64.縛っていてね

ポアロを退勤して、駅までの道を歩いていると、コナンくんに会った。ランドセルを背負っているので、学校帰りなのかと納得する。本当に小学校に通っているんだと感心してしまった。当然のことなのにね。

「なにか良いことでもあった?」

もしかしてにやけていたのだろうかと頬を抑える。良いことはあった。安室さんとの関係がとっても良好だ。
昨日はお互いの気持ちを確かめ合ったし、なんなら二人でお風呂も入ってしまった。この状況は”超ラブラブ”だと言っていいだろう。朝も探偵の仕事に出る前にとふたりで甘い時間を過ごさせていただいたので、私も浮かれポンチのままポアロに出勤したし、最高に上機嫌のまま退勤した。それを見抜かれたなんて恥ずかしい。コナンくん、いや、工藤君だとしても、もう少し大人になってからの話だ。
にっこりというよりは、にんまりと笑いながら何でもないよと返事をした。

「そういえば、ガラスに突っ込んだって話を聞いたけど、けがはなかった?大丈夫だった?」
「へっ?」
「安室さんの腕に怪我があったから、聞いたらコナンくんとガラスに突っ込んだって言われたんだけど」

そう、彼の体には傷がたくさんある。その中でも腕の傷は新しく、まだ完治に至っていない。昨夜はその傷に驚いて思わず問い詰めたところ、ぼんやりとした答えしか返ってこなかった。どういう経緯でガラスに突っ込むことになったのかもわからない。ガラスに突っ込んで負傷したのがあれだけというのもすごい話だけど。

「ぼくは大丈夫だよ」
「よかった。体は大切にしなきゃね」

普通はきっと人生なんて一度きりなのだから。わたしは二度目があったけど。死んでしまえばおしまいだ。

「安室さんはポアロ?」
「ううん。今日は探偵のお仕事だよ」

時々付き添いを許されることもあるけど、今回の依頼は付き添いNGだった。もちろん依頼者のプライバシーにかかわるので、どんな依頼なのかも聞いていない。お仕事だから、そのあたりはしっかり弁えているつもりだ。

「今から昴さんのところに行こうかと思ってるんだけど、名前さんも行かない?博士の家に寄ればケーキもあるし」
「ケーキで釣れると思われてる?」

残念ながらポアロから帰る前にマスターがスポンジの切れ端にフルーツと生クリームを盛り付けて実質ケーキを作ってくれたので、今日はケーキになびかない。しかもそんなに付き合いがあるわけでもないのに、阿笠博士にケーキをせびるようなヤバ人間ではない。あと、理由はわからないけど、安室さんが沖矢さんのことを気にくわないと言っていたので、なるべく関わらないようにしておこうという気持ちがある。わたしは沖矢さんに親切にしてもらったことしかないから、少し申し訳ない気持ちもある。しかし自分からお近づきになりにいくのは違うと思うし。つまりそういうことだ。

今日はやめておくねと断ると、コナンくんはあっさり引き下がった。私が向かう方面と途中まで一緒なので、並んで歩いた。大通りに出た頃に、コナンくんがあっと声を上げた。

「ノート無くなったから買いに行くんだった。忘れてた」
「今どきの一年生は自分で買いに行くの?えらいねえ」

本心から出た言葉だったが、コナンくんは少し動揺していた。毛利探偵事務所には、蘭さんの買った予備のノートがあったけど、小学校一年生用とは書ける文字数が違う。中身は高校一年生のコナンくんだから、おつかいなんてへっちゃらと思ったけど、そうでもないようだ。昨夜毛利さんから渡されたノート代をお財布ごと忘れたらしい。確かに小学一年生で通学にお財布は持ち歩かない。

「いいよ。買ってあげる。どこに売ってる?一緒に行こう」
「ありがとう名前さん。ごめんなさい」

と言うわけで、寄り道をした。大通り沿いにあるビルに文房具屋さんが入っていた。初めて知った。小さい商業施設の一部だ。コナンくんが必要なノートを選び、レジに並んだ。お会計を済ませている間、親子に思われるのだろうかなんて考えていた。
上の階にフルーツジュースのお店があると知って、飲みたくなったので、コナンくんを連れてお店に行った。私もコナンくんもパイナップルジュースを飲んで満足した。そろそろ出ようかと飲み終えたカップを捨てていると、コナンくんに引っ張られた。どうした。

