*小説 info アネモネ


赤と蒼の残夢

第一話
れーおり(恒常性のパンケーキ)の角砂糖シリーズの後に読めばより面白いですが

ここからでも問題なく読めます

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兄は───双子の兄たちは、俺が物心ついた頃からいつも一緒だった。
瓜二つの外見、意思疎通の早さ、どこか他を寄せ付けない二人の世界。
そんな空気が、兄の零衣と蒼音の間には流れていた。
家の中で自分が浮いていると思ったのはいつ頃だろう。
6人いる兄弟。双子の兄は2人で仲が良いし下の2人も愛嬌があり立ち回りが上手い。
唯一、真ん中の皐月は話の中に積極的に入ろうとしないが、本人がそれで全く平気なようで一緒にはしゃいでくれるタイプではない。
それなりに人と楽しみたい俺は、上にも下にも上手く入る事が出来ず、どこか孤独だったのかもしれない。
勿論こんな俺でも兄弟は当たり前のように受け入れてくれる。
零衣や蒼音は優しいし、翠と知花はいつも俺に話しかけてくれる。同じ目線で話したかったら皐月も話に乗ってくれる。
それなのにどうしてだろうか。
寂しさが消えないのは。
うちの親は放任主義だ。少し変わっている。
双子の見分けがつかなくても平気だし、俺がいなくても数合わせに友達を置いておけばあまり気にしない。
子供ばかりぽんぽん産んで大家族にして、何がしたかったのか、子供の目線から見てもよく分からない親だが、俺も賑やかで悪くはない、とは思っている。
ただ、無意識に寂しかったのだ。
愛情不足だったのかもしれない。6つに割った愛情では、自分には足りなかった。
「お姉さん」
「待った?ごめんね」
「ううん、今日もお疲れ様。頑張ったね」
夜の歓楽街の入り口。
白いトップスに青いスカートのフェミニンな女と並んだ俺は、少し笑ってその頭を優しく二回撫でた。
それだけで女は嬉しそうにする。
のんびりと仕事───この場合、水のつく仕事の愚痴を聞きながら、手を繋いで歓楽街の中を歩く。
俺は黒ばかり好んで着るので、どこか夜の街にも溶け込んでいるらしく、特段気にする人はいない。
強いて言うならご飯屋にキャッチされるぐらいで。
外装の綺麗なホテルの中に入ると、女が料金を支払った。
その間に好みを覚えているフリードリンクを2つコップに入れ、言われた番号の部屋に一緒に入った。
「───」
女が俺の偽名を呼ぶ。
そのまま何も言わずにベッドで抱き締めてあげると、唇を重ねてそっと舌を絡ませた。
ここが今の俺の居場所。
ラブホテルか、誰かの自宅か。
家でも学校でもないどこか。
寂しい人の居る場所。
「可愛い…」
半自動的に、無意識に、上部だけの言葉を囁いてあげると、ぎゅっと抱き締められた。
昔から、そう。
類は友を呼ぶのだろうか。
自然にしているだけで、依存気質の人が寄ってきた。
来るものは拒まない俺は、優しく接してあげるだけで、いつの間にかそういう風に求めてくる、所謂メンヘラかその予備軍が周りに集まってくるようになった。
細身でミステリアスと言われる容姿も、よりそういう人を釣っているのだろうか、気が付けばいつの間にか、こいつは離れないだろうと思うような人間が何人も周りにいた。
人を抱いて、対価にお金をもらう。
そういうことをいつしかするようになっていた。
お金は好きだ。それに愛情も適当に補える。
自分でも向いていると思った。
夜の街に出ると寂しがり屋の水商売の女がごろごろいる。
必要な人に愛されない気持ちを埋める為、嫌な客の事を忘れたい、そんな人達を適当に相手していた。
お金をそこまで必要としているわけではない。
時に兄や弟たちにあげてしまうし、溜まる一方で。
時々気まぐれに男にも身体を売ったり、とにかく素行に問題あり、という生活を夜だけ送っていたが、誰にも咎められる事は無かった。
それが少し虚しいのか心地いいのか、今更俺に分かる筈がなかった。
女の体を丁寧に愛撫してあげながら、ぼんやりと思考する。
きっと、兄も弟たちも、俺にとっては羨ましい存在なのだろう。
