働きたくない木曜日

 帰りてえ。
 それは今日、俺が朝起きて一番に発した言葉だった。帰りてえ。超帰りてえ。まだ出勤どころかベッドからも出てねーけど。
 本日は木曜日である。つまり一週間の疲労が溜まりつつあるうえ、今日を終えれば休みだという気休めすら存在しない地獄の平日。なんとかベッドから這い出てテレビを点けると、ちょうど結野アナのお天気コーナーが始まったところだった。「今日は快晴です!久しぶりに暖かくなりそうですね〜」マジかよ晴れかよ、超帰りてえ。しかし生憎、担任を持っちまっている以上SHRを行わなければならねーわけで。

「……だァークソ、」

 あと一回遅刻したら減給だとか脅されちまってるしな、仕方ねェ。一度大きなため息を吐いたのち、俺は渋々用意を始めたのだった。
 

 



「らっしゃいませー」

 右から左へ抜けていく、店員のやる気なさげな声。重い重い腰を上げなんとか家を出た俺は、現在昼飯調達のため最寄りのコンビニへ立ち寄っているところである。普段なら高確率で朝コンビニに寄るほどの時間は余っていないため購買で済ませるのだが、今日は案外早く支度を終わらせることができたのだ。帰りてェ帰りてェと思いながらではあったが。
 まぁともかくそんなわけで、握り飯やらいちご牛乳やら飴玉やらをカゴに放り込んでレジに並んだ。開いているレジはひとつで、先客はひとり。何の気なしに店員の顔を見てみれば、一つに結んだ黒髪とまァ整っていると言うべきだろう顔が目に入る。最近よく見るバイトだった。

「1053円になります」

 聞こえてきた声もそれはそれは聞き覚えのあるやる気のない声だ。俺が言えたことではねーが。

「お釣り、七円でございますー」

 ぼんやり意識を飛ばしていればまた聞こえてきた定型句に、そろそろ俺の番かとカゴを抱え直していると。

「……」
「……」
「……あのーオキャクサマ」

 女が釣り銭を読み上げてから十数秒が経つというのに、目の前の客のハゲ頭が思いの外動き出さない。女の怪訝そうな声に釣られて少し覗いてみれば、そのおっさんは女の手を釣り銭ごと包み込んでいるようだった。一方、「困りますオキャクサマー」怯えるでも怒るでもなく、清々しいほどの棒読みを繰り出す女。まぁ慣れたもんなのだろう。だがしかし、女の冷めた視線を受けても事態は膠着したままであり、……仕方ねェ。朝っぱらから面倒くせーなとため息を吐いた。

「……あー、オッサン。それはちょっとアレじゃねーの」

 オッサンがセクハラしようが店員が迷惑を被ろうが知ったこっちゃねェが、いつまでもそうされて困るのはこっちだ。折角遅刻を免れそうだってのに水の泡になっちまう。というわけで渋々声をかけてみれば、ビクリと肩をはねさせたその男。

「このご時世じゃ捕まっても文句言えねーぜ」

 そう付け足すとハゲ頭は釣りを奪い取るようにして店から出ていった。「アリガトウゴザイマシター」その背を、また棒読みが追いかける。女はハゲを見送ると、はあと大きなため息を吐いた。

「どうもお手数おかけしてスミマセン」
「コンビニ店員も大変だな」

 カゴを台に置きながら言えば、「そりゃもう」女もバーコードを読み取りながら諦めたようにハハと笑った。目は死んでいた。

「深夜なんか怒鳴る客やらヤバそうな奴やらわんさか来ますよ。今来た客もいつもあんな感じで」
「常連かよ。ストレス溜まんねーの?」
「まあ正直言えばぶっ殺してえですね」
「客より店員のほうが危ねェじゃねーか」

 俺がコンビニによく来るせいか、この女と話す頻度は中々高い。そしてその度思うが、コイツは相当口が悪い。さらに言えば、多分俺以上に目が死んでいる。いややっぱ俺の目は生気に溢れて爛々としてるけど。こんなのとは比にならない輝きを秘めてるけど。まぁとにかく、店員にあるまじき態度であることだけは違いない。無表情だし目ェ死んでるし。
 そんなことを考えながら女を見下ろしてみると、想像以上に目が死んでいて驚いた。もはや虚ろと言うべきレベルだ。……つーか、

「えっお前目ェ死にすぎじゃね?」
「はあ? 突然自己紹介ですか?」
「誰の目が死んだ魚だコノヤロー!!お前の話だよお前の!」
「喧嘩売ってやがります?」

 普段に比べても格段に闇の深い目に驚いて言えば、「今日は深夜からぶっ通し八時間耐久とかいうシフト組まれたんで」と。なるほど、つまり限界に挑んでいる最中らしい。

「よくそんなに働く気になるな」
「うるせえ黙れ天パ。お会計642円にナリマース」

 六百と、四十二円。小銭あったっけか。そんなことを考えながら財布を開いた。「つーかアレ、今俺罵倒された?」「気のせいじゃないですかね」食えねェ女だ。チャリチャリ音を立ててがま口の中を探り、ようやく見つけた金額ちょうどを手渡す。
 精算が行われる間、なんとなく視線はそいつの胸元へむかった。……B寄りのCだな、こりゃ。もうちっとがんばれ、お前なら出来る信じてるぞ。控えめな胸に、内心熱いエールを送っていると「こちらレシートです」ビニール袋と白い紙を手渡された。「どーも」双方を受け取り、レシートを丸めてポケットにしまい込む。

「アリガトウゴザイマシター」

 今日幾度目かの棒読みに背を押されるようにして踏み入れた自動ドアの外側は、秋の朝らしく少し肌寒い気がした。慣れたバイクに跨って、キーを回す。学校まではもう数分か。

「……超帰りてえ」

 学校中止になんねーかな。切実な気怠さを込めてつぶやいた声は、誰にも拾われることなく風にさらわれて消えていった。


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