"そんな安っぽい言葉で誰でも落ちると思ったら大間違いだからな、バーカ"
「……あれは、マジの目だったな…」
ゴロリ、と仰向けに寝転んだベッドの上。
先日のやりとりをぼんやりと思い出す。
思わず、伝えてしまった。どうしようもないくらいに、抑えられなくて。しかし、それに対する彼女の目は、非常に……それはもう、凍りついてしまうんじゃないかというほどに、冷めた目付きをしていた。契約書のこともあるし、結果的にはそれでよかったのかもしれないが。一切、動揺する気配すら見せなかった彼女に、顔を両手で覆ってはあ…、と溜め息を吐く。
「……ちょっとは仲良くなったって、思ってたんだけど……、信用ねえなー、俺。ええ〜っ、じゃあもう、どうすればいいってわけー!? 他に伝えようないじゃん! もー、しずりのバカ…、」
「……お前は一人でも騒がしいのか」
「んぬあああっ!?」
バタバタと足を叩きつけながら、ベットの上で右に左にと転がり回る。一人部屋の中、心の内を大声で愚痴りつつ、横に身体を向けたとき。指の隙間から、何やら人影のようなものを感じとる。驚いてパッと手をのかすと、先ほどまで閉じていたはずの扉はゆるく開いていて、その間からしずりが顔を覗かせていた。
怪訝な顔つきで見つめる彼女の瞳とぶつかり、数秒。全身で現状を理解した身体はビクリと飛び上がり、俺はその勢いのまま背後の壁へと激突してしまった。
「し、しずり…っ! 今の聞いて……ってか、勝手に入んないでよ!!」
「いやお前、女子じゃねーんだから……何か聞かれたらまずいことでも言ってたのか?」
「や、や、…いや……そういうわけじゃ、ないけど…」
痛みなんて感じないくらい、心臓がバクバクと音を鳴らす。口にしていた当の本人がすぐそこにいるだなんて、思うわけもない。いないからこそ、言えていたことなのに。
しずりは一向に中に入るようすはなかったが、何となく、出来るだけ……距離を開けたくて。壁にべたりと張り付くように身を寄せていると、彼女の眉がさらにぐぐっと中央に寄って、つい、視線をずらしてしまった。……しずりの、透き通った黒くて綺麗な目は好き。でも、考えてることを全て見透かされてしまいそうで、たまに苦手だ。
「……そんなことより今日の夜、ちょっと外に出掛けるぞ」
「外って……、また仕事?」
「いや、今日は星を見に行く。ここから少し行ったところに、ホクラニ天文台ってとこがあってな。そこから見る星はすげえ綺麗なんだ。お前と……あと小夜とヒメも、そこでは見たことねえだろうから、一度見せてやりたいと思ってよ」
「……星、」
深入りされなかったことにホッとしたのもつかの間、振られた話題に今度は俺が眉をひそめる番だった。
――星。正直、わざわざ見に行く必要があるのか、と思ってしまう。それこそ、任務に出る日は決まって夜だから星なんて自然と目に入るし、この辺りは空気が澄んでいて天文台に行かなくても充分に綺麗な星空が見える。あえて見に行く意図が分からなくて考え込んでいると、扉の方からはあ、と空気の揺れる音が聞こえた。
「……何だよ、変な顔して。まあ、行きたくねえなら無理に、」
「い、行く! ちゃんと行くよ!」
「お、おう……? それなら、いいんだが……じゃあ、夜8時に玄関前に集合な。時間、忘れんじゃねーぞ」
「…あ、」
逸らされた視線に慌てて返事をする。せっかく、しずりが誘ってくれたのだ。理由はどうであれ、声を掛けられて嬉しいに決まってる。……星を理由にして、しずりと一緒にいれると思ってしまうあたり、俺は随分と卑怯者なのかもしれない。
少しばかり驚きの表情を見せていたしずりだったが、さくっと集まる時間を伝えると止める間もなくバタリと扉を閉じて去ってしまった。引き留めようとした右手が、行き場をなくして宙をさ迷う。
「……前は一人でも、平気だったんだけどな」
小さくパタパタと階段を降りる音、それと同時に部屋の中に再び訪れた静寂。……柄にもなく、寂しいだなんて。無意識に浮かんだ感情に、自嘲的な笑みが浮かぶ。
冷たいと思っていた世界にも、温かいものがあることを知ってしまった。優しいぬくもりに囲まれて、その繋がりひとつひとつに幸せを感じて。でも、一度その温かさを知ってしまうと、一人でいるのが怖くなる。独りを知ったときから、周りと深く関わるのは拒んでいたはずなのに。
……ねえ、しずり。俺がこんなに欲張りになってしまったの、誰のせいだと思ってる?
