中央司令部内食堂で生ける屍と化し、口から魂が漏れ出たまま腰かけている女性がひとり。私だ。
 ここのところ仕事が立て込んでいる。期日までに犯罪グループSの実態を上司とともに調査し、それに関する大量の書類を書き上げ、上司や上層部からチェックをもらわなくてはいけない。それに加え、南部から異動してきた部下にここでの仕事の仕方をそばで教えながら、さらにはここキンブリー隊の経費に関する諸々の資料も作成する必要があるのだ。
 犯罪グループに関する書類の期日まで、残り三日間。進捗状況はゼロに等しい。奴らは尻尾を隠すのが上手く、なかなか決定的な証拠を見せない。このままでは、上司とともに失格の烙印を押されてしまう。
 このままでは、いけない。なんとかしなければ。
 そうは思うものの、平均睡眠時間が四時間である私が、最適解を導けることなんてなく……。
 こうして昼休憩に、軍部オリジナル 〜薄くて不味いコーヒー〜 とサンドウィッチをお供にして、ただひたすらぼーっと咀嚼する以外に方法はなかった。
 ああ……。どうしたらいいんだろう……。
「ずいぶんとやつれていますね、ラシャード少尉」
 隣、空いてますか? と続けられた声に振り返る。我らが上司・キンブリー少佐だった。
 少佐は腰を下ろして、軍部共通の薄いコーヒーと(南部のそれも薄いと部下が言っていた)、サンドウィッチの載ったトレイをテーブルに置いた。
 少佐は、なぜか毎日私と同じメニューで、なぜかいつも隣に座ってくる。
 ……いや、別にいいんだけどね。
「休憩時間なのですから、頭を切り替えては?」
「ええと……そうなんですけど、それがなかなか……」
「コーヒーが冷めますよ」
「あっ、そうですね……」
 そのまま、沈黙が生まれる。
 このひとは、仕事に追い立てられるという感覚がないんだろうか。いつ見ても涼しいカオをしているし、目の下にクマができているところなんて見たことがない。というか、逆にお肌も髪もつやつやだし、疲労どころかイキイキとした活力さえ感じられる。
 ……すさまじい精神力の持ち主だ……。
「なにか、私にできることは?」
 マグに口をつけた横顔のまま、さらりと告げられた。一瞬、戸惑ったけれど、気を遣ってくれてるんだろうか。
「あ、えっと、大丈夫です。お気遣いありがとうございます」
「水くさいですね。そんなに私には力がありませんか?」
「ああっ、そ、そういうことではなく……」
「冗談です。……大丈夫ですか?」
「大丈夫です」
「本当は?」
 蒼い瞳だけがスッと動き、私を捉える。「本当に?」ではなく、「本当は?」と尋ねられたのは初めてで、つい、本音がこぼれ落ちる。
「……あ……、甘いものが、食べたいです」
「甘いもの、ですか」
「中央通りに、アップルパイが美味しいと噂のカフェがあるんです。なんでも期間限定の催事ものらしく、今季を逃すと次はいつやってくるか分からないそうで……」
「終了予定は?」
「それが、今夜なんです」
 なるほど、と相づちを打った少佐は、ハムサンドをかじって一度だけ頷いた。私もなんとなくつられて、同じものを口の中に放り込む。
「では、今夜ご一緒しましょう」
「え、本当ですか!」
 一瞬、ぱあっと視界が明るくなったものの、すぐに現実を思い出す。仕事が山積みなのに、ふたりして優雅にお茶などしている暇なんてどこにあるのだろう。
「で、でも仕事が……」
「まだあと三日もあります」
「いや、三日しかないんですよ!?」
 私と少佐の考え方が真逆なのだと知った。そりゃあ、少佐のように考えられればストレスは減るけれど、そう悠長に構えていて大丈夫なんだろうか。
 どこぞの貴族なら許されるだろうけど、私たちはそんな立派なご身分ではない。
 やはり、身を削りに削って仕事をするしか――。
 少佐は脚を組み、少しふんぞり返るような姿勢でこちらを見た。
「では、上官命令です。ラシャード少尉、今夜、私とともにそのカフェに同行なさい。いいですね」
「え、ええ……?」
「いいですね?」
 少し圧のあるその声に、逆らえるはずもなく……。
 私は内心、ドバドバと冷や汗をかきながら、こくこくと頷いたのだった。


