「角名くん何してるの」
「休憩してる」
「種目練習まだなんだ」
「そうね」
体育祭の練習も兼ねているというのに彼は木陰でスマホから目を離さずそう口にする。
治くんが競技練習へ呼ばれたと同時に、角名くんはすっと離れ木陰へ向かって歩いていくのが視界に入った。……断じて四六時中角名くんを目で追っているわけではない。
それに気付いた友達の後押しもあったが、すぐ追いかけるのはさすがに気が引けたため少し経ってから声をかけに来た。
角名くんに片想いを初めてから早くも一年と少しが経った。
きっかけは入学式の時の一目ぼれ。自分の教室はどこだとよそ見をしながら歩いている時にぶつかったのが彼だった。
『った、ご、ごめんなさい』
『こっちこそごめん』
少しびっくりしたような顔をした角名くんを見てかっこいい、と思うまで時間はかからなくて。我ながら人柄も知らないのに好きになるとはなんてちょろいんだろうと頭を抱えたのを覚えている。
式で名前を知ったけれどクラスが違うため特に接点もなく、合同授業で話すことがあればラッキーと思える程度。それでも彼を見かける度に大きくなる気持ちを誤魔化すことはできなかった。
それから半年後くらい経った頃、同じクラスだった侑くんから「角名はモテとるらしい」と耳にする。その噂を聞いた私は気が急いて一度告白したが、まあよくある決まり文句であっさりと振られてしまった。
『今はまだそういうのは……それに俺のことよく知らないでしょ』
なんて言われ流石にへこんだ。へこんだけれど嫌いではないかと聞いた時に『まあ、』と答えが返ってきたので脈が全くないわけじゃないと前向きに捉えた。
それによく知らないでしょ、と言われたのはごもっともだった。隣のクラスでなかなか接点もないのに、彼からしたら知らない人から急に告白され驚いたことだろう。それで付き合っては確かに無理があると思いなおした。
それから「じゃあ、お友達からよろしくお願いします」なんてこちらもよくある決まり文句で返せば「いーよ」と思いのほかあっさりと受け入れてくれた。
それから早くも一年、片想いのまま高校二年生になった私はなんと角名くんと同じクラスで過ごしている。だけど何か変わったかと言われれば友達以上でも以下でもなく、特別仲がよくなったわけでもない。
同じクラスになったからもう少し進展があると思ったのに……そんなことはなかった。いやでも少しは話すようになったから多少なりとも進展はしたのだろうか。……したと思いたい。
「そう言えばきみは何に出るんだっけ」
「私? 運動そんなに得意じゃないから借り人競争」
「ふーん。……スポーツしてたんじゃないの」
「まあ中学生までは入ってたけど、運動はそんなに得意ではないかな」
「そっか。借り人競争じゃなくても出れるんじゃないかと思って」
「運動神経がよければね……角名くんはリレー出るんでしょ。すごいねさすがバレー部」
「別に。頼まれただけだし、バレー関係ないけどね」
……ごもっともです。と思いながら涼しい顔でそう口にする角名くんの横顔を眺めていた。
私の出る種目なんか興味ないだろうに、聞き返してくれるところは優しい。
「角名ーもう少しでリレーやる言うてるで」
「あぁ、うん。今行く」
呼びに来た治くんに引っ張られ、角名くんは怠そうに腰をあげる。服に付いた草を払ってグラウンドの真ん中へと歩いていってしまった。
……あっという間だったなぁ。私に『行ってきなよ!』と背中を押してくれた友達の方へ視線を向けると、それはもうにこにこした顔で待っている。
私も戻ろうかなと立ち上がれば、角名くんと一緒に行ったはずの治くんがこちらに向かって走ってきた。忘れ物でもしたのかと思い足元を見ても何も落ちていない。
「なにか忘れもの?」
「ちゃう、〇〇さんって種目何出ることにしたんやろと思って」
「借り人競争だけど」
「……なるほどな。なんか後でそれも練習するかも言うてたから一応聞きにきてん」
「え、あれ練習あるの!? 知らなかった」
「時間が余ったらみたいなことも言うてたから……違ってたらすまん」
「ううん、ありがとね」
それだけ言って治くんは戻っていった。借り人競争なんかぶっつけ本番でよくないか。まさか走るだけの練習とか……いらなくない? ほぼ百メートル走と同じな気がするけど。
走って行く治くんを見送ってから友達のところへ戻ると『ええ感じやったな』なんて言ってくれた。