特に零衣と蒼音は、お互いがお互いの特別で、愛し合っていたのを1番身近で見ていたから、羨ましくて、よく嫉妬して、多分それでも───凄く2人のことが好きで仕方が無いんだろう。
きっと俺もあの関係が、むしろ2人の愛情が欲しいんだろう、叶わないからこそ、どうか───
そんな気持ちに蓋をするように、目の前の女の首筋を軽く噛んだ。


「それじゃ、デートに行ってくる〜!!」
家の中で1番天真爛漫な長男、零衣がわざわざ全員に報告するように大きな声で言ってにこにこ笑っていた。
気合いが入っているのか、柄物のお洒落なピンクのシャツを纏って、寄ってきた知花を抱っこしている。
先日、零衣が彼氏を連れてきた。
最近兄たちの様子が少し変だなとは思っていたが、まさかそんな事になっていたとは知らず、俺は内心とても驚いた。
織くんと呼ばれたその少しチャラい見た目の男は、その実、成績は首席らしく、零衣がずっと横で引っ付いて座り、反対側から翠にも質問攻めにされていた。
零衣が蒼音を捨ててまで彼氏を作ったのは本当に意外で、まるでそこに近付こうとしない蒼音を見ていると、これは相当嫉妬しているなと、対角になっている席から眺めていた。
その時にずっと考えていた。
蒼音は今フリーなんだろうか。
ずっと居て当たり前だったと思った、謂わば鉄壁のガードだった零衣が居なくなって、蒼音は今、1人なんだろうか。
そんな気がするにはするんだけど…と思っていると、その後3人は双子の部屋に消えていき、長い話し合いの末、遊びに出掛けて行った。
俺はその直前に少し蒼音にちょっかいを掛けてから、なんとか蒼音を手に入れられないだろうかと考えていた。
それで今日、出掛けて行った零衣を見送りながら、やっと蒼音に接触するチャンスが巡ってきたと思った。
少し元気の無さそうな様子の蒼音は1人二階の自室へと帰って行った。
「よし」
小さく呟くと、蒼音のお気に入りのメーカーの紅茶を2人分カップに淹れた。
それを両手に持って、蒼音なら多分ちょろいから大丈夫、と思いながら二階の双子の部屋まで移動した。
「蒼音?」
「はい」
「紅茶淹れたから入っていい?」
「ほんとですか?今行きます」
中から声が聞こえてきて、蒼音がドアを開けてくれた。
丁度両手が塞がっていたのでありがたく思いながら、ピンクと青でまとめられた部屋に入り、ベッドサイドにカップを置いた。
「淹れてくれたの?ありがとう」
そう言いながら蒼音はベッドの縁にちょこんと座った。
自分では見た目に自信が無いようだが、とても整った、愛らしい見た目をしている。
零衣のように振る舞えばモテるだろうが、その必要はなかっただろうし、なにより蒼音は自分の世界を大切にしている。
零衣の方だってコミュニケーションを取りたがるのは病院暮らしが長かった反動だ。
そんな蒼音を見ながら俺も隣に座って紅茶を一口飲んだ。
「美味しいです。ありがとう」
「どういたしまして」
にこにこ嬉しそうに笑う姿は、情のフィルターがかかっているせいか、とても可愛くて守ってあげたくなる。
もう一口飲んで、蒼音はとても満足そうに一人で笑った。
「元気なさそうだったから。少しは気が晴れた?」
首を傾げながら蒼音に問いかけると、少し間を置いて、儚げな笑みを浮かべながら言う。
「……はい」
それでもその笑顔がどこか寂しそうで、俺もつられて眉尻を下げていたかもしれない。
「零衣がいなくて、寂しい?」
俺は、話題を引き出したくて、わざとそう問いかけた。
「…うん。寂しいです。ずっと一緒だったから。まだ、俺のれーさんじゃなくなったことが信じられなくて……寝る時も、あんまり前みたいに引っ付けなくて、どうしてこんな風になっちゃったんだろうって…まだ、こんなすぐに、立ち直れないよね」
「……っ」
その言葉を聞いていると、何故か自然と蒼音の頭に手を伸ばしていた。
よしよしと撫でて、自分の方へ抱き寄せる。
そこで言葉が詰まった。
いつも、そんなこと絶対にないのに。
「茜さん…?」
