多分きみが思ってる何倍も好きだよ

『この前また女の子と修羅場になってるところ見かけたよ』
『あんたも都合いい女になるだけだからやめときなって』

仕事帰り、月に何度かお世話になっている居酒屋で知り合った彼の噂はよく知っている。……傍から見てクズだと言われていることも。友達から散々忠告も受けた。それでも好きになってしまったのだから仕方ない。どれだけ彼のエピソードを聞いても自分の気持ちに抗えないから。



連勤を終え完全に怠けモードな休日。耐熱カップに入っている冷めたミルクティーを口にしてSNSを見ていると、部屋にインターフォンの音が響いた。休日の夕方、こんな微妙な時間に約束している人なんていないため首を傾げる。
ここの賃貸はワンルームのため、音を立てると人がいるのがバレてしまう。出たくない時にはかなり厄介だ。
そっとスマホを置いて足音を立てないように親機のモニターを覗こうとすれば玄関から「オレオレー」なんて呑気な声が聞こえてきた。オレオレ詐欺かよ。
覚えのある声につられ玄関を開ければよく知っている人物がへらりと笑ってそこに立っていた。彼氏ともいう。

「オレオレ詐欺はお断りです」
「え〜ここで追い返すの?」
「しないけど」
「だよね〜。会いに来ちゃた」
「連絡くらい入れてくれたらよかったのに」
「今日と明日休みかなって。泊まってもいい?」
「こっちの予定はお構いなしかーい。でもいいよ何も予定ないし」
「やったぁ、ただいま〜」

一見塩対応にも見えるが、彼氏に会えて嬉しくないわけがない。区長になってからはシェアハウスに住んでいることや、大学の他にそちらの仕事もあるため会える頻度が減ってしまったから。どちらかと言えばめちゃくちゃ嬉しい。
今回は連絡なしで唐突にきたから少し驚いただけ。大概は連絡をくれるが、たまにこうしてきまぐれに来ることがある。それも私が家にいるのを知っているかのように。……ただの偶然だとは思うけれど。

「あ、部屋着新しいのに変えた? メガネも珍しい。かわい〜」
「…………あ、ありがとう」
「もしかして照れてる?」
「だって……完全にだらけモードだったから」
「いいじゃん、オレきっつい香水よりこの柔軟剤の匂いの方が好き」

私の後ろから添の腕が伸びて彼の胸へすっぽりと収まった。背中越しにわかる体温で心臓がぎゅっと掴まれた気分になる。
相手を喜ばせるような言葉や行動をさらりとやってのける彼にまだ慣れない。しぬほど恥ずかしい。こちらが年上だというのに、毎度のことながら経験の差を思い知らされる。

「添だっていつもいい匂いだよ」
「ふ〜ん、好きな香り?」
「それは……そうでしょ」
「へ〜そうなんだ」

さして興味がなさそうな返事をしたあと、添は少し屈んでぐりぐりと私の肩に顔を押し付ける。毛先が頬を掠めてこそばゆい。大きいくせに小動物みたいでなんだか可愛いなとその柔らかな髪へと手を伸ばした。

「どうしたの、なんかこうして甘えるの珍しくない」
「別に。あ、ところで夜何食べる?」
「うーん考えてなかったけど……ピザなんてどう」
「いいね〜。じゃあ酒でも買いに行こうよ」
「おっけー、私がお酒強ければストックしておくんだけどね……」
「気分で飲みたいの違うし一緒に買いに行けばいいじゃん」
「それもそうか。じゃあ着替えるね」

そう言って添の腕からするりと抜け「あっち向いてて」と言えば「いいじゃんすることしてんだから、減るもんじゃないし」なんてぬかしている。こんな明るい場所で見られたら私の気持ちが減るわ。
いいからと添をソファーベッドへ押し込むと不服そうに反対側を向いている。こちらを見ていないことを確認して彼へ背を向けいそいそと部屋着を脱いだ。
トップスをハンガーにかけたところで脇腹の違和感に驚き、後ろを振り向くとその張本人と目が合った。

「ちょっと! 見ないでって言ってるそばから人のお腹を摘まむな」
「太った?」
「失礼極まりないんだけど。まあ……でもちょっと、いや大分。飲みやらランチやら甘味やら……」
「へぇ」

