「美味しいですか? 一口もらえます?」
「……ドーゾ」
一口分をフォークに刺して彼へ差し出せば、さも当たり前だというように口に含んだ。
「結構甘いですね」
「チョコケーキだからね」
どうしてこうなっているのか、一週間が経った今でもわからない。平日はといえば仕事終わりに連絡が来て、一緒にご飯を食べようとするし。休日の今日はデートだなんて都合のいい言葉を使い一緒に過ごすことになった。
ただ彼の目的はまったくわからない。幸い個人情報が悪用されている様子もなければ、突然この男が名目上の恋人になった以外は何も問題は起こっていないから。
「食べ終わったらどこ行きますかー」
「えー……どこでも」
「ふーん、本当にどこでもいいの?」
どこでもとは言ったけれど先日のことが頭をよぎり、身ぐるみを剥がされ転がされたくはない。そう思い「や、待って……」と言えば、彼は口角を上げる。
「やだなあ、何考えてるんですかえっち」
「え!? ちが、」
「じょーだん」
思っていたものとはかけ離れた言葉が返って来て、それを否定すれば彼はけらけらと笑っている。
あの温度がない目の彼と同一人物なのだろうか。そう疑問に思うほど、印象が違いすぎる。今はどちらかといえば過去に聞いていた人物像の方がよほど近い。
だからなのか、この一週間で軽口くらいは叩けるようになった。
「ま、食べ終わったらその辺歩きますか」
「……うん」
年上で恋人なんだから敬語はやめろと言われ、逆に彼は敬語で人懐こい笑顔を浮かべていて。今この瞬間だけを切り取れば、普通の恋人同士に見えるだろう。
「添、誰これ』
「あー久しぶりー」
「……え?」
彼の名前を呼ぶ声に振り向けば、お嬢さんという言葉が似合う女の子が立っていた。そして、何故かすごく怒っている。
『こいつ誰って聞いてんの!」
「彼女」
『は!?うちら一週間前に別れたばっかだよね』
……一週間前?
別れた?ということは、この人は元カノさんってこと!?
しかも一週間前といえば、ちょうどあの二択を迫られた時で。それがきっかけならば、この目の前の彼氏をお返しするチャンスでは。ついでに私も恋人解消のいい口実になる。
そんな考えが頭をめぐり「あの私、」と口に出せば、言葉を飲み込むように視界が遮られる。
「……余計なこと言わないでくれる」
そうやって低い声で口にする彼が目の前を占領していて、その圧に肩を震わせた。――が、一拍置いて、唇が塞がれた事実に思考が追いつく。
思ってもいなかったことに、私は背もたれへと倒れ込むように体を引いた。……顔が熱い。必要なことだったのかもしれないが、心の準備だけはさせてほしい。
『ーーっ、わざと見せつけてるわけ!?』
「お互い一目ぼれだから仕方なくない?」
『最っっっ低!』
「うわつめたっ」
さっきまでの恥ずかしさより、コップの水をかけられた驚きが上回ってまぬけな声が出てしまった。そんな私と彼を睨みつけ、元カノは踵を返した。
……嵐のようだったというのはこのことか。
「やられましたねー」
「……十割きみが悪くない?」
「ほらだって、運命の出会いってあると思いません?」
心にもないことをさらりと笑顔で言うものだから、ぽろりと「さむ」なんて言葉に出てしまった。
「どっち」
「どっちも」
幸いコップの水はそこまで多くなかったので、胸元が濡れる程度で済んだ。しかし服が肌に張り付くものだからひやりとするし、多少なりとも気持ちが悪い。それは同じく頭から水を被った彼も同じだろうけど。
「ま、これでも羽織って一先ず出ますか」
「えっ、あ、ありがと」
肩に掛けられた上着から、ふわりと彼の香りがした。こんな経験はないものだから、鼓動が速くなるのを抑えられない。
そんな私を覗き込んだ彼は「青くなったり赤くなったり忙しいですね」なんて他人事のように笑っている。
「一体誰のせいだと……怖かったり優しかったり、本当にわからない」
「はは、どれもオレですよ」
そう口にした彼の表情からは、何も読み取れなかった。