安全地⋀爆心地
「ごめんなさい、終わりにしましょう」


小奇麗な部屋に、私の声が冷たく響く。
ありきたりな台詞を吐きながら、あーあ、と思った。目の前の男は茫然自失な様子で立ち尽くしている。現在は見ての通り、今の今までマイダーリンだった彼へ別れを告げたところだった。

まったく、茫然自失になりたいのは私の方だって。
沈んでいく気持ちを引き上げるように怒ってみた。折角、今度こそ、幸せになれると思ったんだけどな。やんなっちゃう、またかよ。

こちらから別れを告げた場合、その場への長居は禁物だ。相手が変な気を起こす場合があるから。そう学習したのは一体いつのことだっただろうか。
また望ましくない方向へ伸びてしまった経験値を憂いつつ私は男の部屋を後にした。さよなら、一ヶ月半の愛しい日々よ。悲しいよりも最早やるせないの方が勝っていた。そして、悔しさも。
でも、悲しきかなこの感情の処理の仕方を私はもう知ってしまっているのだ。アパートから出たところで、重いため息交じりに液晶をタップ。親指は迷いなく見慣れた名前を呼び出していた。






約束したのは、20時。集合場所はいつもの居酒屋。
微妙な遅刻癖のあるその男が時間通りやってくるとは思っていなかったから、20時ぴったり、その場に佇んでいた長身のシルエットに少し目を瞠った。「やっほー」ひらひら右手をするそいつ――五条を凝視する。


「めっずらし、槍でも降るかな」
「あ、もう帰っていい?」
「冗談に決まってんジャーン!」


会いたかったよマイベストフレンド!とかなんとか勢いで押し切って五条を居酒屋に押し込んだ。不機嫌を煽って本当に帰宅されたらたまらないのでとりあえず席についてしまう作戦である。いくら軽口を叩いていようと結局コイツは優しい奴なのでそこまでいけばこちらのものだ。その証拠に、「ちょっとは感謝ってもんをするべきだよねぇ」恨み言をこぼしつつ素直に背中を押されたままでいてくれている。敵なしの無下限だってこんなときは解除だ。

ほんと、懐の内には甘いヤツ。

少し呆れるけど、でもその甘さにも軽口にも、しっかり救われてしまっているのだから私にどうこう言う権利はなかった。現に今も救ってもらおうとしているわけだし。

不意にこの身に降りかかった、この人生もう幾度目かもわからない失恋を受けて、私が呼び出した相手はこの男だった。もう十年来の付き合いになる、五条悟。ほぼほぼチートと言って差し支えないだろう能力を授かった最強の呪術師で、私の元同級生かつ現同僚かつ愚痴り相手の、優しい友達だ。ちゃんと顔を合わせるのは先日好きな人ができました祝賀会を開いて以来だろうか。思ったよりも早かったこの飲み会の再来に私は苦虫を嚙み潰した。


平日ということもあってか店内の客はまばらだった。けれどそのまばらから全力で(主に五条へ)注がれる視線をかいくぐって、ようやっと席につく。毎度のことだけど衝立にこんなに感謝することはそうそうない。毎日これでよく疲れないものである。
一息ついた私たちはまぁとりあえず、と飲み物や簡単な食べ物をいくつか注文して、いつも通り逆に配置された日本酒とノンアルコールの立ち位置を交換。五条は甘ったるいだろうジュースを飲んで「くぅ〜」それはそれは爽快そうな顔をしていた。そしてその気分よさげな顔のまま、


「それで?今度はどんなクソ男だったの?」


放たれたのはこれ以上ないド直球。「どーせまた別れたんでしょ」私はまだ今回の飲み会の主旨も告げていないはずだけど、どうやら察されていたらしかった。おまけに相手がクソ男だったことに微塵の疑いも抱かれていないらしい。いや、どちらかといえば経験知か。実際、それは紛れもない事実であって、――ドン。私は反射的に拳をテーブルへ叩きつけていた。

「うっわあ、バイオレンス」微塵も驚いていなさそうな五条を尻目に、アルコールチャージ。彼が掲げるノンアル入りジョッキグラスとは違って、私のしおらしい手に収まるのは乙女にぴったりの丸みを帯びたちいさなお猪口だった。ホラ私、お猪口より重いもの持てないから。なんて思いつつ日本酒をぐいっと飲み干せば、特有の匂いが鼻から抜ける。

ここまでが、所謂ルーティン。助走完了、準備よし。となれば大きく息を吸って。


「――あんの、クソ男がよぉ!!!」
「声でかっ」
「そりゃ声もでかくなるでしょうよ!」


あぁぁあ、と顔を覆って突っ伏せば「騒がしいやつ」そいつが頬杖をつく気配がした。目隠し越しに呆れた視線を向けられているだろうことを、察知。しかしそんなもんを気にする気はまんじりたりとも持ち合わせていなかった。


「だってさぁ聞いてよ五条ぉ〜」


ガバッ。起き上がって続けた台詞は高専時代から変わらない。半泣きで泣きつく私も慣れたものなのか「ハイハイ」五条はいつも通り聞き役に回ってくれる素振りを見せている。


「あの男、プロフィールほとんどウソでさぁ」
「経歴詐称かー、中々やるね」
「私の収入目当てで寄ってきてた上に女まで作ってて、もう、クソ、腹立つ!」


恨み言を吐き出しながらストレートに殺意を表意する私を五条がいつも通り軽いノリでいなしていた。思えばこんなことを続けて10年と少し。最初は歌姫センパイや硝子も付き合ってくれていたけど硝子には恋愛話において愛想を尽かされたし歌姫センパイも京都に行ってしまった。結果残ったのは五条ひとり。

別れたての元彼氏へ向けたありったけの文句を垂れ流しつつ、コイツもよくやるよなぁとどこかで冷静に考えた。昔から五条はなんだかんだ優しいのだ。性格は悪いけど。
でもこんなみっともない自分をさらけ出せるのはやっぱりこいつだけなのだ。今日もそのやさしさに甘えてしまっているし。
もつべきものは良い同期、ってね。
無論絶対に口に出しはしない。でもこうして失恋を重ねるたびに膨れる感謝の念を、こっそり無言の中から送っておいた。



私が一通りの悪態を吐き終わって、五条が2,3度の追加注文を終えて。なんならその追加注文品が8割がた五条の胃に収まった頃。
多少落ち着いてきた私の鼻をかむ音が響く中、「#name1#はさあ」頬杖をつきながら、五条が話を切り出した。


「いま、いくつだっけ」
「ボケた?同い年でしょ、28歳」
「もう若くないね」
「お?やんのか?」


さっきまで私の愚痴にウンウンと相槌を打ってくれていた相手が突然右ストレートをキメにくるものだから驚いた。即座に精神的ファイティングポーズをとって臨戦態勢を示せば「そろそろ遊んでもいられないでしょ」と。いかにもその通りだけど傷心のアラサー女にかける言葉ではないと思う。


「そもそも私は一回も遊んでなんかないんだけど」
「そうだったんだ、あまりにも見る目なさすぎて泥遊びでもしてるのかと思った」
「真剣に選び抜いた彼氏が泥沼に引きずり込みにくるの!」


もう一杯酒を流し込みながら、カァーッ、とため息を吐く。そんな私を見つめる五条はどんな目をしているのか。目隠し越しではわからないけれど「いい加減にしたら?」柔和な笑顔に反してその声には静かな圧が乗っていた。

チョットチョット。今日ちょくちょくこういうの挟んでくるじゃん。
三十路が現実味を帯びてきて、リアルのガチで憐れまれ始めちゃった?そりゃないぜサトルサン。

五条にまで呆れられたらもう慰めてくれる人もいないのである。まぁ五条も慰めてはくれないけど。私の支離滅裂な愚痴を何も言わず受け止めてくれる誰かが、いなくなってしまう。それはなんとしても避けたい事態だ。

それにそもそも、私だって好きでこんな迷走した恋愛遍歴を作り上げてるわけじゃないし。


「男運が悪すぎんのよ私は」


運も実力のうち、なんて言葉は見ないふりである。
どうしてか少し辛辣めな五条の言葉を聞き流して、酒をあおる。傷心女に現実は相性最悪の組み合わせだ。だから、見ないふり。
毎度毎度甘やかしてくれる五条のやさしさに身を委ね、「失恋の傷、手当の前にまずアルコール消毒〜!」自作ギャグでゲラゲラ笑いながら、今日も醜態を晒すのだった。








――はっ、と。
何かに掬い上げられるように、急激に意識が浮上した。ぱちり。いつの間にか閉じていたらしい瞼を開けば、見慣れない天井が飛び込んでくる。……ううん?なんだかよくわからない状況である。眉根を寄せて考えた。

