※ 名前変換での「夢主3」のキャラが主体です お仕着せのメイド服に身を包んだエレナ・エインズワースは、たっぷりと水を汲んだバケツと雑巾を持ってキンブリーの前に現れた。一向に立ち上がろうとしないキンブリーの前に、彼女は重いバケツをどんと置いた。だが、キンブリーは長い脚を組み替えただけだった。 「いいわ、キンブリー。私がこの家を隅々までピカピカにしてあげる。その代わり……分かっているんでしょうね」 「それは貴女の頑張り次第ですよ。エレナ・エインズワース」 エレナのこめかみからぴき、と音がなる。彼女はくるりと背を向け、雑巾を力一杯にぎりしめて、ほこりにまみれたフローリングの雑巾がけを始めた。 ――やってやる、やってやるわよ……! 事の発端は、ゾルフ・J・キンブリーとの偶然の出会いだった。紫電の錬金術師として活躍するエレナは、かつて爆弾狂と騒がれた紅蓮の錬金術師の存在を知識として知っていたが、囚人である彼が出所していたことまでは知らなかった。だから、中央の街角で白を身にまとった彼を目にしたとき、エレナは思わず声をあげて自己紹介をしていた。 北へ向かう予定だというキンブリーに、自分も連れて行って欲しい、と咄嗟に頼んでしまったのは、単なる興味であったのかもしれない。キンブリーは即答せず、エレナを連れて中央の郊外に出た。そして、かつて自分が住んでいたという自宅に案内した。 六、七年家主が留守をしていたその家は、案の定ほこりっぽく、部屋のいたるところにはクモの巣が張っていた。エレナはここでなにをされるのかと一瞬ひるんだが、キンブリーが彼女に求めたのは、この家を掃除するメイド役だった。 目を丸くするエレナに与えられたのは、以前この家で働いていたメイドが使う予定だった予備のメイド服だ。服が汚れてはいけないからと、クローゼットから新品のものを出してきてくれたそうだ。元お嬢様であるエレナにしてみれば、自分の屋敷に仕えていた者と同じ立場になる。しかも、仕えるのは初対面の元囚人である。屈辱の二文字が彼女の頭に浮かんだ。 結局エレナは、もやもやとした不満をあらわにしつつも、「北へ連れて行ってくれる」、その一点でこの仕事を引き受けることにした。不本意ではあるが、自分ひとりで北へ行くことと、実力のある国家錬金術師と同行させてもらうことを天秤にかければ、後者に傾いてしまったのだ。 ――だからといって、なんにも手伝わないなんておかしいでしょう! エレナの不満はもっともだった。キンブリーは椅子にふんぞり返ってエレナを見ているだけである。人にさせるだけさせておいて、自分は傍観するときた。他でもない自分の家だというのに、初対面の少女の手を汚させるその無神経さに、エレナはぴりぴりと苛立ち、その怒りをエネルギーに雑巾がけで発散する他なかった。 「ずいぶんと張り切っていますね」 「張り切ってなんかないわよ!」 声を荒げながら、エレナは四つん這いになって行ったり来たりを繰り返した。雑巾はすぐに真っ黒になってしまう。バケツの水もすぐにどす黒く濁ってしまう。 せめてバケツの水くらい替えてくれれば良いのに、キンブリーは嫌味なほど優雅に紅茶を飲んでいる。エレナは頬を膨らませ、雑巾を力一杯絞った。 ――なによなによ、本当に嫌なやつ! こんなのさっさと終わらせてやるわ! キンブリーに見せつけるように猛スピードで雑巾を滑らせたエレナは、しかしつるりと両腕を滑らせてしまった。顔面を打つ、と覚悟したが、咄嗟に上から腕を掴まれて事なきを得た。 「そそっかしいと怪我をします。決して焦らないように」 「わ、分かってるわよ……」 お茶を飲んでいたはずのキンブリーが、助けてくれた。あんな嫌なやつに、助けられた。 エレナは恥ずかしさと情けなさで、忠告する彼の顔が見られなかった。 雑巾がけが一通り終わったところで、天井のクモの巣退治に移った。二段の脚立とシュロのほうきを持ってきて、部屋の四隅を重点的に掃除するのだ。脚立に恐々と足をかけ、エレナはほうきの柄を振り回す。慣れてしまえばクモの巣退治は意外と簡単だった。 しかし苦手な虫であるクモの、巣を取り除くという作業は、単純に考えてイヤなものだ。この一件がなければ、自分の手で巣を除去する日など、来なかったかもしれない。エレナは、かつての屋敷の住み込みメイドたちひとりひとりの顔を思い浮かべ、今まで自分の代わりに掃除や雑事をしてくれていたことに、ひそかに感謝した。