白魔と呪い


 安置室の台の上で男が眠っている。凄惨な最期だったんだろう、顔中傷だらけで、左腕は肩辺りから見当たらず、脚には銃痕でいくつも穴があいてる。
 苗字夕暮。JCC時代の先輩で、殺連の上司でもあった。赤尾や坂本くん、僕と比べると実力は多少劣っていたけれど、ヘマをするようなひとじゃなかった。聞いた話だと、一般人と部下を守って重傷を負ったらしい。その状態でも任務は完遂して、それは殺し屋として正しいことだったのかもしれないけれど。素直に「おつかれさま」と思えなかったのは、彼に、生きて帰ってやりたかったことがあると知っていたからだ。
 もう一度、男の顔を覗きこむ。紫色に乾ききった唇は固く結ばれている。その口が、まだ動いて、「南雲」と僕を呼んでいたころを思い出す。寒さが日ごとに厳しくなる、十一月の半ばだった。


 任務帰り、いつのまにか寒くなった風をしのぐようにコートに顔を埋め、呼びつけられた居酒屋の個室に向かうと、すっかりできあがった夕暮くんがいた。面倒そうな気配を察知して一瞬ためらうも、ばっちり目が合って「お、南雲〜! 遅ぇよ」と手招きされては拒めない。しぶしぶ彼の向かいに座り、「飲みすぎじゃない」と尋ねる。「んなことねぇって」と笑う彼の目じりが少し赤かった。うん、完全に飲みすぎた。そこまで酔いやすい体質でもないはずなのに。

「奢ってやるから、好きなの食えよ」
「やった〜」

 もとよりそのつもりだったから、変な気遣いはしなかった。サラダ、から揚げ、フライドポテトにだし巻きたまご、焼きおにぎり。目につくものを頼む僕を楽しげな目で見ながら夕暮くんはまたビールを呷った。

「南雲〜、見ろ。超かわい〜だろ」

 運ばれた料理をつまんでいると、唐突に彼は写真を見せてきた。夕暮くんの隣に女の子がいて、嬉しそうにはにかんでいる。一瞬、彼女でもできて惚気話がはじまるのかと思ったけれど、写真にうつる夕暮くんは今よりも若く見えるし、なにより、二人の目元はよく似ていた。……もしかして。

「妹だよ」

 僕の考えていることを読み取ったようなタイミングで彼は答えた。宝物を見つめるみたいに、大切そうに目を細めながら。
 夕暮くんがポケットから煙草を取り出した。彼は赤尾に負けず劣らずのヘビースモーカーだった。お気に入りのジッポライターを軽やかに鳴らし、口に咥えた煙草に火をつける。「このライターも、妹からの貰いモン」自慢するようにこぼす彼に、僕はようやく口を開いた。

「妹、いたんだ。知らなかった」
「誰にも言ってねえからな」
「なんで」
「こっちの世界に巻き込みたくねーから」

 一般人か、と理解する。それと同時に疑問を抱いた。たしか夕暮くんの家系って、殺し屋だったような。
 ふっ、と小さな笑い声が聞こえた。見ると、夕暮くんが肩を震わせて、「今日の南雲は分かりやすい」とにんまりしていた。
 夕暮くんは、妹には殺しの才能がなかったこと、訓練に耐えられず泣いてばかりだったことなんかを饒舌に語った。そんな彼女を守るために、両親に「殺し屋界の最高峰に就くかわりに妹のことは見逃してほしい」と、そういう約束をしたのだと。そしてJCCに入学して以降、一般社会で生きる彼女とは敢えて距離をとった。

「今度、久しぶりに会うんだ。大事な話があるって連絡が来たから」

 ジョッキを片手に告げる彼は、そのまま机にうつ伏せになった。ひやりとした黒い机が、彼の火照った頬にぺたりとくっつく。「結婚の報告かもなあ」と彼は呟いた。嬉しそうで、でも、どこか寂しげでもある声色だった。
 ――見たいなぁ、あいつの結婚式。
 夕暮くんは、そう繰り返す。世界一綺麗なんだろうなぁ、って、それは結婚相手が言う台詞のような気もするけれど。「相手、どんなやつかな。オレよりあいつ大事にできんのかな。同業者だったら殺すけど……」酔った彼が紡ぐ物騒な言葉を流し聞く。同業駄目なのか、とぼんやりと思った。でもまあ、そうだよね。危険に晒したくなくて距離を取ってるのに、同業の他の男が近づいてるなんて、兄としては許せないか。

