殺人鬼にはご注意を(2/2)


「……おや、おかしいな」


とある場所、テーブルランプだけが灯る暗い部屋の中で、パラリパラリと本をめくる音が鳴った。その薄いノートを開いて眺めていた男は、最後に文字が書かれたページを見ると、顎に指を当てがい不思議そうに呟く。


「誰かがこの街に来たような気がしていたが、私の気のせいだっただろうか。……それとも、名前を聞きそびれていたのかな」


どうやら、目的のページがなかったようだ。
"住人の名前"……それを思い出したいらしい彼は、しばらく思案顔で悩む。が、答えは出なかったのか、彼は諦めたようににこりと微笑むと、そのノートをそっと閉じた。


「まあいい。また、彼女に会ったときに聞いてみるとしよう」


求めていたものはなかったというのに、何故か彼の笑顔は消えない。むしろ、ノートを優しく撫でる彼はどこか嬉しそうだった。表紙には落書きのようなうさぎの絵が描かれていて、彼はそれを愛おしそうにもう一度撫でる。一息ついて立ち上がる彼は、少しばかり名残惜しそうな顔をして、寝室へと向かうのだった。


「……おやすみ、コニー。愛しているよ」



◆◇◆



真っ先に目に入ったのは、彼女が宙に浮く姿だった。


「縞いたち、何故だ! どうして、月熊を!」
「……だ、だって、私……こ、怖くて……シオンは私の本当の名前、知ってるから……いつか私、殺されちゃうんじゃ、ないかって……それで……っ! ごめん、なさい……ごめんなさい、ごめんなさい……!」
「縞いたち……」


放心して立ち尽くす縞いたちに詰め寄ると、彼女は大きく肩を震わせてこちらを向いた。目深に切り揃えられた髪の隙間、そこから見えた片目は恐怖に怯えている。つい怒鳴ってしまったことにハッとするが、もう遅く。彼女は何度も謝罪を口にしながら、ぼろぼろと大粒の涙を流して泣き始めた。泣きじゃくる小さな彼女に申し訳なさを感じてなだめるように背中をさするが、一度溢れ出した涙はなかなか止まってはくれないようだ。

――しかし、妙だ。
彼女と月熊は親友とも呼べる仲だった。それなのに、何故急にこんなことを言い出すのか。何か、そうなるきっかけがあったのだろうか。あるとすれば……そう考えて思い浮かんだのは、数日前の出来事だった。犬の少年が私の忠告を破り、謎の死を遂げてしまったあの事件だ。

私ですら、恐怖している。忠告した立場とはいえ、あんなことになるとは思っていなかった。この街には言霊の存在がある。だから、街からの脱出による死が嘘だとは思っていなかったが、あれほどに残虐な殺され方をするなんて。もし、それが今回の彼女の死を誘発する原因になっているとしたら。……すべての責任は、私にある。


「……すまない、縞いたち。何もかも、私のせいだ。私が、君達をこの街に連れてこなければ、こんなことにはきっと……」
「オヤ、オヤオヤ〜? オイラ、早速見つけちった感じ〜?」


ふいに、間延びした声が響いた。
振り向いた視線の先に、愕然とする。にいと笑うカボチャの顔に、街に溶け込むような黒い出で立ち。奇妙なその姿を、忘れるはずもない。彼のせいで何人もの住人が深手を負った。縞いたちもその被害者で、彼女の失明した左目は彼によるものだった。

気まぐれで、猟奇的。
今日こうして街に下りたのも、彼の気分がそうさせたのだろう。本当に行動が読めなくて……許しがたい青年だ。


「ジャック、いったい何の用かしら」
「だーから、オイラそんな名前じゃねえんだけどな〜……まあ、いっか。オマエには世話になったし」
「……何の、話だ。私は何も……」
「何って、オマエが入れてくれたじゃねえか。オイラをこの街によお」
「……私が、君を……だと?」


彼の、言っている意味が分からない。
私が彼を招き入れたなんて、冗談にしては度が過ぎている。自分で連れてきた住人を忘れるほど、私は馬鹿ではない。そもそも、彼とはこの街で始めて出会ったのだ。

……であれば、確かに。彼が街の中にいるのは不可解ではある、のだが。まさか、私の意図しないところで彼まで連れてきてしまった、とでも言うのだろうか。いくら考えても答えの出ない現状に、私は自然と顔をしかめていた。