『そう言えば治くんはなにしたん?』
『なんか戻って来とったよね』
「あ、そうそう。なんか借り人競争も練習あるかもしれないって教えてくれた」
『えー!? めんどくさ、練習って何すんの。いらんやん』
「ほんとそれね」
『じゃあとりあえず行こか。後で何話したか教えてや』
「へへ……わかった。角名くんの場所教えてくれてありがとね」
友達とそんな話をしながら練習している方へと駆け寄った。
*
「あれ、角名くん」
「ん、あぁなに」
「や、特に用はないけど……」
「そ」
横断幕で使う画材が足りなくなり帰る前にお店に寄ろうといつもと違う道を通ったら、その途中に角名くんがいてつい声に出てしまった。誰かを待っているのか、ガードパイプに腰掛けその長い脚を歩道へ放り出している。
反射的に声に出てしまった彼の名前から特に会話が広がることはなく。呼ばれた瞬間ちらりとこちらに向けた視線はあっという間にスマホの画面へと戻された。
「あ、えっと、明日横断幕で使うアクリルガッシュ足りなくて、いつもと違う道通ったら角名くんがいたからつい……」
「そうなんだ、一人で?」
「うん、途中まで友達と一緒だったけど帰り道逆方向だから」
「そっか」
もう少し話したい一心で絞り出したこの話題もあっという間に終わってしまった。
好きな相手だから上手く話せないのもわかるけれど、それにしてももう少し会話を広げられないのかと心の中で自身につっこむ。
……いや、本当は聞きたいことや話してみたいことは沢山あるけれど。このままの感じでは質問攻めになってしまいそうだし、鬱陶しいって思われたら流石にへこむ。他にいい話題も浮かばないので「じゃあまた……」と言いかければ、大きな声で名前を呼ばれ声の方へと振り向いた。
「何しとんの?」
「わ、侑くんと治くんと……銀島くん、だよね。え、なにその大量の袋」
「ハンバーガー買うてきてん、ほい角名の」
「侑ありがと」
近くのお店から出てきたのは侑くんと治くんと銀島くんだった。銀島くんは同じクラスになったことがないけれど、バレー部としては認識している。
「ちなみに見てみいそれ。全部サムの」
「……えっ、量すごいね!?」
「腹減っとんねん」
侑くんが指をさした方へと視線を移せば、治くんは大きな二つの袋をぶら下げていた。
その多さに「なんでこんなに食べても太らないんだ……」と幼児体型のお腹に手を添えながら思わず心の声が漏れてしまう。
「一個食う?」
「や、私食べた分だけ全部身になるからやめとく」
「別にそんな太っとらんやろ。俺はガリガリよりそれくらいがええと思うわ」
「フォローありがとう……筋肉ムキムキの優しい治くん……」
「サムより俺の方がムキムキやろ」
「んなわけあるかい」
「侑、治、こんなとこで対抗せんでもええて」
体型についてやんわりフォローしてくれた治くんの優しさを噛み締める。そんな私を余所に目の前の双子は筋肉について言い争いを始めた。なんでも火種になるんだななんて思っていると、銀島くんが宥める横でそれまで静観していた角名くんがゆっくりと腰を上げる。
「そういえばきみも何か買い物あったんじゃないの。時間大丈夫」
「あ、そうだ」
話しをしていていつもと違う道に来た理由をすっかり忘れるところだった。
せっかく会えたのに角名くんとは殆ど話せなかったことが悔やまれる。侑くんたちは平気なのに角名くんは好きな人だからなのか、上手く話を広げることができずにいる。
これ以上いてもバレー部の中に女子が一人で気まずいだけだし、帰るタイミングをもらってちょうどよかったのかもしれない。
「私買い物あるから行くね」
「送っていかんでもええ?」
「え? ……うん、明るいし一人でいけるから平気」
「そうか、気ぃつけて」
「じゃあまた明日ね」
まさか治くんから送っていかなくてもいいか、なんて言葉が出てくると思わず一瞬言葉に詰まった。ちらりとどこかへ目配せしていたような気もするけれど、それにどんな意図があったのか見当もつかないまま私はその場を後にした。
離れてから聞こえてきた治くんたちの笑い声が、なんだか少し羨ましく思えた。
*
『二年生で借り人競争に出る人はスタート地点に集まってください』
あの日偶然帰りに会ってから、少女漫画にあるようなイベントが起こるわけでもなく。変わりない日々を過ごしているうちに体育祭の本番を迎えた。
