霞む先に見えたのは、*

「骸、頼めるか」
「仕方ありませんね、僕の恋人も巻き込むんですから報酬は期待してますよ」
「はぁ、わかってるよ。ただパートナーは弱点にもなりうる、十分注意しろ」
「貴方に言われなくとも」



休日の朝、ナギちゃんに連れられ骸の上司もといボスのところへ向かう。沢田くんは元々小学校から中学校の同級生。彼がマフィアだと聞いた時は漫画の世界の話かな、なんて思ったけど紛れもない現実のことだった。
そして当時骸の彼女だった私は、彼もその一員だと聞いてひどく驚いたのを今でも覚えている。骸と結婚したら黒いスーツにサングラスをしなければならないのか……なんて本気で悩み骸から呆れられていたのもいい思い出だ。
今はと言えばそんなくだらない妄想とはかけ離れていて、一般の人と何ら変わらない生活を送っている。
一般人の私がボンゴレの建物に入らせてもらえているのは骸の婚約者となり彼らの信用を得たからであって、特に戦闘で使えるような特技を持っているわけではない。精々護身術が扱えるくらいなもの。だからボンゴレファミリーの一員として仕事をしているわけでもなく、私は普通の会社の事務員だ。
だけどたまにこうして呼ばれ、沢田くんの手伝いをすることはある。会計が合わないだとか、予算の書類をまとめて欲しいとか、証言するために誰かの付き添いをするだとか。沢田くんの手が回らないときはバイト代をもらい、誰でもできるようなことを手伝っている程度。
ただ今回は近々他のファミリーから招待されたパーティーがあるとのことで、骸も出席する旨の報告だった。本来の目的はパーティーに潜入し、ターゲットを捕えること。少し危険が伴うかもしれないと、そう彼は謝る。

「……でもなんでわざわざ私に?骸の仕事だよね」
「それは……招待客は恋人や婚約者、夫婦のみとなってるんだ」
「へぇ、だって骸の恋人役はナ……クロームちゃんがするんじゃないの?」
「私は……ボスと行く」
「え、骸じゃなくて?」

ナギちゃんはこくりと頷き、彼が座っている横へとしゃがんだ。ひじ掛けに両手を乗せ「ね、ボス」と彼女が沢田くんを見上げれば、わかりやすく頬を染める。ナギちゃんは本当に可愛いからその気持ちはわかるけど、相変わらずうぶというか何というか……。
そうだねと彼が頷けば、ナギちゃんは私の瞳を真っ直ぐ捕えた。

「だって骸様には貴女がいるでしょう」
「え、いや私なにも役に立たないし……」

ナギちゃんはこれが敵を捕らえる作戦だというにも関わらず、私が骸と行くのだと、そう当たり前のように言うのだ。
正直パーティーと聞けば美味しい食べ物が沢山あるんだろうなとか。パートナーとの参加が必須と言えどイケメンな骸に近づいて来る人は間違いなくいるだろうから、婚約者として行くのであれば悪い虫も追い払える。だから私にとってはいいことづくめだけど。
……本来の目的はただパーティーに参加することではないと聞き、何もできない自分でいいのだろうかという不安は大きく残る。

「いっそのこと、雲雀さんを女装させて……」
「あんなガタイのいい婚約者どこにいるんだよ。それ以前にこの発言すら聞かれたら何を言われるか」
「い、いたたたたたっ、さ、沢田くん……」
「今すごく不快な発言が聞こえたものでね」
「ひ、雲雀さん、その子の頭潰れちゃうから!」
「頭鷲掴みにされて脳縮んだ」
「君はそもそも縮む脳すらないでしょ」

聞き捨てにならない、流石にそこまで小さくないから私の脳。ちょっと冗談を言っただけじゃないか。でも外で待機するのも暇だろうし、何の役にも立たない私より現実的では。
ただもう一度口にしようものなら、今度こそ本当に私の頭を潰されかねないのでおとなしくすることにした。私を一瞥し、雲雀さんは無言で部屋を出て行った。どうやらたまたま私の発言が聞こえただけで特にここへ用はなかったらしい。

「もー、勘弁してよ」
「ごめんごめん、まさかあんなにタイミング良く現れるとは思わなくて」
「まぁこの話は骸にも通してあるから、君の了承さえもらえれば同行してもらうけどいいよね?」
「まぁ……物理攻撃的な意味で役に立たなくてもいいなら……」
「いてくれるだけで助かるから気にしなくて大丈夫。ただやむを得ず骸と離れる場合は俺かクロームの傍に来て」
「わかった」
「主催は同盟ファミリーだから、そんなに気を張らなくて大丈夫だよ」
「……ありがとう」