確か私は、彼氏にフラれて五条を呼んで、いつもの居酒屋で喚き散らして。喚き尽くしたら今度は自棄になって酒を飲んで飲んで――それで、どうしたんだっけ。
自分の吐息から漂うアルコールの気配に、あれからそんなに時間は経っていないだろうことを推察していると不意に部屋の中へ誰かが入ってくる気配がした。そちらへゆっくり顔を向ければ、


「あ、起きた?」
「五条……?」


そこにいたのは先ほどまで目の前で私の愚痴の受け止め役をこなしてくれていたその男だった。起きた、とその言葉でそうか私は寝てしまったのか、と今更気づく。言われてみれば確かにソファの上で横たわっていたらしかった。


「これ水」


わざわざ買ってきてくれたのか、五条はペットボトルをこちらに手渡しながら「もういい大人なんだからやけ酒にも節度を持ってほしいもんだよ」だなんだとぼやいている。なるほどね、大体状況は掴めた。


「あー、またやっちゃったか」
「飲みすぎると突然スイッチ切れるよね、相変わらず」


だからつまり、私は居酒屋で飲みすぎて寝てしまったらしい。それを五条が運んでくれたのだろう。


「毎度ごめん」
「思ってるなら態度で示してもらえる?」


それはなんとも心が痛い台詞である。如何にも私はこの傷心飲み会を開催する度に潰れて五条の手を借りてしまっていた。
いや、流石の私も罪悪感は都度ちゃんと感じている。感じているけど、飲まないとやってられないという気持ちにどうしても負けてしまうのだ。実際飲んだら色々吹っ切れることが多いし。

ハハハと笑って誤魔化しながら気怠い身体を起こして、ありがたくミネラルウォーターを受け取る。予めキャップは緩めてくれてあるようだった。こういうところが流石、自称グッドルッキングガイも伊達じゃない。
程よく冷えた水が身体に染み渡ると頭が冴えた。酒の後に飲む水、世界一おいしいな。知能3程度の気づきも得る。
先ほどよりいくらか覚醒してきたせいか、近くのテーブルにペットボトルを置きながら、そういえば、とあることに思い当たった。


「ここ五条んち?」


ぼふっ。見るからに上質そうなソファに思いきり寄りかかりながら言う。「今気づいたの?」呆れた様子で五条も隣に腰かけた。慣れた様子で、私に気遣ってか点いていなかったテレビの電源を点けている。見覚えがないと思ったらそういうことか。


「いつも私の家に運んでくれるじゃん、五条の家久しぶりかも」


私は失恋をするたび五条に付き合ってもらって、酒で潰れて、そして我が家のベッドまで運んでもらっている。大抵記憶は途中までしか残っていなくて、はっと目を覚ますと五条が呆れた顔でこちらを見下ろしているのだ。
だけど、今日はどうやら五条の暮らすマンションに運んでくれたらしい。あまり見慣れないこの部屋をぐるりと見回した。気まぐれだろうか。

前にここに来たのは確か猛烈に良いテレビで映画を観たくなったときだった。ポップコーンとレンタルビデオを抱えて押しかけて、疑似映画館を楽しんだ記憶がある。五条はあのときも呆れた顔をしてたっけ。結局ふたりで一緒に映画を楽しんだんだけど。

真っ白な天井を見つめたままいつかの回想をしていると「オマエ今回酷かったからねー」私の疑問に答えているのかいないのか、よくわからない返答をされた。「なにその突然の罵倒」怪訝に眉根を寄せと聞き返せば「酒」と。


「酔っぱらって大泣きしだすんだからボク困っちゃった」
「え゛」


この際かわい子ぶっているらしい五条はスルーである。
ツウと冷や汗が流れる感覚を感じながら「泣いた?」ギギギ。そんな擬音が付きそうな挙動で五条を見上げる。「そりゃもう。ギャン泣き」なんてこった。思わず天を仰いだ。


「きっつ……」
「いい加減幸せになりたい゛〜ってもう大泣き」
「きつすぎ……」


脳内に居酒屋でギャン泣きしながら自らの幸せを切望する28歳女性の図を思い描いてみる。すぐに後悔した。考えるだけで頭が痛くなりそう。


「最高に笑えない図じゃない?それ」
「末代まで笑ってやるよ」
「呪うぞ」


ハァー。
羞恥を逃がすように吐き出したはずのため息には、どこか悲嘆も垣間見えていた。
私は酒を飲んでよく潰れるけど、決して泣き上戸ではないのだ。つまり今回のそれは酒のせいというより、酒と旧友に押されて飛び出た私の本音だということ。

今回は期間も短かったし、そんなに堪えた自覚はなかったんだけどな。年齢と今までの積み重ねも相まって何かが限界になってしまったのかもしれない。歳はとりたくないものだ。


「ヒサンだなー、アラサー」
「#name1#の場合ヒサンなのは歳じゃなくて男見る目だよ」
「だぁーって、いいなって思った人端からクズなんだもん。何事?って感じ」


私だって好きでこんな恋愛をしているわけではない。そりゃぁ、幸せにもなりたいのだ。酔っぱらって号泣してしまうくらいには。


「好きで泣いてんじゃないんだけどなあ、私も」


苦い苦い笑みを浮かべてため息を吐いていると、「じゃあ、」五条がそう声を落とした。何がのせられた声なのかは読み取ることができない。大人しく続く言葉を待っていると。


「なればいいじゃん、幸せに」
「……まーた簡単にそんなこと言っちゃってさあ」
「簡単に言ってると思う?」


五条はソファの背もたれに肘をついて、私を見下ろすように言う。「そりゃ、だって、簡単に言ってるじゃん」自分が間違ったことを言っていない自信はある。でも、なんだかただならぬ雰囲気を感じて少し歯切れが悪くなった。


「へーえ」


一方、口の端を少し上げた五条は「やっぱオマエ馬鹿だよ」ぐい、と私の肩を押した。


「え」
「気づいてないんでしょ、全部」


完全に気を抜いていたせいで簡単に体が後方に倒れる。無駄に大きなソファの端、肘掛けにもたれかかるような形になってしまった。五条の左腕が、逃げ場を塞ぐように右耳の隣につかれる。

気づいてないって、何が。何の話、それ。
そいつが言おうとしていることもこの状況もなにもかも、分からなさすぎてアルコールとは別要因の頭痛がした。
そんな私の思考を読んだのか、五条が「ほんっとこっちが呆れるほど気づいてないんだよ。オマエは昔っから」少し苛立ったような口調で言う。


「なんで今日、僕が#name1#をここに連れてきたのかも、僕がオマエのことどう思ってるかも」
「な、何のはなし、」
「ここまで言ってもわかんないんだ。でも残念、もうさ――潮時、来ちゃったんだよね」


潮時って、何だ。
何を言われているのか見当もつかない私はただ呆然と彼を見つめることしかできない。ほら、今日私酒入ってるからさ、頭回んないんだって。

もしや私の混乱を更に激化させたいのか、五条の大きな手が私の頬をなぞる。親指でふにと唇を確かめられた。ただでさえアルコールで機能低下していた思考回路がまさにショート寸前である。そしてそのキャパオーバーに拍車をかけるかのように、


「#name1#さ、男見る目ないよ」
「え、あ、ウン」
「だからさ。僕にすれば?」


あれっ。
五条今、もしかして領域展開してる?これが噂の無量空処?
……なんて思ってしまう程度には、思考が、完全に、とまった。

なんだか会話の中でとんでもない爆弾が落とされたような気がして、目を見開く。口も多分半開きだ。呆然としながら、いやでも、と口を動かす。


「いまなんて?」


ホラ、幻聴、それ。その可能性もある。私酔っ払いだから、そう、幻聴に違いない。
そんな一縷の望みを抱いてみるも「男見る目ないんだしいい加減僕に落ち着けばって言った」なんてこった。一刀両断されてしまった。イヤイヤイヤイヤ。だってそんなだって、ねえ。それってだって、つまり。
無意味と知りながら少し後退った。肘掛に背中がくっつくだけだった。


「は、ハハ、何言ってんの五条、笑えないってそんなジョーダン……」
「笑えねぇよ、冗談じゃないんだから」


とても五条の顔を見上げることはできない。震える声で放った冗談も取り上げられて、いよいよ私の逃げ道は塞がれてしまった。

私は恋愛事において決して鈍い訳ではない。自分へ向けられる好意は機敏に嗅ぎ取ってきたし、イケメンならばアプローチを仕掛けにいったり仕掛けられに行ったりしてきた。だから、五条がそれを冗談ではないと言うのなら。それが示すところなんて、酔いどれ頭でも容易くわかる。わかって、しまう。

勇気を振り絞って視線を上にあげれば、ちょうど五条が目隠しをずり下ろすところだった。素顔、久しぶりに見たかも。頭のどこかでぼんやりそんなことを考えながら、「五条は、」おぼつかない口をゆっくりゆっくり動かした。


