つかう2
決戦前夜
校庭に出ると、傾いた陽が影法師を細長く地面に写した。どこかの芸術家が造り上げた石の彫刻や、絵画みたいな噴水が朱色に輝いている。遠くで鳴くカラスの声を何気なく耳にいれながら、立派な校門を潜った。
路地に並んだ建物はその輪郭を夕闇に溶かしつつある。その一角を曲がったところで。
「随分遅かったねぇ?」
耳に残るうつくしい男の声がして、わたしはゆるりと電柱の向こうへ視線を送った。
電柱の影から、すらりと伸びる体躯の男が現れる。橙色の夕陽を受け、きらきらと波打つ銀の髪。射抜く程に鋭い瞳は、童話に描かれる湖のように澄んだ空色。
かつて夢ノ咲が誇る強豪『ユニット』であった『Knights』の一員にして、現在はリーダーの代理を務める男――瀬名泉。
「やだ、待っててくれたの?彼氏みたい!」
必要以上におちゃらけ、手を叩いて喜んだフリをすると、彼の瞳が蛇のように細く冷たくなる。
わたしはすぐに「冗談だから睨まないでよ」と謝罪し、今度こそ真面目な顔で彼の元へと近づいた。
「校内アルバイトしてただけだよ。今日は花壇の草引き」
「……ふぅん」
彼の背丈は高身長と言うほどではないのかもしれないが、それでもわたしと並ぶと随分と高い。自然と、そのうつくしい顔を見上げるようなかたちになった。
まるで興味がないような平坦な返事をした彼に、わたしは首を傾げ、「何か用事?」と問いかける。
短く息を吐いた彼が、わたしの瞳をじっと見つめながら口を開いた。
「あんた、余計なことしてないだろうねぇ?」
「なんでそんなこと聞くの?」
「俺の質問に答えるのが先。どうなの」
「『Knights』を不利にさせたりはしないよ」
「回りくどい」
萎え切らないわたしの返事に、ぴしゃりとセナが言い放った。
きつい視線を向けられるが、わたしは表情を崩さない。顔の神経の端々に力を込め、何でもない風を装い続ける。
「俺の質問にだけ答えて」
「……してない。だってこれは、余計なことなんかじゃない」
ぴく、とセナの端正な眉がわずかに歪んだ。
「……それは、あんたの意見だよねぇ」
「そうだけど。じゃあ逆に聞きたいんだけど、余計なことって、誰にとって余計なの?」
「……」
セナは何も答えない。伏せた瞼の奥に誰の存在があるのかを、わたしに教えようとはしない。
傍観者のごとく瓦屋根にとまっていた烏がひとつ声を上げた。黒い翼を扇のように開けた彼らは、かたまって空を横切っていく。
セナはゆっくりと瞼をもちあげて、宝石のような瞳をわたしに向けた。
「……あんまり無謀なことはするもんじゃないよぉ」
怒っているのか、心配しているのか、呆れているのか――そのどれともとれる声音で呟き、彼はそのままわたしの横を通り過ぎた。わたしは一瞬、目線だけでその背をおいかけたけれど、すぐにまっすぐに向き直り、何も言わずにその場をあとにした。
決戦の日は、もうそこまで近づいている。
・
『Trickstar』が全員集合しての特訓は、苛烈を極めていた。
当然である。残りあと一週間で、今の夢ノ咲学院を支配する生徒会の最大戦力――『紅月』に勝利しなくてはならないのだから。対等に戦える程度では無意味。すべてが徒労に終わってしまう。死に物狂いになるしかない。
それに、チャンスはこの一度きりだった。『紅月』が彼らを脅威に思っていない――多少警戒していたとしても油断してくれるかもしれない、最初の一回だけが、勝機。
わたしも、できうる限りの情報を彼らに流した。彼らより丸一年、この学院でアイドルと関わりながら暮らしてきたこともあり、学院のシステムについては熟知している方だと思う。単位を落とさずに授業を欠席する正しい手続きの方法や、各教科担当の先生の特徴(誰が緩くて誰が厳しいとか)、生徒会や『紅月』の現状に至るまで。レッスン室を借りるための軍資金を提供することもした。彼らは最初こそ遠慮をしていたものの、零さんの口添えもあり、「絶対に無駄にはしない」という強い意思で受け取ってくれている。
ちなみに――、衣更くん、あんずちゃんは、わたしと顔を合わせた翌日、零さんに頼まれた通りにわたしの存在を他の『Trickstar』のメンバーに伝えていたらしく、作戦会議で現れたわたしを彼らはすんなりと受け入れてくれ、おかげでそれなりに良好な関係を築けている。
そんなふうに目まぐるしく日々が過ぎていくある日、昼休みに零さんから呼び出しを受けたわたしは、不思議なお願いをされた。
「『Trickstar』の面々が、泊りがけでレッスンをするらしいんじゃが、どうにも嫌な予感がするんじゃよ。嬢ちゃんもなるべく残ってくれんかや」
額を抑えながら眉を寄せた彼を見て、わたしは首を傾げる。
「嫌な予感って、なに?」
「何か分かったらこんな曖昧な言い方はせんわい」
それもそうか、と納得しつつ、わたしは頭を捻る。
なるべく、というのが何時頃を指すのか分からないが、こうして呼び出したということは完全下校は過ぎた時刻になるに違いない。あまり遅くなってしまっては、両親から連絡がきてしまう。
わたしは「ちょっと待って」と告げ、ポケットからスマートフォンを取り出すと兄に連絡をいれた。丁度彼も昼休憩だったのか、2コールほどですぐに応答してくれる。わたしは端的に伝えた。
――というわけだから、お兄ちゃんの家に泊まることにしてほしい。
――構わないけど、それで母さんたち納得するか?
