逃げるのは簡単だった
微睡む意識の中、遠くでインターフォンの音が聞こえる。今は、何もしたくない。誰とも会いたくない。そんな気持ちでいっぱいなのにインターフォンの音は止まる気配がなかった。うるさいなと思いながら、意を決して起き上がり、扉を開けるとそこにいたのは仁王だった。私が何も言わずに見つめていると仁王はドアを開けて、中に入ってきた。
「プリッ。」
「またそれ?」
仁王のよくわからない鳴き声に自然と広角が上がる。さっきまで、沈んでいた気持ちは忘れてしまった。忘れたというよりも、仁王が気持ちを引き上げてくれたと言った方が正しい。
「出てくるの遅いナリ。邪魔するぜよ。」
と言うと、有無を言わせず自分の家のように入って来る仁王に堪らず口角が上がる。
「何で来たの?」
「気紛れじゃよ。」
「…ありがとう。」
「何がじゃ。」
「ううん。」
仁王はどこまでも優しい。私のことを甘やかしすぎてるのではないか。こんなに優しくされると仁王と付き合ってるかのような錯覚に陥る。ちがう、私の彼氏は後輩の赤也だ。
「仁王、ブンちゃんからのメール見たの。」
そう言うと、仁王は表情一つ変えずに目線だけ私の方を見た。目だけで続きを促してくる仁王に対して、なかなか言い出せずにいると携帯を取られた。
「ちょ、仁王、」
何で私の携帯のパスワードを知っているのかは、さておき。メールを読んでも眉毛すら動かさない仁王に、さすが詐欺師と言われただけはあるなと昔の記憶を思い出して、少し笑ってしまった。
「何、笑っとんじゃ。」
「べつに。」
仁王な大して興味無さそうに、ふぅんとだけ言った。メールを見終わるや否や、机に携帯を置いた。
「別れた元カレにどう思われようが関係ないんじゃないかのう。」
「そうだけど…」
「赤也にバレたらどうしよう?って顔に書いとるぜよ。」
この詐欺師には何でもお見通しのようだ。こくりと頷けば、くつくつと笑う声が聞こえた。
「俺が、バレる訳なか。それとも、なまえちゃんがバラしちゃうんかのう?」
「言わないよ。赤也を傷付けたくない。」
そう言って自嘲した。何が傷付けたくないだ。仁王は世間で言うセフレの関係で、赤也に向き合えていなくて、まだブン太を忘れられていない、そんな気持ちで何を言っているのだろう。ぐるぐると回る思考に、逃げ出したくなった。
「ダメだ、何も考えたくない。」
「何も考えられんようにしちゃるき、おいで。」
何が、おいでよ。仁王らしくないなとまた笑ってしまった。そんな事は気にせず仁王は私の腕を掴んだ。そして腕を引かれるまま、ベッドに腰掛けた。ギシッとスプリングが弾む。
「仁王も飽きないね。」
「相性がええんじゃ。」
喜んでいいのか複雑な気持ちでいると、仁王の顔がゆっくりと近付いてくる。まるで、獲物を狙う肉食動物のような鋭い目線にカラダが熱くなる。そう言えば、仁王って彼女相手じゃなくても簡単にキスするんだなと頭の隅で考えた。