「ありがとう」の呟きは、もうあの人たちに聞こえることはないと分かっていても、声に出さずにはいられなかった。 リビングの次はダイニングキッチンだ。まだお茶をしているキンブリーに監視される場所だから、さっきの二の舞を踏んではならない。脚立を上り下りするときはより慎重さを心がけなければ。エレナは鼻からスッと息を吐いてキッチンに向かった。 自分を見てくる男を気にしないふりをしつつ、エレナは天井の隅の大きなクモの巣に目をつけた。通常であれば難なく退治できるのだが、すぐ下の突き出た食器棚が邪魔をしている。それでも手を伸ばせばなんとかなりそうだと思い、エレナは脚立をセットする。そして注意深くそれに上り、ほうきを振り回そうとした。そのときだった。 食器棚の上に、大きなクモがいるのを見つけてしまった。 「きゃあああ!」 エレナは思わず脚立の上でしゃがみこんだ。無理もない、苦手な大きなクモがこんなに近くにいるのだから。 悲鳴を聞いたキンブリーがさっと立ち上がり、エレナの方に歩み寄った。小さくなったエレナに手を伸べて「落ち着きなさい」と声をかける。エレナは恐怖で立てなくなってしまっていた。 浅いため息が聞こえた。 「掴まりなさい」 「え……?」 「動けないのでしょう? 降ろして差し上げると言っているんです」 エレナはしばらく羞恥心と戦ったが、すぐそばにいるクモが自分の方へ来るかもしれないという恐怖には、ついに勝てなかった。彼女はおそるおそる、無表情のキンブリーに抱きつく。 背中は硬かった。結ばれた髪がこそばゆかった。首すじからは嗅いだことのない男の匂いがした。 ――なによ、こんなんじゃ冷たいんだか優しいんだか、分からないじゃない。 ふわりと椅子に降ろされたエレナはへなへなと脱力した。どうしてなのか顔は火照るし、いつもより速く胸が鼓動している。その高揚を、クモを見て驚いたからだと、エレナは無理やり結論づけようとしていた。なにがなんでも、あの男にときめいたからだとは認めたくなかった。 しばらくして我にかえると、キンブリーが窓を開けてちりとりを振っているのが見えた。どうやら、捕まえたクモを逃しているようだ。 仕事を終えたキンブリーが不意に振り返る。やわらかな風が、彼の額に垂れた髪を揺らしている。エレナは交わった視線を、なぜかふいと逸らしてしまった。そうしなければ、この殊勝な言葉は紡げなかったのだ。 「……さ、さっきは助かったわ。ありがとう、キンブリー」 「いいえ、礼を言うべきは私の方ですよ。ずいぶん綺麗になったじゃありませんか」 「まだ途中よ。あそこのクモの巣もまだ取ってないし、家具のほこりも拭いていないし、それから……」 「その必要はありませんよ」 エレナは首を傾げる。キンブリーは窓を閉める。引き戸がカラカラと、音を立てた。 「貴女の人間性が、よく分かりましたから」 「人間性?」 「ええ。文句を言いながらでも、初対面の人間の家を掃除する、気の良さ。自分の家でないのに手を抜かない、生真面目さ。私にも、また他の誰かにも感謝の心を持つ、心の豊かさ。それだけ分かれば十分ですよ」 あ、とエレナは思った。もしかしたら聞かれていたのかもしれない。部屋でこっそり呟いた、かつてのメイドたちに向けた感謝の言葉を。 「……よく見てるのね」 「それから少々おてんばで、注意力散漫、苦手なものに対する対応力が低いのがたまにキズですね」 「う、なによ、言ってくれるじゃない……!」 キンブリーは小さく笑み、エレナに歩み寄る。ふたりの視線がかち合い、エレナはまた心臓がどくりと音を立てるのを聞いた。 「良いでしょう、エレナ・エインズワース。北への同行を許可します」 男の目がエレナを捉えた。口元はゆるりと優美な弧を描いている。 「出発は明日の早朝。よろしいですね?」 「え、ええ。そうね、きょ……今日の夜でも良いくらいよ」 「では、今晩にいたしましょうか?」 ふっと細められた温度のない双眸に、エレナは胸に焦げ付くような熱さを覚えた。それを振り切るように視線を逸らし、アッシュブロンドの髪を指で遊ばせた。 「……早い方が嬉しいわ。き、北の雪景色を、早く見たいもの」 キンブリーは二、三度目をしばたたいた後、静かに目を伏せて微笑んだ。 聡明な彼のことだ、彼女の少しうるんだ瞳が「少しでも早くあなたと旅立ちたい」と、告げていることを見抜いたのかもしれない。 Afterword現さんのハイパープリティーな夢主・エレナちゃんをお借りし、キンエレちゃんを書かせていただきました! |