※メリバ・死ネタ注意報(なんでも許せる方向け) 昔々、ペルセフォネという女神がいた。彼女は家族で仲良く暮らしていた。 ある日、父のゼウスは、娘を冥界の王ハデスの妃にしようと企んだ。彼はハデスを唆し、ペルセフォネが花を摘んでいるときに、ハデスに彼女をさらわせた。 ペルセフォネの母は怒り、世界中を飢饉に陥らせながら、娘を呼び戻してくれとゼウスに言った。ゼウスはハデスに訳を話し、ペルセフォネを解放するように命じた。 しかし……、ペルセフォネが冥界を離れる前、ハデスは彼女にザクロの粒を食べさせていた。死者の国の食べ物を口にした者は、冥界と縁を切ることができないのだ。 それ以後、ペルセフォネは、一年のうち何ヶ月かをハデスの妃として過ごし、残りの期間は上界で母と一緒に暮すことになったとさ……。 「――と、ザクロにちなんだ、こんな神話がありましてね」 キンブリーさんは、まるで目の前の本を朗読するかのように、すらすらと私に説明してみせた。 目の前には、デザートとして注文したザクロの実と、それを加工して作られたザクロソーダがある。 中央にあるカフェとしては、珍しいメニューだった。 「冥界の王ハデス、ですか……」 ザクロソーダをストローでくるくるとかき混ぜながら、私は率直な感想を言った。 「父親もそうですけど、ハデスは女神さまになかなか意地悪なことをしましたね!」 ぢゅー、と音を立ててストローを吸った。初めて飲むザクロソーダは、とても甘酸っぱく、シュワシュワと口の中で音を立てた。 「そうですか?」 「……え?」 てっきり同意が得られると思っていたのに、どうやらキンブリーさんは違ったようだ。 彼は、ソーダの前で指を組みながら、独特な意見を持ち出した。 「たとえ私がハデスでも、同じことをしますよ。好みの人間はそばに置いておきたい。自分のそばを離れていかないように……。誰しもがそうすると思っていましたがね」 ……分かるような、分からないような。 「理解していただけない?」 「うーん……独占欲、ってやつですか?」 「女性の貴女には理解に苦しむかもしれませんね」 「ってことは、男性のキンブリーさんはよく感じるんですか? その、独占欲を」 彼は、微笑みを堪えたまま、ゆっくりと頷いた。 「もし、貴女という女神が私のそばから離れるというのなら、迷わずザクロを食べさせるでしょうね」 「うわぁ!」 「その反対もしかりです。私がどこへ行っても、貴女は必ず連れて行きますよ」 「……そ、それじゃ私はずっと、キンブリーさんと一緒ってことですね……」 「ご名答」 昼間っからカフェの中でこんな照れる話になって、私は思わずうつむいた。顔、絶対赤くなってるし……。 スプーンを手に取ったキンブリーさんは、ザクロの実を器用にスプーンですくう。 そして、それを私に見せるように、スプーンを小さく持ち上げる。 赤くて、透き通っていて、まるで宝石のようだ。 「――ザクロは、不老長寿の薬とも言われていたようです。呼び方といい、この色といい、まるで賢者の石でしょう?」 賢者の石の話をするとき、彼はいつもとにかく楽しそうな顔をする。今も、例にもれずだった。 「じゃ、これを食べたら不老不死になれますね!?」 「ふふ、そうかもしれません」 「いっぱい食べます!」 「ええ、どうぞ」 和やかなムードが、ふたりの間に流れている。 私は彼の笑いを誘うために、張り切ってザクロの実を口の中に詰め込んだ。 ――この日から、ザクロを見ると、キンブリーさんを思い出すようになった。 一緒にザクロを口にしたことや、教えてくれた神話の話から、自然と連想してしまうようになった。 ある日、家の本棚に眠っていた植物図鑑を久々に開いた。 ザクロの花言葉は、『成熟した美しさ』、『優美』だった。これはまるで、キンブリーさん自身を示すかのようだ。 また、ザクロの実には『結合』という意味があった。結婚するふたりにぴったりだと書かれてあり、私とキンブリーさんの将来を想像してついニヤニヤしてしまう。 そして、ザクロの木には、『互いを思う』という意味があるようだ。一般的には知られていないであろう、素敵な言葉だった。 本当に、私が彼を想うように、彼も私を想ってくれていたら、いいのにな――。 ……なんて、ずいぶんのんきなことを考えていた。 ザクロに関するもうひとつの意味は、『愚かしさ』。 自分たちには関係のないことだと、読み飛ばした。なかったことにした。都合の悪いことには、いつも目を瞑るのだ。 ――そうして生きていたから、あの日、誰かに『愚か』だと嗤われても仕方がなかったのだろう。 彼に連れられて、中央のはずれの人里離れたある山に来ていた。木の影からずっと、戦況を見守っていた。 戦いの間、「危ないからここで隠れていなさい」と、彼が気をまわしてくれたのだ。 だから、私は知っている。 彼の、無惨な最期を。 「キンブリーさん!!」 私が走って駆け出したときにはもう遅かった。いや、私のような弱い人間が飛び出してきたところで、敵が彼を『捕食』する手を止めることはなかった。 子どもなのに、ただの子どもではなかった。影と目玉のばけものを自由自在に操る、賢い大人のような子どもの――ばけものだった。 「キンブリーさん! キンブリーさん!!」 「……なんですか、騒々しい」 子どもはゆっくりと振り返った。 そこにはもう、私の愛しい彼の姿はなかった。 「連れて行かないで! どうして!? なんでよッ!!」 子どもは怪訝な顔で私を見ている。まるで、行き場をなくした蟻を見るような冷めた目つきで。 「連れて行かないで……行かないでよ……!! っ、ああぁ!!」 なす術もなく、その場にくず折れる。胸は悲しみを叫ぶかのように痛みだし、止まらない涙は怒りの温度か、燃えるように熱い。 「耳障りな人間ですね。おまえも始末してしまいましょうか」 「……って」 「なんです?」 どんなことだって耐えてみせる。 過酷なイシュヴァール戦に赴いたあなたを待った。7年もの間、投獄されていたあなただって、辛抱強く待ち続けた私だから。 「……連れて、行って」 でも、あなたのいない世界だけは、それだけは、耐えられない。 「連れて、行って……! 彼の元に……私、も、連れて……行っ……!」 すがるように顔を上げた途端、目玉のついた無数の「影」が、私の体を掴んだ。 「ッ……!」 「……いいでしょう。下等に下等を極めた愚かな人間でも、少しは腹の足しになるでしょう」 子どもは口元に小さな笑みを浮かべ、舌舐めずりする。 「まあ、彼と同じ場所へ行ける保証は、ありませんがね」 その言葉を最後に、私の視界はまっ黒に塗りつぶされた。 それから、ずいぶん時間が経ったような気がする。 意識はあるが、まだ目は……開けられない。 聞こえてくるのは……、さまざまな人間の恨みや嘆きの声だった。復讐してやるとか、人間に戻りたいとか、もう終わりだとか……。少し聞いているだけで気分が悪くなるような、激しい負のエネルギーを放つ怨念の声だった。 もしかして、私も、この怨念になってしまったんだろうか? 彼に会いたいとか、彼がいない世界なんてとか、彼の元へ連れて行って欲しいとか……。湧いてくる自分の感情は、怨念たちのそれとよく似たものかもしれなかった。 そうだ、キンブリーさんは? 私は無事に、キンブリーさんの元に行けたの……? ようやく重いまぶたを開け、はっとした。赤い世界だった。そこに怨念たちが、まるで暴風雨のように激しく吹き荒れながら存在していた。 そしてそこに、彼の姿はなかった。 「うそ……」 自分の姿はまだある。私はまだ、怨念化していないようだ。いや、これから怨念化するのかもしれない。 けれど、そんなことはどうだってよかった。私は、彼の元に行きたかったのに、彼に会いたくて、自らばけものに懇願して命を捨てたのに、そこまでしても会えないなんて。 「そん……な……」 「――アヤさん?」 はっとして、振り返った。 探していたひとが、そこにいた。 「あっ、キンブリーさ「何故ここへ?」 キンブリーさんは私の声に言葉を被せ、眉間に皺を寄せながら、つかつかとこちらに近づいてくる。 再会をちっとも喜んでいないのが、よく伝わってくる。 「なぜ、って……」 「……『こちら側』に来てしまえば、もう、戻れませんよ。何故? 何故、こんなところまで来たのです? ひょっとして貴女、自ら命を絶って――」 同じことだ。ばけものに、喰ってくれと自ら願い出たのだから。 私がなにも言わずにいると、キンブリーさんは眉を吊り上げ、声を荒げた。 「貴女は馬鹿ですか!」 「だって……!」 「言い訳など聞きたくありません。だから私は言ったのです、危険な戦いになるから街へ戻りなさいと。それでも貴女は言うことを聞かなかった。だからせめて離れた木の影に隠れて、なにも見ず、聞かずにしゃがんでいなさいと、強く命じたというのに!」 「……分かってます、でも……!」 