……あれは、いつのことだっただろう。
自分が自分ではなくなった、あの夜は――
「姉さんが、死んだ……? 類、それ本気で言ってるの?」
「……ああ、本当だ」
俺には二人の姉がいた。
陽だまりのように優しい心を持った長女ホタルと、から風のようにサバサバとした性格の次女コウ。双子の二人は性格は似つかなくとも非常に仲がよくて、いつも一緒にいた。お互いのことを最も知り合う唯一の存在、そんな二人だった。
……その双子の姉が、先ほど病死してしまったのだ。
両親が部屋の奥で冷たくなった彼女を見て涙を流す中、俺は何故だか冷静で。きっとそれは、俺以上に彼女の死を悲しむ人がいると思ったからだろう。憔悴しきった父と母の姿を目の前にして、この酷な現実を自分があの人に伝えなければいけない……幼いながらにそんなことを、頭の片隅で思ったからだろう。
――綺麗な花を見つけたから、姉さんにあげるの。
そう言って、楽しそうに出掛けた彼女。
しかし、今のその人は別人のような顔をして、自分の前に立っている。俺の言葉を必死に噛み砕く彼女には、悲哀、恐怖、絶望……そんな、色んな負の感情が渦巻いているようだった。
「嘘、言わないで……ついさっきまで、普通にしてたじゃない! そんな笑えない冗談、やめて!」
「……嘘じゃねえって。心臓麻痺、だったらしい。お前が出掛けたあと、急に倒れたんだよ。今は……寝室に、寝かせてる」
「……ッ、そんな……そんなの、嘘、よ……」
ほんの数分前、本当に彼女が家を出た直後のことだった。突然、胸を抑えて苦しみだした姉は床に倒れたかと思うと、助けを求めるように腕を伸ばして。しかし、それもつかの間のこと。伸ばされた腕は床に落ちて、その後、一度たりとも動くことはなかった。
……誰にも、救えない状況だった。
「……父さんと、母さんは……?」
「葬儀の準備で出掛けてる。……ちゃんとお前も、式に出れるように気持ち整理しとけよ」
「……そう」
彼女はそれだけ言うと、フラフラとした足取りで今は亡き姉が眠る寝室へと歩みを進めた。……無理もない。一番の理解者である彼女が死んだのだ。世界で一番大好きだった姉が、自分の知らない内に……死んでいたのだ。
それから、彼女はしばらくそこから出なかった。高かった太陽はとっくに沈み、星のない夜が空を覆う。彼女は出掛けた朝からなにも食べていない、さすがに腹がへっているはずだ。食欲はないかもしれないが、何か口にした方がいいだろう。
そう思った俺は、寝室に向かい何回か扉をノックする。……が、返事はない。寝ている、のだろうか。声が聞こえないことを不思議に思いつつそっとドアを開けると、そこには横たわる姉に寄り添う彼女の姿があった。
「……なんだ、起きてんじゃねえか。返事くらい、」
「ねえ、類。そういえば、あなた……姉さんにそっくりね」
「……は?」
開口一番、彼女が呟いたのはそんなことだった。
一瞬、姉を失ったショックで気が触れたのか、とも思ったがそうではないらしい。彼女は至って冷静で、落ち着いているように見える。
では、なぜ。
笑顔で俺の方を向く彼女に、少しだけ言い知れない恐怖を覚えた。
「……そっくりって、どっちかっつーとお前の方が似てんだろ。双子なんだし、女だし」
「いいえ。似てるわよ、類。本当にそっくり。髪の柔らかさも、瞳の色も。白い肌だって、とっても……似てるわ」
……違う、一瞬過った考えは間違いなんかではなかった。ゆっくりと立ち上がり、近づいて、恍惚とした表情で俺の頬を撫でる彼女にゾッとする。彼女の目は確かにこちらを向いていた。でも、彼女が見ているのは"俺"ではない。彼女は――俺に重ねた"姉の姿"を見ているのだ。
「……っ、やめろ! 俺は、姉貴なんかじゃねえよ。お前だってもう分かってんだろ、本当の姉貴は……、ッ!」
「……姉さんは、そんなこと言わない」
「は、何言って……」
「姉さんはッ、すごく優しいの! そんな乱暴なこと、姉さんは言わない!!」
