「……いやあ、相変わらず今日も泣いちゃってますねー。あの人」
「フフ、いいじゃない。その分だけ、アタシたちが得するんだから」
揺れる船の上で、類と灯の談笑が聞こえる。
その視線の先には、ヒメの姿があった。
――彼女が彼らの元から強奪され、丸一日。その間、彼女はずっと泣き続けていた。
「……まさか、涙まで宝石だなんて思わないもの」
類の目が座るヒメの足元へと向く。
そこには、涙の結晶が落ちていた。静かに止むことなく流れる涙は、しばらくするとたちまち硬質になり、さらに結晶の山を作っていく。
それは、日の光を反射してはキラリと光り、まさしくダイヤの欠片そのものだった。
「……え、えと……」
「プティ、そっとしておいてあげなよ。……僕達じゃ、何もできないんだからさ」
「……う、うん」
ヒメを遠目から見ていたプティは、泣き止まない彼女が心配なのかソワソワとしていて、落ち着きがない。前に踏み出しては戻り、を繰り返し非常に挙動不審である。それを見かねた葉羽が落ち着かせるように声をかけると、彼はしょんぼりとした面持ちで視線を下げた。
――彼女は依然として、泣いたままである。
◆◇◆
……すべては、私のせいなのです。
私が、霙さんを殺したも……同然なのです。
何度も何度も、あの光景が繰り返し思い出されます。まるで、私の記憶に"戒め"として残るように。身を切られ、口から血を吐いて、それから一向に動かなくなってしまった、霙さん。私が楯になれたら、どれほどよかったか。痛みを感じないこの身体で、守ることができていたら……どんなによかったか。
あの時、見ることしかできなかった自分がとても恨めしい。生きることの楽しさを知ってしまった私は、死ぬのが怖いと……心のどこかで、そう思ってしまったのでしょう。
霙さんは、自分勝手な私を憎んでいるでしょうか。……いいえ、きっといつもと変わらない笑顔で許してくれる、そんな気がします。あなたはとても、優しい人だから。
「さあて、このまま転がって海に落ちでもしたらもったいないし、早いとこ集めときましょうかね」
カツカツ、と座り込む私に誰かが近づく音がしました。振り向けばそこには、欲にまみれて歪んだ笑顔。彼の名は類さん、あなたもまた宝石の輝きに目が眩んでしまった一人なのでしょう。
こんなもの、初めからなければよかったのに。
そうすれば、霙さんの崩れ落ちる姿やしずりさんの悲しむ姿を見ることは、なかったはずです。お父様やお母様も、ちゃんと一人の娘として接してくれたかもしれません。
だから私は、この美しく輝く宝石を、一度も好きになれたことがないのです。
……宝石なんて、大嫌い。
「はあ〜、でもこんなあっさり手に入っちゃつまんないわねえ。何か他にイイ情報ないの、灯ちゃん」
「うーん、俺からは特には……といった感じですね。霰はどうですか?」
「……えっ、いや……あたしも別に、ないです、けど……」
私の涙の結晶を集めていた彼は少し面倒になったのか、一旦手を止めると他の方に話しかけました。橙の髪をした彼、灯さんはこれといって話すことはないようで。次にその彼が近くにいた小柄な少女に話を振ると、彼女はあからさまに動揺したようすで目を泳がせました。
霰さん、彼女は確か……霙さんの、ご兄妹。
……どうやら彼女は、おじいさまのお屋敷に莫大な財産があることを知っているようですね。
「……ふうん、それにしてはぎこちないようだけど? アンタ、ホントは何か知ってるんじゃないの?」
「ッ何もないって、言ってるでしょ!」
「アハッ、あくまで知らないフリを突き通そうってワケね。まあ、いいけど。アンタの"本音"を聞く方法なら他にもあるから。……ねえ、そうでしょう?」
先程よりも笑みを深めた彼の視線が、再びこちらを向きました。そう、彼は知っています……私が、人の心を聞くことができるということを。
それでも、教えるわけにはいきません。あの場所を知られるわけにはいかないのです。私のせいで誰かが傷ついてしまう……もう、そんなことはこりごりです。だから、私は嘘をつくことに決めました。抑揚のない私の声ならきっと、勘づかれることもないでしょうから。
『霰さんの言っていることは、本当です。』
「……あら、アンタまでそう言うの。にしては、さっきのクソガキの反応が気になるのよねえ……どう思う、灯ちゃん?」
「そうですねー……もう一回、霰に聞いてみたらいいんじゃないんですか? ……ねえ、霰。彼女が"本当"と言ったとき、驚くような素振りを見せたのは何故ですか?」
まっすぐにこちらを向いていたはずの灯さんが、にこやかな微笑みを浮かべて、また彼女へと視線を移しました。なんて、察しのいい方なのでしょう。笑顔を向けられた彼女は、目を見開いて固まっています。
これが、決定的でした。
「アハッ、灯ちゃんはホントによくやってくれるわ! あの小娘にはまだ仕事してもらわないとだし……やっぱり、アンタから聞くしかなさそうねえ。その口、どこまで結んでいられるかしら?」
