天使の仮面





 コートのポケットに手を入れれば、右手の甲にころんとした硬いものが当たる。小さな犬の置物、名はジェイだ。
 それを贈ってくれた少女Kは、心なしか不機嫌な様子で私の隣を歩いている。何か気に入らないことでもあったのだろうか。まあ、いい。放っておけばそのうち直るだろう。
 私はネクタイを整え、ドアを開けた。
「や、どうも。鋼の錬金術師殿に面会お願いします」
 帽子を取り、牢の中で繋がれているエルリック兄弟に挨拶をする。彼らは露骨に嫌そうな、もとい胡散臭そうな顔をこちらに向ける。どうやら私は嫌われているらしかった。
「あんたたち、せっかくお父さんが会いに来たのに、その顔は一体なに?」
 少女が片方の頬を膨らませ、腕を組んだ。
 純粋に見えた少女だが一転、年の近い二人には少々強気な態度をとっている。それは単に機嫌が悪いせいなのか、私を庇ったつもりなのか、はたまた牢に繋がれた彼らを蔑視してのことか――。
「うっせえファザコン女!」
「なによアリンコ囚人!」
「んだとコラァ!」
 彼女の言葉に、鋼のが歯をガチガチと鳴らし、拳を震わせて怒り狂っている。その横で弟が慰めているがあまり効果はない。
 その辺にしておきなさい、と少女を後ろに下がらせ、兄弟に笑顔を作る。
「まあいい、今日はエルリック兄弟に客人を連れて来ました」
 疑問符を浮かべる彼らの前に、カツンと靴音を鳴らして来訪者が進み出る。再会に笑みを浮かべるウィンリィ・ロックベル嬢、反対に青ざめる兄弟のコントラストが面白い。
「なんで来たんだよ!」
「なんでって……北国用機械鎧に付け替えるんでしょ!」
 そこからはロックベル嬢と兄弟のスピーディーな会話がなされた。軍から連絡をもらってここまで来たが、どうして牢に入っているのか、と問う彼女に対し、兄弟は上手く話をごまかしている。しかし、いつまでも話が尽きそうにないので、間に割って入った。
「まあまあ落ち着いて皆さん。聞くところによると、鋼の錬金術師殿は北国用機械鎧に換装していないというではありませんか。そのことを大総統に話したら気にかけておられましてね。こうしてロックベル嬢を手配してくださったのです」
 後方から彼女の両肩を掴み、兄弟を牽制するように告げる。
「お二人とも、大総統閣下がたいそう心配していましたよ」
 彼らは歯を食いしばり、切羽詰まった表情でこちらを見ていた。

 ――今から数時間前のこと。
「お待たせしました。私、ゾルフ・J・キンブリーと申します」
 マイルズに車を出してもらい、少女とともに麓までロックベル嬢を迎えに行った。中央軍から派遣されてきた私の部下たちが、ロックベル嬢を厳重に警備していたので、彼女には少々堅苦しい思いをさせてしまったかもしれない。できるだけ丁重に挨拶をした。
 後部座席に少女、私、ロックベル嬢の順で座った。以前、レイブン中将と乗車したときのように、少女がまた変な気を起こさないか少々気になる。彼女はロックベル嬢に、私の娘だと簡単な自己紹介をして、すぐに口を閉じた。
「ロックベルさんといえば、リゼンブールの方ですよね?」
 彼女にそう問えば、知っているんですか、と返答があった。そのことは大総統閣下から聞いていた。
「お嬢さん、貴女のご両親はイシュヴァールで命を落とされた医者夫婦ですね?」
 彼女は首肯した。やはり、そうだったか。
「ご両親の遺体を収容したのは私の隊でした。あと一歩間に合わず、私の隊が現場に着いたときにはすでにイシュヴァール人に……」
「そうですか……」
 彼女は、さざなみのたたない水面のように静かな表情で、かすかに視線と声を落としていた。
「医の倫理に従って最期まで意思を貫き通した方々でした。生きているうちにお会いしたかった」
 これは嘘でも偽りでもない、私の本心だ。偉業を成しえた彼らには、心から敬服している。私もそんな最期でありたいものだ。意思を貫き通し、一本筋の通った生き方で最期を迎えたい。
「写真を、可愛らしい娘さんと一緒に写っている写真を、大切そうに持っておられました。そのお嬢さんが貴女ですね?」
 胸に手を当て、微笑みを彼女に向ける。
「お会いできて光栄です。ウィンリィ・ロックベルさん」
 雪降る夜道を車は走っていく。寂しそうに微笑む少女アヤの口もとが、ルームミラーに映っていた。