「何だよ、知らねえの? ひっでえな〜。ま、気づかないのも無理ねえか。……で、何でアイツはあんなとこであんな妙な死に方してるワケ?」
「……っ!」


のんびりとした歩調でこちらに近づく彼が、時計台へと指を向ける。その動作に、小刻みに震えていた縞いたちがさらに肩を揺らした。私の服を掴む指には力が入り、彼女の顔は次第に血の気を失っていく。ただでさえ、彼は彼女にとってトラウマとなっているのに。そんな風に問いただされては、恐ろしくなってしまうのも無理はないだろう。


「……ヘエ、そこのガキの仕業? 見かけによらず、意外なことすんだな〜?」
「違う、これは私のやったことだ。縞いたちは何も……」
「……フツー。殺しに慣れてねえやつが殺ったときは、少なからず動揺するモンだぜ〜。例えば目が泳いだりソワソワ落ち着かなかったり……ソイツみたいに、口元に手をやったりな。オマエが殺し慣れてるってなら、話は別だけどな〜」


また距離を縮めた彼が、どこか楽しそうに話す。無意識だったのか、唇を隠すように片手を当てていた彼女は、反射的にその手を離した。私の嘘を嘘と気づいてしまうあたり、彼は想像以上に殺めることになれているのかもしれない。そう思ってしまうほど、彼の人を傷つけることに対するためらいのなさは、異常だった。


「……ち、違う……私、じゃない……。シオンは、私の親友だもの……私は、ちがう……殺してない、殺してない……!」
「ヒヒヒッ、やっぱりオマエが殺したみてえだなあ〜? それも仲のいいヤツをとは、聞き捨てならねえ。これは、制裁が必要そうだ」


縞いたちは自分に言い聞かせるかのごとく、否定の言葉を繰り返す。彼との接触を拒むように後退していく彼女を見て、彼はこの場に不釣り合いなほど、陽気に笑った。

そして、そのまま。
あろうことか、彼は流れるような動作で背中に抱えた刀を引き抜くと、こちらへと刃先を向けたのだ。


「……や、やだ……いやだ……っ!」
「ジャック、その刀を今すぐしまいなさい!」
「ワリィがそれはできねえ相談だな〜。簡単にダチを殺しちまうようなソイツを、野放しにしておくわけにはいかねえ」


必死に首を振りながら、さらに彼女は後ずさっていく。私の言葉を素直に彼が聞くはずもなく。刀は取り出されたまま、戻される気配はない。ゆらりと動いてそれを構え直す彼に、ただならない雰囲気を感じた。

獣が獲物を狙うように、標的を定めた彼は話し出す。――それは他でもない、殺しの合図だった。


「クソガキ一名、今からオマエを親友殺しの罪で処刑する」


途端に、彼の速度が上がる。
縞いたちに目掛けて走り出す彼は、嬉々としているようだった。足をもつれさせながらも逃げ惑う彼女は、どんどん私の元から離れていく。彼の脅威から守るために後を追うが、このままでは間に合いそうにない。

私の大切な住人が、また命を落とそうとしている。それだけは、何としても避けなければ。私の、命に代えてでも。


「縞いたち、私から離れないで! 一人になっては危険……、!」
「えっ、……い、なく、なった……?」


彼女に目を向けた一瞬、目の前で追っていたはずの彼が消えた。跡形もなく、まるで初めからいなかったかのように突然消えてしまったのだ。立ち止まって辺りを見回してみるが、彼の気配はない。縞いたちも驚きを隠せないようで、その場に立ち尽くしていた。彼の姿が見えないことに気が抜けたのか、心なしか彼女の強張りは緩んでいるように見える。

……だが、彼がそう易々と諦めるわけがなかったのだ。


「……ヒヒッ、オイラは"化ける"のが得意なんだ。後ろにも気ィ〜つけとかねえとダメだぜ?」
「……っ!」
「いつの間に……!」
「あばよ、クソガキ」


突如、彼の声が舞い戻る。しまった、と思ったときにはもう遅かった。縞いたちの方へ振り反ってみれば、その背後には炙り出しのように姿を浮き出す彼がいて。今まさに動き出そうとしている刃は見えているのに、どうしてこんなにも私の世界は遅いのだろう。スローモーションのごとく踏み出された一歩は、届くはずもなく。