せっかく同じクラスになったんだから、ちょっとしたハプニングとか期待していたのに現実はそう甘くなかった。二人で買い出しとか、遅くなったから送っていくよみたいなことがひとつくらいあってもよかったんじゃないの! ……なんて、今日までの平凡な日々を心の中で嘆いた。
「そういえば私借り人競争今年初めてなんだよね」
『私去年も出たけど、噂によると抽象的なもんもあるらしいで』
「どういうこと?」
『なんか"自分がかっこええと思ってる人"とかあるって聞いてん』
『私も聞いたことある!』
「ちなみに去年なんだった?」
『え? 囲碁部の女子。探すの大変やったわー』
それは見つけるのが大変そうだ。「できるだけ簡単なのがいいなあ」と呟けば『角名くんと一緒に走れるとええな』なんて肘でつつかれた。
……わかる、それは少し考えた。でも一緒に走るだなんてとてもじゃないけど私の心臓がもたない。手を繋ぐか自分のハチマキをお互いに掴んで走るんだよ? 考えただけでもどうにかなりそうだ。
「角名くんだと心臓がもたないから絶対無理」
『せっかくのチャンスやのに? 今年どんなん当たるやろなあ。あ、次私やから行ってくるわ』
「がんばれー」
友達が走った後は自分の番。少しの期待と緊張が入り混じった胸の鼓動に気づかないフリをして、走っていく友達へ声援を送った。
『次に走る人はスタートラインまで進んでください』
そろそろ前の走者の人たちがゴールするタイミングでアナウンスが流れる。友達はといえばバスケ部主将とゴールしていた。
すごくピンポイントなお題だったのかがすごく気になるけれど、次は自分の番。アナウンスにならってスタート地点へと並び、ピストルの音と共に足を踏み出した。
真ん中まで走り手にした紙を見て思わず心臓がはねた。
「同じ学年の、男子バレー部……」
紙を開いて思わず息をのんだ。このお題であれば合法的に角名くんと一緒に走ることができるけれど……。自然にお願いできるか、すぐ見つけられるのか、私が平常心でいられるかどうかの問題など山積みだ。
……なんて悠長に考えを巡らせる時間はない。慌てて顔を上げ自分が頼める男子バレー部員を目を皿にして探せば、ややゴール寄りに座っている侑くんの姿が目に入る。ちらりと周辺をみたが、近くに角名くんの姿は見当たらない。……残念だという気持ちと、安心したような気持ちが入り混じりつつ侑くん目の前まですぐに駆け寄った。
「侑くんお願い!」
「え、俺?」
「そうだよ」と言いながらハチマキに手を伸ばそうとして思い出した。今日友達とお揃いでアレンジしたことを。……使えないものは致し方ない。
「ハチマキ使えない、手貸して」
「や、でも」
「一緒に来て!」
侑くんにしては珍しくおずおずと伸ばした手を私はすぐに掴み、力の限り引っ張る。腰を上げた彼に「行こう」と言えば、何かを私の手を引いて斜め前を走ってくれて。ゴールに近かったことも幸いし無事テープを切ることができた。
係の人にお題を確認してもらってから他の走者の邪魔にならないよう横に避け、乱れた呼吸を整える。そんな私の隣で侑くんは息一つ乱さずけろりとしていて、当然と言えば当然だけど少し恨めしい。
「お前あれやん、姫助けに来た王子やん」
「は? こんなゴツイ姫がいるか」
「鍛えとる姫やっておるかもしれん」
「王子を守ってくれそうだね」
そんな中身のない会話の途中、侑くんが「そういえばお題なんだったん」と突然思い出したかのように私へ問いかけた。
……さっきの係の人とのやり取り全く聞いてなかったんかい、というツッコミは心の中にしまっておこう。一緒に走ってくれたんだし。
「同じ学年の男バレ」
「……え、なんで俺なん!?」
「一番ゴールに近くて目に入ったから。やーほんと助かったよおかげで一位だし、ありがとね」
「お、おん……ちょお、こっち」
侑くんに呼ばれ人がまばらなところまでついて行くと、くるりと振り返った顔は何故か険しい。……この短時間で何か怒らせるようなこと言ったっけ。
「あれや、角名にはお題のこと言うたらあかん」
「い、いや別に聞かれないと思うし関係なくない?」
角名くんの名前が出てきてわかりやすく動揺した。でもきっと興味なんてないと思うし、そもそも聞かれる理由もない。自分で言ってて悲しいけれど。でもなんでわざわざそんなことを?