「マサカ、私のこと、好きとか……」
「だから好きだって言ってんだよ」


いい加減、わかれって。
何もまとわないその眼が至近距離から私をのぞき込む。息が止まりそうだった。
なんだか昔を彷彿とさせるようなその口調に懐かしさを感じる余裕が、今だけはない。

好き?五条が?私を?
流石にここまできて『私もトモダチとしてちょーだいすき!』とは返せない。そこまで野暮な女ではない。ではないけど、思ってもみなかったこの展開に思わず閉口してしまう程度には野暮だった。


だって私と五条は同級生で、同期で、腐れ縁で、友達で。そこに色も恋も絡んだことは一度だってなかった。なんども一緒に雑魚寝をしたし潰れた私を送ってくれたし、男女とかそんなもの、越えた仲のつもりだった。
でも現実問題、五条はそんなこと思っていないようで。


「なんでメンクイのくせに僕には惚れないわけ?目腐ってるんじゃない?」
「そ、んなこと言われても」
「どっかの馬の骨に毎回毎回泣かされてるし、初めてのキスも処女も、かるーく掻っ攫われてさ」
「な、」
「ハードなプレイ強要してきた男もいたっけ、確か。……それ、ぜーんぶ黙って見てた僕の気持ち、考えたことある?」


耳のあたりから首筋まで、輪郭をなぞるように五条の手が滑っていく。独特の熱を孕んだその視線は、紛れもなく私へ向けて真っ直ぐ注がれていた。
気持ちって、そんなの。そんなのわかるわけないって。言ってくれないとわからないし、そんな素振りもなかったじゃん。あったとしても気づいてないって私。
言い訳は無限に溢れるけれど、動揺が大きすぎて音にはならなかった。

だってこんな五条、私は知らないのだ。
知らなかったはずなのに、今目の前に確かに存在してしまっているのだ。


いや、どうする。どうすればいいんだ私。
28年熟成もののメンクイ女の目の前に自らを餌として差し出してきた、自称グッドルッキングガイ。自称に事実が伴ってしまっているあたり最高にタチが悪い。そしてどうやら女の趣味も悪いらしい。宝石のようなその瞳が私に熱を訴えかける。

ていうか、もしかしてこいつ私のメンクイ呼び起こすために目隠し外したわけ?六眼の使いどころ間違ってるでしょ。バカじゃん。

現実逃避のようにツッコミを放ちつつ、改めて見つめてもやはり非の打ち所がないほど顔が良い男だ、とも思ってしまう。メンクイの私が五条に惚れなかったのは、この男は絶対に私のことを相手にしないだろうという絶対的な安心感があったからだ。その安心感のもと私はこれだけあけっぴろげでいられたというのに。


多分、世界で一番私のことを理解しているのは五条だ。
私にとって、誰よりも素が出せる相手。それでも今まで恋愛対象だなんてミジンコほども思っていなかった、その男。それがずっと私に惚れてましただなんて、寝耳に水がすぎる。


「ちなみにそれ、いつから」


注がれた水の温度を知るために、彼へ問うたのは私である。返ってきたのは「はっきり言ってよ」……面倒くさい男である。


「……五条が私のこと好きなの、いつから?」
「10年ちょっと前くらいかな」


聞けば、語尾にハートマーク付いてんのか?と胸倉を掴みたくなるような口調で返ってきた。けれど苛立ってもいられない。だってそれはつまり高専時代からということだ。つい出来心で、それまでに五条に愚痴った男の数を数えてみた。ぱっと浮かぶものだけでも両手では足りない。

重症じゃん。女の趣味が悪すぎる。

私が言えたことではないけど正直引いた。「正気?」「おかげさまで」「ヤバ……」常々五条はどこかがぶっ飛んだバカだなと思っていたけれどここまでとは思わなかった。
一方、私のドン引いた視線など全く気にしていない様子で五条はにこやかに口を開いている。


「僕、結構我慢してきたんだよね」
「……我慢?」
「好きな子が他の男のケツ追いかけてても見守ってあげたし、ロクでもないクズに未練たらたらのときも笑って聞いてあげたし」


まぁ笑ってたのは表面上だけなんだけどねー。
五条のサトルクン。その補足は果たして必要だったかな?私はそれを聞いていまちょっと背筋が凍りました。聞き手の立場になってもう一度やり直してみよう!
どうやら心の中の赤ペン先生が現実から逃げたがっているようだった。エー何ソレ面白いジョウダーン、なんて茶化したいけれどそんなことした日にはいよいよ命がなくなってしまいそうなので口を噤んでおく。と思ったらその真一文字を、五条の指になぞられた。


「でも、そろそろそれもやめ時かなって思って」
「やめる、って、」
「もう我慢する気はねぇんだよ、ってこと」


ぞく、と虫唾とも怯えとも違うなにかが背筋を走る。もうされるがままの私と見たことのない顔をした五条との距離が縮まった。縮まって縮まって、いつ唇が触れてもおかしくないような、距離。


五条の吐息の生暖かさを感じながら、酒の回った頭で『コレ今から抱かれんのかな』なんて考えた。
五条とワンナイトか。気まずいなぁ。まぁでもこんなに顔の良い男と過ごす一夜なら悪くないのかもしれない。いい思い出になりそう、酒の失敗談として。夜が明けたらまた、バカやったねぇと笑い飛ばせばいいんだから。

しかし、唇が重なる直前。五条はその動きを止めた。ふっと笑いながら、「残念、今日は手出さないよ」。


「酒のせいでなかったことにされちゃたまんないからね」


この男、もしやその眼で私の思考までをも見透かしたのだろうか。見透かされた気まずさで目をゆっくり逸らす。「オマエの考えてることなんかお見通しなんだよ」エスパー疑惑の浮上したそいつに鼻で笑われた。


「心配しなくても手はもっと#name1#が逃れられないタイミングで出すから」
「……出されるのは確定ナンダネ」
「どんだけ待ったと思ってんだよ」


その声には今までと違って微塵の余裕も含まれていなかった。
怒りなのか、切実さなのか、それとも愛おしさなのか。単純には表現できない色の乗ったそれに胸が震える。


「オマエに関して、僕には手に入れる以外の選択肢ないから」


その長い指が、ツゥと私の右手をなぞった。五条の手は大きくて骨ばっていて、少しつめたいらしい。こんなこと知らなかったのに。そのまま私の手を握って持ち上げる五条。ドスの聞いた雰囲気とは対照的に、まるで壊れ物に触れるかのようにやさしかった。すこし冷たかった大きな指が、私の体温と中和されて、馴染む。持ち上げられた手は五条の口元へ運ばれた。「だから、」そいつは真っ直ぐに私の双眸を射貫いたまま、私の指先に口づける。


「幸せにされる準備だけはしといてもらえるかな」


こんなに妖しい体勢で、降ってきたのは甘い言葉と、ささやかな熱。
どこか拍子抜けした私を五条は意地悪く笑った。


「知ってた?男って、心底惚れた女には簡単に手出さないモンなんだよ」


大切なものを愛おしむように、五条が私の頬に触れる。でも触れるだけだった。キスも、戯れも、始まらない。


「#name1#はさぁ、こんな状況で手出されなかったこと、ある?」
「……ないけど」
「それはそいつらが#name1#の身体にしか興味のないクソだったからだよ、見る目ないね」
「は、ハハ……」
「それに比べて僕は10年拗らせてるから。
 なめんなよ、身体だけで満足なんかしてやらない」


にこやかに告げられて、もう私に残るコマンドは苦笑いの一択だった。勘弁してと真っ赤なHPバーが叫んでいる。そもそも私は今日失恋をしたばかりで、先ほどまでは吹っ切るために五条に愚痴っていたはずなのだ。それがどうして、こんな特大イベントに巻き込まれてしまっているのか。現実ってほんと、何?アルコールの回り切ったこの頭はもう活動限界が近いらしかった。

キャパオーバーののちパンクした私をクスクス笑いながら、彼は身体を起こした。解放された、と思ったのも束の間、すぐに膝裏に手が差し込まれて横抱きにされる。もう色々と諦めた私は五条に身を委ねた。ゆっくり下ろされたのは、ふかふかのベッドの上。そろそろ限界だということまで察されてしまったのか。


「しばらくは僕のことだけ考えてなよ」


沈んでいく意識の中、最後に聞こえたのはそんな声だった。
こんなときだというのに聞きなれたその声に、やっぱりどこか安心してしまった







五条の匂いがする。朝目が覚めて真っ先に思ったのはそれだった。

ガンガン痛む頭に顔をしかめながら、私がやっとの思いで瞼を開いたのは朝10時すぎのことである。思いきり伸びをして、欠伸をひとつ。寝ぼけ眼でスマホをチェックして、二回目の欠伸。あーなんかめっちゃ五条の匂いがするな。そんなことを考えて――覚醒。寝起きとは思えないような反射神経で飛び起きた。
まずは衣服チェックである。下着、キャミソール、カットソー、パンツ。よし、着ている。問題ない。よかったとりあえずは何もなかったみたいで、と安堵したところでたった今まで私が使っていたベッドがもぬけの殻であることに気づいた。
五条、いないのか。昨日のアレがどこまで真実なのか確かめることができなくなってしまった。


もしも私の記憶が正しければ、昨日は浴びるほど酒を飲んだ後五条の家まで連れてきてもらって、それでナンヤカンヤがあった、ような気がする。でももしかして夢だった?とも思うのだ。
あまり見覚えのないこの部屋を見渡す限り、五条の家に連れてきてもらったところまでは現実。そしてそこから先は失恋が見せた幻覚だったとか?