添の唇が薄く孤を描いたと思ったら、彼の腕がお腹へ伸びそのまま引き寄せられる。瞬間、ぴりっとした痛みに小さく悲鳴を上げた。

「い……っ! え、なに、信じらんない!」
「柔らかくておいしそ〜だったからつい」

嘘でしょこの男。歯型残ってるんですけど。おいしそーだったからとかで人の脇腹噛むことある? 流石にお腹減りすぎじゃない?
出かけるにも出かけられなくなると、彼の腕を引きはがし慌ててパーカーワンピースを羽織った。油断も隙もない。当の本人は「ざんねん」なんて全く悪びれてすらいなかった。

メイクは……マスクするしすぐ帰るからいっか。今日は肌を休ませることにしよう、なんてもっともらしい理由を心の中でつけて誤魔化す。コンタクトに変えて……でも先にアイロンしようかななんて鏡など一式をテーブルに置けば彼が後ろから覗いてくる。

「コンタクトにするの?」
「うん」
「いいじゃんメガネで。いつもと雰囲気違ってそっちも好き。オレのメガネ姿だって大絶賛だったじゃん」
「添はね、かっこいいから。でも、えー……うん、じゃあこのまま行こうかな」
「そうしよ」

彼の一言で私もちょろいなと思いながら、せっかく準備したコンタクトケースを元の場所へ戻した。



デパ地下でカラカラとカートを押しながら添が好きな銘柄の日本酒や私が飲める甘めのお酒を選び、甘いものも食べたいとスイーツのコーナーへ向かった。期間限定の文字に弱い私はそのシールがついているものを何個かかごに入れると彼は「出た、期間限定キラー」なんてダッサい名前で呼んでくる。

「そういいながら添も入れてるじゃん同じやつ」
「だって美味しそうだったし?」
『……添?』

もうそろそろ帰ろうかと思えば、後ろから彼の名前を呼ぶ聞きなれない声にどきりとする。恐る恐る声の主へ視線を向けようとすると添が私の肩へと腕を回し、さり気なくそれを制止した。
これは振り向くなということだろうか。とりあえず余計なことをしてしまわないように彼の腕の中で待つことにした。

「えっと……あ〜久しぶりじゃん」
『……今の寄生先がこの人?』
「なにそれ、ひどいこと言うなぁ」
『は? 私のことだってそう思ってたくせに』

うわあ……聞かなくてもわかる。もしかしなくても元カノだろう。これが修羅場というやつか。まさかこんなところで自分が直面するとは思わなかった。寄生先とまで言われるなんて一体彼はどんな接し方をしてきたのだろうと考えてしまう。
でも今のところ、本当に今のところはそんな素振りは見えないし……。なんて大人しく思考を巡らせていると元カノらしき女性が私の前へと回り込んできた。

『ふーん、なんか今までと違う子選んだんだね』
「ど……どうも……」

今までと違う子とは、恐らくいい意味ではないと予想はできる。
でも私の前に回り込んできた元カノの華やかで可愛い容姿につい目を惹かれたのと、まさか対面するとは思っておらず気の利いた言葉も浮かばなかった。
その直後、添の肩を抱く手に力が入りため息を漏らす。その雰囲気を感じとったのか目の前の女性も一瞬たじろいだ。

「……あのさ〜もう見てわかるよね。オレへの未練なんてさっさと捨てたら? その時間無駄だよ。じゃあね」
『はぁ? 何言って……添!』

温度感のない声でそう言った添は私の肩を抱いたまま反対方向へと踵を返す。聞いたことのない声にどきりとしたのは反応を見る限り多分元カノも一緒だろう。添をびっくりさせたら元の空気に戻せるかな……とも思ったがそのすべも思い浮かばず彼に足取りを合わせその場を後にするしかなかった。

「や〜参ったね。買うもの買ったし早く帰ろ」
「うん」
「……怖くなっちゃった?」
「え? うーん、怖いとは違うけど……びっくりさせたらいつもの感じに戻るかなって考えてた」
「はは、なにソレ。これが通常運転で〜す」