何も言えないかった。安易な言葉も同情も、全て蒼音を泣かせてしまう気がして。
ああ、絶対に、絶対にこれは悪手だ。
心ではそう思いながら、俺は、そのまま蒼音をベッドへと押し倒した。
細身の体が2つ重なる。
蒼音を見下ろす景色は、こんななのか。
そんなことをどこかで考えながら、頭から耳元にかけて髪をそっと撫で、そのまま少しだけ抱き寄せた。
「茜、さ…」
頭を撫でて、顔を見ながら囁いた。
「なぁ、蒼音。その寂しさ、俺に埋めさせてくれない…?」
そう言って抱きしめると、そのままその手を徐々に腰へと滑らせた。
「あ……」
全く抵抗もしない蒼音の腰をなぞってズボンに手を入れ、いよいよ下着の上からそこに触れた時だった。
「あ、あ…茜、だめっ!だ、だめですー!!茜のバカぁ!!」
感情が遅れてきたかのように急に叫ぶと、ドンと俺を両腕で押し退けて、少し泣きそうになりながら逃げるように部屋から出て行ってしまった。
自分の部屋を出てどこへ行くんだ、と思いながら、俺は呆然とその後ろ姿を目で追っていた。
「……っ…あれ…」
俺今、拒否されたんだよな…。
そう思うとなんだかちょっと悔しくなって涙が滲んだ。
そんな自分の反応に自分でもびっくりして、体育座りをしながらあんまり泣くもんかと、なんとか涙が溢れるのを我慢した。
ズボンの膝小僧が少し涙で濡れる。
仮にも好きだった兄に、というか蒼音に拒否されたのが無性に悔しくてしばらく視界が濡れたままだった。
あの蒼音だぞ…と好きなのか下に見てるのか分からない感想を浮かべながら、それでもやっぱり好きな人に拒絶されたのはショックだった。
失敗した、これで避けられるようになったらどうしようとしばらく不安で、自分でも珍しい反応をしてるなと思いながら、幼子のように滲んでくる涙が引っ込むまで1人でじっとしていた。

しばらく経ってようやく涙が止まったので、1人で落ち込んでいても仕方ないと思い下に降りる事にした。
所詮家族だしそこまで逃げられる訳でもない。
もし俺の部屋にいたらアホだなと思いながら部屋も一応覗いたが、流石にいなかったのでそのままリビングまで降りる。
ちょうど蒼音と零衣以外のメンバーが揃っていた。
「蒼音は?」
「ん〜?さぁ、さっき通ったような通らなかったような」
そう答えたのは妹の翠だった。
非常にボーイッシュな見た目をしているが女の子である。
でも性格は零衣をもう少しサバサバさせた感じで、俺といると男友達のようになる妹だった。
「翠と皐月、ちょっといい?」
「ん?」
「なんだ」
向こうで子供向けのテレビを見ている知花を邪魔しないように小声で手招きすると、隣の部屋に移った。
「いやさ、聞きたいんだけど」
「なになに?」
俺が問いかけると基本翠が答えてくれ、皐月は性格故に黙っている。
「蒼音ってちょろいと思う?」
「うん」
「ああ」
聞くと即答で答えてくれた。
弟にそう思われてる兄もどうなんだ。
「だよなぁ…」
「どしたのぉ?」
面白そうに首を傾げる翠はどこか零衣に似ていて楽しそうだ。
「んー…蒼音、フリーになったじゃん?…狙おうと思って」
「えーーー!!!」
「家庭内の秩序が乱れるな」
翠は驚いて、皐月は呆れたように溜息を吐いた。
「秩序も何も…既に乱れまくりだから…」
「ま、それもそっかぁ。応援するよ!で、どこまでいったの?」
順応性の高い妹で助かったと思いながら、俺は続きを口にする。
「押し倒したら拒否られた」
「えー!!あお兄ちゃん」
いよいよ面白いといった風に翠はけらけら笑っている。
皐月は呆れたように1つ溜息を吐いた。
「茜のばか!って言われた。どうしたらいいと思う?」
「何それおもしろーい!…謝る!それで仲直りの旅行とか?」
「旅行?」
思ってもみなかった単語に思わず翠を見つめ返した。
「そうそ、デートだよデート!ゆっくりしてきなよ!この辺じゃなくて知らない土地の方が盛り上がるじゃん!」
言われて少し考えてみると、確かに悪くないと思った。
「そう言えば、結構前に客のお姉さんと行ったな…鳥取に」
「いいじゃん!砂丘にコーヒー」
