言霊にはご注意を(1/3)


午後6時、ひとつの影が空の中を駆け抜ける。


「大変、大変! 大変だよ〜!!」


彼女の背中には白い翼が生えており、その羽は月の光を反射して星のように煌めいていた。さらに夜が深まった暗闇の中で、全身を白で包む姿はどことなく異質さを感じさせる。


「あっ、白鳥だー! そんなに慌ててどうしたの?」
「…何か、あったの……?」
「月熊! それに縞いたち! 聞いて聞いて、大変なことが起こったんだよー!」


彼女の声を聞き付け、二人の少女が目を留めた。
白鳥と呼ばれた彼女はその姿を見つけると、急降下で二人の元へと足を降ろす。不思議そうにしていた少女達だったが、どこか焦りの見える彼女の表情にお互いの顔を見合わせて、静かにその言葉の続きを待った。


「街を出ようとした男の子が、死んじゃった……」
「えっ…?」
「…し、んだ……?」


二人の少女に、衝撃が走る。
握り合っていた手には無意識に力が籠り、僅かに震えていて。特に、片目を包帯で隠した眼鏡の少女――縞いたちは余程恐ろしかったのか、カチカチと歯を鳴らして月熊に隠れるように身を寄せていた。


「何であんな事したんだろう……綿が忠告してないなんてこと、あるはずないのに……」


白鳥がポツリと声を漏らす。
小さく小さく呟かれた音。ひと度風が吹けば、紛れて消えてしまいそうな微かな声。しかし、その言葉を縞いたちは聞き逃さなかった。

――そして、彼女のどことなく思い詰めたような表情に、誰も気づくことはなかった。



◆◇◆



静かな情景。変わらない街並み。
いつもと同じ光景に、少しだけ安堵する。
荒くなった息を落ち着かせ、恐る恐る暗闇で覆われた通路に足を掛けた、その瞬間――気づいてしまった。
……通路の中が、血の臭いで埋め尽くされていることに。

それに気づいた途端、胸が締め上げられるかのように苦しくなる。ドクドクと唸る心臓は、最悪の結末を見据えていた。
"行かなきゃ"…そう思うのに、地面に縫い付けられたかのように足が動かない。恐らくこの中で、一人残されているであろう彼の元に行って、少しでも悲しみを無くしてあげたい……それなのに。


「あら、少年。こんなところでどうしたの? 彼から住居の案内はしてもらわなかったのかしら?」
「あっ、もしかして君が新しい住人ー!? こんばんは、初めましてだね! あたし白鳥って言うの、よろしくー!」
「……わた、うさぎ…」


不意に声が聞こえた。
凛として、透き通った綺麗な声。聞き覚えのあるその声に、張り詰めた気持ちがほどけていく。
振り向いた先には、首を傾げながら微笑む綿うさぎ……そして、背中に大きな翼を携えた見覚えのない女の人が立っていた。

白鳥と名乗る彼女は、「えーっ、シカトしないでよー!」と声を上げるけど、今の僕に返答する余裕は少しもなくて。その僕のおかしな態度に何かを察したのか、綿うさぎの顔が厳しいものに変わっていく。

もう、彼女は気づいているかもしれない。
僕が何を言いたいのかを。
……ここで、何が起こったのかを。


「…まさか、犬の少年が?」
「……う、ん。無事だって、思いたい…けど。どうしても、するんだ…血の、臭いが……! 僕のせいだ、僕が、止めなかったから…!!」
「少年、落ち着いて。決めつけるにはまだ早いでしょう? ……自分の目で確かめなければ、真実は知り得ない。白鳥、灯りを取ってくれるかしら?」
「えっ、何? 二人ともそんな怖い顔してどうしちゃったの? あの通路の中で何かあったの?」
「一人の少年が街から出ようとしたの。深い傷を負っているのは間違いない。もしくは……」


最悪の事態も、あり得る。

あくまでも冷静にそう告げる綿うさぎの声が、彼女の耳を震わせる。事の重大さを理解したのだろう、白い肌を青く染める彼女は恐怖の色を隠せないでいた。

白鳥、早く――焦燥を帯びた綿うさぎの声に弾かれるように、白鳥は自身の翼を羽ばたかせ始める。宙を舞う彼女の身体は街灯の元へ辿り着くと、灯りの部分をくるくると回し始めた。カラリ、カラリ。回すリズムに合わせて綺麗な音を奏でるそれは、どうやら着脱式になっているようだ。


