65.悪足掻き

「ということがあったよ」

久々にポアロに出勤した日、待ち構えていたコナンくんから話された。内容は、先日受けた依頼のことだった。見てたのか。あの日から一週間は経過しているが、名前からその話題が出たことはない。

「名前が君を止めてくれてよかったよ」
「あはは…」

自分が追いかけようとしたことを隠さずに話してくれたおかげで、名前に僕を追う意欲が無かったことが分かった。悪いことじゃない。確かに以来の一部でやむを得ず接触したし、声をかけられていたら邪魔だった。見られるとは思っていなかったが、見られて困るようなことでもない。本当に依頼のためだったのだから。

「どうして手を繋いでたの?」
「君は遠慮無く聞くんだね。名前さんも聞いてこないのに」
「だめ?」

コナンくんはくるりと丸い瞳で僕を見上げる。もう終了した依頼の話であるし、詳しくなければ大筋は話すことができる。

「とある店で働いていた女性にしつこく付きまとう男が居たんだ」

濁したけれど、キャバクラだ。よくある話だった。若いキャバ嬢に貢いで、ちょっと優しくされただけで勘違いする。あまりにもしつこいので、彼氏がいるからと言ったのに「自分よりいい男なのか見極める」と言って聞かない。殴りかかってくるかもしれないし、それなりに顔が良くて、スペックが高そうで、殴り合いになっても勝てそうな人を探していると依頼された。本当は条件に合う人を探してほしいとの依頼だったが、どう考えても僕が適役だったので、役ごと引き受けた。
そしてあの日、あの商業施設のカフェで、男と三人で会った。とりあえず諦めてくださいと説得して、男も納得した。一応男が見ているかもしれない間だけ恋人のように振舞っていた。それだけだ。

この依頼者の女性のいいところは、僕に全く興味がないところだった。恋人のように振舞った結果、女性側が勘違いしてもらっては困る。その点あの依頼者は最初から最後まで僕に興味なく、手を繋いでも、距離が近くても、何の動揺もなかった。きれいさっぱり終了した。どうやら年下の男の子に貢ぐのが好きらしい。

「本当に"手を繋ぐ必要がある依頼"だったんだ。名前さんの言った通りだ」
「あの人は本当に物分かりが良くて、助かるよ」

本心だ。面倒な勘違いをされなくて良かった。心からそう思っている。だけど、その反面、どこかおもしろくないと思う自分が居る。馬鹿らしい考えだけど、少しくらい妬いてみせてくれてもいいと思った。彼女は僕のことをとても好きだし愛していると、態度からも、言葉でも伝えてくれた。僕だって同じだ。だけど、僕は彼女が知らない男と二人で居るのを見たとして、彼女のように冷静でいられるだろうか。彼女が僕を信頼しているからこそ何も言ってこないのだろう。僕だって名前を信頼していないわけじゃない。むしろ誰よりも信頼している。それはそうとして、自分と言ういきものは難しく作られている。考えてもどうしようもないことを考えたり、ありもしないことを想像して感情を乱されたり。
一般的に考えて、そこらの人よりは、冷静であるはずだ。名前もそうだ。だからこそ、少しは、ちょっとでもいい、動揺を見せて欲しいし、わがままを言ってほしい。自分以外に触れないで、なんて言われた暁には、仕事上それはできないけど僕には君しか見えていないよと言って抱きしめたい。僕は相当面倒な男だ。

「ところで、その時の名前さんは」
「なんともなかったよ。僕が言うまで安室さんに気付いてなかったみたい。新発売の時計とかわいいブランド品に目が行っちゃった〜って言ってたよ」
「そ、そうなんだ」

ブランド品に負けたのか。いや、僕が居ると初めから思ってもいなかったから、ということにしておこう。
別に悲しませたいわけじゃないけど、少しだけでも僕で動揺してほしい。そういう面倒な悪戯心が生まれてしまって、厄介だと思う。いい歳して嫉妬されたいなんて、情けない。でも、されたい。