翠がにこっと笑ったのを見て、なかなか頼りになるので相談してよかったと思った。
「鳥取旅行か…蒼音はちょろいと思う?」
「全然ちょろいと思う!ファッションメンヘラだよ!重めの」
「まあ気質はメンヘラだろうな」
皐月も同意してくれたので少し勇気が出た。
「押せばいけるよ!」
「だよな、俺も初めからそう思ってた。まだ零衣に未練があるみたいだけどなんとなく押せばいけそうな気がしてる」
弟たちにここまで言われてると知ったら今度こそ本気で蒼音が泣くなと思いながら、翠たちと作戦を立てた。
「じゃあ蒼音探して誘ってみるわ。ありがとう、翠、皐月」
「赤飯炊いて待っとくね〜」
「いらねーよ」
そんな軽口を叩きながら、その場を後にした。
部屋を片っ端から探していくと、蒼音は一番遠い和室のすみっこにいた。
「蒼音」
呼びかけると蒼音はハッと涙で目元が赤くなった顔をあげて声を出した。
「来ちゃ嫌!」
わざとメンヘラしてるのかなんかもうそういうプレイなのかと思いながら、女子みたいな蒼音に声を掛ける。
あいにくメンヘラの相手なら得意だ。
「さっきはごめん。蒼音明日から3日間空いてるか?空いてるよな多分。いつも引きこもってるし」
「えっ…う、うん何…?」
「お詫びに旅行に行こう。鳥取。奢るから」
「鳥取…?旅行…?」
蒼音がぽやっとした顔で俺を見上げた。
こういう顔は非常に蒼音らしいなと思った。
「ああ、鳥取旅行だ」
「梨あるよね?夏だよね?」
「え、うん…」
「俺!!!梨が、世界で一番好きなんです!!フルーツで!!」
いきなり大声をあげた蒼音にびっくりして俺の方が一歩後ずさった。
「う、うん」
「梨狩りするよね?!行きます!連れてって下さい!」
「分かった、分かったから」
食い気味の蒼音を嗜めるように言うと、蒼音は「やったー」とへにゃっとした笑顔を浮かべた。
それがなんだか可愛くて、やっぱりこいつのことが好きだなと思いながらホッと安堵の溜息を吐いたのだった。


翌日。
宿さえ取れればこちらのもの、飛行機で1時間ほどで鳥取に着くことが出来た。
「到着〜!」
機嫌が良さそうな蒼音に付き添いながら、ホテルに電話を入れると、荷物のキャリーバッグだけ取りに来てくれた。
「すなば珈琲だよ!元々スタバがないからダジャレで砂場があったんだよ!今はどっちもあるけど」
「詳しいな」
「調べたの!」
ご機嫌が良すぎて零衣のようになっている蒼音を見ながら、その後を付いていく。
連れられるまま落ち着いた店内に入り、1番無難な看板メニューを注文した。
「茜さん」
「ん?」
「楽しいね」
「あ、うん」
まだ早くないか?という突っ込みが喉まで出かかってるのを引っ込め、蒼音が楽しそうならいいかとその場を見守った。
蒼音は感覚が少しズレているというか随所で天然なのだ、いちいち突っ込んでいてはキリがない。
それでも、蒼音の気持ちが少しでも晴れているなら良かったと、色々話してくれる会話を聞いていた。
元々2人ともサブカルチャーや物作りが好きな方だから趣味の面では気が合う。
だから特に話題に困る事は無かった。
俺もよく蒼音の友達の動画編集などを手伝わされているが、それはまあ置いておいて。
「砂丘は今日か?」
「うん、砂丘は今日!明日梨食べるの」
「分かった」
ほどほどにのんびりした後、お代を払って店を後にした。
やってきたバスにしばらく揺られていると、目的地に着いて人が大量に降りていくのでその後に続いた。

「茜さん」
「…?!」
蒼音は隣に来ると、唐突に手を取って恋人繋ぎにしてきた。
突然の出来事に頭がついていかず、少し心臓がどきどきと早鐘を打った。
「えっ、なんで恋人繋ぎ?」
「繋ぎたいんでしょ?」
「え…?ま、まあ…」
当たり前のようにそうされて、頭が混乱する。
蒼音のすることに意味なんか求めちゃいけない、と分かっていても、これは一体どういう状況なんだ?と今すぐ翠にヘルプを出したい気持ちでいっぱいだった。
「ならいいよね」
何がいいんだろう…と思いながら、初めて蒼音と手を繋いだ感触に嬉しいやら困惑するやらでどきどきしていた。
