『ほらこっちこいよ』
「……っ、いや、あんた誰!?」
#eitrプラス (not主任)
本当にわからない。この人は誰?
走って逃げるも相手は男、捕まるまでそう時間はかからなかった。腕と腰を掴まれ、そのまま近くの駐車場裏へと連れて行かれる。
人気のないところに入ってしまったらまずい。そう思った瞬間、上を黒い影が横切った。
「がッ!」
「……ぎゃっ」
男が倒れた衝撃で私は地面へと弾き飛ばされた。一瞬のことでなにが起きたのか理解できなかったが、振り返ればさっきの人は地面に伸びている。
「お、ビンゴ。――さん、身元の写真とここの拘束場所も送りましたよ。緊急対応ってことで、上乗せ期待してまーす」
その男のポケットをまさぐり、身分証の写真を撮りながら誰かと会話しているこの人は何者なのか。会話が途切れたところで恐る恐るお礼を伝えた。
「あ、あの……助けてくれてありがとうございます」
「ん? あー助かってラッキーでしたねー」
くるりと振り向いたその顔に、すごく見覚えがあって。思わず彼の名をぽろりと口にすると、先程までのへらへらとした笑顔が消えた。
「……あれー知り合いでしたっけ?」
「え、あ、ごめん。大学の時に友達の間で噂を……ね」
「へぇ」
私が聞いていた噂は、顔はいいがヘラヘラとしている女にだらしない男が後輩にいる……という認識だったけれど。――じゃあ温度のない声と視線で見降ろしてくるこの人は、誰?
「身分証、出して」
「え、あ、どうぞ……」
その表情を崩すことなく差し出された手に逆らえるわけもなく。震える手で首に下げている社員証を見せると、彼はスマホで先ほどの人と同じく写真を撮った。
名前なんか呟かなきゃよかった。知らぬ存ぜぬであればあのまま解放されたかもしれないのに。知らない男に追われるわ、何も悪いことしてないのに詰められるわで踏んだり蹴ったりだ。
「いーよ、しまっても」
「ハイ……」
彼はスマホで連絡をしているのか、じっと画面を見つめている。身分も明かしたことだし、逃げ帰ってもいいだろうか。そっと立ち上がろうとすれば、彼はすぐに私の方へと視線を移し「お姉さん」と呟いた。
「今からオレと付き合うか、もしくはこのクスリを飲むか。どっちを選ぶ?」
「え? 付き合う……薬……」
普通ではありえない二者択一を迫られ、真っ白になった脳内ではその意味を噛み砕くことができない。
彼は乱暴な手つきで私の首元から伸びるストラップを引き寄せ、有無を言わせず顔を近づけた。逃げ場のないこの距離で、冷たい視線が突き刺さる。
「わかるでしょ。オレとコイビトになるか、得体のしれないクスリを飲むか」
「恋人に、ならせていただきます……」
あるようでない選択肢の中で、彼の恋人になることを宣言すれば意地の悪い笑顔で「りょーかい」と口にする。ようやく解放されたことにほっとしていると、彼はすぐにスマホを差し出した。
「はい、連絡先交換。逃げようなんて考えないでね」
「……は、はい」
噂に聞いていた人と同一人物とは思えない彼の名前が、連絡先の一覧に加わった。