30.誰かの信頼

見覚えがある猫が走っていく。あれはポアロに寄り付いている猫の大尉だ。ここはポアロからは少し距離がある。ここも縄張りなんだと知る。
目で追っていると、道に停まっているトラックの荷台に乗り込んでしまった。あーあ。ドライバーさんに言って荷台に入らせてもらうしかないかなあとトラックに向かって歩くと、大尉が来た方向からまたもや見覚えがある子供たちが走ってきた。コナンくんたちだ。
のそのそ歩いていた私に気付くことなく、大尉が入り込んだトラックの荷台にそのまま乗ってしまう。あらら。急ぎ足で後を追う。荷台の側で声をかけた。

「勝手に入っちゃだめだよ」
「名前さん!あ、名前さんも大尉に懐かれてるよね?なかなか奥から出てきてくれないんだ。ちょっと呼んでみてよ」

私の言葉はガン無視だった。冷蔵車らしく冷えるので。大尉も子どもたちも早く降ろしたい。ひとまず大尉を呼ぶが、大尉も私をガン無視だ。動く気配もない。

「姉ちゃんもっと近づいてみろよ」
「いつも抱っこしてますよね?名前さんが近くに来たら大尉も出てきてくれるんじゃないでしょうか?」
「私も入れって?」

じゃあドライバーに声をかけてからと思ったのに、中にいた元太くんが私の腕を引いて、そのまま勢いで荷台に入ってしまった。子供ならまだ許されるかもしれないけど、大人が無断でトラックの荷台に乗り込むってネットニュースに載ったらどうしようなんて考えた。多少心配性ではある。
もうさっさと大尉を捕まえて降りて素直に事後報告だ。無断で去ったとして、荷物の場所が変わってるとかで変な心配をさせてはドライバーさんが気の毒だ。奥に進んで大尉を呼ぶ。動かない。どうしてそんなにこの寒い荷台が気に入ってしまったのだろう。近付くと、荷物の間から顔を少し覗かせた。無言で見つめあって手を伸ばす。こっちにおいで。

そのとき、バタンと扉が締められ、荷台の中は真っ暗になった。え!?閉じ込められた!?光彦くんが扉の向こうに向かって叫ぶけど、間もなくトラックは発進した。唖然。こんなことあるか。なんてついてない日なんだ。この中では最年長というのにコナンくんの方がさっさとその場の混乱を収めた。次の配達場所に着いたら扉が開くから出してもらおうと言う。なんて冷静な高校生。頼もしい。立ってるとぐらつくので、床に座る。ふと奥に灰原さんが蹲み込んでるのが見えた。どうしてそんな影に?そっと近付くと、めちゃくちゃ薄着だった。ぎょっとして小声で問う。

「灰原さん、服は?」
「…手編みのニットワンピ、外に引っかかってたみたい」

なんてこと!こんな冷蔵車の中で下着姿!慌てて薄手のブルゾンを脱いで、彼女の肩にかけた。無いよりはマシだろう。ああどうして今日に限って結構なショート丈の上着を選んだんだろう。布面積足りない。しかも前が閉まらないタイプ。役立たず!間も無くトラックが停止して、子どもたちが喜ぶが、わたしの隣の灰原さんが声を上げる。

「今出てったら許さないわよ!」
「何やってんだ?オメー」

パンツ一丁で…と言葉を続けたコナンくんは、高校生にしてはちょっとばかりデリカシーが足りないような。不機嫌そうに頬を染める灰原さんをライトで照らす。灰原さんは、糸が全部ほつれて持ってかれちゃったのよと説明した後にライトにも抗議した。わたしが今日ワンピースじゃなかったらトップスでも脱いで彼女を包んで外に出れたのにと落ち込む。ドライバーが来る前に子どもたちと荷物の影に隠れた。時間を追うごとにわたしだけ罪が重くなっていくような。わたし大人なのに。このトラックの持ち主は二人いるようだ。二人の会話が頭を素通りしていく。

「とりあえず僕の上着、着ててください」
「ありがと、助かるわ」

光彦くんが灰原さんに渡した上着はそれなりに厚手で、前もしっかり閉まる。わたしの飾りのようなブルゾンは用無しだ。彼女が上着を着やすいように肩にかかっていたブルゾンを持つ。軽く会釈された。ありがとう、ということだろうか。なんかこの子には申し訳ないな。安室さんのことでわたしも怪しんでいるだろうに、こんな閉鎖された空間に一緒にされて、ストレスやばそう。あまり距離を詰めない方が良かったかも、と思い少し離れる。紳士的な行動をとり、結構薄着になった光彦くんの肩にブルゾンをかけた。無いよりはマシ。子どもが体を冷やしてはいけない。光彦くんはにこやかにお礼を言った。奥では歩美ちゃんが灰原さんに大尉を抱かせていた。次停まった時こそ外に出してもらおうという話になる。そうするべきだ。わたしがちゃんと謝るからと言うと、今まで黙っていたコナンくんが口を開いた。

「やめといた方がいい」
「え?」

彼の顔を見ると、表情が違っていた。もう見慣れたと言っていい。探偵の顔だ。事件でしょうか?また?