自宅へ戻りお風呂に入ったり家事を終わらせ、もう寝るまで自由だとソファーにごろりと横になる。
先程ナギちゃんとご飯を食べながら、パーティーまでそんなに日がないため急いでフォーマルなドレスとヘアメイクしてくれる美容室を探さないとなんて話をした。手っ取り早く通販サイトを覗いてみることにしたがピンとくるものがない。そもそも当日骸と一緒なのだから、服は合わせた方がいいかもしれないと手に持っていたスマホをテーブルに置いた。
今日は骸が帰ってくる日だから、沢田くんから受けた話を相談してみないと。
そんなことを考えていると、玄関の方から鍵の開く音がして久しぶりに聞く彼の「ただいま戻りました」という声が廊下に響いた。
ソファーから身体を起こし、リビングの引き戸が開いたと同時に彼に飛びついた。鼻腔をくすぐるせっけんと混じる彼の香りに安心する。

「おかえり、お風呂入ってきたの?」
「ええ、そのまま帰れるような状態ではなかったので」

にこりと笑みを浮かべるその表情から詳しくは聞かないでおこうと思う。こう見えても過度にグロいのは苦手なんだ。
少し話をして、彼は着替えてくると言って寝室に向かう。もう少しで寝なければならない時間だ。コーヒーだと目が冴えてしまうのでホットチョコレートを二人分準備しソファーで待っていると、ほどなくしてラフな格好になった彼が戻って来た。
テーブルの上のマグカップを見て「ホットチョコレートですか」と、目を輝かせいそいそと私の隣へ座りそれに口を付ける。
彼が一息ついたところで、沢田くんからの依頼のことを話しておかなければと話を切り出した。

「ねぇ、近々あるパーティーの話なんだけど」
「沢田綱吉から聞きましたか」
「うん。……でも私がパートナーでいいの?」
「おや、僕の婚約者は貴女だと思っていたのですが」
「いや……私が行っても何もできないし」
「そもそも貴女がいなければ会場にすら入れないのですから」

その後は僕の仕事なのでご馳走でも楽しんで、と彼は笑った。
だったら尚のことナギちゃんでもいいのでは、そう喉まできたが飲み込んだ。彼女の方がいいのはわかっている、だけど本当に気が変わってナギちゃんがパートナーになったら。
……少し寂しいかもしれない、これは何もできない私の我儘だ。決してご馳走に目が眩んだわけではない、決して……。



あれから仕事の合間や休日にドレスやアクセサリーの準備をし、最低限のマナーをネットで調べるなど慌ただしく過ごした。
骸と合わせた深い青色のフォーマルドレスに、肩までの髪は裏編みでハーフアップにしてもらった。プロにヘアメイクしてもらった自分を鏡に映せば、普段の何倍もまともに見える。メイクの力ってすごい。
これなら会場にも堂々と入れる気がする。

「クフフ、可愛らしくてよくお似合いですよ」
「……馬子にも衣裳とか言いたげな顔してるくせに」
「おやおや、心外ですね。可愛い婚約者にそんなこと言うとでも?」
「目は口程に物を言うってね。あ、あれナギちゃんに渡してくる」
「ええ、お願いします。貴女が選んだと言えば喜ぶでしょう」

そこは骸じゃないの?と思いながら、少し離れているナギちゃんと沢田くんのところまで小走りで向かった。

「クロームちゃん」
「どうしたの?」
「これ、つけてほしくて。ちょっと持っててくれるかな?」

彼女の手のひらにそれを乗せ、きらりとひかるイヤリングをひとつ手に取った。そっと耳たぶへと触れ、それを彼女の両耳へと付ける。
こっそり沢田くんからナギちゃんの写真をもらっていてよかった。よく似合っている。

「ジャンニーニさんに頼んで、通信機にしてもらったんだ。私はピアスだけど……ほら、色違いのお揃いだよ」

骸と一緒に選んだんだと言って私の耳元を見せれば、驚いたように目を見開いた。
……あれ、もっと喜んでくれると思ってたのにな。お揃いなのを楽しみにしていたのは自分だけで、実は困っているのかもしれないと不安が過る。「嫌なら外して」でもないし……喜んでくれると思っていたからどうしたらいいんだろう。恥ずかしい。
何と伝えたらいいのか分からず狼狽えていると、彼女の薄い唇は緩やかな孤を描いた。

「ありがとう、貴女とお揃いなのすごく嬉しい」

ナギちゃんの細い指がそのイヤリングを優しく撫でる。
目を細め嬉しそうに笑う彼女を見て、本当に、心底ほっとした。二人のドレスのどちらにも似合うデザインを探してよかったと胸を撫でおろす。