添えられた彼女の手を軽く払うと、その手のひらは翻って勢いよく俺の頬を打ち付けた。反動で倒れ込む俺に彼女は怒りで震えていて、強い眼光が自分に向けられる。姉との仲の良さは周知のことだったが、ここまで固執していたとは。盲目的な依存が、彼女をここまで変えてしまうとは。
――血走る彼女の瞳に、俺の身体は無意識に震えだしていた。
「お、おい、何してんだよ……」
「……ねえ、どうして? どうして、分からないの? さっきから、言ってるのに。私の姉さんは、そんな乱暴な言い方しないってッ!!」
おもむろに、机に向かい引き出しを漁り出した彼女は、何かを手に持つとカチカチとその音を鳴らす。長く伸びる刀身に凍りつく俺に、暴走した彼女は遠慮なくそれを振りかざした。
「ッ、いっ、ああああっ……ッ!」
赤い液体が宙を舞う。
咄嗟に避けようとしたが、それは失敗に終わった。切りつけられた右目が、燃えるように熱い。激しい痛みを伴うそこからは、涙のように血が滴り落ちて床を汚していく。赤に染められた視界には、カチカチと音を鳴らしてさらに銀色の刃を伸ばす彼女の姿が見えた。
……いや、俺の知る"彼女"はもういない。
目の前にいるのは、"狂気に蝕まれた何か"だった。
そして、迫りくる恐怖に、俺は自然と口走っていた。
「……ご、めんなさい、コウちゃん。アタシ、どうかしてたみたい」
◆◇◆
「……フフ、つまんないこと思い出しちゃったわ」
ふいに、そう口にした類にヒメはそろりと目を向ける。彼の髪の隙間から覗く片目の金は、どこか物憂げで。その視線に気づいたのか、彼は一瞬ハッと我に返るような素振りを見せたが、次には何事もなかったかのように口端をつり上げて笑っていた。
「アハッ、気にしないで。アンタはその宝石をアタシにくれればそれでいいんだから」
『……どうして。辛いと分かっていながら、お続けになるのですか?』
「……は? 急に何なの?」
『私には、人の心の声が聞こえます。』
彼女の言葉に、彼の動きが止まる。
心の声が聞こえる……それは、つまり。そこまで考えて、先程まで笑みを浮かべていた彼の表情が消えた。
「……へえ。ホントによくできた小娘ね。アタシが考えてること、全部筒抜けってわけ? まったく、悪趣味な女だわ」
『すみません、私の意思ではどうすることもできないのです。』
「……アタシにだって、もうどうにもできないのよ。思考が読み取れたところで、実の姉に殺されかけたアタシの気持ちは、アンタには分かんないでしょ」
少しだけ、見えたのは――"恐れ"、そして"憎しみ"の感情。ヒメは、自分によく似ている、と思った。
親に偽りの愛で繋がれた彼女と、姉に歪んだ愛を注がれた彼。境遇は違えども、周りから"利用された"ことに変わりはなくて。とはいえ、死の瀬戸際に追い込まれた彼に対してかける言葉が見つからないヒメは、ただただ彼を見つめることしかできなかった。
そして、また。彼の口が歪んだ。
「なーんて、アンタに話すことでもなかったわね。まったく、アンタみたいな女に生きてられちゃ面倒ったらありゃしないわ。その宝石アタシに寄越して、とっとと死んでちょうだい」
『……ッ!』
彼が右腰に備えた刀に手を掛ける。
引き抜かれた刃は、ギラリと鈍く銀を光らせた。
ヒメはその光景に、彼は敵なのだ、と瞬時に悟る。いくら彼女が友好的に歩もうとも、彼にとって敵は敵。興味があるのは、目の前の宝石だけなのだろう。強ばる彼女の身体に刃先が向けられたとき……彼は何かの気配を感じ取った。
彼の口から、深い溜め息が溢れる。
「……はあ、やあねえ」
「見つけたぞ、類!」
「やっほー、船長さん。今度は逃がさないよ」
「あのガキはともかく、灯ちゃんまで何やってんのかしら。ていうか、忍くんの隣にいるアンタ誰よ」
背後の茂みから現れた少女と忍の姿に、類はげんなりとした面持ちで愚痴を呟く。特に、見知らぬ白髪の少女から向けられた敵意の目には疑問を抱くしかなく、彼の苛立ちは増すばかりだった。
彼の問いに、少女の口がゆっくりと開く。