 そうして砦に到着し、ロックベル嬢とエルリック兄弟を再会させた。最も、これは兄弟を牽制している訳である。大総統の目が光っていることを彼らに理解させ、良からぬ行動を起こさぬようロックベル嬢を人質にしておく。彼女は我々の手の内なのだと、知らしめるためにも。
 つまりこれは、感動の再会でもなんでもない。自分がそのような状態に置かれていることに、ロックベル嬢はまだ気がついていないが、知らぬが仏だろう。いずれ知ることになるかもしれないが。
 鋼の錬金術師が北国用機械鎧に換装するため、私と少女、そして鋼のとロックベル嬢は、機械鎧整備室に向かっていた。ちなみに弟のアルフォンスは牢から出していない。兄弟二人がともに何か企んでもおかしくないからだ。彼らはそれだけ看過できない存在、二人揃って野放しにはできない。
 私は、鋼のが余計なことを喋らないように見張り役として同行する。少女は別について来なくても良いのだが、やはり私と一緒にいるという。彼女の機嫌はまだ直っていないように見えるが、どうして部屋で大人しくしていないのか。
 ロックベル嬢が気遣う素振りを見せて、遠慮がちに少女に尋ねた。
「あの、アヤちゃん? さっきからなんだか様子が変だけど、何かあった?」
 鋼のが吐き捨てるように言う。
「へっ。どうせウィンリィに大好きなオトーサンをとられたから、不愉快になっただけだろ」
 ちらりと振り返ってみると、少女は下を向いている。よく見れば、顔が赤いような。
 そんな少女の腕を、鋼のが肘でつつく。
「おっ? 図星か?」
「ち、違うわよ! 不愉快なんじゃなくて、その、ちょっと寂しくなっただけ」
「当たりじゃねえか。キンブリーさんよお、お宅の可愛げねえ娘が拗ねてるぞー」
 咳払いを二つ。そうか、原因は私だったか。それにしても面倒な話を振られたものだ。私は笑顔を貼りつけた。
「長く家を空けていたとはいえ、こんなに好かれるとはありがたいことですね」
 後ろの少女は、赤い顔のまま無言でじっと私を見つめてきた。構って欲しさにアピールしているのだろうか。いよいよ面倒なことになった。
 私はそれに気づかぬふりをし、視線を正面に戻した。人目のあるところで彼女が何か言い出して、親子でないことが露見しては困る。
 何も言わないでいると、少女は久々に努めて明るい声を出した。
「ウィンリィちゃんごめんね。私子どもだから、キン……お父さんと仲良く喋ってるのを見ると、なんだかモヤモヤしちゃうんだ」
 不機嫌になったり寂しくなったりと、彼女は拗ねると気分がコロコロ変わるようだ。同年代のロックベル嬢に嫉妬心を燃やすのは、普通のことなのだろうか。好かれるというのも、困りものだ。
「いいのいいの! キンブリーさん、長いこと一緒にいなかったんだよね。そう思っちゃうのも仕方ないよ」
「ウィンリィちゃん……」
 隣の鋼のがまたしても少女をからかう。
「じゃ、こいつはファザコン女で決定だな!」
「アリンコ囚人うるさいわよ!」
「ちょっ、エド、あんたアリンコ囚人って呼ばれてるの?」
「ち、ちげえよ! 今のはだな……!」
 ロックベル嬢の愉快な笑い声と、鋼のの狼狽する声が廊下に響いていた。さて、いつまでこうして賑やかなやりとりができるだろうか。