「クロームよく似合ってるよ」
「ありがとうボス」
「喜んでもらえてよかった。じゃあ、ナギちゃんも怪我しないようにね」
「うん、貴女も気を付けて」

無事イヤリングを渡し、骸の方へ引き返した。
では行きますか、と差し出された腕に手を添える。骸を見上げれば今日は一段とかっこよくて、婚約者の立ち位置にいれど思わず見惚れてしまうほどだ。……悔しいから絶対言ってあげないけれど。
そして高鳴る胸を抑えながら会場に足を踏み入れた。



マフィアのパーティーだなんて聞いたから、とても仰々しいものを想像していた。しかし実際は私が知っている一般的なものとそう変わりなく少し拍子抜けした。
会場入りして顔見知りであろう人たちとのあいさつも滞りなく済んだタイミングで、先ほどから横目で見ていたご馳走を食べたいと彼の袖を引っ張る。

「全く……食欲には忠実ですね」
「え、だって庶民はこんな豪華なご飯食べられないから」
「まぁいいでしょう、まだ動きもないようですし」
「やったぁ」

ドレスを汚さないように、小皿に取り分けられているものを手に取った。それを食べながらも見たことのない色々な料理に目移
する。お肉、魚、デザート、全部食べてみたいけど食い意地が張っているとも思われたくないので、周りの様子に合わせて料理を口に運んだ。

「美味しい……来たかいがあったよ」
「……淑女という言葉をご存じですか?」
「そんなにガツガツ食べてないし許してよ!淑女っぽくするから」
「やれやれ……おや?」

和やかに食べている中、骸の目つきが少し鋭くなった気がする。ピアス型通信機から獄寺くんの声がした。どうやら目的の人物が動き出したらしい。

「僕はこれからここを離れるので、貴女は沢田綱吉とナギのところに行ってください。すぐ近くですから、知らない人について行ってはいけませんからね」

そう子供に言い聞かせるように注意をし、私が沢田くんの元へ向かうのを確認してから骸は何処かへ消えた。
何も知らないのに心臓がぎゅっと締め付けられる。無事でいて欲しいと願いながら人の合間を縫い壁際に出て、沢田くんたちを探した。
すぐそこって言ってたんだけど……。
人の隙間からちらりと見えた沢田くんの姿。見失わないうちに行かないと、と一歩踏み出そうとすれば会場のスタッフらしき人が目の前にカクテルを乗せたトレンチを差し出した。

「失礼、こちらアフター・エイトは如何でしょうか?」
「え?」
「チョコミントのような味わいとなっております」
「あの、ではいただきます……」

ドラマとかでよく見る光景だ、なんて思いながら綺麗なショートカクテルを手に取り口をつけた。
ほんとだ甘い。けど少し舌がぴりっとするような……気のせいかな。もう一口飲めばやっぱりほんの少し舌に痺れる感覚。もしかして賞味期限切れのものとか使ってる?
……失礼かもしれないけど、放置しておくのは良くないよね。

「あのこれ、なんだか舌が……っ」

スタッフの人のトレンチにグラスをのせた瞬間視界がぼやけ、眩暈がしてその場に崩れ落ちた。
誰かに支えられる感覚はあったが、頭が痛くて目の前がグラグラして話す事もできない。でも何故か意識だけはかろうじて残っている。
全くいうことの利かない身体はゆらゆらと宙に揺れ、誰かによって運ばれていることが推測できた。「ばかが」そう呟いた声ははっきりと聞こえるのに。ぼやけた視界で顔を確認することも叶わなかった。
もし骸も沢田くんもナギちゃんも気づかなかったら……。こんなことなら意識も飛んでくれたらよかったのに、下手にあるせいでどうなるんだろうと恐怖心ばかりが募る。こんなことならピアスに発信機もつけてもらうんだったと後悔しても今更だ。

「……っ」
「フンッ、すかした顔がどれだけ歪むんだろうなぁ?マフィアのくせに正義面しやがってクソが」

投げるようにおろされた場所はベッドなのかソファーなのかわからないが、床ではなさそうだ。余程慎重になっているのか、指一本すら動かせないというのに手足を何かで縛られる。
そして誰かもわからない相手の存在を間近に感じた上、腿に這う手の感触。気持ち悪い、それなのに声も出ないし視界も戻らない。「恐怖に泣く顔はそそるな。恨むならボンゴレを恨めよ」そう言った瞬間、何かが壊れるような大きな音がした。

「大丈夫か!骸、こっちだ!」
「……っ、僕のモノに汚い手で触れるなんて、どうしてやりましょうか」
「そうやってここを見つけたか知らねぇが、こいつは今殺そうと思えば殺せるんだよ!」

この声は沢田くんと、骸……?
少し安心した次の瞬間、首を圧迫される。苦しくて、息もままならない。もがきたいのに手も足も縛られているし、それ以前にまだ動かすこともできなかった。

