Love is blind





 ブルドーザーの騒音と、鉄骨同士がぶつかる金属音が響く。私と愛娘の少女K、そしてマイルズ少佐は、地上で行われている工事の様子を二階から見物していた。
 下から何やら声が聞こえる。先遣隊がまだ中にいるのになぜ穴を塞ぐのか、と抗議する軍人の声だ。それに対しアームストロング少将は、黙って従え、と一蹴している。
 難攻不落“ブリッグズの北壁”は権力に屈した。レイブン中将の指示通り、例の人造人間をトンネルに戻し、元通り穴を塞ぐそうだ。
「まぁその方が賢いやり方です」
 黙って力に従えば、下手に反抗するよりもずっと、生き残る確率は高くなる。そう、生き残れば勝ちなのだ。この国では、この世界では。
 ふと腰に違和感を覚えた。見れば、私の腰辺りのコートの生地を、少女が引っ張っている。
「あのお姉さん、ひどいよ。だってまだ中に人がいるんでしょ、そんなのって……」
 彼女は嘆いて私の顔を見る。視界の隅のマイルズは、少しだけ俯き、中指でサングラスのブリッジをくいと上げた。
「アヤ、部屋で休みますか」
「ううん、いいの……」
 そのとき、ゴォン、と唸るような大きな音が聞こえた。大型エレベーターが到着したようだ。中からうつ伏せの状態で運ばれてきたのは、巨人だった。普通の人間の何倍もある身長、同じく普通の人間の何倍もある横幅、そして岩肌のようにごつごつした筋肉。
 あれが噂の、人造人間。
「お父さん、あれは、人なの?」
 怯えた少女の呟きは正鵠を射ていた。確かに人ではあるが、人ではない。人間と形容するにはあまりにも――美しくない。
 やがて彼は目覚め、起き上がり、愚鈍な口調で自分が置かれている状況を問うた。レイブンは、人造人間を「スロウス」と呼んで話しかける。仕事を成し遂げるように「プライド」から言われているのだろう。そう語りかけるとスロウスは、巨体を揺らして地下の穴に戻り、面倒くさいと独りごちつつ素手で土壁を掘り出した。
 レイブンは言った。こいつはドラクマのスパイではなく、この国をさらに強大にするために働いている合成獣だ。これは極秘の作戦である。君たちは秘密を分け合った同志だと。
 彼の芝居がかったように両手を広げる仕草、柔和な顔の下に隠していた冷淡なまなざしを、少女はただ怯えた横顔で見ていた。

 大総統への報告は済んだ。受話器を置き、マイルズと少女の元へと戻る。しかし、少女の姿は見当たらなかった。
「お待たせしました。娘は?」
「お手洗いだ」
 確かここから左手すぐのところにあったはず。それくらいならば案内がなくとも迷うことはない。
「……ずいぶんと小まめに電話をしているじゃないか」
「まぁ一応仕事を任されてここに来てますからね。そうそう、レイブン中将はどこですか? 話しておくことが……」
 マイルズは沈黙した。やがて重々しい声音でこう告げた。
「瀕死の重傷だった貴様がその日のうちに全快してここに現れた。レイブン中将とともにな。どんな魔法を使った?」
 サングラスに隠された紅い目は、さぞかし疑心に満ちていることだろう。だが、これは答えなくとも良い質問だ。
「貴方には関係のないことです。レイブン中将はどこです?」
「待て。まだきたいことがある。そもそも上官殺しで刑務所にいた貴様が、なぜいきなり出所できた?」
「言ったでしょう? 貴方には関係のないことだと」
 何度訊いても答えは同じこと。私は薄く笑みを浮かべて、黙る彼と視線を交わした。
 少女はまだだろうか。もうじき帰ってきても良い頃だが。私は壁に背中を預け、腕と脚を組んだ。
 マイルズがまたもや口を開きかける。彼が新たな疑念を口にする前に、先手を打った。
「なんです? ずいぶんと必要以上につっかかるじゃないですか」
 横目で彼を見る。表情らしい表情を浮かべていない。
「貴方がイシュヴァール人で、私が内乱で活躍した国家錬金術師だから? 貴方、どうすれば満足するんです? 謝罪? 賠償? いやいやそんな上辺のもので満足するほど、同族たちの死は軽くないでしょう。それとも同族がどんな死に方をしたのか知りたいと?」
