これを偶然で片付けるには勿体ない*

「恭くん?」
「君は……」
「わー大きくなったね」
「……っ、ちょっと止めてくれる」

突如現れ躊躇うことなく僕の頭を撫でるその女性は、昔近所に住んでいた姉さんだ。当時は便宜上姉さんと呼んでいたが、正確には赤の他人で所謂幼馴染という枠に分類される。
最後に会ったのはもう十年近く前になるだろうか。仕事の都合で遠くに行くらしいと聞いたのは既に彼女が引っ越した後だった。そんな彼女がどうして今目の前にいるのだろう。

「ねぇ私のこと覚えてる?」
「君は相手が覚えてるって確信もないのにいきなり頭を撫でたのかい」
「恭くんなら覚えているだろうなって思ったから」
「……確信って意味をわかっていないようだね」
「わぁ、話し方も大人になってる」
「馬鹿にしてる?君は幼いまま変わらないようだけど」
「いやいや、私だってもう大学生だよ」

彼女のマイペースさが相まって、会話が噛み合っているようで噛み合っていない。そんなことを気にもとめず、能天気な顔でへらりと笑う。
しばらく振りに見ても小さい頃の面影が残っていて、不思議とすぐに近所のあの子だとわかった。見た目は年相応に大人っぽくなっているが、中身は幼い頃と左程変わっていない気がする。

「……よく覚えているよ、蛇を追いかけるのに夢中になって庭木に突っ込んでいったこととか」
「それは忘れて欲しいなぁ」
「蛇を追いかける女性なんて僕の人生で後にも先にも君だけだろうからね」
「もうそんなことしてないから……」

覚えている、という期待の言葉を裏切らないよう、僕が一番衝撃を受けた行動を伝えれば恥ずかしさからか彼女は両手で顔を隠した。そんなところも昔のままだなんて埋もれていた記憶がじわりと思い起こされる。
当時からみんな一緒に行動しようね、という大人の声に耳を傾けず僕は一人を好んでいた。それを知ってか知らずか僕にちょっかいを掛けて来たのが彼女だった。幼児の僕は鬱陶しくて最初の頃こそ手を振り払ったりしていたけど、それでも声をかけてくるため無駄な労力を使うのをやめた。
あしらわれても全く気にしていなかったのか、それでも親から頼まれて仕方なく僕のところへ来ていたのかは今でもわからない。ただ当時と今日の反応から、少なくとも嫌々僕に構っていたというようには見えなかった。
……だからなのか、当時僕は珍しく一緒に過ごすにつれ鬱陶しいとは思わなくなって。それが段々と好意的な感情へと変わっていった。

「ほんと、恭くんこんな小さかったのに私より大きくなっちゃって」
「君は最後に会った時で成長止まったんじゃない」
「生意気さにも随分磨きがかかったわね」
「ちょっと、ほんろ止めへくれる」
「わはっ、よく伸びる頬」

これが彼女で居なければ触れられる前に殴っていた。……が、彼女にはそうさせない何かがある気がする。
パッと手を離し笑みをこぼす彼女の中で、僕はまだ幼いままなのだろうか。あの頃と変わらない仕草に少しだけ心の中に引っ掛かりを感じる。これでももう大人に近付いている筈なんだけど。
少しむっとすれば「怒った?」なんてしたり顔の彼女に溜め息をついた。
瞬間、ドサッと彼女の後方で荷物を落とす音が聞こえ、視線を向ければ青い顔をした小動物が尻もちをついていた。なんてタイミングの悪い時に、と睨みを利かせれば情けない声を出し落とした鞄で顔を半分隠す。

「じゃ、邪魔しようと思ったんじゃなくて、たまたま……たまたま通っただけです!」
「もしかして恭くんの友達?」
「友達じゃないしちょっと静かにしてて」
「ちゃおっす雲雀」
「やぁ赤ん坊、今は取り込み中でね」
「そうみてーだな。そいつは彼女か?」

彼の後ろから姿を見せた赤ん坊は躊躇することなくそれを聞く。隣の小動物は焦ってはいるものの、その答えに興味津々という目をしていた。
勿論今再会したばかりだし微塵もそんな雰囲気もないため彼女の答えは決まっている。……だけど、何かとは言わないが少し期待してしまっている自分もいた。

「だって、恭くん。そう見えるって」
「脇腹つつかないでくれる」
「そうか、まだ違うのか」

赤ん坊は口角を上げながら含みのある言い方をする。まるでこの先の未来がそうなると予測したような口ぶりだ。恐らく彼女や小動物はそれに全く気が付いていないようだが。

「でも恭くんは元彼よりも何千倍もイケメンだから彼氏だったら照れちゃうな」

僕が動揺するには十分すぎるほどのことが彼女の口からさらりと告げられる。
ただよく考えなくとも今の彼女の年齢では、今まで彼氏の一人や二人いてもおかしくない年齢だ。頭でわかってはいても、言いようのない感情が身体をざわつかせる。