「クフフ、ならやってみたら如何ですか?できるものならね」
「っ、はぁ!?なんだこれはクソっやめ……」
「……っ」
「クローム、彼女を頼む!さっきの薬も」
「ボス、任せて」

急に投げ出されたと思ったら、今度は先ほどとは正反対で誰かが優しく背中を支えてくれる。「これ、飲んで」少量の液体が優しい声と共に口の中へと流された。これは、ナギちゃんだ。

「……カハッ、や、め……」
「さあ、形勢逆転ですね」
「骸、こいつにはまだ聞くことがある」
「……今回は仕方ないですね。本当はこの手を切り落としてしまいたいが、死んだ方が楽だと思えるほどの苦痛にしておきましょう」

薬のせいなのか、もう大丈夫だと安心したせいなのか。私を脅していたであろう男性の苦しむ声と、慣れ親しんだ彼らの声を最後にぷつりと記憶が途切れた。



ゆっくりと目を開ければ、見慣れない天井が目に入った。
ここは、どこだろう。ゆっくりと横を向けば椅子に座って目を閉じている彼の姿。視線に気づいたのか、すぐ驚いたように目を見開き私の手を握る。

「ようやく、目を覚ましましたか」
「骸……?」

私の手を優しく包み彼は自分の頬へと寄せた。そして柔らかく、ここにいると確かめるように、私の名前を呼ぶ。
あれ、待って、私どうし……。

「あ、あのあとどうなったの!?」
「急に起き上がらないでください、一日半も寝ていたんですから」
「……そんなに寝てたんだ」
「思ったよりも元気そうで」

攫われて一日半も眠ってるなんて映画のヒロインみたいだと呟けば、彼は呆れたようにおでこを押さえた。
あんなに怖かったはずなのに、今は自分にそれが起きたという実感が湧かない。我ながら都合のいい脳みそを持っている。

「で、ここはどこ?」
「ボンゴレの医務室です」

とりあえず横になってくださいと、ベッドに押し戻される。長時間寝たお陰で結構元気なんだけど。

「そう言えば、なんで居場所がわかったの?」
「そのピアスは発信機つきですから。会場から出て行ったのでおかしいと思ったんです」
「発信機ついてたんだ」
「追っていたターゲットと反対方向に向かっていたので尚更。まぁ、まさか毒を盛られるとまでは想定していませんでしたが」
「すごい……現実の話?」
「現実だとわからせてあげましょうか?」

にこりと笑って私の頬を伸ばす骸。ごめんごめんと伝えれば、ぱっとその手を離した。いつもならもう少し揶揄うのに。

「貴女は笑っているけれど……本当に、生きた心地がしませんでしたよ」

先ほどの胡散臭い笑顔が一転し、目を細め悲しいとも切ないともとれるその声で呟いた。こんな骸の表情は初めて見たかもしれない。
本当に心配をかけてしまったんだと、握っている手から、表情から、ひしひしと伝わってきた。何と声をかけたらいいのかわからず、静寂な時間が流れる。

「ご、ごめんね骸」
「……いえ、僕の方こそ、貴女を守りきれず不甲斐ないです」
「なんで?だって助けに来てくれじゃん」

そう、結果的に助けに来てくれたし私は無事だった。この通りピンピンしている。
あの時視界はぼやけていて見えなかったけど、骸の怒りや焦りは十分すぎるくらいに伝わった。
普段飄々として何を考えているのか読ませてくれない彼が、取り乱してまで自分を助けに来てくれたから。不謹慎だけど、それが大切に想われていると実感できてうれしかったのだ。

「だからありがとう、骸」
「……気持ちとは裏腹に涙腺は正直ですね」
「なんでぇ」

意思に反して視界が歪む。すぐ近くのティッシュを掴んで目元に当てるも止まってはくれない。
意識を取り戻し最初は現実味がなかったものの、話しながら記憶が鮮明になるにつれ怖かったという感情も引き出されたのだろうか。
……確かに、誰も気づいてくれなかったらと思った時は本当に怖かった。視界も霞み、声も出ず、得体の知れない人物に拘束されて。自分は無知で無力だということを痛感した。足手纏いだとも。
だけど、骸たちが助けてくれた。お陰で今ここに生きている。

「……ねぇ、私なにもできないけど見捨てないで」
「何を言っているのか、貴女はそのままでいいんですよ。……僕の愛しいひと」
「むくろ」

目元を押さえている手を寄せ、柔らかく私の髪を梳きついばむように唇が重なった。
もっと彼に触れていたくて、袖を掴み引き寄せる。角度を変え舌を絡めれば、じんと身体が疼いて。名残惜しくも唇を離せば、二人の間に糸が引く。

「……続きは貴女が元気になってからですね」

熱を孕んだその瞳で見つめ、彼は親指の腹で私の唇を拭った。