やっぱりつかう
「『Trickstar』の面々が、泊まりがけでレッスンをするらしいんじゃが、どうにも嫌な予感がするんじゃよ。嬢ちゃんもなるべく残ってくれんかや」
額を抑えながら眉を寄せた彼を見て、わたしは首を傾げる。
「嫌な予感って、なに?」
「何か分かったらこんな曖昧な言い方はせんわい」
それもそうか、と納得しつつ、わたしは頭を捻る。
なるべく、というのが何時頃を指すのか分からないが、こうして呼び出したということは完全下校は過ぎた時刻になるに違いない。あまり遅くなってしまっては、両親から連絡がきてしまう。
わたしは「ちょっと待って」と告げ、ポケットからスマートフォンを取り出すと兄に連絡をいれた。丁度彼も昼休憩だったのか、2コールほどですぐに応答してくれる。わたしは端的に伝えた。
――というわけで帰りが遅なるから、お兄ちゃんの家に泊まることにしてほしい。
――構わないけど、それで母さんたち納得するか?
――納得させる。
――分かった分かった、俺もできる限り誤魔化すよ。食い違いがでたら駄目だから、細かい設定はあとでメッセージで送って。
ありがとう、と礼を言い、通話を切る。
零さんに向き直り「大丈夫そう。ちゃんと残るよ」と了解すると、彼は口元を緩めて「うむ、助かるわい」と頷いた。
正攻法だったのか、それとも規則の抜け道を搔い潜ったのか――、とにかく、
零さんが手続きをしてくれたおかげで、わたしは完全下校のチャイムが鳴り終わった後も堂々と居残ることができていた。あんずちゃんと一緒に防音練習室の掃除をしながら、わたしは今日何度目になるか分からない疑問に頭を捻った。
(結局、零さんの『嫌な予感』ってなんだったんだろ……?もしこのまま泊まりになるようなら、お兄ちゃんにもっかい連絡しなきゃいけないし)
現状、兄は自宅でわたしの帰りを待っているはずだった。明日も朝から仕事がある彼に無理はさせられない。早めに、帰るか学校に泊まるかのはっきりとした連絡をいれなければ。
わたしたちは背後から流れた鼻歌にも気づきはしなかった。
「おろっ?転校生、まだ帰ってなかったのかよ。もう真夜中だぞ?それに、名前さんも。時間大丈夫なんですか?」
そう声をかけられてようやく、わたしたちは扉を開けた衣更くんの存在に気づく。片手にコンビニの袋をぶら下げた彼は、わたしたちが居残りをしていると思っていなかったらしく、ギョッとしていた。彼の表情に怒りや文句はみられず、純粋に驚いただけのようだ。というか、どこか嬉しそうな様子さえある。
衣更くんはこちらに近寄ると、手にしていた袋の中からアイスを差し出した。「食うか?」と問われ、あんずちゃんが丁重に遠慮する。わたしも同じように断った。袋の中にアイスはひとつしかないようだし、彼が自分のために買ってきたものを貰ってしまうのは気が引ける。
衣更くんはアイスを自分の手に戻すと、器用に包装を剥いでぱくついた。防音練習室は構造上、熱がこもる。……すこし、うらやましい。
衣更くんは、今からもう少し練習をするらしかった。一週間くらいサボってしまった分を少しでも取り戻したいと、そしてやるからには勝ちたいと、覚悟を決めた表情で語っている。
・
程なくしてアイスを食べ終えた衣更くんは、頭が仕事モードになったのか、アイドルの打ち合わせのような内容を始めた。『Trickstar』が『S1』で披露する曲目と、その曲順について。それから、真くんのこと。
遊木真くん。金髪翠瞳で柔らかな印象をもつ美青年で、青い眼鏡がチャームポイント。『Trickstar』のムードメーカである明星スバルくんと共にひょうきんな立ち振る舞いをすることが多く、いつも明るく微笑んでいる。けれどその裏に、触るのも躊躇われるほどの血の滲む傷跡があること。それ故に自己評価が低いことを、衣更くんは心配している。