「……あたしは1年前、お前らのせいでせせらぎの丘を……故郷を失った一人だ。危うく仲間まで、失うとこだった……! 忘れたとは、言わせねえぞ!!」
「1年前……ああ、何となく目障りだったのかしら? ご期待に添えなくてごめんなさいね。そんなどうでもいいこと、まったく記憶に残ってないわ」
「……ッてめえ、ふざけ……ッ! ゴホッ、ゴホ、!」
"記憶にない"
その言葉に、少女は怒りで震えるように目を見開く。……が、しかし。今にも殴り掛かりそうな彼女だったが、突然激しく咳き込むとその場に膝をついて倒れ込んでしまった。ただ事ではない少女の様子に、隣にいた彼はすぐさま駆け寄り足をつく――そして、それを眺めていた類は、にたりと厭らしく口に弧を描いて笑った。
「しずり……! やっぱり、無理してんでしょ……ちょっと、休んどいて。俺があんなやつ、すぐにやっつけてやるからさ」
「アハハッ! そんな状態で、よく来たもんだわ。アタシが何もしなくても、勝手にくたばっちゃいそうじゃない!」
「お前なんか、俺一人で充分だっつの。……待っててね、ヒメちゃん。今、助けるから」
「フフ、バカねえ忍くん。この女は人質みたいなもんよ? アタシがその気になれば、いつだって殺すことができるわ。アンタに勝算はないと思うけど?」
そう言って、類は睨む彼に見せつけるように、掴んでいたヒメの片腕をさらに捻り上げる。忍の彼はそれに眉を寄せて嫌悪感を示すものの、思いの外落ち着いた動作で、足についた砂を軽くはたいて立ち上がった。てっきり掴み掛かってくるかと思っていた類は、意外な彼の反応に怪訝そうに目を細める。
「……問題ねーよ」
「は?」
「なはは、"ニセモノ"ばっかに気ぃ取られてると危ねーよって話」
彼がボソリと呟いた、その直後。にかりと笑顔を作ったその顔に気を取られていた類の背後に、ひとつ、黒い影が落ちる。その音に気づき反射的に身体を逸らそうとするものの、現れた"彼"が手元に作り出した水の刃は、類の目前まで迫っていた。
「……ッ!」
「チッ、外したか」
間一髪、彼の攻撃は致命箇所から外れた。が、しかし。ずれた水のクナイは類の腕に深く刺さり、延長線上に切りつけられたそこからは大量の血が流れ落ちていた。力をなくした左腕がだらりと、揺れる。
「ま、でも……その腕じゃ、ちょっとキビシーんじゃない、船長さん?」
「……やだわ忍くん、痛いじゃない。でも、いいことが聞けたわ」
「ちょっと、ブツブツ何言って……」
「目の前にいるアンタは"ホンモノ"ってことよね」
用済みになったクナイが、ばしゃりと音を立てる。その間、類はうつ向き独り言のように話ながら、しばらく動きを止めていた。流れる血など、気にも留めていないようだった。そして、それを怪訝そうに忍の彼が見る中、類は満足そうに笑って顔を上げる。
それからは、一瞬だった。
『っ……!』
「ッヒメちゃん!」
「アハッ、忍くんには特別に……アタシのとっておき、見せてあげる」
類は腕に抱えていたヒメを蹴り倒すと、右腰の刀を鞘ごと持ち上げて、"ニセモノの彼"へと勢いよく放り投げる。命中し、深く食い込んだ鞘の衝撃に耐えれなかった彼は、ほのかな煙と共に消えていなくなった。
ヒメに気をとられ、彼女の名前を叫ぶ"ホンモノの彼"。その好機を見逃すはずもなく、類は一気に彼の元へと間合いを詰める。それと同時に、彼は右目につけていた眼帯を取り外すと、常に隠されていたそこからは、もうひとつの金が姿を現した。
その距離に気づいた頃にはもう遅く、類の腕は彼の首を捕らえる。ぐ、と苦しそうにうめく彼に類は恍惚な表情を浮かべて――彼と視線を合わせた。切りつけられたような跡が残る右目。そこからは、赤く染まった瞳が覗いていた。
「なん、だ……これっ……!」
「フフ、生命の力ってすごいわよね。傷つけば傷つくほど、強くなっていくんだもの」
「身体が、動、か……ッ!」
「さようなら、忍くん。それなりに楽しかったわ」
類は笑みを浮かべたまま、彼の首から手を離す。しかし、枷が外されて本来地面に落ちるはずの彼の身体は、宙に残され金縛りにあったように動かなかった。何とか抜け出そうともがく彼に、類は懐から何かを探る。
