その男、不真面目につき(2/5)


星が煌めく夜に沈み、寝静まった街。
暗がりの路地裏で、密やかに言葉が交わされる。


「……じい、相手は」
「十人程度…、でしょうか。数はいますが、大した相手ではないようでございます」
「よし。じゃあ忍、お前は計画通り裏口に回れ」


眼鏡をカチカチと弄り、目的を捉えたじいが静かに答えた。

本日のターゲットは、400万円相当のダイヤの指輪。相手は多いが、街のチンピラを寄せ集めただけのような集団で、恐らくしずり達の敵ではないだろう。お宝を手にして高揚しているのか、彼らがたむろしている廃墟内にゲラゲラと笑う声が響いていた。


「……おい、お前聞いてんのか?」


しずり達が彼らの気を引いている間に、裏口へと回り込んだ霙が目当ての指輪を手に入れる……その算段の筈だったが、何故か彼からの返事がない。不思議に思ったしずりが振り向いた先、彼女は驚きのあまり言葉を失った。

――先程までいたはずの霙が、綺麗さっぱりいなくなっていたのだ。


「おやおや、何処かへ行かれたようですね」
「…〜〜っあんのやろぉおおおーーッ!!」


午後11時24分。
しずりの怒りに震える声が、月を映した空に天高く響き渡った。



◆◇◆



早朝、彼女の寝覚めは最悪だった。


「…てめえ、昨日あんなことやっといてよくのこのこと来れたもんだな」
「えっ、やだお嬢様ー! 俺のヤってるとこ見たの!? うわーっ、悪趣味!」
「殺す」


昨日はじいがいたからよかったものの、計画を台無しにされたのには変わりなく。そのうえ、この内容と来たものだ。夜遊びのために消えたであろうこの男の、わざとらしく驚く姿にしずりの怒りは頂点に達していた。


「まあまあ、しずり様。落ち着いてください」
「ッ離せ、じい! こいつは一発殴らねーと気が済まねえ!!」
「ひとまず、理由をお聞きしてからでもよろしいのではないかと。……して、霙様。何故あのようなことを?」
「…俺、護衛するとは言ったけどさー、別にアンタ達のやってること認めたわけじゃねーの。協力するなんて一言も言ってない、でしょ?」


じいに抑え込まれ暴れていたしずりだったが、相変わらずカラカラと飴を鳴らし、ニコリと悪びれもなく話す霙に、ピタリとその動きを止めた。

怒りとも、悲しみとも言えない表情で彼女は口をつぐむ。一時の間、感情の見えない瞳で彼の顔を見据えると、彼女はそっと口を開いた。


「……分かった。もうお前に任務のことは任せねえし、無理に付き合う必要もねえ。だが、お前は護衛人だ。あたしらの護衛に就くという契約をしている以上、同行はしてもらう。それが出来ねえって言うなら、この契約の話はなしだ。いいな?」
「なはは、話が分かるお嬢さんで助かるよー。もちろん、金の分はしっかり働くつもりだぜ? 任務以外の時でもちゃーんと守ってあげるから、お嬢様は安心してて下さいな」
「…いや、護衛は任務の時だけでいい」
「え? そんだけでいーの?」


護衛をするのは任務時のみ。
その言葉に、霙は不思議そうに首をかしげる。任務を行うのは月に1回、多くても2回程度……、だと聞いていたからだ。

楽に金を稼げるに越したことはない――とそう思った霙だったが。しずりの言葉は到底交わした契約金に見合うものではなく、なぜ彼女がそんな条件を持ち掛けてきたのかが、彼には甚だ疑問でならなくて。思わずそのことを問いかけると、しずりはそっと目を閉じて呟いた。