「今度っていつ?」
「クリスマス」
「一ヶ月後かぁ」

 と相槌を打って、はたと気づく。

「あれ。明後日からしばらくスイスで任務じゃなかったっけ。帰ってこれるの?」
「まあギリ間に合うだろ。つーか、よく把握しんなァ」
「お土産買ってもらおうと思ってたからね」
「あっはっは、任せろ、任せろ」

 腕を伸ばした夕暮くんが、僕の腕をばしばしと叩く。酔って力加減がうまくいっていないのか、いつもより痛い。
 相変わらず彼はご機嫌なまま、「帰ったら大事な話とか、ドラマなら死ぬよな」なんてけらけらと笑った。「何言ってんの、ドラマじゃないんだから」口をへの字にして否定するのに、夕暮くんは赤い顔のまま、「もしオレが死んだら、代わりに結婚式まで見届けてくれよ」なんて続ける。

「何言ってんの、やだよ。ほんとに酔いすぎだってば」
「酔ってねぇって」
「酔ってる」

 無意味な押し問答の数十分後、とうとう夕暮くんは酔い潰れて寝息をたてはじめた。珍しいこともあるもんだ。妹に会えるから、よっぽど浮かれていたんだろう。今まで黙っていたその存在を、誰かに自慢したくなるくらい。
 僕と比べると多少小さいものの、一般人からしたらかなりの巨体をタクシーに突っ込んで、夕暮くんの自宅まで向かう。夕暮くんの住まいは殺連が提供しているアパートだった。
 モノトーンで統一された、見栄えの良い部屋だ。任務でいないことが多いからか、部屋の中に荷物は少なく、すっきりとしている。ベッドの上に転がった冊子がやけに目立って、彼を寝かせるついでに取り上げた。スイスの観光雑誌と、時計やアクセサリーのカタログ。いたるところに付箋が貼っていて、遊びに行くんじゃないんだぞと少し呆れたけれど。でも、大事な妹に渡すプレゼントを選ぶくらいの楽しみは、あっていいだろう。
 夕暮くんは翌日、「やべ〜、頭痛ぇ〜」と酒ヤケした声で連絡を入れてきた。「迷惑かけたお詫びにいい土産買ってくるな」と言って、さらに次の日、スイスに旅立っていった。一ヶ月後、妹に会う日を待ち侘びていたに違いない。
 それが、よりによって、12月25日に遺体になって帰国。笑えないし、泣けもしない。


 外はすっかり暗く、もう夜だ。聖夜に浮かれる恋人たちは、街を彩るイルミネーションを楽しんで笑い合っているに違いない。ふと、夕暮くんの妹はどうしているんだろう、と思った。手作り料理が食える、と彼は喜んでいたから、もしかしなくとも、ずっと家で。

「南雲様」

 遺体の側で立ちすくむ僕を呼ぶ声がして、「何」とゆるりと振り返る。黒いスーツをぴっちりと着た男は、白い包装紙で包まれた箱を差し出した。

「……なにこれ」
「苗字様が部下に渡したようです。南雲様にお渡しするようにと。それから、ご伝言で……、『頼む』とも」

 その意味が分からないほど、鈍感ではなかった。
 あきらかに女性に渡す用のプレゼント。誰に? そんなの、決まってる。久しぶりに会うと言っていた、妹に。
 ……でも、頼むって言われたって、僕、妹が住んでるところも聞いてないよ。
 そう困ってすぐ、包装紙に僅かなズレがあることに気がついた。一度開封して、止め直したみたいな。
 安置室から出て、一目のつかないところで包みを剥がす。革製のいかにも高級そうなギフトボックスを開けると、きらきらした腕時計があった。その、時計を支えるクッションの下。潜り込まされていたのは、あの日、夕暮くんが僕に見せてきた写真だった。
 僕はそれをコートのポケットにしまい入れ、プレゼントを包み直す。
 写真があれば、名前から血液型、住所にいたるまで、殺連のデータベースを使って調べることができる。ほんと、ぬかりないというか、なんていうか。
 ため息をついて目を閉じたら、「もしオレが死んだら」という声が頭の中に響いた。いやに明るい声だ。

「代わりに結婚式まで見届けてくれよ」

 脳裏に浮かぶ夕暮くんは、ムカつくくらいに笑ってる。……ほんと、とんだ呪いを遺してくれた。

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