「安室さん、厄介なこと考えてる?」

しばらく黙っていた僕に、コナンくんが訪ねる。小学生とは思えぬ呆れたような表情だ。よくわかったねと返すと、よくわかんないけどほどほどにねと言って去って行った。本当に小学生とは思えないコメントだ。


その日から僕は、自宅に帰る前に女性用のブランド品を一個ずつ買って、わざと名前の目につくように持ち帰った。もちろんのちに名前にプレゼントすることになるものだから、しっかり選んだ。わざとらしく自室にしまっておく。誰か別の人に渡すものだと勘違いしてほしかった。少し楽しんでる自分が居て、名前には申し訳なかった。それ誰の?とか、どうしたの?とか、ちょっと聞いてくれるだけでいい。気にしてるんだと言うことを確かめたかった。それだけなのに。


*


「で、一週間なにも言われなかったんだ」
「おかげで渡せてないプレゼントが7個になったよ」

ほどほどにねと言ったのに。引き気味に苦笑いを浮かべるコナンくんを見ながら、名前のことを考えた。驚くほど反応がなかった。初日は持ち帰ったブランドのロゴが入った紙袋をちらりと見たが、翌日からは視線もくれない。問いただされることもない。話題にも上がらない。昨日7個目のプレゼントを持ち帰って、これは不毛な行いだと認めた。名前はきっと探偵の仕事の一環だとしか思ってないのだろう。毎日新品のブランド品を持ち帰る依頼って何なんだ。僕にもわからない。

「今日を最後にするよ」
「今日もやるの?」
「勝手に名前を試すような真似をしたお詫びでね。もう一個くらいプレゼントを追加して帰るよ」

結構な出費だったが、名前が喜ぶのなら痛くない。彼女は人並みに人気のブランド品が好きなようだし、喜んでくれるだろう。自室のクローゼットの中で積み上げられたカバンや靴などを今夜彼女の部屋に運ぼう。そしてそれを身に着けて、ありがとうと笑ってくれればいいんだ。嫉妬してほしいとか、何を幼稚なことを。冷静になってしっかり落ち込んだ。反省する。ばかばかしい。

その晩、名前にマフラーを買った。有名なブランドだ。作りもいいし、温かそうだし、季節は少し早いかもしれないけど、きっと似合う。プレゼント用にラッピングしてもらって、自宅に帰る。
玄関を開けて、ただいまと声をかける。返事がない。珍しい。いつもはリビングからおかえりなさいと声がかかるのに。寝ているのだろうかとリビングの扉を開けると、見慣れない光景が目に入った。

「あれ〜〜?もう帰ってきたんですか〜〜〜」

名前は起きていた。リビングのソファーに座ってこちらを見ている。その顔は赤い。目はとろんとしている。声も心なしか普段より愉快層と言うか、浮ついている。テーブルにはビールの缶が置いてある。

「飲んだの?珍しいね」

僕が知る限り、彼女がお酒を飲んでいたのは見たことがない。彼女と始めた会った晩は、一人で飲んでいたと聞いた。それ以来ではないだろうか。シンクに置いてある空き缶は2つ。3本目か。6本パックでも買ったのだろうか。

「も〜お酒なんていつぶりって感じですよ〜。一生飲まない〜って思ったのに結局飲んでるんですよ。あはは」

愉快そうにケラケラ笑い出した。それなりに酔ってるようだ。あまり酒に強くなさそうだ。上着を置いて、冷やしてあるペットボトルの水を取るために冷蔵庫を開ける。

「え?」

冷蔵庫の中に、ずらりと缶ビールが並んでいた。6本どころじゃない。1ケース買ったのか?21本ある。全部冷やしているのも異様な光景だ。飲む分だけ冷やすものだと思っていたけど。安室さん、と呼ばれて振り返る。とってもいい笑顔で名前が口を開いた。

「今夜は付き合ってもらいますよ」

空になったビール缶をテーブルに置く音が響いた。