……いや、ある。めちゃくちゃあるな。それかもしれない。というか、それにしよう。それでいこう。
真偽に関わらず記憶の方向性を決定しようとしたその瞬間、私の視界の端を何かが過った。反射的にそれを辿ると、ベッドサイドテーブルの上に、紙切れをひとつ発見する。


『#name1#へ。おはよう、よく眠れた?僕は仕事だから先に出るけど、好きなだけゆっくりしていいよ。あと、昨日のことは0から10まで全部現実だから。夢にはしないようにね』


やらかした。読まなきゃよかった。
昨夜の諸々が現実だという裏付けが取れた途端、記憶が一気に鮮明になっていく。混乱である。混乱のあまり『やばい五条が私のこと好きらしい』勢いのまま硝子へメッセージを送っていた。硝子もちょうどスマホをチェックしていたのか1分と経たないうちに返信が返ってくる。『あのドMやっと動いたか』やばい硝子も知ってたらしい、何事?

頭がついていかなくてスマートフォンをベッドの上に投げ出した。ついでに私も寝転がる。


「……どーしろってのよ」


突然好きだと言われたって、十年想っていたと言われたって、素直に喜べるものではない。積み重ねてきたものが、良くも悪くも多すぎるのだ。
私はチョロい女だから、アルコールの匂いの中ソファに組み敷かれたらその場の雰囲気と、あと目の前の顔の端正さについつい体を許してしまうかもしれない。でもシラフで一人思慮に耽る余裕があるなら話は別だった。


五条は私のことが好きらしい。まだ信じられないけど。でも私を幸せにしてやるとかとんでもない上から目線なことを抜かしていた。じゃぁそこからどうするのか、だけど……そういえば昨日は答えを求められなかったな。
ならばやっぱり、今は何も気にせず生活していった方がいいのだろうか。


これでも私は日々命のやり取りを繰り返す一級呪術師である。思考力だって並のものではない。一連のやりとりやら何やらを思い返しながら、今後の身の振り方についてじっくり考えこんだ。昨日は至近距離に五条がいて、真っ直ぐ、あの眼で射抜かれて――「いやまじで顔が良いな……」あっ違った、こうじゃない。


改めてしっかり考えようと瞼を閉じれば五条の匂いに包まれているせいかありありと情景を思い出せて、逆に良くなかった。ダメだ。私というよりこの環境が絶望的に考え事に向かない。なんてったって五条の匂いで埋め尽くされている。五条の要素が介入しない場所でしっかり思考しなければ。――そうと決まれば退散である。

五条の残してくれた書置きへ申し訳程度に『お邪魔しました』と走り書く。まとめて置かれていた自分の荷物をひっつかむと、まるで五条の残り香から逃げるように私はそそくさとその部屋をあとにしたのだった。


 ◇

腐れ縁から、告白をされた。それも今まで散々恋愛の愚痴を聞いてもらってきた男から。
五条から想いを告げられて、『僕は10年拗らせてるから』とこれ以上ないほど端正な笑みで囁かれたあの日からはや二週間。私の生活にはいくつか変化が起きていた。

まず、変化の筆頭は何よりも五条である。
あの日以来、五条からは毎日欠かさず連絡が来るようになった。内容は仕事が疲れただとかどこどこのお菓子は美味しかったとか他愛のないものばかりだけど、高専を卒業してから今まで基本的に業務連絡と私の恋愛イベント発生以外で連絡を取り合うことはなかったのだ。……私の恋愛ペースが速いせいで、それでもそれなりな頻度であったことは一旦棚に上げておくけれど、ともかくこんなに毎日やり取りをする事態は、異常だった。

なにコイツ。そんなに私とお話したいわけ?私のこと好きなの丸出しじゃん。逆に今までは何だったんだ?

異常すぎて、一周回ってそんな疑問が湧き始めるほど。
そして同時に、なんとか返信はしているけれど通知に五条の名前が浮かぶたび先日のあれこれを思い出して悶々としてしまうので本当にやめてほしいとも思っている。その悶々こそ二つ目の変化であった。


今まで、本当に私は五条を恋愛の対象内に置いていなかった。
そりゃ私はメンクイだけど、それにしたって現実における可能性とか自分の手が届く範囲は弁えているのだ。そして五条悟は、明らかにその範囲外。

呪術界最強で、隣に並べば誰もが霞んでしまうほど端正な顔を持っていて、更にはこの世界で3本の指に入る家柄の良さ。
メンクイやらチョロ女やらの称号を欲しいままにしてきた私だけれど、流石にそこの分別はついた。コイツは決して私を恋愛対象に入れない人間だ、と直感的に察知、恋愛対象外へと押しやったのである。――それが蓋を開ければ高専時代から私のことが好きだったと言うのだから人生は分からない。


五条から想いを打ち明けられて、正直私のメンクイ心は相当に揺れた。
これ以上なく良い顔で、きっとわざとだろうけど、あんなときに限って目隠しも取り去って告げられた甘い……いや甘くはなかったな。むしろ鋭かった気さえするけれど、それでも確かに私への想いがこもった言葉たち。チョロ女心だってもうグラグラである。多分ジェンガなら崩れている。
彼氏と別れたばかりだというのに、我ながら自分の単純さ及び尻の軽さ、変わり身の早さに目眩がした。五条あいつ本当に、女の趣味が悪すぎる。

けれど、それだけ心が揺れていてもすぐに五条へ良い返事を返せるわけではない。尻が軽すぎて簡単に動けない、というのが理由としては一番しっくりくるだろうか。積み重ねた前科が多すぎるせいか、私は自分の恋心に対してとにかく信用がおけないのである。

そんなこんなであの日以来私は悶々としてしまっているわけだ。不本意ながら思考を五条で占領されてしまっているような状態で、――極めて、良くない。これではどう転んだって冷静な判断をできる気がしない。

だってこんな脳みそに任せるうち、もしもこのままズルズル五条とお付き合いを始めて、いつものように簡単にまた終わってしまったら。そんなの、取り返しがつかないじゃん。だから私には一回五条から思考を切り離すことが必要だと思ったのだ。五条のことばかり考えるんじゃなくて、そう。もっと俯瞰することが、多角的視点が必要。

そんな決意とともに私は動いた。冷静に、よく考えて、広い視野を得るために。
そんなこんなで、


「かんぱーーい!」


とりあえず一回、五条以外の選択肢を見てみよう。
久しぶりの休日、私は非術師のツテを当たって合コンに参加しているのだった。





「やっほー、楽しんでるー?」


自己紹介もアイスブレイクも一度目の席替えも終えて、なんとなくほろ酔いの雰囲気が空間を満たし始めた今現在。不意に隣からかけられたのはそんな声だった。声の主へ視線を向ければ生ビール片手に首を傾げる男の姿が飛び込んでくる。冒頭の自己紹介をなんとか思い出した。確か20代前半・消防士だっただろうか。


「楽しんでますよ〜」
「あ、そう? ちょっとつまんなそうに見えたからさ」

ならよかった、と彼は枝豆をつまんでいる。私もハハ、と愛想笑いを返しておいた。でも、どうやらこの自称消防士、案外鋭いらしい。……何を隠そう私は今の今まで今日は不作だな、などと考えていたのだから。


五条のことばかり考えすぎるのも癪だし、とりあえず他の選択肢を見てみよう。
そんな決意と共に持ちうるツテを駆使して、やっと知り合いの知り合いの知り合いが主催する合コンへ滑り込むことが叶ったのは数日前の話である。そして待ち望んだそれが始まったのが数時間前。

今日は思う存分楽しもう、五条のことなんか忘れて。
そしてあわよくば身の丈に合ったイケメンと理想の恋を始めよう、五条のことなんか忘れて。

私の気合はこれ以上なく十分だった。なんなら昨日の夜はシートマスクまでして、今朝の角質水分量はきっと今季最高レベルだったと思う。肌ツヤよし、化粧ノリよし、服のセンスよし、明日は休日。対合コン用ベストコンディションの完成である。

