「今日どっか飲みに行こうよ」
「ですから、今日は予定があるんですって」
「いつもそう言ってるじゃん、嘘なんじゃないの?」
「本当ですから……」
予想通りノー残業デーの今日、退勤してから出入口までついて来た先輩。
でも今日は勝算がある。京治くんにお願いした計画の実行日なのだ。
いつもの調子で足早に職場の出入口に向かった。悟られないよう、あくまでもいつも通りを心がけて。
「ほらもう職場を出たら先輩とか気にしなくていいからさぁ」
「あ、お疲れ様です」
職場を出てすぐところで京治くんが私の名前を呼ぶ。あたかも彼女を迎えに来た本物の恋人のように。
私は一方的に話しかけてくる先輩を見向きもせず、真っすぐ彼の元へと駆けた。
「待っててくれてありがとう、京治くん」
「全然待ってませんよ」
「……え、誰?」
まだ彼の名前を呼ぶことに多少……いや大分気恥ずかしさが残るけれど、それも初々しくていいかもしれない。
京治くんの腕に手を添え、見せつけるようにぴたりと身体を寄せる。そして改めて先輩の顔を覗けば、呆然とこちらを見つめていた。
その顔を見た瞬間、ばーか、と言ってやりたくなったがぐっと堪える。
「では、彼氏との予定があるので」
「え、待って、なに……彼氏?」
「どうも」
「先輩、今まで信じてもらえなかったんですけど……本当に彼氏いたんですよ」
「え……」
「待たせるのも悪いので帰りますね。お疲れ様でした」
呆然とする先輩にそう言い残し、踵を返した。
この時を待っていた、ようやく堂々と先輩から逃れる口実ができた。ガッツポーズをするところだったが、見られたら全て水の泡になってしまう。もう少し、先輩の視界から消えるまで。
十分ほど歩いただろうか、もうここまで来たらいいだろう。ちらりと周りを見渡しても先輩の姿はない。
「……京治くん見た!?完全に信じ込んでたよね」
「ええ、大成功じゃないですか」
「あ、だね……」
成功した嬉しさから勢いのまま彼を見上げれば、その距離の近さに驚いた。そうだよね、彼の腕に抱き付いてるからそのまま見上げたら近いに決まってる。
その瞬間脳裏を過ったのは、この前の居酒屋での出来事。骨ばった指を絡め私の名前を呼ぶ彼の、あの声と表情を思い出し恥ずかしくなって目を逸らした。
「……どうかしましたか?」
「なんでも、なんでもない!」
京治くんはそんな私を覗き込むように屈むものだから、慌てて誤魔化した。
この綺麗な顔で接近されたら誰だって恋に落ちてしまう。それなのに本人は気付いていないようだから末恐ろしい。
「っていうか、ずっと腕に掴まっててごめん」
思い出したようにぱっと手を離せば「ずっと掴んでもらってて結構です」なんて言う彼。表情が変わらないため本気なのか冗談なのかわからない。恐らく冗談なのだろうけど。
「この後予定とかありますか?」
「ううん、特にないよ」
「あの……自分で揚げる串揚げ屋さんとか興味ありませんか?」
「ある!串揚げ大好き」
「よかったら一緒に食べてから帰りましょう」
「京治くんが良ければぜひ。今日大成功だったからお礼にご馳走するね」
「いえ、役得なので気にしないでください。……ところで」
彼は軽く咳払いをし、私の方へ手を差し伸べた。「さっきの人に会うかもしれませんし、手を繋ぎましょうか」と、そう言って。少し照れたような彼の表情につられて顔に熱が集まる。さっきまでは腕を組んでいたというのにもかかわらずだ。
断る理由もないため彼の手に自分の手をそっと重ねた。京治くんは優しく目を細め「じゃあ行きましょうか」と繋いだ手を引いて歩き出す。
変に意識しないようにと思えば思うほど、さっきの距離も、この前の絡めた指も、私の名前を呼ぶ彼の声も、意思に反して私の心を侵食する。
……私が彼を好きになってしまったら本末転倒だ。私が先輩の立場になってしまうし、京治くんにこれ以上迷惑をかけることは本意ではない。
勘違いするなと自分に言い聞かせ、串揚げ屋の話をする彼を見上げる。
「何の串揚げが好きですか?」
「私はね……レンコンが好きかな」
「いいですね」
「俺も好きです」と何故か真剣な顔をしていう彼に思わず心臓が跳ねた。自分のことではなく、レンコンに対してなのにどうしてこうも反応してしまうのだろう。学生でもないのに恥ずかしい。
先輩に会うかもしれないという理由で握られたその手から、私の熱が伝わりませんようにと、そう願った。