はあ、というため息が、彼の口から漏れた。 「……私の最期を見たんですか?」 嘘をつけずに、素直に頷いた。後は、震える小さな声しか、でなかった。 「そ、それで、いても立ってもいられなくなって……キンブリーさんの元に、連れて行ってって……あのばけものに……」 「全く貴女は――「だって! あなたがいなくなってしまったんだもの! 私を置いて行ってしまったんだもの!!」 今度は、私が彼の言葉を遮る番だった。 キンブリーさんは、眉間にシワを寄せたまま、静かに声のトーンを落とす。 「……何事も、想定外のことは起きるものです」 「どうして、どうして冥界に一緒に連れて行ってくれなかったんですか!」 「……冥界?」 「ザクロを……冥界の食べものを、食べさせてくれたのに……!」 「ああ、あの日の……。まさか、あんな神話を本気にしたんですか?」 「……っ!」 かあっと顔が熱くなる。 本気だった。たとえ、子どもじみていると思われようとも。 『もし、貴女という女神が私のそばから離れるというのなら、迷わずザクロを食べさせるでしょうね』 『その反対もしかりです。私がどこへ行っても、貴女は必ず連れて行きますよ』 確かにあの日、そう言ってくれたのに。 「……っ、どこに行っても、私を連れて行くって、言ってたのに……!」 耐えようとしていたのに、ついに涙が滲んでくる。 そんな半端な言葉を信じてここまで来たんですか? と、なじられてもなにも言えない。 馬鹿な女だ。愚かな女だ。自分でもそう思う。 けれど、私はそれだけあなたが好きだった。 それだけあなたを、今でも想っている――。 「……貴女には、『こちら側』に来て欲しくなかった」 落とすまいと思っていた涙がついに落ちたとき、ぽつり、と彼は呟いた。 荒れていた海が凪いだような静かな表情で、彼は続けた。 「たとえ私があの世界を去ろうとも、貴女さえ生きていればいい、貴女さえ生き残ってくれればいいと、それだけを願い、この怨嗟渦巻く場所で静かに佇んでいたというのに」 彼の言うことは、分かる。ありがたいとも思う。 けれど、私の頬に流れる涙は止まらない。だって、そんなの、納得いかない。 「だって! キンブリーさんのいない世界なんて! 生きていたって、しょうがないだもん……!!」 まるで、子どものように情けなく泣きじゃくる私を、彼は心底呆れたのか、もはやなにも言わなかった。 このまま見放されるだろうか。 それでも、それでも、私は――。 「……まったく」 二度目のため息が聞こえた。 「貴女は、本当に馬鹿ですね」 ぐい、と腰を抱き寄せられ、熱いくちびるが触れた。 「――っ」 予告もなくキスされ、私は戸惑いながらもそれを受け入れる。 口では馬鹿だなんだと言っておきながら、彼のキスは、格別に優しかった。 私を慰めるような、包みこむようなキスだった。 「……ふぁ……ぅ……ん……っ」 私はまた泣いていた。あやすように髪を撫でてくれる手が、背中を抱く手に、しみじみと感じ入った。 彼の、暴風雨のような激しい愛をひしひしと感じるから、涙はやっぱり止まってはくれなかった。 一度離れたと思ったら、またくちづけられる。酸素を吸って、また重ね合わせて、舌を絡めて……。 もう、なにも聞こえなかった。甘やかなこの時間に、いつまでも浸っていたい。 そうして、この愛が、いつまでも続くことだけを願った。 「……アヤさん」 名残惜しそうに、くちびるが離れる。 まだ体温が残るくちびるの前で、彼はささやき声で私を呼んだ。 「……もう離してあげられませんよ」 「……はい」 「覚えていますか? 私の独占欲は、常人のそれより強いと言ったことを」 「……っ、それって……」 あの日の会話を、覚えていてくれていたんだ。 ……そうか、彼は、なにも忘れていたわけじゃない。 彼は、ずっと私を愛してくれていた。 きっと、私と同じぐらいに……。 「永遠に、一緒にいましょう。この天国のような、冥界で」 そうして彼は、もう一度くちづける。 私は無駄な言葉を喉の奥に置いていき、ただ彼の愛に抱かれた。 悲しみ渦巻く怨嗟の中で、私たちふたりは、永遠に満たされていた。 そう、ずっと、ずっと……。 Afterwordパセラボタワー、京都・名古屋のお宿でのハガレンコラボカフェありがとう記念!(例のごとく遅刻) キンブリードリンクのザクロソーダと、怨嗟のドリンクカバーから着想を得たお話でした。おめでたいのになぜかはちゃめちゃのメリバになってしまった……(震) |