「おいし〜い!」
 ひとくちめを口に入れた瞬間、思わず大きな声が出た。それを見て少佐がくすくすと笑う。
「そうですね」
「おいしいコーヒーに、おいしいアップルパイ! はぁ〜、最高〜! ここが天国か〜!」
「ええ。苦いコーヒーと甘いパイの組み合わせは、なかなかに味わい深いものがあります」
 三角にカットされたアップルパイには、りんごがゴロゴロとふんだんに使われている。その横には、塩っ気のあるバニラアイスも一緒に添えられていた。
 それと、久しぶりに飲んだ濃いコーヒーとの組み合わせは抜群だ。司令部の薄い味に慣れてしまった舌が、「この味が欲しかった!」と喜んでいるような感覚さえある。
「あぁ〜、生き返ったぁ〜!」
「それは良かった」
「でも明日の仕事……はぁ……憂鬱……」
「そこでため息とは、美しくないですね」
 少佐に指摘され、すみませんと肩をすぼめた。完全に、無意識のひとりごとだった。
 ああ、仕事のことを考えずに、目の前の嬉しいことに全力投球できれば、どれほどいいか……。
 カチャリ、と音が鳴る。フォークを一旦置いた少佐は、「ご心配なく」と小声で切り出した。
「ついに奴らの根城を突き止めました。明朝、突撃します」
「え、本当ですか!? さすがは少佐です!」
 特定に難儀していた例の犯罪グループの居場所が、ついに分かったのだ。これで、仕事への不安度が半分ぐらい減った。
「ええ、ですから、今はこの貴重な時間を楽しみましょう。そして、今夜は明日に備えて早めに休むように。いいですね?」
「はい!」
 思わず反射的に敬礼してしまった私を、少佐はやはりくすくすと笑って目を細めていた。


 ――って、昨日はそう言っていたのに。
 翌朝のことだ。普段よりも早めに登庁したら、なんとすでに犯行グループは逮捕された後で、部下が始末書をいそいそと作成しているところだった。
 話によると、少佐は昨晩、ひとりで奴らの根城に乗り込み、なんの徒労もなくいとも簡単に捕まえてしまったのだという。
 そりゃあ、国家錬金術師の手にかかれば、一般人の逮捕なんて容易いものなのだろう。
 けれど、それにしても思うのは……。
「私も一緒に同行しようと思っていたのに……」
「その必要はありませんよ」
 私のひとりごとを、少佐は聞き逃さなかったようだ。複数枚の書類を目で追いながら、彼は続けた。
「貴女、疲れていたでしょう。休息を取らせるほうが先だと思いまして」
「しょ、少佐……」
 私のことを、心配してくれてたの……?
 確かに、昨日は少佐のおかげで、大好きなものを食べてリフレッシュできたし、肩の荷が少し下りたし、普段より早めに休むこともできた。だから、今日は比較的万全な状態で登庁できたのだ。
 思わぬ気遣いに、胸がきゅんと締めつけられる。
 そして、同時にこみ上げてくるのは、申し訳なさだ。
「ですが、少佐おひとりにご負担をかけてしまっては、元も子もありません……」
「構いませんよ。貴女には、今日からまた存分に働いていただきますから」
 そうして微笑みを浮かべて、私に書類を差し出す。その表情に悪意は読み取れず、期待のまなざしだけが注がれていた。
「頼みますよ」
「……はい! 頑張ります!」


 にぎわう食堂内で、いつものようにサンドウィッチを頬張っていると、「隣、いいですか?」と声が聞こえた。
 またいつものように、「どうぞ」と返事をしながら、腰を下ろしたキンブリー少佐に、先ほど注文したコーヒーを差し出す。
「おや、差し入れですか?」
「少佐、先ほどはありがとうございました。少佐こそ、お疲れだと思いますので、今晩はゆっくり休んでくださいね?」
 この不味いコーヒーに、美味しいパイは添えられない。
「で、あの、今度は私がなんでもおごらせていただきます! 少佐の行きたいお店、教えてください! どこでも大丈夫ですから!」
 だからパイの代わりに、ありったけのアイを添えて。
「……そうですか。では、お言葉に甘えて、どこがいいか考えておきましょう」
 そう言って目を伏せた少佐は、鼻歌でも歌い出しそうなほどご機嫌な横顔で、感謝のコーヒーに口をつけた。


Afterword

大遅刻ですが、ハガレンカフェ(スクエニカフェ)ありがとう記念です!
ちなみにこれは、上司部下シリーズの番外編になります。ふたりがまだ付き合ってない時代で、夢主がキンブリーさんのことを意識し始めたとき……かな。
(20221127)




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