アルコールとパンケーキ


※ 名前変換での「夢主2」のキャラが登場します

 スヴァトヴィートは自身の長い黒髪を耳にかけ、ぐっとグラスをあおった。ごくごくと音が鳴るほどの清々しい飲みっぷりを見て、ラシャードは思わず目を奪われ、小さな拍手を送る。
 しばらくしてグラスを置いたスヴァトヴィートは、口の端についた泡をぺろりと舐めて薄く微笑む。
「さ、今夜は語ろうじゃないかラシャード。もちろん友人同士として、な」

 ソフィア・S・スヴァトヴィート准将には、アヤ・ラシャード少尉と他四名の部下がいる。その中でも最も信頼し、相性が良いのがラシャードだった。ふたりは勤務後の「ちょっと一杯」をスヴァトヴィートの家で楽しむほどには仲が良かった。ふたりを引き合わせた人物がこの場所にいなくとも、彼女たちは心から笑い合うことができた。
 スヴァトヴィートのかつての部下である、ゾルフ・J・キンブリーとの間で適用されたあるルールが、そのままラシャードにも引き継がれている。「プライベートで飲むときは友人同士」。この親しみの滲んだ約束事がラシャードの心を軽くさせ、ふたりの距離を縮めていた。
 雑談と仕事の愚痴が酒のアテになる。会議好きのお偉いさんのおかげで仕事は溜まる一方で、とてもじゃないが終わらないとふたりでため息をついた。それからセントラル大通りに最近できたビアホールの、黒ビールとそこのソーセージの盛合せが意外と美味くてハマっている、というスヴァトヴィートの話。そして、癒しが欲しいので犬か猫が飼いたい、でもお世話が大変なので熱帯魚にしようか、それともサボテンやしめじを栽培しようかというラシャードの話……。ふたりはほろ酔い気分で話し続けた。
 しかし、レイブン中将のセクハラがうっとおしいと、眉間にしわを寄せてスヴァトヴィートが話し始めると、ラシャードは血相を変えて犬のように吠えた。
「なんてやつ……! ソフィアさんにそんな卑劣なことをするやつがいるなんて! 懲らしめてやらないと私、気が済みません! すぐに訴えて成敗してやります!」
「落ち着けラシャード。別に酷いことはされていない。せいぜい腰を触られるくらいだ」
「完全にアウトです!!」
 ラシャードは空にした缶チューハイをぐっと握りつぶした。怒りと酔いで被害者よりも顔を真っ赤にしたラシャードを見て、スヴァトヴィートはそろそろ休ませた方が良いなと考える。
「まあ、私も相手が中将でなかったらとっくに仕返していたところだ。ラシャード、酒はもうその辺でやめとけ」
「訴えましょう、ソフィアさん! 泣き寝入りなんて絶対にだめです!」
 意味がないんだ、とスヴァトヴィートは眉間のしわを深くする。
 男性優位であるこの社会と職場において、ひとりの女性の小さな訴えが届いたことなどあっただろうか。レイブンのような中将クラスともなると、自身に不都合なことは握りつぶして闇に葬ることができる。そうして訴えた者が受けるのは、嫌がらせの人事異動であったり、さらにヒートアップしたハラスメントであったりする。スヴァトヴィートはそのことをちゃんと心得ていた。
 自身が女性であることを呪いそうになりながらも、スヴァトヴィートは毅然としていた。女性だから、なんだ。今は上手くかわしてやる、やられたふりをしておいてやる。だが見ておけ。五年後、泣きを見るのは貴様だ、レイブン。
 ラシャードは、諦念ではなく覚悟の色に染まったスヴァトヴィートの瞳を「強き恨み」だと解釈したのだろう。ラシャードは、なにも言わずに視線を逸らすと、ソファの背もたれにもたれて力なく瞼を閉じた。
「こんなとき、あの人がいたら守ってくれたのでしょうか」
 彼女の呟きに、スヴァトヴィートは一瞬だけ目を瞠る。
「あの人が、少佐が、いてくれたら」
「……あいつのことを考えるのはよせ」
「もう二度と会えないのに、もう一度会えたらって思ってしまうんれす」
「ラシャード」
 すべての音を消して、ラシャードは目尻に涙を浮かべた。
「……呂律が回っていないぞ」
「はい、大丈夫、れす……」
 涙がいく筋か滑り落ちた。それからまもなく、聞こえてきたのは安らかな寝息だった。
 スヴァトヴィートは、まったく、と呟きながらラシャードの耳元で「ベッドで寝たらどうだ」と話しかける。しかし、少し待っても反応がないので、そばにあったブランケットを肩まで優しく掛けてやった。
 ブロンドのまつ毛が濡れている。スヴァトヴィートはそのわずかな雫を見つめながら、あの男の姿を思い浮かべていた。
「……キンブリー、おまえのせいだぞ」
 脳裏に浮かぶ飄々とした風貌が気に触る。瞼を閉じ、優美に口の端を上げた、余裕と自信に満ちあふれたあの尊大な笑い方が、癪に触る。かつての右腕。信頼していた一番の部下。
 ――おまえのせいで、二輪の麗しい花が傷つくことになったではないか。
 スヴァトヴィートはテーブルの上のグラスに手を伸ばし、こくりとひとくち味わいながら、夜のカーテンを向こう側を見つめた。
 ひとりで飲むには、長すぎる夜だった。