が、しかし。いざこの場へ来てみたら、……そこにあったのは少々の期待違いであったのだ。


ここでひとつ確認しておくと私は自他ともに認めるメンクイである。
決して顔が人のすべてだと言いたいわけではないけれど、こと恋愛において顔は重要だ。いくら性格が良くても、顔が悪ければときめけない。これは私の自論だけど。この恋愛観を語るとたまに心底軽蔑されるが、そういう人間として生まれてきてしまったのだから仕方ない。もはや私の性質なのだ。

そしてその前提を踏まえた上で臨んだ合コン当日、向かい合った男性陣4人の顔をチェックした感想が、こちら。

今日のは全員ときめけない。

七海あたりに聞かれたらゴミを見るような目をされそうな感想だけれど、決して口に出してはいないので許して欲しい。でも実際私の恋愛対象ラインに引っかかるような異性が一人もいなかったのだ。それを確認した瞬間私の今日の路線は組み変わった。恋愛モードオフ、タダ飯モードオン。
場を壊さない程度に会話へ対応しつつ、好きに食べて飲んで、そして機をみて帰ってしまおう。そこからはずっと誰からも狙われないよう立ち振る舞っていた。そして、――皆お酒回ってきたし、そろそろ抜けてもバレないかな。ハイボール片手にそんなことを考えていたところの消防士出現だった。


「最初から気になってたんだ、美人さんじゃん」
「ドウモー、ウレシイナ」
「あ、褒められ慣れてる感じ?」


ハハハ。これまたタイプではない顔を見上げて愛想笑いを重ねる。どうやら彼は私をロックオンしたようで、こういう時に限って……とため息が漏れそうになった。無論ため息で解決できるものではない。

さて、突然陥ったこの面倒ごとからどう退散しようか、と思案しつつ他の女性陣に目を向けてみる。するとそれぞれイイ感じなお相手ができ始めているらしかった。気づけば取り残されていたのは私と消防士だけだったのか。これは逆に面倒なことになっている。

私のことが好みだったのか、はたまた消去法か。
どちらかはわからないけれど案の定ワンチャンを狙いに来ているらしい消防士は「ね、お姉さん一緒に抜けようよ」内緒話をするかのように小声でささやいてくる。お前それ脈ナシ相手にやっていいのイケメンだけだからな!と内心ブチギレそうになったが、我慢我慢。今はことを荒立てる時ではない。
自制心を最大限に高めつつ、「あー今日はちょっと……」営業スマイルに申し訳なさをプラスした。さり気ない脈ナシアピールである。


「え、ダメ?明日早いの?」
「……まあ」
「嘘じゃん絶対」


消防士はケラケラ笑って「いこーよ」。どうしよう、思ったより粘り強いぞ。コレはもうさっさとこの場を去ってしまった方が得策か。
合コン経験値を駆使して即座に方針を決定した私は「まぁまぁ、とりあえず私お化粧直ししてくるので〜」片手を伸ばして自分の鞄を掴んだ。

正確には、掴もうと、した。


「残念!お姉さんの鞄はこっちです!」
「……ハア?」


空振りした右手と悪戯が成功した!と言うかのような顔をする自称消防士につい間抜けな声が出てしまった。どういう了見か知らないけど、先ほどまで手を伸ばせば届く距離にあった私のハンドバッグはいつの間にやら男の手中に収められていたらしい。

きっと能天気に笑っている彼に悪気はなく、それは合コン特有のノリと雰囲気に引っ張られたおふざけなんだろう。でも正直一瞬ぶん殴ってやろうかと思った。私が呪術師で感情コントロールに長けていたことに感謝しろよ、フツメン消防士。酒を一口飲みこみつつ、脳内ではボディブローをキメておく。

で、なんだっけ。私の鞄だ。どうしてそれが彼の手の中にあるのか。そこはかとない険悪さを醸しながら私は再び笑顔を張り付けた。


「えー、それ私の鞄じゃないですか困っちゃうなー。返してくださーい」
「一緒に抜けてくれたらね」
「お化粧も直せないしぃー」
「ポーチだけもってけばいいじゃん」


ケラケラと男の笑い声が響く。当人からしたら合コンで女の子とじゃれあい♡程度の認識なんだろう。でももうちょっと視野を広く持ったほうが良いよ、あなたの目の前の女は沸々と殺意を蓄えているから。そしてなんならパンピーを投げ飛ばすなど造作もない程度の力も持っているから。
どうやら何が何でも本日の収穫を作り出したいらしいその彼は「ハイ」と私のハンドバッグを開いてこちらに向けている。メイクポーチだけは許してやるということか。小賢しい野郎である。

これは面倒なのに捕まってしまった。
あまりの面倒くささに大きな大きなため息を吐くと「ちょっとちょっと!幸せ逃げちゃうよ!」誰のせいだと思ってんだ。勿論口には出さなかったけど。私は分別のある大人なので。

仕方なく、ハンドバッグから大人しくポーチだけ取り出しながら、一応他の参加者の様子も窺ってみるも、それぞれお相手に夢中で助け舟を出してくれそうな人はいなかった。お手洗いへ行くと見せかけての帰宅も鞄を人質にとられているせいで塞がれている。
つまり、残された道は一つ。


「じゃ、ちょっとお手洗い行ってきますね〜」


小さなメイクポーチとスマートフォン片手に席を立つ。ひらひらとこちらに手を振る自称消防士はきっとこの後私と抜ける気満々なのだろう。そして抜く気も満々ってか?イラつきのあまり心の中のおっさんが野次を飛ばした。
いけないいけない、私は分別のある大人のオンナ。自制自制。
あの男の痛んだ茶髪をむしり取る妄想でなんとか怒りを鎮める。フゥと息を吐き出しながら女子トイレの中に入って、一も二もなくスマートフォンを手に取った。


開きなれたメッセージアプリの、見慣れた名前をタップするまでかかった時間は0.5秒。
なにしろ先日のことがあったから発信ボタンを押すのには一瞬躊躇を挟んだけれど、でも3秒後には呼び出し音を響かせていた。お願いだから出張中なんてことはありませんように、なんて祈りつつコール音を聞いて、数秒。


『もしもし』


電話口から聞きなれた声がしてほっとした。よかった、出てくれた。じんわり馴染むその響きになんとなく肩の力が抜けていく。
通話の相手は他ならぬ五条であった。


「五条? 今ひま?」
『なに〜? もしかして僕に会いたくなっちゃった?』
「ソウソウ、会イタイナーッテ」
『珍しく男の趣味がいいじゃん。……もしまた誰かに惚れたから聞いてとか言うなら話は違ってくるけど、』


そんなだったりする?と。柔和な口調の裏側が柔和ではなくなった気がする。あっ今背筋ぞぞってした。
でもいくら私とはいえ、自分へ思いを向けている異性に恋愛話をすすんでふっかけるほど外道ではないんだけど。


「私のこと何だと思ってるわけ?」


不機嫌を隠さず言えば『前科持ちでしょ』と。おおっと分が悪いな、思い当たる節がある。ここはスルーしておこう。それよりなにより本題だ。
多少の言いづらさを抱えながら、しかし躊躇していても始まらない、と自身を鼓舞して、


「それで、あー……今、合コン来てるんだけど」
「…………へーえ?」


たっぷり間をとって返ってきたのは感嘆詞。スマホの向こう側の気温が数度下がったような気がした。いやしかし気にしたら負けだ。


「自力帰還が厳しそうなのでもしよろしかったら迎えに来ていただけませんでしょうか」


電波に乗って伝わる圧の強さにも屈することなく言いきれば、五条が不服そうにため息を吐いた。


「……オマエ僕のことタクシーか何かだと思ってるでしょ」
「私にべたぼれな五条サンだから他の男に連絡したらスネ(て面倒くさいことにな)るかと思って」


他に連絡する先が思い浮かんでいたわけではないが、これは半分くらい本当のことである。
今日のような事態に遭遇しても、多分これまでの私ならばあの男をどうにかする方が面倒で、まったくタイプじゃないけどまぁワンナイトくらい血迷ってもいいかな、そっちの方が簡単だし、なんて尻軽を発揮していたかもしれない。というか多分そうしていた。

今それを思い留まっているのは五条のことを思い出したからだ。
私に対して相当拗らせた恋愛感情を抱えていたことが明らかになったその男は、先日を機に様々な我慢をやめたらしい。……そこにもし、五条の気持ちも分かったうえで行きずりの馬の骨とワンナイトしちゃいました♡なんて知られたら。考えるだけで恐ろしいのでそこまでで思考を止めておいた。