「ッやだ! 痛いッ、離してよ!」
……ああ、またです。
私のせいで、今度は霰さんが傷つこうとしています。彼女が髪の毛を乱暴に掴まれる姿を見て、私はただ変わらず泣いているばかり。誰かを救おうとすれば、違う誰かが傷ついてしまうなんて……どれだけ不条理な世界なのでしょう。
いっそのこと、私なんていなければよかった。この世に生まれなければ、争いが起こることはなかったのです。
……そうです、私がいたからいけないのです。
「ほら、早く白状なさい」
「だからッ、あたしは何も知らないって……!」
「……はあ、しょうがない子ねえ。ちょっと痛い目みたら、素直になってくれるかしら?」
霰さんを乱雑に扱う彼が、懐から小さな刀を取り出しました。……霙さんを切りつけた、あの刀です。それを彼は彼女の頬に強く当てがうと、そこからは血が一筋流れました。彼女の目から流れる涙と混じって落ちたその雫は、赤く濁っていました。
――時間がありません。
覚悟なら、もう出来ているはずです。
『……お待ち下さい。私がすべてお話しします。』
「……あら、どういった風の吹き回し? ふふ、命拾いしてよかったわね」
私の機械音に、彼の動きが止まりました。彼女を掴んでいた手を離すと、興味深そうに笑って私の方へと近づきました。霰さんは驚愕に満ちた顔をしています。きっと、兄である霙さんのことを心配してるのですね。彼女はまだ……彼が生きていると、思っているから。
カツカツ、と近づく音はいまだに慣れません。
私に心臓があったなら、恐らくバクバクと忙しなく動いていたに違いないでしょう。霰さんまで巻き込んでしまうことが、非常に心苦しくてなりませんが……こうすることしか出来ない私を、どうかお許しください。
――この世に生まれなければよかった。
確かに私はそう思いました。今でもその気持ちは変わりません。でも、生まれた意味なら分かったような気がするのです。
しずりさん、小夜さん、おじいさま……そして霙さん。きっと私は、皆さんに出会うために生まれたのだと。
『皆様、どうかお元気で』
不思議と怖くはありませんでした。
むしろ、晴れやかな気持ちだったのです。自然と、笑顔になれたのです。初めて、誰かの役に立つことが出来ると、そう思えました。もう充分なくらい、皆さんと共に過ごせて私は幸せでした。
さあ、すべて終わりにしましょう。
◆◇◆
『皆様、どうかお元気で』
不可解な言葉に、類は眉をひそめた。
しかし、その文字はすぐに消える。ヒメが胸のスクリーンに片手をかざしてしまったからだ。彼女の行動も不可解なことながら、類が続きを待っていると。灯の、叫び声が船を埋めた。
「類さん、危険です! そこから離れてください!」
「は、何……」
類が珍しく声を荒げる彼を不思議に振り返った、直後のことだった。彼女の手によって押されたソウルハートから、カチリと音が鳴ったのは。
途端、大量の熱量と爆音が船を襲った。
飛躍的に拡大するそれは、たちまち床板を吹き飛ばし海に木片の飛沫を上げていく。竜骨までも届く衝撃は、かち割るように船を裁断した。爆発部分から徐々に沈み込む船が炎に包まれながら海の中へと消えていく様は、まさに"海の藻屑"である。あちこちには、その破片がいくつも漂っていた。
――時間にして、わずか数秒の出来事だった。
「……はあ、危ないとこだったわ。灯ちゃんがいなかったら、アタシたちもあの船みたいに木っ端微塵になってたわね」
「……そうだね」
船の残骸が残る上空、とある会話が聞こえる。
そこにはリザードンの姿があり、自分を包み込むように覆われていた薄緑の膜が、まもなくして解かれた。その背には、類、葉羽、プティ、霰の四人が身を寄せるように乗っている。爆発の渦中にいたはずの彼らだったが、その身にはかすり傷ひとつすらついていないようだった。
「おねえ、さん……」
ポツリ、とプティの声が聞こえた。目には涙が浮かんでおり、信じられないといったようすで、揺れる水面を見つめている。その視線の先に、いつまで経っても彼女の姿は映らない。それを複雑な表情で見ていた葉羽は、そっと彼の視界を遮るように自分の胸に抱き留めた。
「自爆なんて、あの小娘も考えたものね。フフ、まあ……アタシたちも巻き込もうって算段だったんでしょうけど。それにしても残念ねえ、せっかくの資金が水の泡だわ」
一方の類は。砕け散り、海の中に消えていったであろう彼女を悲しがるようすはなく、残念そうな呟きも、非常に淡々としたものだった。いつの間にか取り出されていた彼の小刀が、くるくると手の上を回る。
――もう彼女の宝石に興味はない、そんな雰囲気だった。
「……宝石もなくなったことだし、クソガキにはそろそろ白状してもらおうかしらね」
「……ッ!」
「アンタの知ってること、洗いざらい話しなさい。断ったらどうなるか、アンタにだって分かるわよねえ?」
ふと、刀を止めた類が霰に問いかける。
怯えたように身体を震わす彼女の目には、不気味な笑顔が映し出されていた。