交わる歯車、その合図は(2/5)


「やあーだー! 小夜が一緒に行くのー!」
「チビちゃん前に行ったことあるでしょ!? 俺一回もないんだからね!? 今日という今日は、絶対俺が行く!」
「あのなあ、お前ら……」


昼過ぎ、玄関前で霙と小夜の騒ぐ声が室内に大きく響き渡る。それに巻き込まれているらしいしずりは、目を瞑って苛立ちを表すように眉間に皺を寄せていた。腕を組む手には力が込められ、服の皺もより深くなっている。


「おやおや、これは何事ですかな?」
「ああ、じい……買い物行くのに一人付き添いが欲しいっつったら、すげー揉めててよ…。あたしはもういっそ、じいと行きたい」
「ほっほ、そういうことでございましたか。残念ながら、私は今から出掛けの用がございますので、ご一緒出来そうにありません」


頭をうなだれていたしずりは、隣に現れたじいに助けを求めてみるがやんわりと断られ、むう、と少しばかり不機嫌そうに口を結ぶ。その顔を見て相変わらずにこにこと笑うじいは、ひとつの勝負事を提案した。


「……では、ここは手早く"じゃんけん"なんていかがでしょう?」
「じゃんけん、か。そうだな、それならあいつらも文句ねえだろうし……よし、お前ら! じゃんけんで決めるぞ! 勝った方と一緒に行く。つーか、こんなことでいちいち揉めんな」
『じゃんけん!!』


しずりはふむ、と顎に手を当ててひとつ頷くと、言い合いを続ける二人に向けて両手を叩いた。パチン、と制すように鳴らされた音にピタリと止まった二人は、同時に目をぱちぱちとさせて彼女の方を振り向く。そして、放たれたその言葉に、また同じ調子で声をあげた。二人とも目が輝いており、やる気は充分なようだ。

……まったく、仲がいいんだか悪いんだか。


「よーっし、俺じゃんけんで負けたことないからねー! ぜってー勝つ!」
「小夜だって負けないもん! 勝って、絶対しずりちゃんとお買い物するんだからー!」
「あ、霙は目瞑ってやれよ」
「えっ、何で?」
「お前、動体視力よさそうだし…さすがに小夜が可哀想だろ。だからハンデだ」
「俺のハンデ大きくね!?」


両手をぷらぷらと揺らして意気込む霙と、丸く作った拳を上に掲げて気合いに満ちた小夜。しかし、しずりの一言に拮抗していた二人のモチベーションはガクンと変わった。霙は驚愕の顔で固まり、小夜は万歳をして大喜び。反発する彼の声は恐らく聞こえてはいるが、しずりはそ知らぬ顔でじいに霙の目元を隠すよう頼んでいた。


「えっ、ちょっ……もー、マジ見えないんだけど…。チビちゃんズルしちゃダメだかんね!」
「小夜そんなことしないもん! 霙くん、小夜のこと疑ってるの…?」
「いや、だって俺こんなんだよ!? 疑いたくもなっ、」
「おい、さっさとやるぞ。じゃーんけーん…」


後ろにまわったじいに目を覆われてうだうだとゴネていた霙だったが、しずりのかけ声に慌てて手を振り上げじゃんけんの体制に入る。

……と、その時。誰も予想しない出来事が起こった。何やら小夜のカーディガンからポコポコと姿を見せ出す魚たちが、そこから離れ霙の握りしめられた手にまとわりつき始めたのだ。身体を薄くして、ペタリペタリと絆創膏のように貼り付いていく魚の群れ。それはあっという間に数ミリの厚さになり、霙の右手を強く固めた。さながら、青いグローブでもつけているかのような見た目である。


「ん、あれ…? なんか、手動かな…、」
「ぽーんっ! わーい、やったあ! 霙くんはグーで小夜はパーだから、小夜の勝ちー!」
「えええ、ちょっと待って!? 今、絶対ズルしたでしょ!? 全っ然動かなかったんだけど、俺の手!」
「小夜はそんなことしないってばー! えへへ、とにかく霙くんは負けたんだから、お留守番がんばってね! しずりちゃんいこー!」
「……おー、そうだな…」