――納得させる。
――分かった分かった、俺もできる限り誤魔化すよ。食い違いがでたら駄目だから、細かい設定はあとでメッセージで送って。
ありがとう、と礼を言い、通話を切る。
零さんに向き直り「大丈夫そう。ちゃんと残るよ」と了解すると、彼は口元を緩めて「うむ、助かるわい」と頷いた。
正攻法だったのか、それとも規則の抜け道を搔い潜ったのか――、とにかく、零さんが手続きをしてくれたおかげで、わたしは完全下校のチャイムが鳴り終わった後も堂々と居残ることができていた。あんずちゃんと一緒に防音練習室の掃除をしながら、わたしは今日何度目になるか分からない疑問に頭を捻った。
(結局、零さんの『嫌な予感』ってなんだったんだろ……?もう深夜になっちゃうよ、さすがに帰らなきゃまずい気がするし)
怒りを押し殺した、或いは呆れきった声で「分かった」と言った両親は良いとして、わたしの共犯者となった兄のことは気がかりである。「お前、結局帰ってくんの。それとも学校に泊まるの」と、そろそろ連絡が来てもおかしくない。
少しばかり憂鬱な気分になり溜息をついたわたしと対照的に、あんずちゃんは口元を緩めて床の雑巾かけをする手を動かしている。それを見て、わたしは自分の両頬をばちんと叩いた。とにかく今は目の前のことに集中しなければ。
突然の奇行に驚いたのだろう、あんずちゃんが肩を跳ねてこちらを見た。
「わ、ごめん。気合いれただけだから気にしないで……♪」
その言葉に、あんずちゃんは嬉しそうに笑った。
零さんの指示で少し一緒にいさせてもらうけど、邪魔じゃないか――。そんな風に尋ねた時、「心強いです」と目を輝かせた彼女を思い出す。やさしくて、素直で、つよいこだ。今だって、『プロデューサー』というよりは家政婦のようなことばかりをしているけれど、嫌な顔ひとつしない。
こちらをじっと見つめていたあんずちゃんが、不意に尋ねた。
――名前さんはどうして、私たちの肩を持ってくれるんですか。
そう言われて初めて、わたしは彼女たちに「味方である」こと以外の説明をひとつもしていなかったことを思い出す。
わたしは小さく唸った。その理由を伝えるためには、わたしの過去の話をすることになる。とても悲しくて辛い今に繋がる、むかしばなし。けれど決して、隠し通したいわけではない。ただ、その全て――たとえば、どうして零さんと旧知の仲なのかを含めて――を話すにはあまりにも、時間が足りないと思った。
ただひとつ、言えることがあるとするならば。
「今の夢ノ咲の制度になるのと同時に、大切なともだちを失ったから」
あんずちゃんは、つぶらな瞳をさらに丸くして、わたしを見た。
――アイドル、ですか。
――そう、アイドル。誰よりもきらきらしていて、誰よりもやさしい男の子だった。
彼女は納得したように頷くと、唇を一文字に結び、まっすぐに言った。
――絶対に、勝ちます。
その言葉を受けて、わたしは笑う。
「うん、ありがとう。さ、続きも頑張ろっか!」
それから二人で、徹底して床磨きをした。あんずちゃんは控えめな性格ではあったけれど、こちらの問いかけには快く答えてくれるし、話にも乗ってくれる。それは教師の愚痴もどきであったり、学院の会談話であったり、駅前にできた新しいカフェの話であったり――。
そうやって二人してころころと笑いながら掃除をしていたからか、わたしたちは背後から流れた鼻歌にも気づきはしなかった。
「おろっ?転校生、まだ帰ってなかったのかよ。もう真夜中だぞ?それに、名前さんも。時間大丈夫なんですか?」
そう声をかけられてようやく、わたしたちは扉を開けた衣更くんの存在に気づく。片手にコンビニの袋をぶら下げた彼は、わたしたちが居残りをしていると思っていなかったらしく、ギョッとしていた。彼の表情に怒りや文句はみられず、純粋に驚いただけらしい。というか、どこか嬉しそうな様子さえある。
衣更くんはこちらに近寄ると、手にしていた袋の中からアイスを差し出した。「食うか?」と問われ、あんずちゃんが丁重に遠慮する。わたしも同じように断った。袋の中にアイスはひとつしかないようだし、彼が自分のために買ってきたものを貰ってしまうのは気が引ける。
衣更くんはアイスを自分の手に戻すと、器用に包装を剥いでぱくついた。防音練習室は構造上、熱がこもる。……すこし、うらやましい。
衣更くんは、今からもう少し練習をするらしかった。一週間くらいサボってしまった分を少しでも取り戻したいと、そしてやるからには勝ちたいと、覚悟を決めた表情で語っている。