ひと休憩の後、衣更くんはダンスのレッスンを開始する。あんずちゃんは彼の邪魔にならないよう隅で裁縫を始めたので、わたしもそれを手伝うことにした。
洋裁店を営む兄に扱き使われることもあるため、ひとよりは得意――と自信を持って言うことができればよかったのだが、わたしは兄と真反対でとにかく不器用だった。兄を知る人物から幾度となく訝しげな顔をされたし、「器用さは全部兄に吸い取られたんだろうな」とは、悔しいがその通りである。あと、身長と顔の良さも。
自然と拗ねたような表情になっていることに自分で気づき、頭を振って気合を入れ直す。大切なアイドルたちの衣装である。気持ちを込めて触れなければ。
わたしとあんずちゃんは並んで、辿々しく針を動かし続けた。
それから、どのくらい時間が経っただろうか。突然扉が大きく音を立てたかと思うと、倒れ込むようにして遊木くんが現れた。
「……あれっ。みんな、まだいたの?そろそろ日付が変わりそうな時間だよ〜?」
そう問いかけられるが、それはこちらの台詞でもある。同じことを思ったらしい衣更くんが、ぴたりとダンスを止めると「おまえも、まだ帰んないの?」と尋ねた。
そして、彼が答えるよりも早く、次の言葉を投げかける。
「ていうか、どこをほっつき歩いてたんだよ。帰るなら帰るで連絡、どっか行くなら報告、そのくらい常識だろ?あんま心配させんなよ?」
どうやら何の言伝もないまま、遊木くんは姿を消していたらしい。諭す衣更くんは、まるで引率の先生のようだった。
「いやぁ、ランニングしてたらちょっと面倒なひとに絡まれちゃってさ。どうにか張り切って、逃げてきたんだよ。あぁ、生きた心地がしなかった!」
たしかに、彼は汗だくになっている。一体どのくらい走ったのだろう――、衣更くんとあんずちゃんが二人同時に動き、彼をタオルでむぎゅむぎゅと拭う様を見ながら、わたしは妙な言い回しに眉を寄せる。
(ちょっと面倒なひと……?)
教師、ではないだろう。わたしを含めて今日の彼らの居残りは、学院側にも認められている。ということは、個人的に遊木くんを追いかけてるだれか。「嫌な予感がするんじゃよ」そう告げた零さんのことを思い出す。彼の勘はもしかしたら、杞憂ではなくて――。
「……さん、名前さん」
「うわっ!?ご、ごめん、ぼうっとしてた。なあに?」
衣更くんの呼びかけに、慌てて体の向きを変える。
申し訳なさそうに眉を寄せた彼が、「遅くまで付き合わせてすみません」と謝罪した後、「俺、一旦家に戻ります。あんずも帰るし……名前さんもそろそろ帰りますよね?家の方向、一緒かな……」
考えるように顎に手を当てた彼に、わたしは両手をぶんぶんと振った。
「わたしも帰るけど、見送りなんていいよ。ふたりであんずちゃん送ってあげて……、ああでも、ひとりは留守番のほうがいいかな」
そう告げた言葉に、
「いけません!」
「ウワッ!?」
三人分の声で強く否定され、さすがにたじろいだ。
「こんな夜遅くに女性ひとりを歩かせるなんてできません」
「そうですよ、しかも俺たちのレッスンに付き合って遅くなってんのに」
「ええ……」
彼らの言葉に、あんずちゃんも大きく頷いている。
そうは言っても、申し訳ない。特に、わたしを送る役になった方に。
少し考えた後、わたしはジャージのポケットからスマートフォンを取り出し、「じゃあわたしは、兄さんに迎えにきてもらうよ。それなら大丈夫でしょ?」
「それは、まあ……?でも、お兄さん起きてますか?」
「たぶん。今日は家に行くって言ってたし、まだ待っててくれてると思う……」
言いながらメッセージを送ると、すぐに既読がつき、男が使うには随分かわいらしいスタンプで『了解』と送られてくる。
大丈夫みたい、とトーク画面をみせると、衣更くんはなぜかくつりと笑った。不思議そうに彼を見るわたしたちに、「す、すみません!」と謝罪した後、彼は画面のスタンプを指しながら言う。
「これ、最近人気のゆるキャラですよね。バスケ部の後輩も使ってたな〜と思って」
