリフォルニアで探すってことくらいだな」
「……ここまで手がかりがねぇのって、おかしいよなあ」
「お前はそればっかりだな。ったく、日本にいない人間を探せったって無理だっただけだろ」
「駆け落ちしたにせよ、元々日本にいたんだろ?ここまで綺麗さっぱりつかめないもんか?」
「元の手がかりが少なすぎんだよ!」

 米牧真衣という名前と年齢、あとはオリヴァー・トムソンと彼女が出会った場所しか情報がない。
 新一はスマートフォンを取り出し、着信履歴を表示させる。
 何か知っているらしい降谷とは、あれ以来、連絡をとってもはぐらかされていた。忙しいことは承知しているのでしつこく問うことも出来ず、意味深な忠告の真意は不明のままだ。

「一体、どんな依頼だったんだ……」

 依頼が撤回された今、これ以上人探しをする必要もない。ただ、消化不良で気持ちが悪い。
 新一は、小五郎の鼻歌とラジオをBGMに、"降谷零"の文字を睨む。
 ダメ元でもう一度かけてみるか。運良く電話をとってくれても、答えてくれるか分からない。いや、依頼が撤回されたと告げたら、もしかしたら何か話してくれるかもしれない。
 新一は思い立って腰を上げる。降谷との通話を聞かれないよう外に出ようとしたのだが、新一がドアノブを握る前に、勝手にドアが大きく開いた。

「おーい!工藤おるかー!」

 満面の笑みを浮かべた服部が、近くにいた新一の腕をぐわしと掴む。逃がしてたまるかという執念を感じた新一は、思わず半歩退いた。
 とても嫌な予感がする。

「やっぱおったか!おっちゃん、工藤借りてくでー」
「おーおー、勝手にしろ」
「おーきに!じゃ、ちょお付き合ってや工藤」
「なんでだよ!離せ!ああもう、おっちゃん、依頼料はちゃんと蘭に渡しとけよな!!」

 新一は何とかそれだけ告げて、引きずられるように事務所前の階段を下りていく。

「っおい、服部、どこに行く気なんだよ」
「まあまあ。ちょっとなー」

 おかしな事件――人魚騒動や幽霊屋敷――に首を突っ込む服部のことだ、どうせまた興味のそそる事件があったのだろう。
 新一は大きなため息をつき、上機嫌な服部に連行されていたのだが、服部が路肩に止まる車を目指していることに気付くと、整った顔を精一杯ゆがめた。
 服部も自分も免許は取得しているが、車は持っていない。服部が目指す車は、ナンバーを見る限りレンタカーなどではない。運転席には見覚えのない人物がいる。

「……どこに行く気だ、服部」
「ちゃんと教えたるから!はよ行くで工藤!」

 服部が後部座席のドアを開け、新一を押し込む。新一は大きくため息をついて、シートベルトを締めた。
 隣に座った服部を追及しようと向き直り――しかし、そこに服部はいなかった。
 代わりに、己とよく似た顔の青年が座っている。

「名探偵、助けてっ」

 語尾に星マークがつきそうな軽薄さで述べる青年に対し、新一の額に青筋が浮かぶ。
 以前、なし崩しで正体を知ることになった、平成のアルセーヌルパンこと怪盗キッド――素顔が新一に瓜二つな、黒羽快斗である。となると、運転席に座っているのは、彼の協力者である寺井が変装した姿だろう。
 
「テメェ怪盗キッドォ……!なんのつもりだ!!」

 新一の低い声に、黒羽がどうどうと手を上下させる。

「お、怒んなって!今回はマジで、俺の手には負えねぇんだよ!!」
「はあ?俺は犯罪に手ぇ貸す気はねーぞ!」
「わーってるよ!」

 車に乗り、発進してしまった以上、新一は黒羽の話を聞くほかない。腕も足も組み「で、なんだよ」と尊大な態度で問いかけた。
 黒羽が――怪盗キッドが宝石以外に手を出さず、人を傷つける気がないと分かっているからこそ出来る余裕だ。