一方、タクシー扱いに不服を醸していた五条は私の言葉を受けて、何故だか不機嫌を多少緩和させながら『言うようになったね』どこか感心したような声色を発している。しかし、これは丸め込めたか、と私が期待したその瞬間。


『合コン行くことについてはスネないと思ったんだ?』
「……」


おおっと、カウンター。思わず黙り込んでしまう。少しの沈黙ののち、まぁ及第点か、と彼が笑った。


『ようやく僕に愛されてる自覚が出てきたようで何よりだよ。3分待ってて』


打って変わって上機嫌の五条はなんでもないようにそう告げる。3分て。なにコイツ、カップラーメンなの?ほんとに私のこと大好きじゃん、とは、口に出さなかったけど。……口に出せば当たり前のように肯定されてしまいそうで、そうなったらどういう顔をすれば良いのかわからなかったから。


電話を終えてから五条が現れるまで、かかった時間は結局2分30秒だった。突如合コンのど真ん中に顔を覗かせた特級顔面に、……さては固麺派だな、そんなことを考えていたのは私だけだろう。その証拠に私以外は大いにざわつきを見せていた。

TPOを弁えたのか、それとも顔面でマウントをとりたかったのか、今日の五条は目隠しではなくサングラス姿だった。当然ざわつきなどものともしないそいつは、8人掛けの座敷席を少し見回したのち、例の男の背後に置かれていた私のバッグを拾い上げる。ずっと喋り通していた自称消防士も突然のことにただただ目を見開くのみで。

そしてそのまま真っ直ぐ、五条は私へ顔を向けた。


「専属タクシー、来てあげたけど」
「……、ありがと」


1ミリの営業スマイルも介入しないぶっきらぼうな返事に、可笑しそうに優しく笑う五条。その視線に温かさが乗っている気がしてしまうのは、きっと自惚れではないんだろう。本当に女の趣味が悪いなぁ、とまたどこか他人事のようにそう思った。


「じゃ、申し訳ないけどこの子はもらってくねー、これ迷惑料だから」


五条はテーブルの上に万札を置いたかと思えば私の腕を引いて踵を返す。私もその力に素直に従うけれど、即時に万札の枚数を視認して後日返済を脳内ToDoリストに入れるのは忘れなかった。

立ち去る私たちの背後では、迷惑料のくだりも含めて女心に響いたのか「やば、イケメン……」女の子たちのそんな声が微かに聞こえる。私は少し鼻が高くなった。やっぱり身内が褒められているのは誇らしい。男前でしょ、私の友達、と内心自慢をしようとして、でもそこで一瞬思考が止まる。

友達? アレ、友達で良いんだっけ、私たち。

考えてみれば告白されてキスもしかけた。それは友達と呼んで良いのか。一線を越えてしまっては、いないか。
もしそうなら、私たちの関係って一体。――否、そういえば自らの手に、その答えが委ねられているんだっけ。今更ながら、改めて衝撃を受けた。



一体どこへ向かっているのか、店を出ても五条は私の右手を引いてずんずん進んでいく。進みながら、数メートルのうちに気づけば指が絡められていた。大きな、骨ばった指と私のそれが隙間なく密着している。互いの体温が溶け合うようで、……あーあ。どこかで自分が呟いた。また友達の線、越えちゃったじゃん。

これといった会話もないまま大通りに出たあたりで、どこかぼんやりしたままの私に気づいたのか五条がこちらを振り返った。サングラスの下、夜のネオンとは比べ物にならない輝きと視線が交わる。


「酔ってる?」
「全然」


その言葉に嘘はなかった。酔ってないから、問題なのだ。







合コンを抜け出して、五条に手を引かれるまま歩くこと十数分。居酒屋を後にした私たちの間に会話はなかった。何も言葉を交わさぬままネオンの瞬く繁華街を抜けて、たどり着いたのは見覚えのある高層マンション前。いつの間にやら五条の住処が目的地に設定されていたらしい。
ここに来るのはこの間ぶりだろうか。能天気にそんなことを考えながら、五条の後を追う。そうして、そいつの家の扉の前。そこでようやくこちらを振り返った五条が大きな大きなため息を吐き出した。


「抵抗もせず男の部屋についてきちゃってさあ」


ほんっとオマエは、と呆れ百パーセントの視線を向けられる。さすがの私もそれには納得がいかなかった。「五条が連れてきたんじゃん」むっとして言い返せば、そいつはまたため息。失礼なやつだな、なんて思っていたら鋭利な色の乗った瞳に射抜かれた。


「僕オマエに下心あるんだけど。忘れた?」
「……忘れてはない」
「ふうん。流石に今日は無事で返してあげられないと思うけど」


五条は慣れた手つきで扉を開ける。自宅だから当たり前だけど。恭しく私に向けてドアを開きながら「それを踏まえた上で入ってもらえる?」その顔はふざけているようでもなかった。オマエが決めろと言われているらしい。

下心があって、無事に返す気が無い。それはこれ以上ないほど直球な口説き文句だ。言葉だけを採点するならDマイナス、シチュエーションと顔を加味したらAプラスといったところだろうか。ロマンチックの欠片もないくせに顔で補われてしまっているあたり憎たらしいなぁホント、とぼんやり毒づいた。

考えるまでもなく、直球のそれが指すのは文字通りそういうことで、思考回路がぐるぐる回る。目の前の部屋に入るか、入らないか。別に入らなければいけない理由はない。ここで帰ることだってできる。そうしたらただ、またその答えを先送りにするというだけで不利益もない。無事じゃなくなる、なんてこともない。――でも。

……無事じゃないも何も、もう手繋いじゃってるし。

視線は絡まった二つの手の方へ向かった。そんなこと、手なんかで語るべきじゃないのかもしれない。けれど既に友人の線引きはその形をなしていないのだ。五条の想いをぶつけられたあのときから、ずっと。その線をまた有耶無耶にしてしまって、良いのか。

正直私の中にこの関係に対する答えはまだない。でもこのまま放置したところで同じだろうなとも思うのだ。それなら、この際はっきりさせてしまった方が良いんじゃないか。
というかそもそも無事じゃなくなることを恐れる理由もないのだ。この十数年間私が無事だった試しなんてないんだから。基本的に常時満身創痍なのだ、任務にしろ色恋にしろ。――それに、相手は五条だし。十数年間心にも身体にも生傷の絶えなかった私だけれど、五条にそれをつけられたことはなかった。いつだってそいつは、傷を癒してくれる側。


だからいくら考えても。どう転んだってこの扉の向こうに私を不幸にするような要素はないように思えた。無言で敷居を跨げば「二言はなしだよ」念を押すように言われる。二言もなにもこちらは無言なんだけど。まぁいいか。なんて思いつつヒールを脱げば、そのまま流れるように抱き上げられた。……というより、持ち上げられた。
突如襲ってきたバランスの不安定さに、思わず肩を竦めてしまったのは不可抗力である。がしりとしたその腕の安心感にほっとしている場合ではない。


「五条サンこれはいったい?」
「逃げられないようにしようと思って」


飄々とした顔でそのバカが私に施したのは俗に言うお姫様……ではなく、俵抱き。小脇に私を抱えた五条は迷いなくベッドルームへ進んでいるらしかった。

いやいやチョットチョット。いくらなんでも展開早すぎない?

戸惑いつつもどうせこの最強男の腕を抜けられる気はしなかったので抵抗をすることもなかった。半ば諦観すら感じ始めていれば優しくベッドの上へ下ろされる。この前と同じく我が家の物とは比べ物にならないくらいフカフカである。成人を2人乗せているというのにスプリングが軋むこともない。
これが高級品ってやつか。
現実逃避にも似た感心を抱きながら、至近距離で私を見下ろす五条にこれ以上ない苦笑をぶつけた。


「もうおっぱじめる気?」


それはナイわぁ、と視線に乗せて言えば「そんな無粋な男に見える?」不服そうな声が返ってくる。流石にいきなり本番とはいかないらしい。ヨカッタ。
少々の不機嫌を纏いながらベッドの上で胡坐をかいた五条が自身の膝へ肘をつく。合わせて私も上体を起こした。


「もちろん無事で帰す気はないけど。でもまだ無事なうちにおしゃべりしとこうか」
「やっぱり無事じゃ済まないのは確定ナンダネ」
「僕がここに連れてきた理由くらいは察してくれてると思うけど」


私のボケは無視かい。なんてツッコミを放つほどの余裕はない。
フカフカのベッドの上、今のところ二人の間に置かれた距離感は正常だ。シチュエーションが異常なだけで。
サングラスの隙間からは蒼い眼が直に私をのぞき込んでいた。薄暗いベッドルームではいつもよりその色が濃く見えるんだな、と初めて知る。