「それにしてもお話もあんよも上手だね、可愛い。抱っこしてもいいかな?」
「いいぞ、未来のファミリーになるかもしれないからな」
「リ、リボーン!」
「ファミリー……?お友達のことを言ってるのかな。ふふ、難しい言葉も知ってるんだね」

彼女は赤ん坊の脇に手を添えそっと自分の胸へと抱きかかえる。危なげなく慣れた手つきで抱くものだから少し驚いた。「可愛い」と頬を緩ませあやす様に身体を揺らしている。
もし彼女との未来があるのなら、なんて僕らしくもない考えが過り思わず脳内からそれを振り払った。それを見透かしてか赤ん坊はこちらをじっと見て口端を上げる。

「抱っこさせてくれてありがとね。一緒に来たお兄さんに抱っこする?」
「そのままおろしていいぞ。邪魔したな雲雀」
「これは貸しにしておくよ赤ん坊」
「行くぞリボーン、失礼しましたー!」

そう言って小動物は赤ん坊を連れ、間髪入れずにすぐ奥の角へと消えていった。
また二人に戻ったものの、引っ掛かっているのは先程彼女の口から飛び出した元彼の話。
認めたくはないが、その誰かもわからない奴にイライラしているのも事実だ。人の気も知らず、当の本人は「赤ちゃん可愛かったね」なんて笑っている。
この人の距離感のないペースに乗せられていたが、よく考えたら十年近く会っていないわけで。悔しいけれどその間の彼女なんて知る由もないし、正直なところ今日会うまではすっかり記憶の隅に追いやられていた。
……それなのに。

「……どうしたの。あ、抱っこが上手くてびっくりした?」
「別に」
「へへ、実はいとこに赤ちゃん生まれてさ」

コロコロと表情を変え話す彼女が今こんなにも気になっている。ついさっき思い出したばかりの、昔抱いていた彼女への好意。その感情がまさかここで再会したがために書き換えられるだなんて思いもしなかった。
思い出が美化されてるだけだと言われてしまえばそれまでかもしれない。だけどこの抱いている感情は、間違いなく今の僕のものだ。

「ね、そんなに見られると……ってもしかして顔に何かついてる?」
「ついていないよ」
「じゃあなに、なんか照れるじゃん。……て、え」

そっと手を伸ばし、肩にギリギリかかる髪をできるだけ優しく耳へとかけた。彼女はびくりと肩を震わせ、まっすぐ僕を見たまま困惑している。
ようやくペースが崩せた、そんなことを思いながら口角を上げれば君は口をはくはくさせるばかりだ。
再会してから数十分、話に耳を傾けながら彼女を眺めて気づいたことがあった。
彼女が身振り手振りをする度、揺れる髪の間からのぞく耳。暑いのかと思っていたけど、それが違うのであれば。

「もしかして、休みなく話していたのは照れ隠しだったのかい」
「―……っ、なんで、気付いたの」
「君は案外分かりやすいね。恥ずかしがる必要なんてないのに」

完全に僕のペースに乗せることができ、少し意地悪をしたくなった。
顔を近付けるとその分だけ後退する彼女の手首を逃げられないように掴む。君の「待って」の声も無視して距離を詰めると、空いている手で目元を隠した。

「そんなの無理だよ、軽い気持ちで話しかけたのに。可愛かった恭くんがこんなにかっこよくなってるなんて聞いてない」
「へぇ、元彼の千倍かっこいいんだっけ?」
「復唱しないで!昔と同じようにって思ってたのに……」

先程とは一転し、目を隠したまま顔を伏せしどろもどろになりながら話す彼女。
……なんだ、ちゃんと僕を意識しているじゃないか。それがわかっただけでも十分だ。
今日偶然会って、ここで別れるなんて勿体ないからもっと意識してもらわないとね。

「顔、隠さないでよ」
「なん……っ」

彼女の顔を覆っている手を強制的に外せば、ようやくお互いの視線が絡み合う。耳だけでなく頬まで紅潮させるところが妙に愛おしく感じるのは、多分気のせいではない。
彼女の手が自由にならないのをいいことにおでこを合わせると、わかりやすく視線が泳いだ。

「ねぇ、こっち見て」
「ち、近……っ」
「僕は子供じゃない。男、なんだよね」

そう伝えると彼女は更に頬を赤く染め、蚊の鳴くような声で「知ってるよぉ」と力なく呟いた。