「……だまれキンブリー」
 マイルズのこめかみに精脈が浮き出ている。私は内乱のことを思い出し、自然と口端が上がった。
「ああ、それなら包み隠さず鮮明に話せますよ」
「だまれと言っている!」
 たまらず声を荒げた彼。私は返事をする代わりに両肩を上げた。本当に彼に話してしまえば面白いことになっただろうに。残念だ。
 ガチャリ、とドアの開く音がした。出てきたのは少女と見知らぬ軍人だった。軍人はマイルズを呼び出し、彼はこの場から一旦出て行く。代わりにこちらに少女が来たのだが、何やら顔が青白い。
「アヤさん、どうしました? ご気分が優れませんか」
 もしかして、先ほどの会話を聞いていたのだろうか。
「……ごめんなさい」
「何がです?」
 俯く彼女の手がわなわなと震えている。
「アヤさん?」
「ごめん、なさい。さっきの話、聞いちゃい、ました」
 ああ、やはり。
 上官殺しの罪で刑務所にいたこと。イシュヴァール殲滅戦で多くの命を奪ったこと。そして今、イシュヴァール人の死に方をつまびらかに話そうかと卑劣な煽り方をしたこと。
 彼女は全てを知ってしまったようだ。知ったのならば、仕方ない。もともと隠すつもりはなかったのだ。彼女が私を嫌悪しようと、詰ろうと、悪罵しようと、好きにすれば良い。ここで縁が切れたとしても、それはなんらおかしくもない。自然なことだろう。
「キンブリー、さん」
「何でしょう」
 彼女の次の言葉を待っている、そのときだった。
「キンブリー」
 ドアを開けて私を呼ぶのはマイルズだった。レイブン中将の姿が見えないそうだ、と彼は言う。
 砦は素人が歩き回れるほど安全な作りではないのに、と中将を心配する彼に、私はむしろありがたい、と言ってやった。というのも、レイブン中将に何かあった場合、私個人の意思で自由に動いて良しと、大総統から許可を得ているからだ。
「さて、と。用事があるので麓まで車を出していただけますか、マイルズ少佐」
 これから大切な客人を迎えに行かなくてはならない。私は歩き出し、振り向いて言った。
「分かりますか? 今や私の行動は大総統の行動に等しいということです」
 さあ、車を。
 私の声に気おくれしたマイルズと、隣の軍人。「弱肉強食」がここの掟だと聞いた。力に従うといい。良いように使ってやろう。
 さて、なおも俯いたままの少女はついてくるだろうか。それは、私の知ったことではないが。

 出発はニ十分後だ。青ざめたままの少女を体調が優れないということにして、部屋まで送った。私も身支度があるので隣室に入ろうと、ドアノブを掴んだときだった。
「待ってください」
 引き留めたのは少女だった。
「少しだけ、お話してもいいですか」
 その声は震えている。語尾は消え入りそうなほど弱々しいものだった。
「ええ、構いませんよ」
 彼女の部屋は、私に与えられた部屋よりも二畳ほど狭かった。テーブルにはピンクと透明のマニキュア、空のマグカップが並んでいた。
 少女は椅子に座り、彼女と対面する形で私も席に着いた。視線を落としたまま、唇をきゅっと引き結んでいて、喋らない。話したいことがあるから私を呼んだはずだが、永遠と沈黙が漂い続けるような錯覚に見舞われた。
 秒針の移動する音が、沈黙を数えるように鳴っている。秒針が二十を数えたとき、彼女はやっと、声を発した。
「さっきのお話、本当なんですよね」
「嘘偽りはありませんよ」
 少女の喉がごくりと動く。テーブルに隠れて見えないが、膝の上の両手は硬く握られているかもしれない。
「言ったでしょう、私は貴女の考えているような人間ではないと。これに懲りたのならもう、大人しく中央へ帰りなさい」
 彼女は何も言わない。私は脚を組み、低い声音で呟いた。
「すぐに支度なさい。麓まで送って差し上げますから」
「待ってください、まだ話したいことが……」
 これ以上何を話すというのだろう。話すことなど、もう何もないではないか。