 スヴァトヴィートが飛び起きるように目を覚ましたのは、朝日の眩しさでも目覚まし時計のけたたましさでもなく、なにかが焦げついた臭いのせいだった。
「あっ、准将、お、おはようございます!」
 なにかを隠すように慌てたラシャードの声が気になった。スヴァトヴィートが臭いの元であるキッチンに向かうと、困り顔をして笑うラシャードがいて、フライパンの中には黒焦げの平べったい丸がふたつ並んでいた。
「……炭でも塗ったのか?」
「う、塗ってません……」
 ラシャードに聞けば、これはパンケーキらしい。昨日晩、気づけば寝てしまっていたことを気にして、朝ごはんぐらいは支度しないとと思い、普段作らないパンケーキを焼いた結果がこれだという。
 スヴァトヴィートは、そうかと笑って、しゅんとしているラシャードの肩を叩いた。
「メープルシロップとバターを塗ればそれなりに美味くなる」
「はい……」
 そうしてふたりの朝食は、通常よりもカロリーが高そうな、贅沢な焦げたパンケーキとなった。
 スヴァトヴィートは、口内の苦さを無視しようと思いながら、ひとくちめを口に運んだ。決して美味しいとは思えなかったが、彼女とまたたわいのない話をしながら食べるのは、悪くはなかった。
 考えれば不思議な縁だ、と思う。もしもあいつが、キンブリーがいなければ、彼女との繋がりは存在していたのだろうか。キンブリーが自分の部下で、ラシャードがキンブリーの部下で。
 あいつがいなくなっても、ラシャードとの繋がりは途切れることがなかった。それは、人を失うことに慣れているスヴァトヴィートにとって喜ばしいことだった。
 唯一、あいつが繋いでくれた縁。できる限り大切にしていきたい。
「しかしこの味はいただけないなラシャード。今度私がめちゃくちゃ美味い焼き方を教えてやる」
「やった、お願いします!」
 この奇妙な縁にだけは、感謝してやる。
 焦げ味のパンケーキをもうひと切れ口に放り込みながら、スヴァトヴィートは小さく笑った。


Afterword

紀州さま宅(静かの海さま)の准将ちゃんことソフィアさんと、うちのラシャードが絡むお話でした。アルコール=ソフィアさん、パンケーキ(ただし焦げている)=ラシャードのイメージ。
ここでひとつ謝罪を……! レイブンからのセクハラ被害を受ける設定を付加してしまいごめんなさい(なにしてんだ!) 書きたかったのは、「誰かが守ってくれたら」と他力本願なラシャードの弱さと、「5年後泣きを見るのは貴様だ」と、諦念や悲哀に染まらないソフィアさんの強さの対比でした。「個人的な報復」として、ソフィアさんと仲の良いオリヴィエさんが、将来その汚れた手をぶった切ってくれる日が来るのが救いです……!
カッコいい准将ちゃんは私のひそかな憧れです。今回、ふたりの共演話が書けてウハウハでした。
紀州さん、ありがとうございました!
(20190915)