14.何か要望は?

その後、ぎゅっと目を瞑ったまま、しばらく動けなかった。辺り一帯にサイレンの音が響く。停止した車から安室さんも毛利さんたちもさっさと降りて行った。わたしはというと、未だに力が抜けて動けないままだ。安室さんは車と衝突する、いや、衝突させる時はわたしを腕に強く閉じ込めてくれたけど、停止した途端にパッとサヨナラだ。
力なく運転席の座席にもたれかかっている。わたしがもともと座っていた助手席はグシャグシャに潰れていて、窓ガラスの破片も散らばっている。幸い怪我はないけど、もしも相手側のスピードがもっと出ていて、もっと車内に力強く突っ込んで、私ごとぐちゃぐちゃになっていたらと思うと、笑えないくらい怖い話だ。安室さんに限ってそんな間違いはないと願いたい。実際無事だったから良かった。怖い思いをしたけど、安室さんがめちゃくちゃ頼りになるすごい人だという認識が強まった。あと、結構強硬手段を取りがちな人だということも、情報に追加だ。

どれくらい車内で呆然としていただろうか。窓の外では樫塚さんと知らないおばさんの二人がパトカーに乗せられていた。樫塚さん、結局犯人側だったんだ。あのおばさんは?誰?
コナンくんは毛利さんと蘭さんにちょっとばかり怒られたようだ。わたしも無事でよかったねもう危ないことしちゃダメだよなんて声をかけたい気持ちは山々だけど、この場所から動けない。足が動かない。当然のように腰が抜けてる。

刑事さんと話している人の中で、一人見知らぬ女の子がいた。ショートカットの女の子だ。誰だろう。見たことないな。目撃者だろうか?
そういえば安室さんはどこだろう。わたしを自宅まで送ると言ってくれたのに、車がこの状態では無理だろう。結局私がついてきた意味とは?何か役に立ったわけでもないし、銃声と殺人事件が怖いからとついてきたけど、盗聴器とか腐敗した死体とか遭遇するし、誘拐事件にも遭遇するし、挙げ句の果てには交通事故だ。怖い思いが追加されただけだ。わたしが頼んだようなものだけど、なんて運が悪いんだろうか。へこんだ。

大きく息を吐くと、ぽろりと涙も落ちた。そりゃ泣くわ。あまりの不運にも泣けるし、ここ数時間ずっとめちゃくちゃ怖かったし。ハンカチが入った鞄はトランクに入ってる。トランク開くのかな。変形して開きませんとかじゃなかったらいいな。
手で涙を拭う。化粧が落ちるから擦りたくないし、あまり触りたくないけど、涙が止まらないから仕方ない。

開けっ放しの運転席の扉側から、誰かがこちら側に向かって歩いてくるのが見える。あの靴は安室さんだ。泣き顔を見られるのが嫌で、ベコベコになった助手席側に顔を向ける。

「出てこれますか?事情聴取もありますし、移動するみたいですよ」

安室さんが屈み、車内に居る私に声をかける。わたしは鼻水が垂れないようにずびずびしながら、顔を背けたまま、返事をした。

「泣いてる?」

見ればわかることをわざわざきいてくるなんて、意地悪な人だ。いい歳して、唯一泣いてるなんて情けないって思ったかな。何とでも思ってくれ。安室さんの問いに答えないまま、まだボロボロと涙を落とす目に左手を当てる。突然、安室さんに右腕が強い力で引っ張られた。当然わたしの体は傾き、無理やり安室さんの立つ方に近くなる。思わず安室さんに向き合い、抗議する。

「な、に、するんですか!」
「…今日は驚いたよ。君も心があるんだな」

どういう意味!と怒りたくなったけど、安室さんがあまりにも優しい顔をしているから、口を閉じた。流れるままになっている涙を、彼の手が掬う。マスカラとかアイシャドウとか溶けた涙だと思うから綺麗じゃないと思うんだけどな。気にしないのかな。

「怖かった?」
「怖かったです。力が抜けて立ち上がれません」

はあ、とため息を吐きながら伝えた。体力がごっそり持っていかれた。このあと事情聴取か。私は事情なんて何もわからないんだけど。行きたくないな。苗字名前としての身分証もあるし、私が探られるわけでもないからきっと大丈夫なんだろうけど、死んだはずの人間が名前を変えて警察に行くっていうのもなんだか緊張する。いや、新しい身分をくれたこの人も警察ではあるんだけど、こっそりしたことじゃん。管轄が違うじゃん。今日は行きたくないな。明日にしてくれたりしないのかな。
わたしが憂鬱な気持ちで安室さんを見ると、彼は何かを考える素振りを見せた。そして口を開く。

「何か要望は?」

要望?事情聴取免除させてくださいって言ったらそうなる?いや、彼は今、警察と無関係の安室透という立場だから、そんなことはしないだろう。要望か。直近で一つお願いしたいことはある。この散々な車内から出して欲しいと言うことだ。安室さんの力で支えてくれたら立ち上がれると思う。まあ、その程度のことを要望と言うかはわからないけど。言わずとも自然にこなしてくれそうだけど。とりあえず要望と言えば要望である。

「車から降ろして欲しいです」

わたしが答えると、満足そうに頷いた。そして彼はわたしが座るシートと脚の間に手を入れて、背にも腕を回す。あれ?この姿勢って?グッと寄せられて、気付いた時には彼に抱えられて車外に出ていた。彼は立ち上がったまま、わたしは抱えられたまま。こんな表現したくないけど、いわゆるお姫様抱っこ状態だ。ここまでお願いしてない。
彼は身長があるので、地面までの高さが怖くて思わず首に手を回す。絶対に落とされたくない。もう降ろして欲しい。ちょっと視線を集めているような気がする。恥ずかしくて周りを見れない。

「ありがとうございました。降ろしてください」
「足、震えてるけど。その状態で歩けますか?このまま運ばれた方が効率的ですよ」
「仰る通りです」

わたしは彼に負けた。一人で歩けるかと言われれば、歩けない。観念して彼に体を任せて、力を抜く。振り返って車を見ると、廃車確定というほどの破損具合だ。あーあ。