「それは」
「侑、次の競技出るんでしょ」
「び―……っくりさせんなや角名! 心臓止まるわもっと気配出して来や!」
「普通に呼びに来ただけだけど。侑は気配からうるさいもんね」
「存在感あるって言うてや」
「いいからほら、先生呼んでるよ」
遠くから『宮侑ー!』と呼ぶ体育の先生の大きな声が聞こえてくる。侑くんはそれを聞いて引き留める間もなく先生の方へ向かって行ってしまった。私との会話を中途半端に放棄して、こっちは答えを全部聞けず不完全燃焼だというのに。
そしてまさかここで角名くんと二人きりになるとは思わずどうしたらいいのだろうとじわりと手のひらに汗がにじむ。気が利いた言葉も浮かばず視線を泳がす私をよそに、思いがけず口を開いたのは角名くんの方だった。
「……さっき、侑と走ってたね」
まさか見られているとは思わず、一瞬頭がフリーズし「え、あ……うん」なんてありきたりな相槌しかできなかった。その言葉に一体どんな意図が含まれているのかもわからない。
何かまずいことをしたわけでもないし、この場を取り持つための話だよね。……そう考えるのが自然ではある。私に対して言葉の裏なんかあるわけないし、ただそのまま素直に受け取ろう。
「ゴールの近くにたまたま侑くんがいてね、おかげで一位とれちゃった」
「ふうん、そっか。……お題は双子とか?」
「違う違う、男子バ……ぎゃっ」
話している途中でカエルがこちらに向かって跳んできて、不意をつかれた私は可愛げのない声と共に距離を取った。角名くんと二人きりで緊張していたのに、まさかの天敵出現でそれどころではなくなってしまった。
虫も全て無理だけど同じ位カエルもだめなんだ私は。小さい頃、男の子から投げつけられたカエルが服を伝って昇ってきたあの恐怖はいまだに忘れられない。しかも虫と同じでどこに跳ぶのかわからないときた。意思疎通ができたらいいのに。
「まだカエル苦手なんだ」
「……カエルに罪はないけどね、はは、無理なんですよね」
じりじりと距離を取るも、何故かカエルはこっちに跳んでくる。虫といいカエルといいなんで苦手としている人間のほうへ近づいてくるんだ。嫌がらせか。
頬を引きつらせながら脳内は文句たらたらな私の横で、角名くんは涼しい顔でそれを掴み向こう側へ放り投げた。
「これで大丈夫?」
「あ、うん、ありがとう」
カエルがいなくなったことで一息ついた私は、そういえば幼稚園の時にこうやって庇ってくれた子がいたなあと思い出す。すぐにとんできて守ってくれる、小さな王子様みたいだった。小さいながらあれが初恋だったのかもしれない。
一番最初に住んでいた街で、もう顔もぼんやりとしか思い出せないけれど。名前は確か……。
「昔から変わらないね」
「そうなんだよ……え、昔? そういえば角名くんにカエルの話ってピンポイントでしたことあったっけ」
「はあ……お手上げ、もう待つのはやめた」
角名くんは困ったような表情をしながらもふっと口元を緩ませた。それでいて何かふっきれたようにも見えるのは私の気のせいだろうか。
こんな柔らかい表情を向けられたのは初めてで、何かのご褒美だろうかと思わず視線が吸い寄せられる。
「幼稚園の頃もカエル苦手でさ、助けてもらってたよね」
「え!? 私さっき思ってたこと声に出てた?」
「……たろちゃん、って呼ばれてたな」
角名くんの口から懐かしい名前が紡がれて、記憶がよみがえると共になぜ知っているんだと困惑する。そんな私を見て「さすがにここまで忘れられてると傷つくんだけど」と彼は少しムッとした。
なに、その表情は。今日は見たことのない角名くんのオンパレードで、私の心臓が息つく暇もなく慌ただしく動いている。戸惑う気持ちもありながら彼の表情を見逃すまいという自分もいて、頭の中の整理がつかない。
「きみは思い出す素振りも見せないのに、俺の気持ちも知らないで告白してくるし」
「……ちょっと待って」
あれ、待って、さっき呼ばれてたなって言ったよね。角名くんの名前ってりんたろう……ってことはもしかしなくても。
「たろちゃんって、角名くん……」
「えー今更?」