さきほどの少しぴりっとした空気はもうなくいつもの調子の彼に戻っていた。私の顔を覗き込んでそう口にした添は小動物のようで、こうしてあらゆる女の子を手玉にとっていたんだろうなと実感する。だって可愛いんだもん。
先程の空気は怖いという感情よりも驚いたという方が正しいだろう。こういってはなんだけど、ちゃんと怒ることもあるんだななんてその場の雰囲気に似つかわしくないことも考えていた。



机の上には食べかけのピザや買ってきたお酒、スイーツなどで埋まっている。
いつもなら食べたそばから片づけていくけれど、もうお酒も入っているので動くのも面倒くさい。……まあ明日は休みだしこのままでもいっかと空になったグラスをテーブルの端に置いた。
流しているテレビにふと視線を移せば、どことなく添の元カノに似ているモデルが映っていてさっきの光景を思い出した。

「……それにしてもてんの元カノかわいかったねぇ。私が男だったらぐらっとくるのもわかるなぁ……あ」

ついぽろっと口にしてしまった。さっきの元カノのことぶり返すなんて面倒な女でしかない。添に引かれたくない、と思いながらそろりと彼を見れば先程とあまり変わらない表情でこちらを見ていた。
……え、なにその顔はどんな気持ちなの。

「なに、さっきの場所で直面したときそんなこと考えてたの?」
「いやちが……うくはないけど。華やかでかわいいなぁとは少し……」
「っはは、あんな場面でそんな余裕なの? うける」
「それは誤解。うわ修羅場だってちゃんとおもったよ」
「思ったんだ」

でも本音を言ってしまえば、添の元カノに可愛い以外の感想はもたなかった。
不安でいうならよりを戻すかもというより、あっさり捨てられるかもという方が強い。先程の添の態度を見ていたら前者は別に心配する要素なんてなかったから。
でもこの流れは元カノが現れたことで少し心配してしまったという素振りを見せておいた方がいいのだろうか。

「あとあの、ちょっと心配だったかも?」
「なんで疑問形? い〜よ思ってないこと口にしなくても」
「……はい」
「オレはあなたの方が可愛いって思ってるし」

添はそう言って頬杖をつき口端をあげる。

「……あざとい」
「ん?」

そういうことをサラッと言えてしまうところが慣れてるんだなって思うしその格好もあざとい。思わず口から出てしまった。女だけど可愛さですら勝てる気がしないのは何故だろう。

「あざといと言えば、私と出会ったときのてん。……オレさぁ、なんか酔ったかも? っていってたよね」
「え、なにそれ、オレそんな感じだっけ?」
「あっはは! そんな感じ」
「酔っ払いの一芸として受け取っておきま〜す」

「相変わらず弱いね」と添の少しひやりとした手が私の頬へ添えられる。火照った顔には気持ちがいい。

「もう少しつよくありたいという気概はある」
「まあ記憶もあるし、面倒くさい酔い方しないからいいんじゃない」
「そうかな」

でも今日は自分でもいつもより酔ってるなあと自覚している。久しぶりに添と一緒に過ごせるのが嬉しくて、ほんの少しだけお酒が進んだからだ。意識はしっかりしているが身体は脳と切り離されたかのようにふわふわしている。かといって別に動けないわけでもないけれど。心地好くて動きたくないっていう方が近いかもしれない。
私は空になったグラスを置いてソファーへともたれかかった。

「オレに寄りかかったらいいじゃん」

肩へと回された腕に引き寄せられ彼の胸へと寄りかかる。さりげなくこういうことをする男だ、添という男は。
ずるい、そういうところだよ。

「なにがずるいって?」

……ぽつりと呟いてしまったらしい。肩に腕を回しぴったりとくっついたまま疑問符を浮かべ彼は私の顔を覗き込んだ。

「てんは女性がよろこぶポイントがわかってるなあと」
「へぇ、そう見える?」
「見える。こうやってなんにんも落としてきたんだなっておもうよ」
「人聞きの悪いこというなぁ。ちなみに自分は違うと思ってる?」
「え? まさか、きっと今までの子と同じだよ。今日だってうれしいなあ好きだなあって何度おもったか」
「そうなんだ。あんま面と向かってそ〜いうこと言ってくれないから」

