あの日の彼の言葉は、私にとって
体に纏わり付く空気が暑くてべたつく季節。擦れ違う高校生カップルを横目に張り付く前髪を払う。自分にもそんな時期があったなと思い出す。
目も合わせれないくらい緊張して、その人が自分の世界の中心で、好き過ぎて息をするのも苦しくて、想い合うことの幸せを感じて。
大人になった今、好きという感情がわからなくなった。わからないと言うよりも、頭で恋愛するようになった。素直に好きという気持ちを抱えて勢いだけで生きていける程、若くない。大人になって分かったこと、気持ちは変わり行くもの。別れる度に、もうこんな辛い思いはしたくないと考えるようになった。そして、気付けば昔のようにキラキラした気持ちを持てなくなった。これが大人になるという事ならば、なんて神様は意地悪なんだろうか。
何かで聞いたことがあった。「好き」という感情は、本能ではこの人の子孫を残したい。つまりは、ヤリたい。だから、そのうち気持ちがなくなって、飽きて、さようなら。結局、最後に捨てられるのなら、お互い隙間を埋める関係でもよくないか。都合のいい女でも、いいんじゃないか。その先に辛い別れがある訳でもない。幸せかどうかはわからないけれど、泣く程の辛い思いをするよりはいい。
そんな捻くれた考えになったのは、いつからだったか。ああ、そうだ。失恋の痛みや苦しさを受け止め切れずに裏切られたと感じて逃げたあの日からだ。
「なまえ、あ、あのさ…距離置かねぇ?」
目線を彷徨わせながらも、ブン太ははっきりとそう私に告げた。一瞬、何を言われてるのか分からなかった。頭が考えることをやめた。耳も聞く事を否定している。
今までいつも通り、昔の部活の話や今の仕事の話をしていたはずなのに。数秒まではお互い何の曇りもなく、笑っていたはずなのに。テレビからの音が聞こえない、時が止まったように感じた。
「距離を置くって、つまり、別れたいってこと?」
重い沈黙を破る自身の言葉に苦笑した。自分では平常心を保っているつもりだった。しかし、聞こえた声は、驚くくらい震えていた。
「いや…別れたいって言う訳じゃねぇんだけど。」
「じゃあ、どうして?」
はい、そうですかで済む問題じゃなかった。理由を聞かないと気が済まなかった。いくら、うざいと分かっていても、本当の事が知りたかった。あの日から今日までの間にブン太の気持ちが変わってしまう何かを知りたかった。
バツが悪そうにブン太は口をつぐんだ。少しの間が空いて、私の目を見るブン太の目は真っ直ぐにこっちを見ていた。
「なまえの事は好きなんだけどよぃ…彼女として好きなのか、友達として好きなのか、分からなくなっちまって、考える時間が欲しい。」
「考える時間って…待ってたらブン太は私のところにもどってくるの?」
「それは、わかんねぇ。」
「ブンちゃん、理不尽だね。」
「ごめん。」
先に言い出したのは、ブン太なのに。どうして、私よりもブン太の方が辛そうな顔をするのか。泣きたいのは私だ。
「私、待つの嫌だよ。」
眉間に皺を寄せながら、眉尻を垂らして今にも泣きそうな彼の顔を見ていると、絶対に泣かないと思ってしまった。なんて可愛げがないのだろうか。だから、ブン太は私に愛想を尽かしたのかもしれない。
「だから、答え合わせしよう。私に対する気持ち。」
そこまで言うと彼は不思議そうな表情を浮かべた。先程まで、震えていた瞳が、きょとんと丸くなる。
「あの時みたいに私が赤也に言い寄られたら?私とブン太が別れたと仮定して、私が赤也と付き合い始めたら、ブン太はどう感じる?」
そこまで言うと、彼は苦しそうな表情をして目から涙を溢れさせた。それを見て、私は鼻の奥がつんと痛んだ。そんな事は露知らず、ブン太が口を開く。
「わりぃっ、」
次に続く言葉を聞きたいような、聞きたくないような矛盾した気持ちで、彼が落ち着くのを待った。彼が発する言葉を本当は気付いているけれど。
「なまえと赤也が付き合っても、応援出来るっ、」
「そっか…やっぱりね。」
最近、以前のように未来の話を彼がしなくなっていた。冗談で笑いながら同棲出来たらいいねとか、結婚式の友人代表は誰がいいかなとか、子どもの名前どうしようとか社会人になるまでは会う度にしていたというのに。社会人になった彼が、未来の話を避けているということは気付いていた。私との未来を無意識ながら考えられなくなっていたのだ。だけど、気付いていないフリをした。私は彼のことが好きだったから、離れたくなかった。少しの希望にしがみ付いていたかった。だけど、それももう終わり。ブン太が私に対する本当の気持ちに気付いてしまったせいで。
「ブン太、今まで私なんかと付き合ってくれてありがとう。本当に幸せだった。ブン太との未来予想図を信じたくなるくらい大好きだったよ。ありがとう。」
最後くらい素直になりたかった。いつも強がりばっかりで意地を張ってしまう可愛気のない私の事を理解して、ブン太は優しくしてくれた。愛してくれた。だから、私との最後の思い出が綺麗なものであってほしい。新しい彼女が出来ても、私の事を忘れないでほしい。そんな儚い願いを込めて、彼を見つめた。
「なんかとか言うな、っ!俺もなまえと付き合えて幸せだった。本当に自慢の彼女だった。ありがとな。」
「うん…何でブン太が泣くのよ。」
「なまえとの幸せな思い出が多いから…
気持ち変わってごめんな。」
その言葉を聞いて、目頭が一気に熱くなった。初めて会った時から、好きだった。付き合ってからは、好き好き言い合って、最初から飛ばしすぎて気持ち変わんなよなんてお互い言い合って笑ってたのに。どうして、気持ちは変わってしまうものなんだろう。
「ブン太、ありがとう。明日からは友達としてよろしくね。」
「おう。」
ブン太の泣き腫らした目を見たら、くすりと笑みがこぼれた。この時、彼がいないということが、自分にとってどれほど大きなものか全く理解していなかった。彼の言葉を素直信じて友達になれると思っていた。