「ああ、兄さんこういうの好きなんだよね。たまに部屋で変な服着てる……ほら、これとか。自撮りで送られてくんの」
勘弁してほしい、というように肩をすくめ、過去に兄から送られた画像をみせる。シャツの真ん中にでかでかとゆるキャラがプリントされた、なんというか、独特なセンスの服である。かわいいはかわいいけれど、万が一これを彼氏がデートに来てくるのだとしたら少し離れて歩きたい。今のところ、兄がこの格好で外を彷徨いているところは見たことがないのだけれど。
くだらない話をしつつも、テキパキと荷物をまとめていく。最終的に、衣更くんはあんずちゃんを送り、遊木くんはここで留守番。わたしは、校門前まで兄に迎えにきてくれるという話でまとまった。
あんずちゃんは衣装づくりの材料も持ち帰るらしい。鞄に詰め込む作業は少しかかりそうで、その隙にお手洗いに行くことにした。
廊下の照明はもう落とされていて真っ暗だ。頼りになるのは窓の隙間から差し込む月光だけ。夜の学校は不気味でもあるし、気分を高揚させるものでもあった。本当は、もう少し残っていてもいい。零さんの『嫌な予感』、そして先ほど遊木くんが言ってた『面倒なひと』のことが少し気がかりではあるし――ただ、あんずちゃんが残らないというのに、わたしが残るわけにはいかなかった。
月下の魔物
お手洗いから出て、再び暗い廊下を進んで練習室へと戻る。「お待たせ」と声をけようとして、わたしは違和感に気づいた。
練習室の中から、言い争う声がしている。遊木くんと衣更くんとは別の、男性の声。その声と、みょうな余韻を残す話し方には聞き覚えがあった。
わたしは睫毛を伏せる。
零さんが言っていた『嫌な予感』というのはこのことか、とすとんと胸に落ちた。
室内を覗くまでもない。声の主はセナだった。先日わたしに、「無謀なことはするもんじゃない」と忠告のような言葉を告げた男。むかしグラビアモデルをしていた彼は、そこで遊木くんと知り合い、以来彼のことを追いかけまわしているらしい。よく言えば熱心なファン、悪く言えばストーカー、というところだろうか。
この場に現れた彼は相当な迫力だっただろう。彼のぞっとするほどの美貌は、この暗闇で魔物のように浮かんだに違いない。暗闇のなかに冷え冷えと光る眼光を想像するだけで、自然と背筋が冷たくなるようだ。そのくらい、セナのうつくしさには威圧感がある。不気味で、妖しくて、非人道的。
わたしは開いたままの扉の傍で、耳をそばだてた。
セナは遊木くんに詰め寄って、思いの丈をぶつけていた。
アイドルとしてがんばるなんて、無駄なことはやめよう。ゆうくんには見た目しか取り柄がない。夢も希望も捨てて、グラビアの世界に戻ってきたほうがいい――。
彼を気遣うような素振りをしながら、呪詛のような言葉を並べ立てている。遊木くんは震えるだけで言い返せない。衣更くんも何も言わないのをいいことに、セナはさらに続けた。
「ていうか、俺の断りもなく辞めちゃってさ……。みんな悲しんでるよ。迷惑も被ってる。ちょっとは申し訳ないとか思わないわけ?」
嬲るような語り口だ。反論を挟み込む余地もない。
「目の前の困難から逃げちゃうやつは、大成しないよ。俺、いつも口を酸っぱくして言ってあげたよねぇ?戻っておいでよ。きれいな見た目はさ、ゆうくんに神さまがくれた唯一のギフトなんだからさ。それを捨て去って、誰も望んでないことに従事するのは、才能と人生の無駄遣いだよねぇ?」
彼が言い終わるのとほとんど同時に、小さな破壊音がした。ぎょっとする。まさかと思って覗き込むと、セナは遊木くんの眼鏡を容赦なく踏みつぶしていた。セナにとって遊木くんの眼鏡は、彼のきれいな見た目を隠すダサイ眼鏡でしかないから。