「綿、これ……っ!」
「ありがとう。…私が、確認しに行こう。少年は白鳥と一緒に……、」
「待って、綿うさぎ。僕が行くよ、僕の…たった一人の相棒なんだ。それに約束したんだよ、必ず合流するって。多分彼も、この中にいるはずだから」


きっと、綿うさぎは気を使ってくれたのだろう。僕が悲しまないように、傷つかないようにと。
でも、こればかりは僕が行かなきゃいけない。カーネもミネも大切な友達だから、僕の目で見届けなければいけない。と、そう思った。
……たとえ、どんなことが起こっていようとも。

ためらいの表情を見せる綿うさぎの手から、ランタンのような姿になった街灯を受け取る。上部に取り付けられた金属の取っ手を握ると、ヒヤリとした冷たさが染み渡った。


「…少年、私も行くよ」
「……でも、」
「一人で抱え込もうとしないで。あなたは一人じゃない、頼れるときは頼っていいのよ? それに、これはこの街に関わることだ。私も知っておく必要がある」
「わっ、私も行く! 二人より三人の方が心強い、でしょ?」
「…二人とも、ありがとう」


――本当は、怖かったのかもしれない。
彼女達の言葉に、微かに震えていた手がピタリと止まる。氷のように固まっていた足がするりと動く。誰かがいるという、ただそれだけで……僕の気持ちはこんなにも軽くなった。
感謝の言葉を告げ、再び暗闇の通路へ歩みを進める。最初は進めなかったその入り口も、今度は驚くほどに歩くことができた。手元で揺れるオレンジ色が、真っ暗な視界を淡く広げていく。

その光が照らす先、そこには血の海に崩れ落ちたミネの姿があった。そして、周りに散らばる無数の塊に全てを察する。これは――、


「カーネ……」
「……アマル、くん?」


耳、内臓、指、強い血の臭い……それから、引きちぎれたドクロのネックレス。それがカーネだという何よりの証だった。目まぐるしく入り込む情報に、目眩がする。込み上げてくる吐き気に思わず口を覆った。

ガシャリ。街灯の鳴らす音が通路内に木霊する。手から離れたその音に、ミネの耳がピクリと動いた。ゆるりと振り返る彼の顔は酷く憔悴していて、呟くその声はとても弱々しいもので。後に続く綿うさぎ達の、息を飲む声が聞こえた。

――僕が、二人の笑顔を奪ってしまったんだ。


「ごめん、本当に…ごめん……!!」
「アマルくん、僕ね……まもれたって、思ったんだ。ちゃんと、カーネにとどいたんだよ。でもね、カーネ……バラバラになって消えちゃった。腕、冷たくなってさ……僕、まもれたと思ったよ、まもり、たかったよ……!」
「…いい、もう……喋らなくていいから…。辛い思いさせて、ごめん…っ」


もう見ていられなくて、たまらずミネに駆け寄り、その背中を抱きすくめる。ちぐはぐな言葉を紡ぐミネ、彼の翡翠色の瞳から流れる涙は留まることを知らないかのように溢れ続け、僕の服を濡らしていった。

その罪悪感から逃れるように視線を下ろした先、僕は彼の言葉の意味を知る。彼の手に握られたそれは、散らばる残骸の中で唯一原型を留めた、カーネの腕だった。


「これ……」
「…少年、ここにいるのは…あまりよくない。彼の…、犬の少年の埋葬は私が手配しておく。だから、早くここから……」
「あり、がとう…綿うさぎ。でも、少しだけ待って。このブレスレットだけでも、残しておきたいから」
「……分かった。それが終わったらすぐに出るのよ。 白鳥、あなたはこの事を街のみんなに伝えてくれるかしら?」
「う、うっ…うん! つ、伝えてくる……!!」


バサリ、と空を舞う白鳥の音が聞こえた。
常に冷静な綿うさぎの、その強い心に救われる。僕がこうやって落ち着きを取り戻せたのも、彼女がいるおかげだ。僕一人だったら、取り乱した気持ちのまま、僕やミネまで危険な目に合っていたかもしれない。

せめてもの形見に、と固くなった彼の腕にぶら下がる白のブレスレットにそっと手を掛けた。そのとき、その影に隠れて、彼の腕に何か切り傷のようなものがある事に気づく。妙にそれが気になって。ソッとブレスレットを外すと、そこには歪な形の数字が小さく刻まれていた。


「…19……?」



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