――、
その日の夜、デコボコの道が車内を揺らす。
がたりがたり、と時おり揺れるバスの中、向かい側で窓の景色を眺める二人を、霙はぼんやりと見つめていた。その内の一人はキャッキャと飛んだり跳ねたりしていて、実に楽しそうである。
「……妹、ねえ」
『霙さん、どうかされましたか?』
「あっ、ヒメちゃん。立ったまんまなの疲れるでしょ、座りなよ」
『いえ、大丈夫です。お気遣い、ありがとうございます。』
ボソリと呟かれた霙の言葉に、近くにいたヒメが伺うように頭を傾けた。それに気づいた霙は座るように促すが、動く気配のない彼女に霙もつられるように頭を傾げる。しかし、彼女の言う"大丈夫"の意味を理解して、なるほどと心の中で納得した。
現在彼らが乗っているバスは、車体に沿うように座席が配置されている。それに座るということは、必然的に横並びに座ることになるわけで。スクリーンでの会話が言葉を交わす唯一の手段な彼女にとって、その行為は言葉を失うに等しいことなのだ。
「……しずりが前にチビちゃんのこと、妹みたいって言っててさ。それ思い出して、何か懐かしくなっちゃった」
『霙さんにも妹さんがいらっしゃるのですか?』
「うん、そー。俺、全然家に帰ってないから、どうしてんのかなーとか思って。無事、護衛につけてるんならいいんだけど」
優しく目を細めて話し出す彼に、ヒメはパチリと瞼を揺らす。懐かしむその顔には、妹を想う兄の表情がしっかりと滲んでいて。見たことのなかった彼の一面に、ヒメはやわりと唇を上げて微笑んだ。
『……霙さんは、妹さんが大切なのですね。』
「え? い、いや…まあ、一応……家族だし。改めて言われると、なんか…照れるっていうか……」
『ふふ、家族想いなのはいいことだと思います。』
「……もー、ヒメちゃん俺のことからかってるでしょー」
彼女は思ったことを素直に伝えただけだったのだが。霙にとってヒメの紡いだ言葉は少し照れくさいものだったようで、彼の頬はほんのりと赤みを帯びる。じとり、と意味合いの変わった細い目に、ヒメはクスクスと笑みをこぼした。彼は口を尖らせて怒っているようだったが、ヒメにはあまり効いていないらしい。
「おーい、お前ら! 着いたから降りるぞ!」
「あっ、今行くー! ……そんじゃ、俺らも降りよっか」
『はい、そうですね。』
いつの間にか、出口まで移動していたしずりの声が車内に響き渡った。ブレーキを踏まれたバスが少し揺れて、目的地への到着を告げる。霙は彼女の呼び掛けに返事をして、最後に降りたじいに続くようにヒメと扉の方まで歩みを進めた。
「うわー……俺、ちゃんと星見たの初めてかも…」
霙がバスの扉から頭を出すと、その上には無数に煌めく星の夜空が広がっていた。曇りひとつないまっさらな黒を彩る幾千もの星屑は、どんな街明かりよりも綺麗に輝いていて。自然が織り成すまばゆく夜景に彼が目を奪われていると、ふいにその手が誰かに捕まれた。
「これで驚いてたら後がもたないぞ。こっちに来い、とびっきりのすげーやつがあるんだ!」
「わっ、ちょ、ちょっと……!」
手を掴んだ張本人は迷いなく、ぐいぐいと先へ駆け走る。突然、前のめりになった身体に倒れかけた霙は何とか持ちこたえると、その流れに乗せられたまま目の前の建物をくぐり抜けた。握られた小さな手から、じんわりと温かさが伝わる。徐々に広まる小さな熱は頬にまで行き届いて、彼は無意識に緩みだす口元を気づかれないように、そろりともう片方の手の甲で隠した。
二階、三階へと上り詰めて、階段の目と鼻の先にあったひとつの大きな扉。閉じられたその二枚扉の表面には星の装飾が刻まれており、この奥は特別な部屋だということが窺える。
しずりがドアノブに手を掛けて、重厚感のあるそれを押し開けた、その中には――。
「す…っ、げえ……」
「な、言っただろ? ここは屋根全体が望遠鏡みたいになってて、自然のプラネタリウムが見れるんだ。これより綺麗な星空は、今まで見たことがねえな」
照明が消された部屋の中、雨のように降り注ぐ星の光が室内を明るく照らす。つるりとした床に映し出される星の模様は、まるで万華鏡のよう。いつもは粒にしか見えない星も、ここでははっきりと見えて、それぞれの色まで識別することができた。