誰もこちらに気がつかなかったのをいいことに、わたしはもう一度壁際に隠れた。油断すると泣いてしまいそうだった。蹲りたい。いいや、逃げ出したい。むかしは……、むかしは、セナはこんなふうに横暴じゃなかった。完璧主義で、自分にも他人にも厳しくて、偉そうではあったけれど。他人の心を、こうも踏みにじるひとではなかった。
思い出す。
夕暮れの教室で、猫だらけの弓道場の裏で、太陽が照り付ける夏の海辺で、くだらない言葉を交わしていたこと。「インスピレーションが!」と叫んで音楽を作り上げる少年。そのメロディーを口ずさむセナの穏やかな表情。ずっと続いてほしいと願っていた日々。今は遠い、青い春の思い出。
セナだってそれらを、忘れているはずがない。忘れていたら、わたしにあんな風な忠告をするはずがない。
「『Trickstar』は、空っぽだった僕の人生で初めて見つけた宝物なんです。絶対に失いたくない」
遊木くんの声がして、わたしは顔をあげた。彼の声は震えていたけれど、そこには確かな意志があった。
「僕はもう、心を殺しながら生きていくのは嫌なんです」
それは聞くものの胸を震わせるくらい、真に迫った叫び。
けれどセナは、「いいけどねぇ、べつに」冷然と吐き捨てるだけだった。
「どうせ何もできずに失敗して、挫折して、俺のところに戻ってくる。遅いか早いかの違いなのに……。無駄に遠回りしても仕方ないでしょって、忠告してあげてるのにさぁ?」
その嘲笑に、とうとう衣更くんが我慢が限界にきたらしい。
「おい、あんた。いきなりズケズケ踏み込んできて、何なんだいったい?」
彼は全力でセナの胸ぐらを掴む。
「わかったようなこと言うなよ。こいつは努力してる。足りないところがあったとしても、俺たちが埋めてみせる。真は『きれいなお人形』なんかじゃない、人間として生き始めたんだ!それを、邪魔すんなよ!」
怒りと友情を全身に充満させる姿に、セナは舌打ちをした。
「暑苦しいねぇ、鬱陶しい。努力とか情熱だけで渡っていけるほど、アイドル業界は甘くないよ?」
――それは、誰に向けて放った言葉だっただろうか。
現実は冷たくて、数字が支配していて、心はすぐに壊れること。冷徹な言葉は、セナが、わたしが、身をもって経験した過去でもある。
セナは相変わらず衣更くんに掴みかかられたまま動けなかった。彼に腕力はない。憎々しげに、衣更くんの腕に爪をつきたてるだけだ。
わたしはひとつ息を吸う。
ひるむな、怯えるな。零さんだって、わたしを頼ってくれたんだから。
「セナ」
その場にいた全員が、声に反応してこちらを見る。
室内の空気はぴりぴりと痛い。わたしは表情を崩さず、一歩一歩、歩みを進めた。
セナが「……名前」と苦々しく顔を顰めたので、三人はわたしとセナが旧知の仲であることを察したようだった。動揺からか、衣更くんの腕の力が弱まり、その隙にセナは彼を突き飛ばすようにして拘束から逃げた。
それから、わたしをきつく睨みつける。彼の目には、怒りと、ほんの少しの困惑と狼狽。
「謝って」
まっすぐに見つめてそう言えば、彼はいっそう端正な顔を歪めた。それから、
「……余計なことしてないって、嘘ばっかり」
胸元の襟の乱れを直しながら、ぼそりと呟く。その表情が僅かに陰る。それを悟られまいとするように、彼は踵を返すと、「何もかもうまくいかないことを思い知って、さっさと戻っておいでよ、ゆうくん。いつでも大歓迎だからね」捨て台詞をつぶやき、逃げるようにその場を去った。
……弟みたいに、思ってたのに。
背後にいる遊木くんに一瞬目を向けて、誰にも聞こえないほどの小さな声で吐き出して。
「セナ!」
その背中を、追いかけようとして、やめた。今のわたしは、『Trickstar』の味方だから。
けれども、どうしよう。衣更くんは「二人は知り合いだったんですか」と困惑しながら問いかけるし、彼らに不安を与えているのは確かだった。
嘘はつけない。
だから、彼らと出会った日のことを話そうとして。口を開きかけたとき、
「そう。出会ったのは高校一年生の秋ごろだったかな。もう、長い付き合いになる。