続・キンブリーSSS

1.(夢小説ではありません)
「太陽と月、陰と陽」
 空に昇る太陽と月ではなく、ある男の両掌に刻まれた錬成陣の紋様を、セリムは思い描く。
「六芒星は四大原理を、なるほど女性原理と男性原理をそれぞれ示しているのですか」
 彼は特に面白みのない錬金術の書の文面を眺めながら、陣の構造を理解するためにわざと口に出している。人間ふぜいに理解できて、人造人間の自分にできなければ自身の矜持が許さないからだろう。
 本を持つ幼い親指は、彼の見た目に似つかわしくない難解な文章の上にある。図解を見ても、彼と同じ年頃の少年少女には理解が追い付かないはずだ。最も、少年の姿はただの容れ物、始まりの人造人間である彼は何百年と生きているのだから、これくらいの内容を把握することは造作もないだろう。
「……それにしても傲慢な陣ですね」
 彼は自分の存在と似通った陣を刻んだ、思い上がった人間に腹立たしさを覚えながら、膝の上で本を閉じた。
「この世の全てを綯い交ぜにして――」
「おや」
 振り向いたセリムは、先ほどから男の気配を感じとっていた。靴底と地面の擦れる音を鳴らしながら、あの男が姿を現す。紅蓮の錬金術師、ゾルフ・J・キンブリーだ。
「まさか、貴方がそのような評価をくださるとは」
 白い悪魔は胸に手を当て、恭しく礼をした。その口元には人の好い、しかし内心では少年を可笑しがっているととれる、薄い笑みを浮かべている。
「錬金術師冥利に尽きますよ」
 セリムは悔やんだ。自らの核である傲慢という名を、嫌味な人間の評価として容易く与えてしまったと。
「人造人間」
 元を辿れば、自分はこのような錬金術師と呼ばれる人間から、生まれ出た存在に過ぎないのだと。

(日付不明)


2.
 春のように暖かく、優しい笑みが好きでした。夏のように熱く、熱心に夢を語る姿が好きでした。秋のように寂しげに微笑みながらも、何事も諦めないその姿勢が好きでした。冬のように白く、冷たい手で仕事に励む貴女が好きでした。
 貴女のいない四季が、これほどまでにつまらないなどと思ってもみませんでした。貴女が夢見ていたこの花を――今や私の錬金術で容易に作れてしまいますが――、一度で良いから見せてやりたかった。これを作ることなく道半ばで倒れた貴女を、心から憐みます。
 ですから、私が代わりに贈りましょう。貴女が咲かせたかった、青い薔薇を。
 さようなら。ゆっくりおやすみなさい。
 冷たい墓碑の下で眠る優しい貴女へ。

(日付不明)


3.
「……しょうさ?」
 人酔いしてしまいそうな雑踏の中、視界の端に彼の姿を見つけた気がして、振り返る。ぶつかってしまった人に謝罪をしたが、心ここにあらずだ。あの人がいるはずがない。そう思うより先に、私の脚は彼に似た人影を追っていた。
 焦りと高揚、疑念と諦め、そして喜び。それらの感情が入り混じり、混乱した。いつの間にか走り出していて、気づけば息が上がっていて、ついに立ち止まった。
 周りの景色は先ほどとうって変わり、道は細く、薄暗い。いるはずのない彼の影を追ったことへの後悔に似た気持ちが、胸にじわりと染みをつくる。
 自分の他に誰もいない小道にため息を一つ落としてから、いつまで引きずっているんだと自身を律し、振り返ろうとした直後だった。
「ひっ」
 がばり、と後ろから勢いよく何者かに抱きつかれ、身体が硬直した。それでも元軍属の名に恥じぬ反射神経で、相手の足を引っかけるようにして技をかけた。が、一般男性なら倒れる速度だったにもかかわらず、相手はいとも簡単にこちらの力を逃がした。
「ああ、さすがの動きです。しかし、どうも相手が悪かったようですね」
 その言葉、声、口調。一瞬で頭が真っ白になる。なぜなら私は、それらに覚えがあって、忘れようにも忘れられなかったから。
「う、そ」
 彼の姿を追ってきたはずなのに、いざ本人だと分かったら今度はそれが信じられなくなった。姿を見たくて身をよじるけれど、相変わらず凛々しい二本の腕に押さえつけられてしまい、振り返ることは叶わなかった。
「お久しぶりです」
 久々に耳にした彼の声は、ひどく淡々とした印象だ。
「私はこれから北へ向かいます。任された仕事をこなすために」
「だったら私も……」
「いえ」
 貴女を連れていくつもりはありません。
「それなら、それならどうして私に姿を見せたんですか!」
 どうして、そんな残酷なことを。
「貴女に、ずっと言わなければならない言葉がありましたから」
 その台詞の後、白い息とともに冷たい空気へと言葉は放たれた。彼のその声はひどく優しいのに、なぜ私はそのたった五文字に涙が止まらないのだろうか。
『さようなら』
 ああ、きっと彼のことだから、私のためにわざわざこれを伝えたのだろう。彼を忘れられないで、過去に縛られたままの私を解放するために。
 ならば、彼のために歩き出さなければいけない。
 いつの間にか彼の腕が離れていたことに気づいた。私は薄暗い小道から、向こうの方に見える大通りへと走り出した。もう振り返る必要は、なかった。

(日付不明)


Afterword

いつ書いたのか思い出せません……。偶然発掘しました。