オリオン座にカシオペア、あれは北斗七星。しずりはつらつらと星の名前を告げながら、ドーム状の天上に指をさして、その星達をなぞるように手を動かす。それを話す彼女はどこか活き活きとしていて、どことなく誇らしげ。星よりも、そんな風に話す彼女に目移りしてしまう。
ずっとその姿を見ていると、星を映した煌めくその目とぶつかって。霙は僅かな驚きと共に、優しく笑ってゆるりと瞳に弧を描いた。
「……しずりも、ロマンチックなこと言ったりすんだね」
「う、うるせえな…綺麗なもん綺麗って言って悪いかよ……」
「あははっ、冗談だよ。……すげー嬉しい。しずりが好きなもの、一緒に見ることができて」
「……そりゃよかった」
指摘されたと同時に、リズムよく揺れていたしずりの手がピタリと止まる。上を向いた人差し指は次第に手のひらに収められて、ぎこちなく腕ごと下に降ろされた。ぐっと口をつぐんで悔しそうな、照れくさそうな……そんな顔。たまらず吹き出すと、彼女は複雑そうな顔をして目を横に向けてしまった。
……しずりはいつも、素直な気持ちをぶつけてくれる。腹が立ったときは怒って、嫌なことは嫌って言って。本当を隠すこともあるけど、それは彼女なりの優しい嘘で。今まで逃げてきた自分とは大違い、だから余計に惹かれてしまうのかもしれない。好きな人で、憧れの人。今だけじゃなくて、これから先もずっと一緒にいたいって初めて思えた、俺の――、
「……ねえ、しずり。俺、しずりが好きだよ。本当に本気で、しずりのことが好き」
「……、あたしは…」
「…しずり?」
しずりの目の前に移動した彼は、彼女の目線に合わせるように膝をついて、その細い両腕をふわりと手に取った。そして、もう一度。目をしっかりと見つめて、静かにゆっくりと、彼女に想いを告げる。届いてほしい、そう願うように。
ゆらり。彼女の瞳が微かに揺れる。しかし、それを遮るように瞼が閉じられて、すぐにその目は見えなくなってしまった。……でも、明らかに前とは様子が違う。あの時とは違って、確かに彼女からは戸惑いが見えた。不思議に思った霙が声を掛けると、閉ざされた目が薄く開かれて、また宝石のような丸い瞳が姿を現す。
――強い意志を秘めたその瞳と、迷いなく紡がれた言葉に、時が止まったような感覚を覚えた。
「あたしは、誰も好きにはならない。相手がお前だから、とかそういうことじゃなくて……ここに来たときから、そう決めてる。これから先もずっと、それを変えるつもりはない」
「なんで……、」
「だから、当たるなら他を当たれ。……お前のことを想ってくれてるやつは、ちゃんといる。そいつのことを大事にしろ。あたしじゃ…、お前の気持ちに応えてやれない」
……規則を破ったっていいと思った。罰を受けても、きっと……会いに行く手段は、きっとあるはずだからって。真剣に伝えれば、親父だって分かってくれるはず――、そう思ったのに。彼女はそれすら……、好きになることすら許してくれない。
"ここに来たときから"、それがこの天文台じゃないということくらい、俺にだって分かる。恐らくは、しずりが故郷を離れたとき……あの屋敷に来たときのことだろう。彼女が頑なに拒む、その理由が知りたい……そう思ったけど。矢継ぎ早に重ねられる言葉は、"これ以上聞くな"と言っているようで。それは、必要以上に知られることを恐れているようにも見えた。
話が途切れて、掴んでいた腕をそっと離される。少しの間を空けて「また、あとでな」と告げたしずりは、何事もなかったかのようにこの部屋から出ていった。ただ、あとを引くように残された、寂しさの見えた彼女の瞳が、頭にこびりついて離れない。
……たとえ誰かが想ってくれたとしても、想うことができなければ、意味なんてないのと同じなのに。
「そんなこと、言わないでよ……しずり」
近づいたと思った距離が、ひどく遠くに感じた。
◆◇◆
「ふふ、綺麗だなあ」
ぱちり、ぱちり。
