隣の部署の黒尾さんの右手の薬指にはシンプルな指輪がつけられている。
『黒尾さん、もしかして彼女とのペアリングですか?』
「ご想像にお任せします」
女性から声をかけられた時はにっこりと笑って彼はいつもそう答えていた。
*
中途採用で入社し、正式な配属が決まる前に各部署の仕事を知るための研修があった。その時私に教育係としてついてくれたのが黒尾さんだった。
事業部の中でも飛びぬけて身長が高く、対して小さい私は少し怯んだが怖い人ではないと知るまでそう時間はかからなかった。そして指輪の存在を知りながらも黒尾さんを好きになることにも。
社内なうえに彼女がいる人を好きになるなんて。そんな不毛なことは絶対にダメだと自分に言い聞かせたが、少し怖い外見と優しい中身のギャップに落ちるのをコントロールはできなかった。
「ごめん、この伝票処理早めにやってもらえると助かる。あとこのお客さんに送ってほしいデータがあって……」
「あ、はいこれですね。分かりやすくまとめて送っておきます」
「ありがとな、今度甘い物おごるから」
「へへ、やったー」
「じゃあ俺もう出るわ。よろしく」
気を付けて、という暇もなくバタバタと外出してしまった。広報事務に配属されてからもう一年が経つ。総務や営業事務などの経験があったため事務関係でと伝えてはいたが……思っていたよりも忙しくて。私は社内で事務処理を主にしているが、広報部の人の半分ほどは社内にいない。黒尾さんもまたその内の一人だ。
ちらりと時計を見てお昼までに終わったらラッキーだな、なんて思いながらパソコンへと向かった。
『……ねぇ、お昼行ってきなよ。私今日電話番だから』
「え、もう十二時? うーん……さっき頼まれたの終わってからずらして昼休憩とるよ。ついでに電話番もしとく」
『えーいいの!? じゃあ次当番のとき交代するね、ありがとう』
「どういたしまして。ごゆっくり」
お昼休憩の時間になり、ぽつぽつと部屋から人が出て行く。中にはここでご飯を食べて寝ている人もいるけれど、人が少ない今の方が気楽に仕事ができる。
幸い今は急ぎの仕事もないので自分の仕事は一旦後回しにして、黒尾さんから頼まれた仕事を片付けた。