「でっ、え、だって」
さすがにわからないよ、と心の中で叫ぶ。
当時は自分と同じくらいの身長で、目は今みたいに切れ長じゃなくてもう少しくりっとしてた気がする。幼稚園を卒園すると同時に引っ越ししたし、まさかこんなところで出会うなんて思っていなかったのだから。
私が思い出してきたことに気が付いたのか、もうひと押しとでもいうように「『ずっとカエルからまもってあげるからね』って言ってたこともあったよね」なんて笑った。
別に疑っていたわけではないけれど。その言葉に「え、ほんとに、ほんとだ……」と思わず口元を押さえながら彼を指をさせば、彼の大きな手に包まれた。
「指ささないでよ」
「や、あの、ごめん……」
手をおろそうとしても離してくれず、顔を見上げればぱちりと目が合う。
触れた彼の手のひらから伝染するようにじわりと熱を帯び、さきほどまで言われた言葉を思い出して恥ずかしさから目を逸らした。ここまで忘れられてると傷つくとか、俺の気持ちも知らないでとか。こんな風にされたら、どうしても自分の都合のいいように考えてしまう。
私からは素っ気なく見えていたのに、まさか、そんなことは。
「ねえ、もう思い出したしいいよね。ずっと待ってたからさ」
私の手を掴んだまま角名くんは一歩こちらに近づく。そのつま先を見て私は逃げるように一歩後退った。既に手が触れるくらいの近い距離にいるのに、これ以上間を詰められたら本当に心臓がもたない。
「いいよねって何が……」
「付き合おっか」
一瞬何を言われたのか頭の中で処理ができなくて無意識に角名くんの顔を見上げると「やっとこっち見てくれた」と口元を緩めた。
思わぬ角名くんからの告白ですぐにでもお願いしますと言いたいところだけれど。考えのまとまらない中でずっと引っかかっていたのは私が振られたときの彼の言葉だった。
「あの、角名くんが前に『俺のことよく知らないでしょ』って言ってたの思い出して。まだ知らないことの方が多いのですが……いいの?」
どれくらいお互いに知ったら再度気持ちを伝えたらいいのだろうと、あの日から小さなしこりになっていたそれをようやく口にできた。投げかけられた彼はと言えば一瞬目を丸くして小さく噴き出した。
「ふっ、いいよ。だって思い出してくれたじゃん。あれは俺を忘れてたきみへのいじわる」
「いじわるって……」
「本当は言ってしまおうかっても思ったけど、俺だけ覚えてるのなんか悔しいじゃん」
「えっと……ご、ごめん?」
「まあでも、こんな風に動揺するきみが見れたのはよかったかな。……かわいい」
そう目を細めて紡ぐ彼の言葉に思考が妨げられる。その顔は反則です。なんて軽口を叩く余裕も今の私にはなくて。手は放してくれる気配がないし、遠ざかることも許されないこの距離。ずっと角名くんのペースに乗せられっぱなしだ。
涼やかな笑みを浮かべたまま、触れていた手がするりと滑り彼の長い指が絡んで引き寄せられる。不意なことに抵抗する暇もなく彼の口元が私の耳に触れるほどに近づいた。
「ね、俺もきみがずっと好きだった。一緒に走った侑に嫉妬するくらいには」
「待って、ち、近いよ……もう少し離れて心臓がもうむり……」
「やだ」
フリーになってる片方の手で彼の胸を押し返すも、びくともしない。彼の一挙一動に踊らされ、熱がでたみたいにくらくらするというのに。
そんな私のことなんて知る由もなく、角名くんは「ねえ」と柔らかな笑みを浮かべた。
「彼女になって」
視線を絡ませ改めて紡がれたその言葉に視界が揺らぐ。何度もこうなったらいいなあと想像していて、願ってもないこの日がきたというのに。好きが溢れて私は声も出せずにただ頷くことしかできなかった。
「泣かないでよ」
「うー……すき」
「ちょっと、それは反則。……今まで素っ気なかった分、何倍にもして返すから」
「あはは、自覚はあったんだ」
「まあ……でも今は違うから。俺の気持ち受け止める準備しといてよね」
そう口にした角名くんが私の髪を自然と梳くものだからじわじわと恋人になったことを実感する。辛うじて絞り出した「うん」という声は澄み渡る青空へと溶けていった。