手を繋ぐ、つまりデートだと分かっているということだろうか。
案外俺を許しているんだろうか。
それとも、順序とムードを大事にしているんだろうか。
意外とその考えがしっくりきて、もしかして突然だからダメだっただけで、順序と雰囲気を大事にしたら普通に許してくれるタイプの……メンヘラか?などと、内心考えていた。
それでもあおは寄り添いながら手を繋いでいてくれるので、俺は考えるのをやめて車道側をキープした。

「走っていい?…きゃー!!」
靴と靴下を脱いで袋に入れ、急に手を離して砂丘を駆け下りていくあおを、いや、女子か?と思いながら見ていた。
「茜さーん!早く〜!」
「はいはい今行く〜」
少し迷ってそのまま一気に駆け下りた。
見渡す限り一面の砂に足が取られて転びそうになるのをなんとか堪えて蒼音の側にいく。
「一緒にいきましょう」
そう言って手を取られて駆け下りていくのに付いていきながら、ふと、ああ零衣と蒼音だったら確かにいつもこうやって走っていくな…と俺の方がそんな事を考えてしまった。
いつもの双子のその立ち位置に、俺が代わりに入っている事が不思議で仕方がない。
零衣みたいにはしゃげない。
それでも蒼音は自然と引っ張っていってくれたのが少し嬉しかった。
遠くからいつもピンクと青の2人の後ろ姿を眺めているのが自然と頭に浮かんで、それで今蒼音の隣で一緒に走っていることがやっぱり不思議だった。
「うわっ!」
「…ちょっ」
蒼音が転び、手を繋いでいる俺も当然引っ張られてこける。
地面に着く前になんとか左腕で砂に顔面が突っ込むのは阻止したが、隣を見ると蒼音は顔からいっていた。
「蒼音〜大丈夫か…?」
「けほっ…最悪だ……」
凄い低いテンションで呟いて蒼音はごろんと仰向けになった。
髪と背中まで砂まみれになるのを見ていると蒼音は手を大きく横に広げた。
「虚無……」
「……はぁ」
零衣のようにうけるとでも言っておけばよかっただろうか、分からず見ていると蒼音が口を開いた。
「砂丘広すぎ…あ、写真撮って。俺を。ちーくんに送るから」
「うん」
蒼音から携帯を受け取ると、起き上がってありったけ憐れに写真を撮っておいた。
ほんと仲良いんだなと思いながら、こんなよく分からない写真を送られる千羽さんにご愁傷様、と思っておいた。
千羽さんは零衣と同じ保健室に通っていて、蒼音とも同じクラスの友達であり、一応家に来た時に友達になっている。
どちらかというと昔はよく歓楽街で見かけたのだがお互いいつも違う女を連れている為他人のふりをしている間柄だった。
こんな蒼音でも、というのは失礼だが、理解してくれる友達が居てくれてよかったと陰ながら思っている。
「ほら、起きろよ」
手を取って引っぱりあげてやると何故か蒼音は頬を染めてこくりと頷いた。
いや、照れるポイントが分からないな〜…と思いながら、多分心が乙女なんだろうなと勝手に結論付けた。
そのまま手を繋いで歩き出すと、今度は別人のように無言になった。
ぼんやりと空を見たり景色を見たりしながら歩いている蒼音を見つめる。
こういうところが蒼音らしいんだよなと思いながら、その空気感が嫌いではなかったし、ちょうど心地いいので俺も無言のまま行き止まりまで歩いた。
「登る?」
「もちろん」
降りた先は急な上り坂になっていて、そこを越えると海が見える。
昔に来た時に登ったのでそれは知っていた。
お互い砂まみれになりながら、なんとか急な斜面を登ると、視界の先に海が広がっていた。
水平線は日差しを浴びてキラキラと光っている。
「すごーい!」
「ああ、凄いな」
はしゃぐ蒼音につられて笑うと、蒼音が携帯を取り出した。
「写真撮ろ!」
景色を撮るのかと思っていると、インカメになっていてようやく一緒に写ろうという意味だと理解した。
「ハイチーズ!」
風に煽られながら、蒼音の横でピースをすると上手にシャッターを切ってくれた。
その後蒼音は景色を沢山撮っていた。
「茜さんと写真久し振りに撮ったね」
「ああ」
「これからはもっと撮ろうよ、ね?」