「わ、分からないんです」
「……何がです?」
「自分のことが」
 私は息を浅く吐き、しばらく続くであろう彼女の頼りない陳述に耳を傾けた。
「さっきの話が本当って聞いて、キンブリーさんがとっても怖い人に思えたんです。今だって、手が震えるくらい……」
 当然の反応だろう。特に、軍人でもない一般人の、十五の少女ならば。
 彼女はぎゅっと目を瞑り、肩をすぼめて言った。
「でも、怖いって分かってるのに、キンブリーさんと離れるのは嫌なんです」
 その点が理解できない。なぜ。
「十年前、迷子になっていた私を助けてくださいました。満室のホテルで同室に宿泊させてもらったり、大好きなココアをくださったときもありました。ここに来るときだって、わがまま言って同行させてもらいましたよね。たくさんたくさん、優しくしてもらいました」
 彼女は顔を上げた。その瞳は、心なしか潤んでいるように見えた。
「その優しさが嘘だって思えません。私の知ってるキンブリーさんは優しい人です。やっぱり、今さら嫌いになんてなれません!」
 秒針がカチコチと音を立てる。再び、静寂がこの場を支配し始めた。
 純粋、ひどく純粋な子どもだ。いや、違う。恋慕の情は、善良でない人間の印象さえも大きく捻じ曲げてしまうらしい。
 彼女は想い人をなんとか受容しようと、私の罪や欠点さえも飲みこもうと躍起になっているにすぎない。自分で自分を言い聞かせているのだ、この男に好意があるのだと。嫌いになどなれないと。
 なるほど、恋は盲目とは上手く言ったものだ。まさに彼女は何も見えていない。彼女が見ているのは、理想という名の私の幻影だ。
 そもそも私は彼女に優しくなどしていない。彼女の無理難題を仕方なく聞き届けただけだ。ココアを渡したのも、単に私が飲みたいものではなかったから。同行を許したのは、許すまで駄々をこねると分かっていたから。
 笑わずにはいられなかった。
「はははは!」
 おかしい。とても滑稽だ。どうして分からない?
「私のどこが優しいと言うんです」
 冷ややかな声に、彼女はびくりと体を震わせた。
「人当たりの良さそうな人間を演じているからでしょう? 物分かりの良さそうな人間の皮を着ているからでしょう? 貴女、騙されているんですよ」
 黙ると思った。彼女はそこで沈黙を選ぶと思った。
 しかし、少女は声を発した。弱者に手を差し伸べるときに浮かべるかのような、やわらかな笑みを浮かべて。
「それでも私は、嬉しかったです。優しくしてくださったことが、とても嬉しかったです」
 ああ。
 まだ唱えるのか。優しいなどという、嬉しいなどという、ぬるい言葉を。
 ――だが、存外悪くない言葉だと一瞬でも思ってしまった自分がいる。ずいぶんと彼女の善なる影響を受けているのだろう。いい大人が子どもに感化されるとは。
 私はふっと息を吐き、少しだけ笑んだ。
 悪くない。
「さて、時間です。私は車で麓まで降ります。すぐに帰ってきますから、ここでおとなしく……」
「離れたくないです」
 きっぱりとした口調だった。その台詞はさっきも聞いたが。
「短い留守番もできないと?」
「だめですか……?」
 問答している間に時間は過ぎていく。正直、妥協するのはもう慣れた。
「お好きなように」
 少女は、ぱあっと顔を輝かせた。
「やったあ!」
 ガタリと席を立ち、小さくバンザイをする彼女を見ていると、もしかすると彼女の方が一枚二枚上手なのかという気持ちになる。
「行きはつまらないかもしれませんが、帰りはマシかもしれませんね。客人は、貴女と同じ――」
「行きも帰りもキンブリーさんと一緒なら楽しいに決まってます!」
 鼻息荒く告げる彼女に、乾いた笑みがもれた。
 少女は、どこまでも盲目だった。
 いや、そのような演技をしていただけかもしれないが、それは私が知るよしもないことだ。




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