28.星の下

彼女の娘としての私は死んだことになっているので、いくら驚いたとはいえ、うかつに顔を見せるべきではなかった。そのことを安室さんに謝る。現在騒ぎになってないということは、ひとまずは気付かれなかったということだろうから気に病まないようにと慰められた。ガトーショコラを食べる。気持ちが落ち着く。

「最後に顔を合わせたのは高校生の頃ですし、顔つきも化粧したら変わりますもんね。気付かれなかったのも不思議じゃないかも」
「どこの席に座っているかわかる?」
「お手洗いから戻る際、二つ奥の席から声が聞こえました」
「ありがとう」

ガトーショコラを食べ終え、安室さんが席を立つ。お手洗いに向かった。私は耳を澄ませる。一つ隣のお客さんの会話の奥に、母だった人の声がするような、しないような。どうしてここにいるんだろう。不倫して出てった先が東京都だった?もう会うこともないと思った人と生まれ育った場所から遠く離れたこの地で会うだなんて、出来過ぎている。なんなんだこの人生、呪われているのか。彼女には父ほどではないがいい記憶はない。父に暴力を振るわれても母は助けてくれなかった。マジ私が人生二度目で本当によかったなと常日頃思っていた。お利口さんにしていたので生き延びたけど、私が私でなかったらどうなっていたかも分からない。娘殺しの母親にならなかったのは私のおかげだと思ってほしいくらいだ。結局娘は死んだことになったけど、それはそれだ。
しかしあんなに凝視してめちゃくちゃ目が合ったのにも関わらず、全くの無反応だったことにも腹が立つ。仮にもあんたが生んだ娘でしょ、見覚えあるなとか面影あるなとか少しは反応があっても良くない?いや、私としては気付かれなかったことが大変ありがたいんだけど、気付かれなくてよかったと思う反面腹を立てるのは自由だ。は〜クソ、マジでウザい。なんて女だ。

「出ましょうか」

お会計はもちろん安室さん持ちだった。素直にごちそうさまですと言ってお店を出る。車に乗るが、エンジンをかけるそぶりはなく、安室さんはイヤホンを付けた。もしかしてもしかすると、盗聴している?確かにお手洗いで死んだ娘とに顔を見た、あの子は生きてるかもしれない〜なんて話されてても困るもんね。

「どうやら男性と居るみたいですね」
「はあ」

当然ながら私には音声が聴こえていないので、彼が教えてくれる情報に耳を傾けるしかない。男性と居るってことは不倫相手だろうか。私はその相手を一度も見たことがないので、顔を見ても判断できない。
彼女が荷物をまとめ、出ていくときの服装。完全に母親から脱し、女になった姿だった。お父さんよりも良い人に出会えたからさよならよと言って出て行ったのである。完全に不倫だ。いつもヒステリックで情緒不安定だった彼女がとっても幸福そうにしていたのを覚えている。
彼はその後一言も話さなかった。私には知らせたくない内容が話されているかもしれない。もしかして私が生きていたということがばれているのかもしれない。気を使って黙ってくれているのかも。不甲斐ない。わたしはしっかり死んだはずだ。どうしてあんなに動揺してしまったのだろうか。あの時鏡を凝視しなければ。母親にばれたくらいで特に大問題になるわけじゃない。死んだ娘に似た女を東都で見たと言っても、他人の空似で片付けられるだろう。私への罰(?)も、以後気を付けるようにというくらいで終わりそうだ。ああ情けない。安室さんがせっかく時間を割いて私の身分を作り上げたというのに、こんな失態。

「困ったな」
「え?」

彼が呟いた言葉に驚く。そんな困った事態?わたしの考えが甘すぎた?どうしよう。山とか無人島とか人目につかないところで自給自足の生活をしてくれと言われる日も近いかもしれない。わたしがぞっとしている間にお店から一組の男女が出てきた。母と男性だ。よく見るとお手洗いに行くときにすれ違った悪人顔の男性のようだ。
不思議なことに、母と男性は別々の車に乗り出ていく方向も違った。なに?別居中?

「ナンバー覚えた?」

エンジンをかけ、車が発進する。わたしが覚えてなくても、安室さんがしっかり覚えているだろうに。どうして私にそんなこと聞くんだろう。

「彼女の車だけです。男性の乗った車は車種しか覚えていません」
「うん、上出来だ」

結局彼が追ったのは男性の車だった。グレーのベンツ、CLS。少し怪しげだけど良い車乗ってる男じゃん、まあまあお金持ちかな?と思って印象に残っていただけだ。高級車じゃなかったらきっと車種すら覚えていなかっただろう。少し距離を取って車を追う。

どうして男を追っているのだろう。悪人顔ではあったが、まさか本当に悪人だったのだろうか。高速道路に入ってしばらくして、男の車は一般道に出た。安室さんは高速道路を降りずに、そのまま進んだ。

「もういいんですか?」
「うん。今日のところはね」

どうやら彼には次回があるようだ。本格的に雲行きが怪しくなってきたな。母親のことを思う。彼女もかわいそうな人だ。DV男から離れていい人と一緒になったと思ったのに、その「いい人」も悪人だったなんて。男運が無い。