当然、"グー"しか出すことのできない霙に勝ち目などなく。無邪気な笑顔で喜ぶ小夜を見た魚たちは、パッと彼の手から離れまた彼女の服へと戻っていった。じいの手を振りほどいて、いまだに拳を作ったままの霙はしずりに抗議するが、それは届かず。満面の笑みで笑う小夜の手前、今さらやり直しと言えるわけもないしずりは、さっきのは見なかったことにして小夜と玄関の方へと足を運んだ。


「……ちょっと、安心した」
「え? なあに、しずりちゃん」
「……いや、何でもねえ」


玄関へ向かう途中、しずりは呟くように息を漏らす。それに気づいた小夜が不思議そうに聞き返すが、それは話されることはなかった。

――天文台以降、変わらず距離の近い霙にしずりは少なからず戸惑いを覚えていた。むしろ、以前より積極的になったようにも。てっきり距離を置くと思っていたしずりにとって、それはもやりと言い様のない気持ちとして彼女の胸の中にくすぶる。

……くそ。何なんだ、あいつは。



◆◇◆



しずりたちが出掛けたその後、リビングにて。じいも用事と言って外に出てしまい、やることのなくなった霙はソファの上で体育座りのように座り、ぐちぐちと不満を漏らしていた。


「くっそー……、絶対チビちゃん何かやってたって…。すげー手に違和感あったし! ああ、もうモヤモヤする〜っ!」
『霙さん、こんにちは。今日はお一人なのですか?』
「あっ、ヒメちゃん! そうなんだよー、ちょっと聞いてくれない!? ほんとヒドいんだからさ!」


そろそろ霙が憤りで爆発してしまいそうだったとき、その傍でピピピと機械音が鳴った。反射的に彼が振り向くと、そこには身体を傾けるヒメの姿が。愚痴を話せる相手がいたことにパッと顔を明るくした彼は、意気揚々と立ち上がり食事をするテーブル席へと足を運ぶ。その中から一脚椅子を掴むと、ガタガタと音を鳴らしながらソファの斜め前へとそれを固定した。

よし、と笑って頷いた霙はヒメをそこに座らせ、自分はまた元のソファの位置へと戻る。そして、これまでに起こった不満の数々を絶え間なく彼女に話すのだった。


『……ふふ、それは残念でしたね。』
「ほんとだよー。もー、しずりってばチビちゃんに甘すぎ…」
『…でも、ちょうどよかったです。霙さんに、お伝えしたいことがありましたから。』
「えっ、俺に? 何かあった?」


背もたれにボスリと身体を預けて頬を膨らます霙だったが、スクリーンに浮かんだ文字を見て再び身を起こした。前屈みに肘をつきながら食い入るように羅列した文字を眺める彼は、その言葉に少し驚いているようで。

彼女から話があるなんて、珍しい。
そう思って彼が尋ねてみると、先ほどの文字は瞬時に消え、また文字が浮かび始める。ひとつひとつ、大事そうに繋がっていくそれを見た霙は、口を閉ざして目が零れ落ちそうなほどに瞼を大きく見開いた。


『……届かないことは、百も承知でお伝えします。私、霙さんのことが好きです。』


――……好き。たったの二文字なのに、それがうまく飲み込めない。もちろん、意味は分かっている。言われたことだって、何回もある。穏やかに微笑む彼女が、冗談でこんなこと言うような子じゃないことも、知っている。でも、今まで付き合ってきた女の子とはあまりにも違いすぎて。真面目で素直な彼女の告白を理解するには、到底時間が足りそうにもなかった。


「……えと、それ、って…、」
『そのままの意味です。霙さんといると、とても楽しい気持ちになります。霙さんの姿を見かけると、つい、目で追いかけてしまいます。ドキドキ…、というのはいまだに分かりませんが、一緒にいて幸せな気持ちになるのは本当です。霙さんが私を助けてくださったあの日から……きっと私は、霙さんのことが好きでした。』