そう言って気遣うように笑う姿がなんだか兄らしくて、俺は無言で頷いた。
蒼音が休憩するように砂の地面に座ったので俺もその隣に座る。
自然と手を繋ぐと、蒼音は簡単に握り返してくれた。
寄り添ってくれた蒼音に、流石にもう慣れてきたなと思いながら寄り添い返した。
こうなると完全に恋人と変わらない。
暫く無言の時間を過ごしながら、潮の満ち引きを眺めていた。
「なぁ、俺は蒼音が好きだよ」
雰囲気に任せて、ごく自然に口から出た言葉だった。
蒼音は少し顔を上げると、長い間無言になってようやく口を開いた。
「いつから?」
「昔からずっと」
そういうと、また蒼音は無言になって、顔を逸らすように遠くの海をじっと見つめた。
何を考えているか知る術もなかった。
そうして独り言のようにそっぽを向いたまま呟いた。
「分からないから…教えて欲しいよ…れーさんとの事以外、全部、初めてで、分からないから…」
そんな蒼音を見ながら、手をぎゅっと握り返した。
「うん、俺が全部…教えるから…ちゃんと」
そう言ってあげると、蒼音がゆっくりと振り返った。
その表情は、なんだか、ほっとしたみたいな、少し熱を帯びたような表情だった。
蒼音は少し両手を広げてくれて、ハグを待つように俺を見つめるので、そのまま抱き締め返そうと体を寄せた時だった。
「やっと頂上〜!」
「!!」
横から男女のカップルが砂丘を登ってきて俺たちは弾かれたように距離を取った。
あ、あと少しだったのに…。
と思いながらも、心臓は酷く鳴っているし、横目に見た蒼音もずっと反対の海の方を向いたままたった。
「蒼音」
「うん…」
「帰ろっか」
「そうだな」
お互いそそくさと立ち上がって、帰りは何も楽しまずに砂丘を降りてから登って帰った。
帰りの方が上り坂が多いのでしんどいなと思いながらも、あと少しで本当に蒼音が受け入れてくれていたかもしれないということがずっと脳裏にあった。
他愛もない会話でその場を繋いだ筈なのに、正直何を話したのかあまり覚えていなかった。

宿に着く頃には流石に普通に会話できるようになっていたので、着いて早々お風呂に入る事にした。
一面が海に囲まれたその場所は、浮島のように温泉と足湯のある建物だけが隔離されて高さがあり、非常に絶景だった。
花の浮かべられた温泉にゆっくり浸かって体を温めた後、温泉卵が作れると聞いていたので、受付で卵を2つ貰ってから屋外にあるお風呂の側にやってきた。
翠が、蒼音は温泉卵作るの絶対好きって言っていたのだが、案の定手作り温泉卵のコーナーでめちゃくちゃにはしゃいでいた。
無機物への愛が凄いので卵を30分間フルで見守り続けそうな勢いだったので足湯へ引きずっていった。
「あ〜〜やだー!俺の卵〜!」
というかこんなの誰でも好きだろ。
ちょうど"たまごのお風呂"と書かれた可愛らしい温泉卵用の小さなスペースを見送りながら、心の中では完成が少し楽しみだった。
露天のような足湯スペースで足を温めていると、ちょうど日が沈む時間で、空は幻想的なオレンジと紫色のグラデーションになっていた。
「綺麗だな…」
「ほんとに…すっごい良いところ…茜さんありがとう」
「いえいえ」
溜息が出るほど美しい空をずっと眺め続けて、辺りが暗くなってきたぐらいにまた卵たまごと騒ぎ始めたので、その場を後にした。
自分で育てた温泉たまごは、鍋と大きな違いなどは分からないが普通に美味しかった。
蒼音も満足そうだったので、勝手にたまごのお風呂に感謝しておいた。
自分たちの部屋に戻ると懐石料理が用意されていて、小鍋の下の固形燃料に火をつけてもらって少しテンションが上がった。
「わーこんなのめちゃくちゃ久し振りに食べたよ!」
と蒼音がはしゃぐので、そういう反応したら上に可愛がって貰えるんだよな…と、微妙に場違いな事を考えていた。
「おいし〜」
「美味しいな」
季節の食材を使っていてどの料理も絶品で、非常に箸が進む。
天ぷらはサクサクで塩も美味しいし、船の形の器に盛られた刺身も新鮮で美味しかった。
家族のこと、学校のこと、趣味のこと、尽きない話題を2人でずっと話しながら本当に幸せだなと心の中で思った。