そう口にした彼の言葉で何とも言えない羞恥心がじわじわと込み上げる。そんなの添に夢中ですって言ってるようなもんじゃん。恥ずかしさから誤魔化すようにぐりぐりと彼の胸に頭を押し付けた。

「なに、照れてんの?」

そりゃ照れるでしょ。と思いながらもなんとなく本音を言うのは癪だ。このまま押し倒してうやむやにしてしまおうか、なんて悪知恵が働く。

「……違う、てんの匂いかいでるだけ」
「なに、変態なの。どんだけオレの匂いが好きな」
「隙あり!」
「は?」

呆れたように笑う添の隙を見計らって体重をかけると、体勢を崩した彼はソファーに沈んだ……はずだったのに。すんでのところで肘を支えにして踏みとどまっていた。
奇襲に失敗し添を押し倒すことができなかった私は元の位置に座り直した。

「……なに」
「不意打ちで押し倒せるかとおもって」

添の口元は孤を描き「へぇ?」と声をもらした。
彼は腕を伸ばしてソファーの奥にあるカーテンの隙間を閉じた。たまに閉まり切っていないカーテンの隙間が気になるようで、毎回こうして閉めてくれる。
ずぼらで申し訳ないと思っていれば座り直した彼が私の肩を押し、逆に不意を突かれそのまま身体はソファーへと沈んだ。

「オレは主導権握りたい派なんだよね」

目元の乱れた髪を彼が指先で寄せると視界が開け添の顔が良く見えた。ちっとも変わらない顔色なのに、この体勢と逆光が余計に添を色っぽく魅せる。
彼の女性遍歴を考えればきっとこんなにドキドキしているのは私だけだろうと思うと少し悔しい。

「チャックの部屋着なんて警戒心が甘いんじゃない」
「……てんだからわざとだよ」
「それは光栄なことで。あんまりかわい〜ことしないでよ」

ゆっくりとチャックを下ろし露になった鎖骨から首筋、頬、耳へと順番に唇を落とす。こそばゆさに小さく漏れた声を誤魔化そうと身を捩るが、脇の下から後頭部へと添の腕が伸びて逃げ場がない。

「逃がさないけど」

そう口にして口角を上げた彼はついばむように何度も唇を重ねた。彼の背中に腕を回し私もそれに応える。きっとわざとであろうリップ音が耳に響いてじわりと熱を持った。
一呼吸おいて空気を取り込もうとすれば、その隙をついたかのように彼が咥内へ侵入する。舌を絡めあうなか甘噛みされれば小さく漏れる嬌声に羞恥を覚えた。本当に自分の声なのか疑ってしまうそれにはいつまで経っても慣れそうにない。
いよいよ息苦しくなり背中に回した手で彼の服を握ると、最後に触れるだけのキスをして唇が離れる。

「あ〜あ、これだけでほっぺ赤くして息上がって」

呼吸を整える私をよそに添は上半身を起こすと自身のトップスをソファーの横へと乱暴に脱ぎ捨てた。意外と引き締まっている身体に揺れるアクセサリーが情欲をそそり、思わず息を呑む。

「抱くのはこれからなのに」

そう薄く孤を描く唇にこれからすることを想像してどきりとした。

「なに、まだ緊張するの?」
「……んーん、好きだなあって思っただけ」
「へぇ、いつもより素直じゃん」
「いつもこうだよ」
「そ」

言いたいけど言えない、ただ好きなんじゃなくてどうしようもないくらい好きだということ。奇跡が起こって私がてんの最後だったらいいのに。なんて、そんな言葉は口に出さず胸の奥深くにしまい込む。求められているのにこんなことを考えてしまうのは、きっと元カノと対峙してしまったせい。現状と別れた後のてんを同時に感じてしまったからだろう。
彼は私の気持ちを知ってか知らずか『あんま面と向かってそ〜いうこと言ってくれないから』とそう言ったけど、言えないじゃん。重いとわかったら離れていきそうでそれが一番怖いんだから。

彼は慣れた手つきで部屋着を脱がせると、まるで大事なものでも触るかのように私の肌へと手を滑らせる。いつか捨てられるならもっと乱暴にしてくれた方が勘違いもせず諦めもつくのに。そう思いながら今は彼の優しさに身を委ねた。