「その……降谷さんか、赤井さんに取り次いでほしいんだけどさぁ」
「は?あの二人にって……」
「今、俺ん家にガヴィがいて」
「……なんて?」
「今、黒羽家にガヴィがいんの。だから引き取ってほしいんだよ」
「……オメー頭打った?」
「だったら良かったんだけどなあ……いるんだよなあ……」
「うっそだろ」

 黒羽は叱られた子供のように小さくなりながらも、下手くそで引きつった笑みを浮かべていた。
 新一が絶句していると、黒羽はとつとつと成り行きを話す。話は決して長くなく、新一が黙っている時間は短かった。
 話題は突飛であるが、おおむね理解の出来る内容だ。
 新一が黒羽の立場でも、同じように声をかけただろう。ガヴィを、下手に警察に引き渡すことが出来ないのも分かる。一大学生の黒羽快斗が、降谷零や赤井秀一に連絡出来ないのも仕方がないし、新一を利用せざるを得なかったのも理解できる。

「ただ、なんで家に連れて帰るんだよ……せめてすぐに連絡しろよ!」
「様子がおかしかったから、何かあったのかと」
「……庇うつもりだったのか」

 厳しい声で問うと、黒羽は居心地悪そうに頭をかいた。
 新一を含め、対組織戦でキッドと関わった面々は、キッドがガヴィに助けられたことがあると知っている。黒羽はそれを明かした上で対組織戦に臨んでいたが、根がお人よしなのだ、ガヴィに対して思う所があったのだろう。
 黒羽(キッド)のお人よしぶりは、新一(コナン)自身よく知っている。

「……あの人のやったことを思えば、殺されても文句言えねぇけど。話せるなら、話してみたかったんだ」
「ガヴィは人殺しだぞ」
「俺だって犯罪者だぜ?殺人はしてないにしろ、国際指名手配犯だ。被害総額、いくらか知ってるか?」
「……」
「このことに関しては、見逃してくれ」

 新一は、黒羽の額にキツくデコピンをお見舞いし、続きを促した。
 彼への叱咤は、後で大人に任せるとしよう。

「それで、ガヴィの様子は?」
「大人しいもんだぜ、本当に。銃器は持ってるっぽいけど、俺を襲うこともないし、爬虫類並にじっとしてる。見た限り怪我もない。ひとっことも喋らねーけどな」
「喋らない?」
「思いつく限りの言語で話しかけてみたけどな。でも一応、こっちの言ってることは分かってると思う」
「……」
「放置も出来ねぇから、ここ数日講義休んで様子見てるけど、ずっとそんな感じだな」
「お前、一人暮らしだったか」
「母さんならまた海外だ。寺井ちゃんは会わせてない。青……あー、俺の幼馴染が来たことはあったけど」
「中森警部の娘さんだったか」
「そうそう、青子な。警戒してたっぽいけど、止めろって言ったら止めたし」
「……つか、なんで大人しくお前ん家にいるんだ?」
「俺が知るかよ。最初に話しかけたから、とか?」
「爬虫類か鳥類かはっきりしろよ」
「哺乳類だろ」
「口を利かない理由も謎だ。目的が全く分からない」
「……記憶喪失って言われたほうが、しっくりくるんだけどね、俺は」

 ガヴィの変貌ぶりを思えば、その推測も無下には出来ない。普段から人をよく観察し、確かな実力がある黒羽の意見ならば尚更だ。
 新一の頭に、銀髪の女性の姿がよぎる。組織の幹部でありガヴィと親しかったという彼女は、車での事故で記憶を失い、結果組織を裏切っていた。

「だけどさ、さっき言った通り、目立った外傷がない。外傷性の健忘症じゃないとすると、精神的負荷が原因と考えるのが普通だろ?」

 黒羽は落ち着いてきたのか、落ち着くためなのか、トランプをもてあそびながら続けた。

「"あの"ガヴィが記憶を吹っ飛ばすほどの精神的負荷って、一体何なんだろうな、と思ってさ」


- 25 -

prevAim at ××.next
ALICE+