そこから取り出されたのは、小刀だった。手に収まるほどのそれを、類は彼の目の前に掲げる――そして。目を見開いて固まる彼の胸を、えぐるように容赦なく切りつける。吐かれた血が類の腕に染みをつけ、胸から同じ赤を散らしながら、彼は重力のままにその身体を地に落とした。
『霙、さん……?』
困惑する、ヒメの音が森の中に響いた。
うつ伏せになる彼の元には止めどなくの血が流れ、水溜まりのように地面を赤黒く染めている。
ピクリとも動かない彼の姿に、白髪の少女は言葉を失っていた。信じられない。信じたくない。そんな感情が彼女の頭を支配するが、目の前の現実を変えれるはずもなく。受け止めがた事実に、彼女の目からはほろほろと堰を切ったように涙が溢れ出していた。
「みぞ、れ……、霙……ッ!!」
「あら? アンタ……」
「……ッお前の相手はあたしだ、そいつからさっさと離れろ!!」
少女は何度も名前を呼ぶが、彼に反応はない。
まるでそこだけ、時が止まってしまったように、何も起こらない。怒り、憎しみ、悲しみ……そんな感情からか、彼女の手には力が込められ、地面に指の跡がつけられていく。
――静かに、涙を流すヒメに類は何か勘づき呟くものの、その言葉は少女の怒号にかき消された。
「……アハッ、勇敢な騎士様だこと! でも、アンタ既にボロボロじゃない。相手にならないわ」
「こんなの、どうってことねえ……! お前なんて、すぐ、に……ッ」
ふらつきながらも立ち上がる彼女に、類はくるくると小刀を弄びながら鼻で笑う。……彼の言うとおり、今の彼女に勝つ術などないだろう。それでも、彼女は向かえ撃つように手持ちの傘を突き付けて、類から目を逸らすことはなかった。
彼女が動き出した一瞬、何かが空中を横切る。
音もなく下降するそれは少女の細いうなじに突き刺さり、たちまち彼女はまぶたを閉ざして地に伏せた。どうやら、深い眠りについてしまったようだ。
その一部始終を見ていた類は少し驚くものの、ガサリ、と木の上から落ちてきたそれに呆れたような表情を見せた。
「……類さん、遊んでないでさっさと行こうよ。目的はその人なんでしょ?」
「誰かと思ったら葉羽ちゃんじゃないの。船ほったらかしで来たの? 悪い子ねえ」
「だって、全然戻ってこないから。もうすぐプティも霰さん連れてくると思うし、類さん先に戻っててよ」
「フフ、予想以上の収穫になりそうだし、もうここに用はないから、それでいいわ。葉羽ちゃんたちもさっさと戻ってきてちょうだいね」
落ちてきたのは"人"だった。いや、正しくは"人型化したポケモン"、なのだが。少々、小柄にも思えるその肩には長身の男が担がれていたが、葉羽と呼ばれた彼は何食わぬ顔で類に話しかけていた。
幾分か気分のよさそうな類は、彼の態度を特に気にした様子もなく、表情を意味深な笑みへと変える。後ろに向きを変え、側に倒れて固まっていたヒメを乱雑に抱え直すと、そのまま森の奥へと姿を消した。
――その、数分後。
背丈の小さな少年が、パタパタと足音を鳴らしながら葉羽の元に駆けつけた。
「はっ葉羽、おまたせ……!」
「……プティ。何だか重そうだね、霰さんも僕が運ぼうか?」
「う、ううん! 大丈夫だよ、ありがとう」
息を切らして話す彼の頭上には、寝息を立てる忍のような出で立ちをした少女の姿があった。彼女をずるずると引きずっている彼は、何とも辛そうである。今にも押し潰されてしまいそうな彼を見かねて葉羽は心配の声を掛けるが……ブンブンと頭を横に揺らすところを見る限り、問題はないらしい。
そのとき、ふと地面に横たわる白髪の少女に少年の目が止まる。その首には橙色の矢羽が突き刺さっていた。瞬時にこの持ち主を悟ったらしい彼は、戸惑いに満ちた顔で葉羽と少女とを交互に見やると、葉羽は少々気まずそうに表情に陰りを浮かべた。
「ね、ねえ、このお姉さん……」
「……うん。こんなこと、したくなかったんだけど……また、この人に借りができちゃった」