「ああ。……お前を見ていると、虫酸が走る」


それだけを言い残し、隣を通り過ぎていくしずりに霙はぱちくりと目を瞬かせる。

振り返ることなく遠退く背中を見つめて数秒後。吹き出すようにケラケラと笑い始めた霙に、今度はじいが首をかしげる番だった。


「……いかがなされたのですか、霙様」
「ははっ、ほんっとに遠慮がないお嬢さんだよね! 俺、女の子に"虫酸が走る"とか言われたの初めて!」
「ほっほ、それにしては嬉しそうではありませんか」
「だってそんなこと相手に言う!? 思ってても言わないでしょ、普通! あー、おっもしろ。…ちょっと楽しくなってきたかも」


何が彼をそこまで喜ばせるのか……、やはりじいには分からなかったが、どこか嬉しげに笑う霙にゆるりと目尻の皺を深めた。

――ご命令なんで今日はこの辺で。
胸元で指を組みながら一言そう告げると、彼は雲隠れするかのように姿を消す。薄く広がる煙の中には、微かに甘い香りが漂っていた。


「……これから賑やかになりそうですねえ」



◆◇◆



同日、屋敷近く。
一人の忍が物思いに佇んでいた。


「うーん、どうしよっかなー。お嬢様と遊びたいけど、ほんとに契約切られかねないし……今のところは様子見、かな」


契約書は自分が持っている…、が。彼の一番の懸念は、あの執事の存在だった。

温厚で、一見まるで害のなさそうな彼だが、初めて会った時の、あの目付き。相手を射抜くような殺気のこもったあの目を、ただの執事が出来るとは到底思えなかった。

彼が動くとしたら、それは恐らくしずりに害をなしたとき。今はまだ、大人しくしておくことに越したことはないだろう。

――手元にある大金を逃すわけにはいかない。


「……ま、下手なことしない限り大丈夫でしょ。あの様子だと、じいさんが契約持ちかけてるみたいだしね〜。ってわけでー、今日はユリちゃんとあーそぼ!」


誰に言うわけでもなく、大きめの独り言を響かせて霙はおもむろにズボンの隙間から携帯を取り出した。既に連絡先は記憶されているのだろう。慣れた手つきで親指をスライドさせると、コール音が森の中に鳴り渡った。彼に忍ぶ気は一切ないらしい。


「あっ、もしもしユリちゃん? 今日暇だったりするー? …なはは、いーじゃん。俺と遊ぼーよ! ……えー、とか言ってほんとは……、ん?」


軽い調子で話を進めていた霙だったが、突然、その言葉が途切れる。携帯越しに「どうしたの?」と女性の声が聞こえていたが、今の彼の意識は自分の背後に向いていた。

ざあ…、と風に揺れる木々の中。
――微かに、人の気配。


「……あー、ごめんユリちゃん。ちょっとお客さんみたいだから、この話なかったことにして。また、今度ね」


潜めて話す声に相手は納得していない様子だったが、霙は遮るようにその言葉を切った。携帯を戻しながら、森の中に隠れた音を耳を研ぎ澄ませて探しだす。

……相手は複数、多くても恐らく四人程度。


(…隙だらけ、人数的にもそんなに大した相手ではないかな…。すぐ始末してもいいけど……、面白いしちょっと泳がせてみるか)


普通ではつまらない。
そう考えた霙はニヤリと笑みを作ると、わざとらしくあくびをして背筋を伸ばした。頭を掻いて、目を擦って、隙を見せて。

そうすれば、案の定と言うべきか。茂みに隠れていた気配が、一斉に外へと飛び出した。彼の予想通り、数は四人。それぞれ鋭利な刃物を手に添えて、勢いよく霙の背中へと振りかざす。

彼らの殺意の込もった瞳は、確実に、その背中を捉えていた。


「……はは、単純。そんなんでほんとに殺れると思って…、」
「忍! あぶねえ!!」
「……え?」


揺れる白と、赤い飛沫が彼の目を覆う。
目の前でスローモーションのように流れるそれは、霙の脳を麻痺させて。彼にはこの光景が何なのか、理解することができなかった。

ただ、分かるのは。
座り込む彼女の腕から、止めどなく血が流れているということだけ。


「おじょう、さま……なんで…、」
「……さっき、服に小型の機械を付けられてることに気づいた。大方、位置情報が受け取れようになってる仕組みなんだろ。……勝てねえからって、不意打ちとか…だせえことすんのな」
「じゃあ、もしかしてあいつら…」
「ああ、昨日の連中だ。お前が屋敷に出入りしてるとこでも見かけて、仲間だと思ったんだろうな。まさか、と思ってお前の後追ってみたら…このザマだ。ほんと、ふざけやがって」