「そろそろ聞かせてよ、答え」


待ちくたびれちゃった、なんて続けられた言葉。アンタの場合本当に10年強待ちくたびれてるあたり重みが違うんだって。不意打ちの重力で死ぬかと思った。ほんと女の趣味悪いよ。
ふたりの関係に名前を付けるよう催促するそれに、私は思わず閉口した。


「……答え、っていうのは、」
「言ったでしょ。僕は#name1#のこと好きなんだけど、#name1#はどうなの」


はぐらかそうとしたのにどうやら許してもらえないらしい。間髪入れず、逃げ道を塞ぐように声が付け足された。その主である五条は珍しく真面目な顔で「僕のものになる気、ある?」ちなみに選択肢は一択だけど、と。


「それって聞く意味ある?」
「本人の口から言わせることが大事でしょ」
「私が言わなかったらどうすんの」
「言わせるから問題ない。……だから、そろそろ観念しろよ」


邪魔になったのか、サングラスを外してサイドテーブルの上へ置く五条。カチャ、と冷たい音がした。その顔を覆うものがなくなってしまって、メンクイとしてはとても目に悪い。心臓にも悪い。何度も言うけどこいつ顔は最上級なんだって。顔だけじゃないのがイヤミだけど。

そんな私の葛藤を知ってか知らずか、ずいとその顔が近づけられる。この10年強で培った耐性が無かったらこの時点で惚れていたことだろう。自制をかけるように眉間に皺を寄せた。一方そいつからは「何が不満なわけ?」不機嫌そうな言葉が続く。


「僕は顔もスタイルも家柄も良いしお金持ちだし、最強だよ。仕事への理解もある。結局僕しかオマエに付き合ってやれる男はいないんだし、僕を選べば幸せ一直線じゃん。そもそも逃がす気ないし」
「スッゴイ自信」
「事実でしょ。それでどうなのオマエは」
「……」
「だんまりじゃわかんねぇよ」


その圧に怯んで反射的に後退ろうとすれば、待ったをかけるように私の右手を五条の左手が覆った。語調の強さとは裏腹に、その温もりは優しい。慣れ親しんだ男の慣れない温度は少し落ち着かなかった。でも、あたたかさの主が五条であることにはどこか安心して、肩の力が抜ける。


「なにに怯えてるわけ?今までのクソ男どものときはバカみたいにすぐ惚れたくせに」


オマエがチョロいのは僕が誰より知ってんだよ。その枷になってるのは一体何だ、と。
その言葉に自分でも見えていなかった核心を突かれたような気がして目を瞠った。――私は、怯えてるのか。何かに。五条の瞳を見つめ返して、思案する。

確かに五条の言う通り、私はチョロい。すぐに惚れるし動くしフラれるし、傷つくし。その気になれば道端の石ころにも惚れるんじゃね?といつかの五条にはバカにされたものだ。
そんな私が、五条の告白に頷かないのはどうしてか。そいつの言葉を受け止めることから逃げようとしてしまうのは、何故なのか。

確かに五条から想いを告げられてからずっと、私はそれと向き合うことから逃げていた。時には任務に没頭して、時には他の男に目を向けて。そこまでした理由は、その顔の良さにコロっといってしまえない理由は、ストッパーの正体は。


28にもなって、まさかこんなところで自己分析することになるなんて思わなかったな。でも考えてみたら少しすっきりしたような気もする。私は就活生かっての。内心ツッコミを入れつつ、苦笑混じりに口を開いた。


「――たぶん、」
「多分?」
「五条を傷つけたくない、から、かも?」


目の前のそいつはじぃと私の目を見つめて、話を聞く姿勢を見せてくれている。さすがの私も観念して、できる限り真摯にその視線を受けた。


「知ってるでしょ、私惚れっぽいから。“誠意のあるお付き合い”が成り立ったこともないし。……五条と付き合っても傷つけそうで、こわい」


五条が私を恋愛対象に入れるはずがない。今まではそんな確信があったから奴のことは恋愛対象外に据え置いていた。
それは本当だけど、でもそれだけではなかったのかもしれない。大事だから、手が出せなかった、手を出そうと思わないようにしていたのかも。……私はどこのヤリチンだよと言いたくなるような台詞だけど。
でも、自分の恋心を一番信用できていないのもまた私なのだ。

しかし、あくまでも真剣に紡いだ私へ五条は少し不満そうに声を上げる。


「付き合う前から浮気宣言?」
「そうじゃなくって!」


そういう問題じゃない。ていうかなんで告白OKした体で話進めてるんだコイツ。
私が言いたいのはそういうことではなくて、もし付き合ったとしてもそうなるかもしれないじゃん、ということだ。なにしろこちとらイケメンを見るたびに惚れてきた女ですから。この先何があるかわからない。


「五条の告白に頷くのは簡単だけど、その先で五条を傷つけたくない」


そして私は、そんなことで五条を失いたくないのだ。
こればっかりは微塵のおふざけも茶化しも含まず、真剣に。心の底からの本音を五条へぶつければ「ふうん」なにやら含みのある声が返ってきた。少し眉根を寄せてそいつの出方を窺っていると。


「好きな女から他の男の惚気をひたすら聞かされる以上に傷つくこととかある?」
「んん゛っ」


飛んできたのは鋭い角度のカウンターパンチである。急所へクリティカルヒット。思わず咽せてしまった。
「そ、それとこれとは……」痛いところを突かれてしどろもどろの私をそいつが鼻で笑う。


「傷つくとか傷つけるとか、今更なんだよそんなモン」
「い、今更って言ってもさあ!」
「それより僕が聞きたいのはオマエの気持ち」


そこんとこどーなんだよ、なんて言葉と共に五条の大きな手がこちらへ伸びてきた。骨ばった両手が私の顔を包み込むように輪郭へ沿えられて顔の向きを固定された。私の視界のど真ん中に居座ろうという魂胆らしい。試しに抜けようとしてみたけどビクともしなかった。馬鹿力め。
何にせよ、文字通りここまで真正面から突き付けられてしまえばもう向き合うほかなかった。

五条を恋愛の対象に入れないようにしていた理由とかそんなものではなくて、もっと根本的な私の気持ち。その男に抱くものは何なのか。
呪術界の誰もが羨望するだろう数百年に一度の輝きが、じっとこちらに注がれていた。私を包み込むように、見定めるように。流石に今それを真っ直ぐ見つめ返す余裕はない。少し目を伏せながら思考回路に飛び込んだ。


今まで無意識にかけていたストッパーを外して五条を見つめたとき、私は何を思うのか。
友達という色眼鏡を外してしまえば、そこに残るのはただの“五条悟”だ。私のことを一番理解してくれていて、素を見せることができて、いなくなったら困る。ずっとそばにいてほしい。そんな、大切な人。

それを世間一般の言葉でどう表せば良いのか私にはイマイチわからなかった。今までの元彼氏たちに抱いていた気持ちとは一線を画していることだけは確かだけど――コレを、この感情を恋と言っていいのか。だって恋と認めてしまったら、無意識下に隠していただけでほんとはずっと五条に惚れてたかもしれないなんてことになってしまう。そんなことがあっていいのか。これを恋だと言うなら、私の今までの惚れた腫れたは一体何のおままごとだったのか。

様々な角度から葛藤が湧く中、自分の気持ちを定めることができない。思わず両手をぎゅっと握りしめた。先ほどまで右手の上に重なっていた五条の手のひらは、今私の顔を絶賛固定中である。何の温みも乗らない右手は少しだけ寂しい気がした。
そこで、混濁する思考へ一筋の光がさすように、思い出す。

恋とか惚れるとか、もうよくわかんないけど。――繋がれた手は、離すには惜しかったなぁ。

結局あぁだこうだ考えても答えはそこにしかないのかもしれない。思考は全部、無駄。考えるより感じろとはよく言ったもので。
傷つけるとか傷つくとか、そんな難しいことは取っ払って、色眼鏡も外して、その蒼い眼を見つめる。そこに残ったのは、その手が心地よかったということ。離したくない、ということ。そして。


「惚れてるんだと思う」


多分それは、恋と呼んで差し支えない。


「……ふーん?それは誰に?」
「五条のこと好きなんだと思う、私」
「――やぁーっと言ったね」


それはそれは満足そうに五条の口角が上がる。「何年待たせるわけ?」きらきら輝く蒼色が一層深くなった気がした。その深い蒼が、そいつの無駄に大きな手によって固定されたままの私の方へゆっくり近づいてくる。あっという間にこの間ぶりの至近距離だ。吐息が混じってとける中、フツウならここで目を閉じるんだよな、なんてぼんやり考えた。そして唇が重なって、めでたしめでたし。

でも、ザンネン。私たちの場合そうはいかない。まだ話は終わっていないのである。「チョーットまった!」それを重ねるにはまだ早い。その距離が埋まりきる寸前、なんとか音を差し込んだ。