勢いを増しながら突き出された刃は、彼女の胸を難なく貫いた。


「ッ縞、いたち……!!」
「ヒヒヒ、致命傷だな。すぐにあの世へ逝けるだろうよ」
「ジャック、どうして……彼女を!」


枷が解けたように軽くなった身体で彼女の元に駆け寄るが、虚ろな目をした彼女に生気は込もっていない。その視線はしばらく宙をさ迷うと、眠るようにそっと閉じられた。彼女を抱える手には、ぬるりとした赤い血が溢れ続ける。……また、救えなかった。彼女は、ただ誰よりも生きようとしていただけなのに。

ケタケタと不快に笑う彼に嫌気が差して睨み付けると、唐突に笑う声が止んだ。


「……どうして、だあ〜? 俺だけがワリィみてえなその言い方、気に食わねえな〜。じゃあ、聞くが……コイツがあのガキを殺した理由、オマエには分かんのかよ?」
「……っ、それは……」
「なあ、言えねえんだろ? 明確な理由もねえのに何となくで殺すようなヤツは、また同じコトを繰り返すだけだ。そんなヤツはさっさと死んじまった方がいい、そう思わねえか?」


彼は言及する。
"何故、彼女が親友である少女を殺したのか"と。
……答えることが、できなかった。

誰だって、死ぬのは恐い。彼女の一番の理由はそれだろう。親友でもあり、裏切られることがあれば最も簡単に自分を殺すことができる月熊を、彼女は危険因子と見てしまったのだ。自分が生きるために、危険な存在を殺した。そこだけ切り取れば、正当防衛として全うなことのように思える。だが、子どもとはいえ、自分の都合で他者を殺してしまうのは罪でしかないのだ。

逆を言えば、彼女を殺した彼だって、罪人だ。そのはず、なのに。喉が詰まって何も言えないのは、何故だろうか。


「つーわけで、後処理は……」
「……待て、一つ……君に聞きたいことがある。ジャック、君はさっき"私が君をここへ入れた"、と言っていた。けれど、私にそんな記憶はないの。……どういうことなのか、説明してくれないかしら」
「それ聞いてどうするっつ〜ワケ? そこのクソガキが生き返るわけでもねえのによお? ま、別にイイけど」


もはや、彼を追う気力はない。
ただやはり、どうしてもこれだけは明らかにしておきたかった。招かれざる客である彼の、存在理由を。

彼に説明を求めると、刀を振って血を払い落としていた彼は、顔を近づけながら嫌みったらしい声で笑った。彼女はもう帰ってこない。そんなこと、言われなくたって分かっている。初めから間違いだったのだ。犬の少年を止めれなかったことも、縞いたちを一人にしてしまったことも、この街の存在を明かしてしまったことも。私の心の弱さが……彼らを死に追いやってしまったのだ。


「……オマエ、この街の外で行方不明者が後を絶たねえって噂になってんの知ってっか?」
「ええ……、私が撒いた種だ。知らないわけがないでしょう」
「ヒヒッ、そりゃそうだ。で、そんな噂が飛び交う中、たまたま噂通りの姿をしたオマエを見かけたんだよ。オイラその行方がど〜しても気になってなあ。さっきみたいに、ちっとばかり景色に紛れてオマエの後を追って来たんだ。そうしたら、ここについたってワケ。こんなバカでけえ街なのに、人はやたら少ねえし……どんだけ相手を傷つけようと罪に問われね〜とか、ホント不気味で退屈しねえ街だぜ」


彼はそれだけ伝えると、再び景色に溶けるように消えていなくなった。どうやら、私が彼をこの街に連れてきたというのは本当だったらしい。確かに、彼の能力があれば、誰にも気づかれずにこの街に潜り込むことができるだろう。

静かになった辺りを見渡すが、私の息づかいだけが街に余韻を残す。変わり果てた二人の少女は、二度と動くことはない。必要のない、犠牲だった。自分の不甲斐なさに流れた涙が、抱えていた少女に落ちてその頬を流れる。
――まるで彼女も、泣いているかのようだった。


「……これは、ひどい悪夢だ」



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