余計なことしないでよ。
あんなやつら、余裕なのに。
言いたいことは山程あったけど、何一つ口にすることは出来なかった。だって、彼女の顔があまりにも真剣で、俺のためを思っての行動だということが一目で分かったから。

しかし、彼女の言葉が図星だったのか。霙を標的にしていたはずの彼らの目が、しずりの方へと向けられる。痛みで動くことの出来ない彼女に、その刃から逃れる術はない。


「黙って聞いてりゃいい気になりやがって…! あのじじいがいねーなら、てめえみたいなチビ…どうってことねえんだよ!!」
「……ッ!」


彼女の身体が強張ったその一瞬、大きな影が目の前を遮った。それは土を抉る鈍い音を響かせて男達の手前、ギリギリに突き刺さる。砂ぼこりの隙間、細める彼女の目から僅かに見えたのは――まるで水を押し固めて作られたような、彼らの腰ほどまである巨大な手裏剣だった。


「…あのさ〜、いくらなんでも女の子ひとりに四人がかりはないんじゃない? それは警告。……次は当てるよ」
「……っ、クソ! 覚えとけよ!!」


にこり、と冷めた目付きで笑みを作る霙に、彼らの背筋がゾクリと凍りつく。まさに負け犬の遠吠え、とでも言うべきか。男達は苦し紛れに負け惜しみの言葉を吐くと、尻尾を巻くようにその場から消え去った。


「……ご、めん。ほんとは…俺が守らなきゃ、いけないのに…」
「フン、別にこのくらい掠り傷だ。大したことない」
「…何で、庇ったりしたの? 俺のこと、嫌いなんでしょ?」
「嫌いだからって、それが見殺しにしていい理由にはならねえだろ。……もう嫌なんだよ、目の前にあるもんを守れねえのは…、」


しずりはそこまで言うと、ハッとしたように言葉を切った。「…独り言だ」と少しぎこちなく目を逸らしながら身を起こし、特に話を続けるわけでもなくこの場から立ち去ろうとする。その背中はまるで、これ以上聞くなと言っているようで。

しかし、霙は少しだけ気になってしまった。
彼女の過去に何があったのかを。

少しだけ、知りたくなってしまった。
その小さな身体で、何を守ろうとしたのかを。


「……ッお嬢様!」
「…なんだ。次の任務のことなら連絡するから別に…、」
「そうじゃなくて、あとひとつだけ…聞かせて。何で、俺の居場所が分かったの? 慣れてるからって、さすがにこの中から探すのは……」
「……それ」


振り向きざま、しずりの指先は霙の足元を指していた。示されるままにその場所に目を向けると、そこにはストライプの柄がプリントされた、正方形の小さな紙が落ちていて。

これは――、


「飴の包み紙。お前のだろ? それが点々と落ちていて、辿っていったらお前が襲われそうになってるとこを見つけた。ったく、森を汚すんじゃねーよ」
「な、なるほどね〜……」


心当たりがあるのか、霙はなはは…と苦笑いを浮かべながら乾いた笑いを漏らす。普段、包み紙もポケットにしまっているため、携帯を出し入れする際に一緒に落ちていたのだろう。

そのせいで、彼女は怪我をするはめになってしまった。そうさせてしまったことへの罪悪感からか、霙はバツの悪そうな顔をして視線をずらす。じゃーな、と一言告げて今度こそ立ち去ってしまった彼女を、彼は追いかけることも引き留めることも出来なかった。

ポタリポタリ、と赤い雫が彼女の道しるべのように、跡を残していた。

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