「……なに?僕はもう10年待ったんだけど」
「いちいち年数が重い!……じゃなくて。確かに私は五条に惚れてるんだと思うけど、付き合うとかいうのはまた別の話なの」


だから、キスもナシ。
言い切った瞬間、ベッドの上に沈黙が広がる。目の前の笑みが凍り付き、一転「ハァァ??」端正な顔をひん曲げた五条が抗議の声を上げた。


「反応がガキじゃん?」
「どう考えても#name1#が悪い」


オマエこの期に及んでわけわかんねぇこと言い出さないでくれる?瞳孔をかっ開いてキレる五条を見ているとまるで高専時代に戻ったようだと懐かしさを抱いた。明らかにそんな場合ではないんだけど。

目の前でブチギレる28歳男性へ少々白けた目を向けていれば「全く納得してやる気はないけど理由は」凶悪なツラをした自称グッドルッキングガイがガンを飛ばすように聞いてくる。顔の固定が解除されて首が軽くなった。
ガンギレの五条は自身の膝に頬杖をついて私を見下ろす。空いた手はもう片方の膝の上でビートを刻んでいた。多分苛立ちを隠しきれないのだろう。というか隠す気もないのだろう。

でも私だって折れるわけにはいかない。気合いを入れ直して息を吸った。


「五条、私の恋愛遍歴見てきたでしょ」
「見せられたね、嫌ってほど」
「じゃぁ、わかってよ。恋人なんて、私にとったらいつか――割と短期間で去ってくもんなの」


いくらその人のことが好きだと思っても、想いが通じても。結局彼らは私の元からいなくなってしまった。そんなことを繰り返すうち、私は幸せになりたいと言いながらその実どこかで諦めるようになっていたのだ。
好きな人ができるたび、恋をするたび浮かれたけれど、同時にどこかでは終わりが存在することを知っていた気がする。終わりを迎えるとやっぱりか、と納得をして、忘れて、そしてまた次の恋を探して。

私の恋は消耗品なのだ。消費するしされるもの。だからこそ、私は。


「あんたを、そこに置きたくない」


私にとって五条は、簡単に失えるような軽い存在ではない。消費できるような存在でもない。
恋なんていう不確かなものに五条を託したくないのだ。

強い意志と共にそいつを見返すと、どうやら先ほどまでの苛立ちは少し落ち着いたらしい。「ふうん」打たれた相槌は存外穏やかな、むしろ少しだけ楽しそうな響きを持っている。

……大人しく納得してくれたならそれで良いんだけど、コイツに限ってそれは考えにくい。じゃぁどうして機嫌が改善されているのか。気味が悪くて眉根を寄せた。すると「どんなアホらしい理由が出てくるのかと思ったら、」形の良い唇の端を吊り上げながら五条が言う。アホ?誰がアホだって?更に眉間の皺を濃くしていれば、


「かっわいー理由」


難しい顔をした私を揶揄うように、小さく笑った五条。「そんな顔してるとほんとにシワできるよ、もうアラサーなんだから」余計な一言を付け加えながら私の眉間を人差し指でつついている。反射的に眉間を平地に戻しながら、しかし「どういう意味」臨戦態勢は解かずにシワひとつない顔を睨みつけた。


「どうもこうもないでしょ。そんなに僕のこと大事なんだ?」
「……そーだよ」
「ならそこについては安心していいよ、僕にそう易々とオマエを手放す気はないから」


微塵の迷いもなく言い切る五条の顔には余裕綽々な笑みが浮かんでいる。その頬を思いきりつねってやりたいな、なんてぼんやり思った。


「今は、そうでも。この先はわかんないじゃん」
「そんなこと言ってたらなんにもできなくなるよ。それに、僕はこの10年間ずっと#name1#が好きだったんだけど。それは加味してもらえないの?」


五条は猫を被った口調で、やさしく丁寧に私の理論武装を剝がしていく。「今までの男どもとは文字通り格が違うんだよ」その眼に再び熱が灯っている、そう気づいた時には私は既に丸腰だった。


「異論はないね」


異論。異論っていうか、さあ。
なにか反論してやりたいのに言葉が出てこなくてもごもご口ごもる。そうこうしているうちに五条に抱え込まれてしまった。今度こそ逃がさない、とでも言うかのように後頭部を固定される。今日何度目か私の顔を覗き込む六眼から、今回ばかりは逃げられそうにない。相変わらず綺麗な顔してやがる、そう内心毒づいた。
一方で、そいつは私の顔を覗き込んで可笑しそうに笑っている。


「不満そうな顔してるね」
「なんか丸め込まれた気がして」
「10年以上丸め込んでやろうと準備してたんだからもう何しても無駄あがきだよ」


涼しい顔で言ってのける五条に大きなため息を浴びせた。本当に女の趣味が悪い。そしてやることが回りくどい。


「……私、もしかして面倒なのに捕まった?」
「ようやく男を見る目が養われたね」
「ほんと男運悪いなあ」
「ハァ?今日からは男運最強でしょ」


ムードもクソもないやりとりの合間を縫って、唇が重なった。
互いの熱を確かめるように、唇を食む。隙間から漏れる吐息はもうどちらのものかわからなかった。

口づけの中、薄っすらと瞼を開いてみればはにかむようにあたたかい瞳でこちらを見つめている五条と目が合う。私に気づくとその眼が細められた。

なんだよ。ほんとに私のこと大好きじゃん。
コイツに対してそう思うのは一体何度目だろうか。やっぱりどこかがこそばゆい。そして同時に、なんだかあたたかくて泣きそうだった。絶対泣いてやらないけど。


数秒の後、少々の名残惜しさは残しつつも二人の間に距離が取り戻される。いつでもまた触れられるような距離で見つめ合って、お互い小さく笑った。

あぁもう、観念しよう。
何に対してかは自分でもわからないけど、そんなことを考えながら五条の胸板に寄りかかる。どこか喜色を帯びた五条が私の髪の毛を弄んだ。


「あーぁ、次失恋したら誰に慰めてもらえばいいんたろ」
「失恋させねぇよ」
「顔コワ」
「誰のせいだと思ってんの」


ため息交じりに、でもなんだか嬉しそうに「僕をこんなんにした責任取ってよね」責任取るのって女側のすることだっけ?それともこれがダイバーシティ?
ともかく「人のせいにしないでよ」と言いかけた口は噤んでおいた。思い当たる節が多すぎたためである。


「もう僕以外に泣かされんなよ、僕以外の男に浮かれるのも禁止」
「……善処はする」
「次合コン行ったら覚えてろよ」
「怒ってたんだ」
「当たり前でしょ」


むっとした様子を見せる五条が幼く見えて笑えてしまった。面白くなさそうな顔で優しく頬をつねられる。それすらも面白くて胸板に顔を隠すようにして笑った。


五条の腕の中はやけにあたたかい。慣れ親しんだ匂いに安心して、なんだかずっと求めていたもののようにも思えてしまう。そいつへ向ける気持ちが恋心なのか先ほどまで悩んでいたくせに現金な女だ。
アレだけあぁだこうだと理由をつけて抵抗していたというのに、いざ折れてしまえば心地よいなんて。自分のあまりのチョロさに苦笑していれば「それで、」なにやら本題を引き寄せるような声色が落とされた。


「話は済んだわけだけど。そろそろ無事じゃなくなってもいい?」
「……え゛」
「無事で帰す気ないって言ったでしょ」


先ほどまでの幼さはどこへやら、「そこんとこどうなの」問うてくる五条はいつの間にやら男の顔をしていた。そういえばすっかり頭から抜けてしまっていたけど確かに五条からはそんなことを言われていたっけ。

言うまでもなく、ここまできて私に拒む理由はない。というかこんな質問せずに流れで進めても問題どころか滞りもなかっただろうに。ここで改めて確認をとるあたりなんだか律儀で面白かった。


「オマエが泣かされてきた馬の骨たちよりは上手い自信あるよ。まぁそんなもん思い出す余裕、あげる気ないけど」
「……今さら五条と他の男並べる気もないよ、私は」


返事の代わりに私の方からキスをしたら五条は少し驚いた顔をした。フレンチキスに驚いてどうすんの五条サン。高いだろう経験値に似合わない反応がこれまた面白くなってしまって「お?チェリーボーイ?」ついつい揶揄うように投げかけてしまった。しかしここで、瞬時に後悔。


「いい度胸じゃん」


手加減は必要なさそうだね、とかなんとか。目の前の笑みに妖しさがのせられてしまった。あ、やばいな。なんか火を点けてしまった気がする。冷や汗を流す暇もなく、形勢は逆転。


「ご、五条サン?」
「カマトトぶんなよ。悪いようにはしないって」


なるほど、これは確かに無事じゃないカモ――なんて考えている余裕があったのも最初だけ。二つの影は一つにとけて、シーツの上へ倒れ込んだ。


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