少女お断り





 爆風で飛ばされた瓦礫の破片が、坂を転げ落ちる乾いた音。……によく似た少女の呼び声が、私の背中に投げかけられた。
「あのう、突然すみません! あのっ、もしかして、キンブリーさんですか?!」
 目の前の見知らぬ少女は、有名人にサインでも求めるかのように目を輝かせてこちらを見る。出所して7年ぶりに市街を出歩く私の方は、彼女の姿に覚えはない。
「ええ……いかにも」
「うわぁやっぱり! あの時の、私を助けてくれたゾルフ・K・キンブリーさんなんですねっ!」
「……ケイ?」
 眉間に皺を寄せる私を気にもとめず、少女は興奮覚めやらぬ口調で身振り手振りを交えつつ思い出を語り始めた。
「もうずいぶん前の話なんですが、10年前セントラルの大通りで迷子になっていた私を、あなたが助けてくださったんです。ほら、あそこのブティックの通りです! キンブリーさんは泣きじゃくる私にアイスクリームをご馳走してくれ、母が迎えに来るまでそばにいてくださって……私、その節のお礼をずっと言いたくて!」
 記憶を遡るまでもなく、視察中に子どもに泣きつかれた夏の日の午後を思い出す。
 大声でママと叫ばれ、アイスクリームを強請られ、母親を探し回る羽目になった時は、やれやれこれが運の尽きかと思ったものだ。この子の泣き声自体は大層心地良かったのだが。
「ああ、もちろん覚えていますよ。あの時のお嬢さんでしたか。あんまり美しく成長されていたので一目見ただけでは分からなかった」
 なにせ十年前に一度出会ったきりなのだ。あやふやな記憶だとしても名と姿を覚えてもらえるのは気分が良い。
 ぽっ、と頬を染めた少女は、両手で赤みを隠すように包み、俯きながら小さな声で礼を言った。
「お嬢さん。私を覚えていてくださってありがとうございました。貴女のお名前を伺っても?」
「あ、はいっ。あたしっ、じゃなかった。私、アヤ・ラシャードって言います!」
「アヤさんですか。素敵な響きだ。胸に刻んでおきます」
 少女の瞳が熱に浮かされたかのように揺らめくのを見て、お喋りが過ぎたことにようやく気づく。これは早々に立ち去らなければならない、面倒なことになる前に。
「わざわざ声をかけてくださってありがとうございました。それではアヤさん、ご縁があれば、また」
「あ、待ってください!」
 一歩踏み出した足を止め、嫌な予感を感じつつ再度振り返る。少女はワンピースをぎゅっと握り、振り絞るような声で私を引き止めた。
「あたしと……これからも……会って頂けないでしょうかっ」
 二度目の運の尽き、だ。
「わがままなお願いだって分かっています! だけどあたしキンブリーさんともっとお話し……もしたいし、あなたのこと、もっと知りたいんです」
 少女は華奢な上半身を折り、律儀に頭まで下げはじめた。
 通行人が冷やかすような目で私たち二人を交互に見て、通り過ぎて行く。ため息を吐きたくなるのをぐっと堪え、早く顔を上げるよう彼女に促した。
 つまりは私と“そういう仲”になりたいということだろう。彼女には悪いが、それは時期尚早というもの。私の目には子どもにしか映らないのだ。せめてあと五年は辛抱してもらいたい。
「ええ、貴女にそう思って頂けるなんて光栄ですね」
「じゃあ……!」
「お気持ちは嬉しいのですが、私は仕事の関係上、じきにここを離れなくてはなりません」
「え、それっていつですか!?」
「天候が良ければ明日にでも」
 そんなあ、と落胆の色をありありと浮かべて少女は肩を落とす。だが嘘は一つも吐いていないのだ。
 適当に慰めてその場を離れようとしたが、彼女はへこたれることなく一瞬で復活を遂げた。
「あのっ、お仕事でどこに行かれるんですか!?」
「北方……ですが」
「あたしもついて行っちゃ駄目ですかっ。えっと、実は前から北へ一人旅したいなーって思っていたんです!」
「それは一人旅とは言わないのでは?」
「あっ」
 恥ずかしそうに口を覆う少女の思考は、やはり幼い。とってひっつけたようなおざなりな嘘が、大人に見破られないと本気で思い込んでいる。反対に嘘の上手い子どもに出会うと、過去の自分を見ているようで多少複雑ではあるのだが。
「アヤさん、ご家族が心配されますよ。私はいずれ中央に帰ってきますから、その時またお会いしましょう?」
「……っ、はい」
「良い返事です」
 くり色の髪を赤ん坊をあやすように撫でてやると、真っ赤になった彼女は一目散に走りだした。残された私は一人、呆気にとられつつ雑踏の中で小さくなっていく突風の後ろ姿を見送ることしか手立てがなく。
 一体なんだったのだ、今のは。

