その男、不真面目につき(1/5)


「はあー!? 護衛だぁ!?」


ある森の奥、広大な屋敷内に少女の突き破るような声が響き渡った。

彼女の名はしずり。絹のような長い白髪、繊細な睫毛に大きな黒い瞳、と可愛らしい風貌の彼女だったが、その小さな顔の眉間には深い皺が刻まれており、今はとても"可愛い"とは言い難い形相で拳を震わせている。

そんな彼女に動じることなく、真向かいで優雅に紅茶を嗜む老人の男が、どうやら事の発端のようだ。


「ええ。私はご覧の通りただのじじいでございます。しずり様をお守りするには少々力が足りませぬゆえ、然るべきお方にお任せする方がよろしいかと思いまして」
「バカ言え、じいがやられてるところ見たことないぞ。それに、護衛なんかいなくたって……、」
「ほっほ。私を買い被りすぎですよ、お嬢様。……そろそろお約束の時間ですから、もうお見えになる頃でしょう」
「呼んでんのかよ!」


もはや可愛さからは程遠い彼女の口調を気にしたようすもなく、じいと呼ばれた執事風の老人はゆったりと自身の腕時計に目を配る。

午後4時、ティータイムが終わる時間だ。



◇◆◇



「……で、いつ来るって?」
「おかしいですねえ、確かに本日の午後4時と承ったはずですが」


現在時刻、4時40分。
約束の時間はとうに過ぎており、なかなか現れないその護衛人とやらに、彼女は苛立ちを抑えることが出来ないらしい。右足を小刻みに揺すっているのがいい証拠だ。

かく言うじいも、怒りはしないものの、顎に指を当て不思議そうに首を傾げては玄関先を眺めている。飲んでいたダージリンティーは既に空になっていた。


「あー、もう待てねえ! つーか、時間も守れねえようなやつを信用できるか! じい、この契約はなかったことにしろ」
「そうですねえ、それでは連絡を――……おや、しずり様。どうやら、ようやく来られたようですよ」
「は? 何言って……、」


我慢の限界に達した彼女は、無理矢理じいを玄関傍の黒電話の元に連れていく。仕方なく、といったようすで手を掛けたじいだったが、不意にその手を止めた。

ほぼ、同時の事だった――にこりと微笑む彼にしずりが眉をひそめたのと、それが起こったのは。


「な……ッ!?」


突如、しずり達が元いた場所に風の気流が巻き起こる。目を開けられないほどの旋風。じいの支えがなければ、彼女はあっという間に吹き飛ばされていただろう。

窓のガタつく音が鳴り止む頃。吹き抜けた風の中から現れたのは、片手を地につけて屈み込む全身黒づくめの男だった。


「なっははー、ごめんごめん。寄り道してたらちょっと遅れちゃった〜」
「……おい、じい。まさかこいつが…、」
「ええ、恐らくは」


ズルズルに緩んだ衣服に、崩れた髪の毛。乱れた赤いマフラーの隙間からは、同じ色をした女性の口紅がくっきりと残っていた。バレバレな嘘の証拠を残したままのこの男に、しずりは思わずひくりと頬を引きつらせる。加えて、欠片も反省していないような間延びした口調。それが彼女の苛立ちを増加させるのは、いとも容易いことだった。


「ふざけんなよ、じい! これよりマシなやつ、他にいただろ!」
「申し訳ありません、お嬢様。既に他の護衛人は出払ってるようでして……残念ながら、依頼所にはあれしか残っていなかったようでございます」
「なんか目の前ですげーボロクソ言われてんだけど、俺」


これだのあれだの言う彼女達の発言を特段気にしたようすもなく、黒づくめの男は変わらずヘラヘラと笑う。ゆるりとその身を起こし鼻歌混じりに服装を整える彼の口からは、カラリと飴を転がす音が鳴った。


「……じい、契約書はどこだ。今すぐ持ってこい。こんな契約、すぐさま破棄にしてやる」
「えー、せっかく来たのにひっでえなー。あ、でも俺も、ちょーっと小耳に挟んで気になってたことがあるんだよね〜」
「……あ?」
「おたくら、盗みやってるんでしょ?」


へらりとした顔が一変、彼はニヤリと意味深な笑みを作り上げた。どこでそんな情報を手に入れたのか――……はたまた見られたのか。何も言わない彼女達に、男はどこか確信めいたような表情を浮かべる。ガリ、と飴の砕かれる音が、いやに静かな部屋の中を漂った。