「ねぇ、茜さん聞いてる?」
「え?ああ、ごめん。もっかい言ってくれるか?」
「もーどうしたの?」
ぷくっと頰を膨らます蒼音から少し視線を逸らしながら答えた。
「や……幸せだなって思って」
そういうと、少し無言になったかと思うと、蒼音が突然がたっと乗り出して俺の頭を撫でた。
「茜さんは幸せにならなきゃだめです!」
あまりにもはっきりと言うものだからびっくりして思わず固まってしまった。
「え……あ、うん……」
「誰よりも幸せにならなきゃだめです」
頭をがっしりと撫でられながら、曇りのない目で真っ直ぐに見つめられる。
「なんでそんなこと…蒼音が、急に…」
「俺がお兄ちゃんだからです」
はっきりと答える蒼音に驚きながら、されるがままにその顔を見つめた。
「お兄ちゃんだから、弟には幸せになって欲しいんです」
幸せになって欲しい、その言葉に、どこかで辛かった日々を思い出して、思わず目頭が熱くなった。
俺だって、お前に幸せになって欲しい。
俺は───
「その幸せに…蒼音も居てくれなきゃ、やだよ…」
絞り出した言葉と共に涙が少し頰を伝った。
汁だけになった火鍋の煮立つ音がやけに大きく響いている。
涙で視界が滲んだ矢先、弾かれたかのように蒼音がテーブルのこちら側に駆け寄ってきた。
そのまま抱き締められたかと思うと、床に押し倒されていた。
近距離でぎゅっと抱き締められ、頰に温かい雫が落ちてくる。
蒼音も泣いているんだろうか。俺の為に…?
少し悔しさが滲むような、絞り出したみたいなな声で蒼音は「当たり前だろ…」と呟いて、そのまま、俺の唇を塞いだ。
「んっ…!」
「……っ」
舌が入ってきて、貪るように口付けされて吸い上げられる。
こんなキス、出来たんだ…と思いながら、必死で背中に腕を回した。
「…ふっ…ん、…ぅ…」
「……っん……」
体を体で床に繋ぎ止められながら、与えられるキスに必死で答えようと貪るようなキスを繰り返す。
刺激と快感のまま背中をぎゅっと抱き締めると、抱き締め返してくれた蒼音の手は少し震えていた。
ようやくその唇を離して蒼音は浅い息を繰り返しながら俺を見て言った。
「俺が……っ…俺が幸せにします……!」
そう言ってぎゅっと俺を抱き締めると、肩の方に顔を当てて見えないまま「ごめんなさい……」と絞り出すような声で言った。
「なんで…蒼音が謝るんだよ…」
それに苦笑いを浮かべながらぽんぽんと窘めた。
「茜を…1人にして…」
思わぬ言葉に衝撃を受けた。
俺の気持ちに、蒼音は気づいてくれていたのだろうか。
抱き締めて、音を伴わないぐらいの声で呟いた。
「お兄ちゃん……」
それを聞き取ったのか、蒼音はもう一度俺をぎゅっと抱き締めてくれた。
「…俺とれーさんが仲良くして、寂しそうにしてた茜のこと、気付いてない訳じゃなかったんだよ……今まで1番になってあげられなくてごめんね…。それでも今、身体を売ってつらい思いをして欲しい訳じゃないから」
「全部、気付いてたんだ……それだけでもなんか…ホッとした…」
体の力が抜けていく気がする。
兄はちゃんと、俺を大事に思ってくれていた。
幸せにすると言ってくれた。
過去は変えられなくてもいい、今この事実だけで十分過ぎるぐらいに嬉しかった。
これからは1人になった蒼音に、俺が側にいてあげるから。だから、側にいて欲しい。
「1人になんてさせないよ…」
そう言って、その温かい体を優しく全身で抱き締めた。
「俺も、こんな俺でも…こんなに想ってくれる人が居てくれて、救われたんだよ…」
その言葉を聞いて、俺も同じぐらい救われた気がした。
ずっとこうしていたいぐらい、どうしようもなく心地よくて幸せだった。
こんなに満たされた感覚は初めてだった。
心の中から暖かいような、知らない充足感だった。
求めていた、ずっと足りなかったものはこれなんだろう、そう思えるぐらいの温かさに、思わず涙が溢れた。
「蒼音、俺と付き合って下さい」
「…喜んで」
いつの間にか、お互いの鼓動の音以外、何も聞こえなくなっていた。