 幾千の灯りで構成された夜景も、戦場で散りゆく数多の命の煌めきには敵わない。
 私は中央の歓楽街で最も値の張るホテルの、スイートルームを利用することにした。長い刑務所暮らしからやっと卒業できたのだ、これぐらいの贅沢は許されるだろう。
 久々のワインを楽しみながら、サイドテーブルに置いた列車のチケットを眺めた。明日は八時発の汽車で予定通り北方へ向かう。傷の男とドクターマルコーの捜索もそうだが、上手くいけば村を一つ消せるのだ。久しぶりの仕事に腕が鳴り、自然と笑みが零れた。
 滅多にならないはずの電話も鳴った。部屋の隅で遠慮がちに震える受話器をとる。フロントからの呼び出しだった。仕方なくバスローブの上にコートを羽織り、呼び出しに応じて部屋を出る。おおかた、人造人間の嫉妬か軍上層部の人間だろう。

「あ、キンブリーさんっ!」
 なぜ、昼間の娘がここにいる?
「アヤさん? どうしてここに」
「ホテルに片っ端から電話をかけました! 明日じゃもう会えないと思ったので……。あの、やっぱりあなたと一緒にいたいんです」
 後方にはピンク色のスーツケースが見えている。まさか、本気でついてくる気なのか。
「……ご家族には伝えてあるのでしょうね」
「もちろんですっ! 張り切って旅を楽しんでこいって。ご迷惑をおかけしますが、しばらくの間よろしくお願いします」
 ぺこりと頭を下げる少女。怒りを通り越して呆れ果てた私はもう、ものも言えない。本当に、厚かましいにもほどがある。また子守りをさせる気か。
 ホテルマンが私の顔色を伺いつつ口を開いた。
「お客様、申し訳ございませんが当ホテルはただ今満室でして……」
「そうなの……お願いキンブリーさん、あたしも一緒にお部屋に泊まらせてください」
 深呼吸のような、深い深いため息が漏れた。

「うわぁああ〜! スイートルームすごーーい!」
 頭痛がする。ついでに耳も痛い。
「ひろーーい! 夜景キレーー!」
「静かになさい。シャワーは浴びて来たのでしょう? 明日は早いのですからもう寝てください」
「うふふふふっ、あはははっ、ベッドもふかふかぁ〜!!」
「話を聞きなさい、襲いますよ」
 ぴたっ、と彼女の動きが止まる。同時に無邪気な笑い声もぱたりと消えた。
 端から少女に手を出す気はないが、この安い脅し文句は予想以上に効いた。どうやら思春期の彼女にはこの手の荒っぽい台詞が効果的のようだ。
「私に手出しされたくなければ大人しく寝てください。いいですね、アヤさん」
 頬を紅潮させ、不服そうに眉を寄せる少女の肩までシーツをかける。用が済んで引っ込めようとした私の手首を掴んだのは、なんと彼女だ。
「……キンブリーさんだったら、あたし、いいですよ……?」
 ああ、この子には逆効果なのか。

 (三度目の運の尽き、ですか)


(了)20160127


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