「どうやら俺たちの前にもうお客さんが乗ってたようだぜ」

奥の段ボールを覗いた子どもたちが後ずさり、元太くんが呟く。

「死体…」

マジ???
耳を疑った。あと死体を前に冷静すぎる子どもたちの今後も心配した。慣れなんだろうな。わたしも随分慣れた方だけど、手先が冷たくなった。いや、冷蔵庫にいるようなものだから、関係ないかもしれないけど。
コナンくん曰く、犯人はこのトラックを運転する二人組。死体を冷蔵庫に入れたのは、死亡推定時刻をずらすため。そして見つかれば自分たちも殺されるだろうと話す。ゾッとする。なんでこんな危険ばかりなんだ米花町。どうしてこうも遭遇するんだ。運が悪すぎる。途方に暮れるわたしは役立たずのままで、コナンくんがサクサクと指示していく。携帯で外に助けを求めるらしい。たしかにそれが一番手っ取り早くて賢い。

「光彦しか持ってなかったけど電池切れみたい。名前さんの携帯貸して!」
「ごめんなさいわたしも電池切れだ…」
「へっ?」

鞄から取り出して電源ボタンを長押しするけど、画面すらつかない。どうしてこんなに不運は重なる?不運というかこれは単純にわたしが悪くない?今後絶対毎日充電をかかさないと決意した。コナンくんの顔に「使えねーな」と書いてある。わたしにはそう見える。そしてわたしも同意見だ。
結局光彦くんの携帯の電池を取り出して少し復活させる方法を取った。知り合いの刑事さんに連絡するとのこと。連絡先に刑事さんがいるってすごいな小学生。防犯対策はバッチリだ。わたしの携帯の電池もと思ってやってみたけど、回復率が悪かったようで電源を入れて立ち上がった瞬間に画面が真っ暗になった。カス!わたしと同じ役立たず!持ち主に似ないでよ!

トラックが停止して犯人の二人が扉を開ける。出来るだけ息を潜めて隠れる。後ろは行き止まり、出口には犯人って最悪の状況だ。絶対見つかりたくない。死体の向きを変えて出て行く犯人たち。会話の内容から、無計画の衝動的殺人だったことがわかった。こわい。

結果、刑事さんとは連絡が付かず、阿笠博士と話し中に用件を言う前に電池が切れた。電話作戦は失敗だ。
コナンくんの指示で鞄の中をひっくり返す。めちゃくちゃ申し訳ないけど本当に何も持っていない。財布とハンカチと口紅と鏡だけだ。何にも使えない。
次の停車場所が米花5丁目らしく、ポアロが近い。光彦くんの持っていたレシートに細工して暗号を作り、大尉の首輪に挟んだ。わたしはそれを蹲って見ていた。寒くて震える。早く出たい。コナンくんが頼りだ。

「名前さん、今日ってポアロに安室さん居る?」
「うん…」

思ったよりか細い声が出た。話すのがしんどい。体が冷えすぎて歯がガチガチ鳴る。子どもたちは平気だろうか。灰原さんに上着を貸した光彦くんも寒そうだ。彼に羽織らせた上着が少しでもこの子を温めてくれるといいんだけど。他の子たちは案外元気そうで安心する。
扉が開いた瞬間、大尉が外に飛び出す。犯人たちはレシートに気付くことなく、大尉は無事道の奥に消えていった。あのままポアロに行ってくれ。安室さんが絶対に気付いて助けてくれるはずだ。そう思うとなんだか震えが収まったような。え?安室さんパワー?わたしどれだけ安室さんのこと頼りにしてるわけ?ううん、全面的に頼ってはいるけど。目を閉じると、今朝目にした彼の瞳の青が浮かぶ。思い返せば、とんでもなく優しい瞳だった。彼は一体どんな感情をわたしに抱いたのだろう。こんなこと、考えたってわからないけど…

「名前さん、ここで寝ちゃだめだよ!起きて!」
「ん…起きてるよ、大丈夫。今はそんな寒くないし、」

コナンくんに言われて、閉じていた瞼を開けた。視界がぼんやりする。荷台の中の荷物は着実に減っていて、隠れるスペースが少ない。近くに座る光彦くんの背中をさする。

「ありがとうございます」
「ん」

彼の肩にかけた薄いブルゾン、ほぼ役に立たなかったのかもしれない。光彦君の指先の色が悪い。手を握って温めたくても、私の手も冷たい。頭の中に靄がかかったように、何も考えられない。瞼が重い。目を閉じる。体から力が抜けていく。誰かの声がするけど、誰のものかわからない。何を言ってるか聞き取れない。音として脳をすり抜けていく。支えきれなくなったからだがずるずると横に倒れていくのがわかる。あーあ。こんなことになるなんて。