「流石の俺も、人のもん盗むようなやつの護衛はやりたくねーんだけど?」
「……少々言葉が過ぎますよ、霙様。理由も知らずにそのような、」
「じい、大丈夫だ」


挑発的な態度の彼――霙に、じいの瞳がギロリと光る。普段のにこやかに微笑む表情からは想像もつかないような、鋭く開かれた眼光が霙の姿を捉えた。

一触即発。まさにその言葉通りのギスリとした不穏な空気が流れる中、彼女の一声がじいの動きを止めた。


「……しかし、お嬢様…」
「ふん、ちょうどいいじゃねーか。こんなやついなくても、自分の身くらい自分で守れる。護衛なんざこっちから願い下げだ。それに……、」

しずりは一度言葉を切ると、伏せていた目をスッと上げ静かに霙を睨み付ける。冷静に紡がれる言葉とは裏腹に、黒々としたその瞳には内に秘めた燃え上がるような怒りを、確かに映し出していた。


「てめーみたいな緩みきった男に、住処をなくしたやつらの気持ちが分かるわけねえだろうからな」


吐き捨てるようにそう言い切ると、しずりは霙に背を向け歩き出す。もう彼の姿を目に入れたくない…、そう言っているようだった。

そんな彼女の気持ちを知ってか知らずか。
へえ…、と自分にしか聞こえないような声でそう呟く霙は、口端をつり上げると一瞬にしてその場から姿を消した。

彼の姿が見えなくなった、つかの間のこと。一陣の風を吹かせ、彼女の行く手を阻むかのように、霙は再び姿を現した。瞬く間に移動したその男に、しずりは丸い瞳を僅かながら大きくさせる。驚きを隠せない彼女の表情に満足げな笑みを浮かべると、膝をついた霙は二回り程小さな彼女の手を軽くすくい上げた。


「てめえ、いったい何の……っ!」
「……気ィ変わった」
「は、」
「先程の失言、大変失礼致しました。改めまして、本日より貴方様の護衛を務めさせて頂く霙と申します。命に代えても貴方を守るとお誓い致しましょう、しずりお嬢様」


言葉遣い、振る舞い、仕草――……全てが別人のようになった彼に、しずりはしばらく呆気に取られていた。

跪くその姿は、明らかに護衛人のそれで。流れるような綺麗な所作は、きっと誰もが真似できるようなことではない。認めたくなくとも、そう認めざるを得ない程に、今の彼は厳かな雰囲気を纏っていた。


「……ッ! は、なせ! 言っただろ、この契約は破棄にする! じい、早く契約書を…、」
「なはは、契約書ってのはこれのことかな〜?」
「おや、通りで見当たらないと思っておりましたら……そんなところに」
「てめえ、いつの間に……!」


ハッと我に返ったしずりは、咄嗟に霙の手を振り払った。契約書さえ始末してしまえば、この話は全てなかったことになる…、とそう思っていたしずりだったが。元のヘラついた顔に戻った彼がヒラヒラとちらつかせているのは、まさしくしずりが探し求めていたもので。じいの反応から察するに、それが本物であることは間違いないのだろう。


「結構お忍びには自信あるんでね。それに、こーんな大金、逃すわけにはいかないからさ?」
「……っ、じいお前…! いくら積んでんだ、これ!」
「ほっほ、つい」
「何がつい、だ! 意味分かんねーよ!」


ピラリ、と見せられた契約内容に、彼女は愕然とする。契約金の文字と、それに並ぶ信じられない程の0の数。じいに問い詰めても、彼はニコニコと微笑むばかりで何一つ反省した素振りを見せない。

しかし、しずりには分かった。じいはこの状況を確実に楽しんでいる、と。


「そーいうわけだから、これからよろしくね。しずりお嬢さまっ!」
「…この、クソ野郎……ッ!!」


語尾に音符でもついてそうな弾んだ彼の口調に、しずりはワナワナと拳を握り締める。だが、いくら悔やんでも、彼の手元に契約書がある以上この繋がりを断ち切ることは出来ないわけで。

依頼人と護衛人。信頼なんて微塵もない、奇妙で薄っぺらな二人の関係。
――まさか、この契約が自分を苦しめる足枷になるとは、この時の霙は知るよしもなかった。


「……じゃあ、早速仕事だ。お前のせいで散らかったこの部屋、さっさと片付けろ」
「え」
「お前が、巻き起こした風のせいで、部屋が散らかった、つってんだ。依頼人の命令は守るのがスジってもんだよなあ? 嫌ならすぐにでも、」
「あーっ、はいはいはい! 分かったって、片付ければいーんでしょ!? 俺が悪うございました!! …ったく、とんでもねーお嬢さんに当たったもんだぜ……」

[back]

ALICE+