それでも少女お断り





 北方行きの列車に揺られること数時間。
 アヤという昨日会ったばかりの少女は、私の隣で小さな寝息を立てている。全くお気楽なものだ。出所したばかりの人間がすぐ隣にいるというのに。
 だが、この時までは良かったのだ。私はまた、この思春期の少女に迫られるとは思ってもみなかった。

「だからお願いです、つきあってくださいキンブリーさん!」
「ですからお断りします、アヤさん」
 このやりとりを三十分の間で何度繰り返しただろう。宿泊先のノースシティホテルに到着するや否や、彼女は私の部屋に押し入ってきて、自分の熱意を一方的に押しつけ始めた。
「もう分かったんですあたし。運命の人はキンブリーさんしかいないって」
「それは早とちりというものですよ。第一、貴女と私は昨日会ったばかりじゃないですか」
「なっ、そんなことありませんよ! 昨日は十年ぶりの、運命の再会だったんですから!」
 運命の、再会。この年頃の娘は様々な偶然を「運命」と呼んで、その事実に酔いたがる。私は辟易していた。傷の男の足取りを掴み、早くここから出なければならないと強く感じた。
「……あたし、もう十五です」
「まだ子どもと言われても仕方のない歳です」
「キンブリーさんから見たらそうですけど、あたしよく大人っぽいって言われるんです」
「大人っぽいとは子どもを褒める言葉ですね」
 天真爛漫なこの少女、気立てはいいが少々困りものだ。「運命的」な告白を何度も受ける私の身にもなってもらいたい。
 私の返しが気に入らなかったのか、彼女は眉間をぎゅっと寄せて、私の腕にしがみつく。
「昨日も言いましたけどあたし、キンブリーさんだったら何されてもいいですから!」
「……本気で言っているんですか?」
「本気です」
 どうやら嘘ではないらしい。ならばこちらも、正々堂々とその要求に応えなければならない。
 私は浅いため息を吐きながら自分にしがみつく彼女の手を解き、白いベッドの方へと優しく、それでいていささか乱暴に彼女の肩を押した。
 押し倒された彼女は状況が良く読めていないのか、私の影の中で目を瞬かせていた。
「キスのご経験は?」
「っ、あります」
「そうですか。では」
 文句は聞き入れませんからね。
 そう言って私は、ぎゅっと目を瞑る彼女の小さな顎を掬い上げ、己の唇を少女のそれに重ねた――ふりをした。
「え……?」
 唇に触れたのは二本の指。彼女も、その感覚がおかしいと感じたらしく、目を開ける。
「キンブリーさん? ねえ……」
「何です?」
 私の冷やかな声の調子に、彼女はごくりと唾を飲んだ。どうして、という言葉を飲みこむ代わりに、懲りずにとんでもないことをせがんできた。
「じゃ、じゃあキスはもういいです。でもその代わり……」
 優しく、してください。
 彼女は確かにそう言った。
 解放しようと思えばできる。しかし少しは彼女を懲らしめなければ、また同じことの繰り返しになるだろうと直感した。
「優しく? 笑わせないでいただきたい」
 私が笑みを湛えて言うと、彼女はハッと息を飲んだ。
「貴女はご自身の性を、身体を、搾取されるのですよ。心無い男によって」
 面食らった様子の彼女は一瞬、怯えた表情を私に見せた。彼女は固く目を瞑り、一束の長い髪を触られるがままになっている。
「アヤさん。貴女はそれで良いのですか?」
「や……です」
「それで良い」
 私は笑みを貼りつけたまま、さらさらの髪から手を放した。
「ましてやそんな男に貞操を奪われたくはないでしょう。やめておきなさい。自分を大切にすることです」
「キンブリーさん……」
 元より少女とどうこうする気はないのだ。彼女もこれで良い教訓になっただろう。
「……あと二年待ってください」
「は?」
「あと二年待ってくださったら、あたしきっといい女になってます。だからその時は」
 俯いた少女は、意を決したかのようにはつらつとした顔を上げた。
「その時は、私のことを好きになって、私をキンブリーさんのお嫁さんにしてください!」
 沈黙が流れる。もう、何を言えばいいのか分からない。彼女は何を言っても全然懲りていないようだ。
「……貴女もとことん往生際が悪いですね」
「だって、好きなんだもん」
 屈託なく笑うその笑顔が眩しい。得体の知れぬ男にやすやすと好意を示せることが、私には理解できない。
「アヤさん、今日のところはもう自室に戻ってお休みなさい」
「ええ!? やだ、もう少し一緒に――」
「アヤさん」
「うっ、でも……」
 なおも食い下がる彼女の手首を掴み、自分の腕の中へと引き寄せる。突然黙ってしまった初心な少女の小さな耳に向けて私は呟いた。
「二年後、楽しみにしています。ですから今日はお休みなさい、アヤ」
 軽い挨拶代わりのキスを愛らしい頬に送ると、彼女はこくこくと首を動かし、熱に浮かされた人形のようにして、やっと部屋から出て行った。
 嘘はついていない。あの子の将来は若干楽しみでもある。あれだけの情熱が私でない何かに向けられた時、あの子はどのような成長を遂げるのだろう。
 これではまるで親心だ。そう思った時、自分にはまだ子どもがいないことに気づいて、何の気なく両肩を上げた。

(まだ早すぎますからね)

(了) 20160530
(改)20180430


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