ヒメの言葉が一文ずつ、ゆっくりと書き記される。真っ直ぐな彼女の想いの丈は、じわりじわりと彼の胸に染み込んで。段々と、彼の心に嬉しさと喜びを満たしていく。

どうしようもない自分のことを、こんなにも想ってくれていた。画面からはみ出してしまいそうなくらい、たくさんの言葉で。溢れるほどの愛をくれる彼女の傍にいれたら、どんなに幸せだろう。……そう、頭では分かっていたけれど。やはりどうしても、こんなときだというのに、どうしても……ちらついてしまう、彼女のことが。

いくら突き放されたって、頭の片隅から――しずりの姿は消えてはくれないのだ。


「……、あり、がとう、ヒメちゃん。俺のこと、そんな風に思ってくれてるなんて、知らなかった……でも、ごめん…俺、」
『ふふ、分かっています。霙さんは、しずりさんが好きだということ。』
「…っな、何で知って……!」
『私には人の胸の内を感じ取ることができますから。……いいえ、そうでなくとも。霙さんがしずりさんを大切にしていることは、見ていればよく分かります。』


たった今、考えていたことと同じことを言われ、霙はドキリと肩をビクつかせて固まってしまった。断ろうとした彼を遮るように音を奏でたヒメは、それ見てクスクスと身体を揺らす。

――叶わない恋と知っていて。それでも想いを告げる彼女は、とても強かで……羨ましいとさえ思えた。


「そんなに、分かりやすいかな…俺。……ヒメちゃんは、さ。知ってて何で、俺に言ったの?」
『……どうしても、この気持ちだけは伝えておきたかったのです。霙さんは機械である私に、初めて恋というものを教えてくださいました。そして、幸せという気持ちを知りました。ですから、霙さんが幸せと思える人がしずりさんならば、それで構わないと、そう思えたんです。』
「ヒメ、ちゃん……」
『霙さんの幸せが私にとっての幸せです。それに…、』


幸せ、そう語る彼女の顔はどこか晴れやかで。確かに、出会った頃よりも彼女はよく笑うようになったと思う。感情が顔に表れるようになって、言葉がなくても気持ちが伝わった。疎まれていた自分の存在が、こんなにも誰かを変えることが出来るなんて。

誇らしくもあり、だけど応えることができない申し訳なさに複雑な気持ちで彼女を見ていると。今まで淀みなく紡がれていた言葉が、いきなり動かなくなってしまった。


「……それに、何?」
『……いえ、何でもありません。ただ、とてもお似合いだと思っただけです。』
「お似合い、って……しずりは俺のこと、何とも思ってないのに」
『ふふ、そうでしょうか? 少なくとも、私にはそう見えました。』


気になって尋ねてはみたものの、答えはもらえず。代わりに返ってきたのは、自分の理想を映したような願ってもない言葉で。これが本当なら、よかったのに。先日言われた、しずりからの言葉が脳内を巡って。眉の下がった顔で彼女に笑い返すと、彼女もにこりと微笑みを浮かべる。

……その真意はよく分からないが、言われて悪い気はしなかった。


『……霙さん。ひとつだけ、お願いがあります。』
「…ん?」
『どうか、今までと同じように接してください。気まずくさせたくて、お話ししたわけではありませんから。私に気を使わないで、また楽しいお話をたくさん聞かせてください。』
「……ありがと、ヒメちゃん。俺も、ヒメちゃんとは仲良くしたいと思ってるから……これからも、よろしく」
『はい、どうぞよろしくお願いします。』


ひとつ、間が空いて。彼女はまた、優しい言葉で語りかけてくれる。伸ばされた彼女の右手と、自分の右手をそっと重ねて優しく握って……変わらない関係を約束した。

自ら断ったくせに繋がりは消したくない、自分勝手でなんて都合のいいことだろう。それでも彼女は、傍にいて自分の恋を応援してくれると言う。

好きな人がいて、愛してくれる人がいる――俺は、とんでもない贅沢者だ。

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