外灯で照らされた、赤い花が一面に広がる花園の中央、ある男が恍惚を宿した表情で微笑んでいた。その視線の先にあるのは、火を纏った一本の花。まだ燃え始めたばかりなのかその威力は弱々しいものだったが、次第にそれは隣の花へと移り徐々に質量を増していく。その炎が赤を巻き込んで彩りを強くするたびに、彼の笑顔はより深いものへと変わっていった。
「灯様ーっ! あいつらの居場所突き止めました……って、あぶな…っ!? そこ燃えてるじゃないですか!」
「ああ、消えちゃった」
彼が花々の燃えゆく様を眺めていたとき、その背後に一人の少女が姿を現す。軽い足取りで彼に駆け寄る彼女だったが、彼の影から見えた燃え上がる炎にぎょっと目を見張らせた。
慌てた少女は急いで手のひらから水を発生させて、火の元であるそこに勢いよく飛ばす。すると、広まりつつあった火の手は瞬く間に小さくなり、最後には跡形もなく消え去っていった。彼から、残念そうな呟きが落ちる。
「もう、まだ小さかったからよかったですけど……そんなに近づいて、燃え移ったらどうするんですか!」
「やだなあ、霰。自分でつけたのに燃え移るとか……そんなヘマ、俺しないよ?」
「え……?」
注意をする彼女の声に、彼はクスクスと肩を揺らして後ろを振り向く。その瞬間、彼女の背筋にゾクリと冷たい悪寒が駆け抜けた。笑っていたのだ。瞳が見えなくなるほどに目を細めて、見惚れてしまいそうなほどに綺麗な笑みをたたえながら。
彼女の片足が、震えながらずるりと後ろに砂を削る。それを見据えた彼から、またひとつクスリと笑い声。そして、さも当然といったような軽やかな口調で、後ずさる彼女に語りかける。
「……俺、綺麗なものが燃える瞬間が、一番好きなんだ。綺麗なものほど美しく燃え上がって……最後には跡形もなく綺麗に散っていく。これほど素敵なことはないよね。……霰も、そう思うでしょ?」
「とも、り様…何言って……、」
じり、じり、と後ろへ下がる彼女に合わせて、彼もまた一歩ずつ距離を詰めていく。到底理解出来そうにない、彼が紡ぐ理想の物語。それには言い知れない狂気が潜んでいて、彼女の顔には恐怖の色が滲んでいく。
――この男は危険だ。
彼女の本能がそう警告を鳴らすものの、身体は思うように動かず。強張った足でさらに下がろうとした直後、彼女は後ろに転がっていた石に足を取られ、地面に尻餅をついてしまった。
「あはは、納得してなさそう。……そういえば、霰も綺麗な顔してるよね」
「……っ!」
「霰は、どんな風に燃えてくれるのかな?」
倒れた彼女を気にした様子もなく、見下ろしながら笑っていた彼が、ゆったりとした動作で座り込む。伸ばした長い指を彼女の頬に滑らせ、自分の顔のすぐ傍まで引き寄せる彼は、変わらず綺麗な笑顔を浮かべていた。
感情の伴っていない、人形のような貼り付いた笑顔。彼女の心音が、うるさいくらいに脳まで響く。ときめく気持ちなんて微塵もない、あるのは足元からじわじわと這い上がるような迫り来る――、恐怖心。
短く浅く息をする彼女の呼吸音が、やけに大きく二人の間を取り巻いていく。
「……なんてね、冗談だよ。でも俺、邪魔されるのが一番嫌いなんだ。だから、今度は邪魔しないでね? じゃないと、うっかり霰のこと……、燃やしちゃうかもしれないから」
「……は、い……灯様…」
「ふふ、霰はいい子だね。怯えた顔して…俺のこと、嫌いになった?」
彼は彼女を寄せていた手を離すと、再び立ち上がって上着の裾についた砂を軽く払い落とす。にこ、と明るく話す彼の目には、先ほどとは違い明確な殺意が宿っていて。冗談じゃない、彼は本気でそう言っているのだろう。――次は、間違いなく殺される。
青ざめる彼女を見て満足そうに笑った彼は、後ろに身体を向けて彼女に問いを投げかけた。その間、人差し指と親指を重ねて滑らせた彼の手には、頭上まで立ち上るほどの大きな火の玉が灯る。彼は何のためらいもなくそれを花の中へ放つと、たちまちそれは燃え広がり、美しく咲く花々を焼き尽くしていった。
夜空を覆う赤と、焦げ付く臭い。
身に余る熱量を感じながら、彼女は震える手のひらを握り締めて、彼の背後で片膝をつきこうべを垂れる。
「……そんなこと、ありません。灯様をお守りするのが、あたしのお役目…ですから」
――主と従者。契約が切れない限り、それは決して変わることはない。