 簡易ベッドに横たわった鋼の錬金術師の機械鎧の右手を、ロックベル嬢が丹念に見る。スパナやらソケットレンチやら作業工具を取り出し、機械鎧を外していく。その手さばきはさすが、技師といったところだろう。素早く、確かなものだった。
 私と少女はコーヒーを一杯ずつもらって、大して美味くもないそれに口をつけていた。少女はココアのような甘いものを好むからか、ブラックのそれを本当にちびちびと眉根を寄せながら飲んでいる。そんなに不味いのならば飲まなければ良いのに、せっかく金を払ったから意地になっているようだ。
 牢に入っているのはなぜか、とロックベル嬢が鋼のに尋ねる。単なる手違いだ、すぐに出られるよう手続きをしておくと彼の代わりに彼女に告げると、嬉しそうに礼を言い、こいつらのことをよろしく頼むと言ってきた。
 素直で良い子、とは大総統から伺っていた。なるほど、愛想が良く純真で、人を疑うことを知らない。確かに「素直な良い子」だ。兄弟の弱みになったのも頷ける。
 ところで、こちらの少女はどうだろう。アヤは、純粋なのか腹黒なのか、いまいちはっきりしない。純粋そうに見せかけておいて実は、というのはよく見られるパターンだ。絶えずともにいるが、まだその芯の部分は不明瞭、演技なのかそれとも素なのか、やはりはっきりしない。
 唯一、鋼のと話すときだけは、勝気そうな一面を見ることができたが、あれが素顔なのだろうか。ということは、私の前では純粋無垢な天使の仮面を被っていることになる。なかなかしたたかだが、気に入られようとする人間の前では誰でも愛嬌を振りまくものだ。ひねくれ者の天邪鬼以外は。
 こちらを見た少女と視線がかち合う。彼女は、えへへと無邪気に笑って、距離を詰めた。私も同じく笑い返す。
 単に目が合ったから笑っただけなのだろうか。計算高い彼女は、今何を考えているのだろう。
 突然、鋼のが奇声を発し、ベッドから転がり落ちた。顔を真っ赤にし、なぜか分からないが元素名を口にし、ひたすら喚き始めた。そんな彼を見て、ロックベル嬢がぽつりと呟く。なんでこんな変なのに惚れたんだろ、と。
 少女が目を輝かせて、私の袖を引っ張る。今の聞いた? と言わんばかりに。
 呟きが聞こえず聞き返した鋼のに、ロックベル嬢は何でもないと言って、機械鎧の神経を繋ぐ。彼が痛みに耐えきれず、再び奇声を発する。ああいう場面を見ると、機械鎧はごめんだと感じる。
 ようやく、鋼のの機械鎧の換装が済んだようだ。彼が動作確認をしていると、奥のカーテンから大柄の男――確かバッカニア大尉と呼ばれていた――が出てきて、自身の機械鎧の自慢を始めた。ロックベル嬢は、鼻息荒く彼の機械鎧を眺めている。彼女のような可愛らしい少女が鋼のの整備師だと聞いたバッカニアは、怒りに任せて鋼のを殴り、その場から去った。
 北国用機械鎧は面白いと嬉しそうに呟くロックベル嬢を見て、今度は別の整備師が自分の仕事場を見ないかと誘いかけた。
 鋼のが、あんまり浮かれて動き回るな、と彼女に忠告する。彼女は分かったと返事をし、メモを取るほど熱心に整備師の話を聞いていた。
 こういう、一生懸命な姿を見るのは、良い。
「ご両親に似て仕事熱心ですね。とても私の好みです」
 鋼のにそう語りかければ、目を見開き無言でこちらを凝視してきた。何かとんでもないものを見る視線とともに、「手を出すなよ」という怒りもかすかに感じられる。隣の少女はというと、今にも襲い掛かってきそうなほど首を伸ばし、口を半開きにして瞠目している。恐らく「ロックベル嬢が好みだったなんて」という驚きと落胆が入り混じっているのだろう。
 私は二人に微笑む。
「ああ、ご心配なく。私、ロリコンの気はありませんから」
 その一言に、少年はホッと胸を撫で下ろし、少女はがっくりと膝をついた。彼女には悪いが、本当なのだ。仕方がない。
「さて、ウィンリィさんのおかげで無事に換装も済んだことですし」
 私は靴音を鳴らし、鋼のに向きなおる。
「これで私も安心です」
 金の瞳が訝しんで私を見る。私は薄く笑みを浮かべた。
「仕事の話をしましょう。鋼の錬金術師殿」
 そう、無駄なおしゃべりはもうお終いだ。




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