「隠れて」
「なんで??」

あまり幅の無い柱の陰に収まる。いや、収まりきってない。かくれんぼなら最弱だ。コナンくんは私たちが居た反対側を見つめている。隠れてと言った割には顔を結構出してるようだけど、いいのだろうか。

「なんかあった?」
「あの人、誰か知ってる?」

私の質問に何一つ答えてくれない。それどころか質問で返される。スイッチが入っちゃってるな、と思いながら彼が指す方に目をやる。あの人、と言われたのは女性のようだ。すらりと背が高い。スレンダーな人だ。シンプルでカジュアルな服装なのに綺麗めに見える。持っている鞄はグッチ。左手には最近新しく発売されたスマートウォッチ。右手に持つスマホのケースはサンローラン。隣に立つのは安室さん。え?安室さん?

「私は知らない人だよ。何か気になるの?」
「え?気にならないの?」

拍子抜け、という表情で返される。

(子供じゃないんだから)

ほほえましい気持ちになる。この子は、婚約者である安室さんが知らない女と歩いているのを私以上に気にしている。可愛い。今日は探偵の仕事だし、きっとあの女性が依頼者なのだろう。コナンくんの高校生らしいところが知れて可愛い。小学生だけど。きっと蘭さんと知らない男性が中良さそうに歩いてるだけで誤解までは行かなくてもモヤッとしたりするんだろうな。可愛い。

「言ったでしょ?今日は探偵のお仕事なんだよ」
「でも、手をつないでるよ」

えっ

思わずもう一度女性の方を見る。先ほどより遠ざかってしまったが、シルエットは確認できた。うわ。完全に新発売のスマートウォッチに目を奪われていた。細い手は隣の男性の手を握っている。つまり安室さんの手だ。

(こ、子供じゃないんだから)

これくらいのことで動揺するのは馬鹿らしい。深い意味は無いのだろうし。仕事でしょ、仕事。依頼を完遂するために必要なことなんじゃないのかな。そういうことだろう。動揺するな。動揺なんてしてない。別に気にする必要もない。だって私が本命だし。本命の余裕ってやつよ。

(とか考えてる時点でダメか)

地味にがっくり来た。余裕のない私自身に。束縛するタイプじゃないと思ってたけど、もちろん彼に「他の女と関わらないで!」なんて言うわけじゃないけど、束縛なんてできるはずもないけど。言い訳をすればするほど自分がショックを受けてることに気付いて嫌になった。自分のことは嫌いになりたくない。あまり考えたくない。

「どうしても手を繋がなくちゃいけない依頼内容だったんじゃないかな」
「探偵って何でも屋さんじゃないんだよ」

必死で何ともないというように発した言葉は無慈悲に打ち返された。直撃だ。手を繋がなければならないってどんな仕事だよというのは正論でしかない。でも彼が手を繋ぐと言う選択肢を選んだと言うのなら、そこに理由があるはずだ。理由なくつながれていた場合が一番ショックなんだから、理由があると信じている。いや、あの人のことだから、手を繋ぐくらいなんてことないのかもしれない。わたしがコナンくんの手を握って歩くのと同じかもしれない。

認めよう。さっきは動揺していた。動揺してしまったけど、思い返してみればなんてことはない。気持ちさえわたしのところにあればいい。どこに行ったって、誰と居たって、何をしていたって大丈夫。最後にわたしのところに収まってくれればそれでいい。あの人を縛ることなんて私にはできない。卑屈だとかそういうわけじゃない。一番大切な気持ちはわたしに寄こせと言っているんだから、わがままな方だ。

「追いかけようよ」
「すぐにばれるよ。お仕事の邪魔はダメだよ」

興味津々なのか、コナンくんはまだあの二人を目で追っている。止めたけど、今にも駆け出しそうだ。後ろからひょいっと捕まえて持ち上げる。軽い。

「追いかけちゃダメ。ね?わかった?」
「はーい…」

全然わかって無さそうな表情だけど、返事をしてくれたので地面に降ろす。目を離した隙に安室さんの方に行かれも困るので、沖矢さんの住むお屋敷までしっかり送り届けた。