「くそ、あいつらどこにいやがるんだ!」
『ふむ、困りましたねえ。せめて、検討でもつけばよいのですが』
上空、屋敷から飛び立った二人は彼らを探していた。せせらぎの仇、ヒメの仇……彼らに関わり、傷ついた、全てのものたちの仇。
しかし、その気持ちが強くなるほど、焦りが募り、いまだにしずりは彼らを見つけ出せないでいた。
宛もなく、途方に暮れていた頃。
ふと、彼女たちの側に何かの影が差した。
「……ん? こいつら、小夜の群れか?」
『そのようですね。小夜様のご意向を汲み取られた……のでしょうか。あのとき、服は別にしておりましたから』
「なるほどな……運良く眠らずに済んだってわけか」
それは、青い鳥だった。……いや、青い鳥の形を模した魚の群衆、が正しい表現だろう。瞳や羽毛がないのが、何よりの証拠だ。
屋敷に小夜が戻ったとき、全身ずぶ濡れだった彼女を乾かすため、上着は別にしてあった。小夜は眠りについてしまったものの、取り巻きの彼らは彼女から離れていたおかげでここまで来ることができたのだろう。
「……皮肉なもんだな」
幸か不幸か。自ら遠ざけた少女の仲間が、しずりたちを正しい道へと先導する。
そういえば、としずりは前に小夜が言っていたことを思い出す。彼女が何の手掛かりもなくしずりの元へと辿り着けたのも、彼らが見つけてくれたからだと言っていた。この魚たちには"ニオイ"が分かるのかもしれない。……きっと、彼らはヒメの残り香を辿っているのだ。
「どういうことだ、こっちは屋敷の方だぞ……」
無言で先ゆく彼らに続くと、とあるところで急降下をした。そこは屋敷からそう遠くはない、森の中。そんな場所に彼らがいるはずもない。しずりたちはその上空を見渡して来たのだから。
魚たちが間違えたのか、と彼女が思案していたとき。じいが閃いたように言葉を発した。
『……なるほど、これはしてやられましたね。ヒメ様の次は、屋敷の財産が目当てというわけですか』
「ッ! クソ、そういうことか……! にしても、何であいつらがそんなこと知って……いや、そんなこと考えてる場合じゃねえな、急ぐぞじい!」
『そうですね、小夜様たちが心配です。少しスピードを上げますよ、お嬢様』
海賊の意図を理解するのは簡単だった。この辺りで目立つものは屋敷しかない。なおかつ、そこに用があるとすればそれは金目のもの……つまり、財産が目当てなのだ。
屋敷には小夜と霙がいる。それも、二人とも動けない状態で。このままでは、危険だ。最悪の状況を想像したしずりとじいは、急加速で魚の群れを追う。髪をさらう風が、やけに生ぬるい。
「いた、あそこだ!」
『もう、屋敷は間近ですね。……ここで、決着をつけましょう。屋敷に踏み入らせる訳にはいきませんから』
「……ああ。これで最後にするんだ、何もかも」
青い鳥が、木に止まる。
その近く、見えたのは紛れもなくあの海賊だった。先導するガタイのいい男に、夕日色の髪をした男。それから、忍の服を着た少女と、しずりが街で出会った二人組。彼らを見た途端、しずりの全身にゾワリと何かが駆け巡る。恐怖ではないーー怒りだ。
目の敵を前にして、身体が熱くなる。まるで、血液が沸騰しているかのようだった。
彼らの前に先回りしてその場に降り立つと、先頭の男は微かにその隻眼を見開いた。
「……あら、びっくりだわ。あの時のガキじゃない。フフ、まだ死んでなかったのねえ」
「フン、随分な言い草じゃねえか、類。ヒメを、殺しておいて……!」
「ヒメ……? ああ、あの宝石の小娘ね。失礼しちゃうわ、殺しただなんて。むしろ、殺されかけたのはこっちだっていうのに」
クスクスと不敵に笑う類は、怒りを露わにするしずりに白々しく言う。思いもよらないその言葉に、しずりは目を丸くした。
「……は? どういう、意味だ……」
「なあに、何も知らないでアタシにふっかけたワケ? あの女、自爆したのよ。おかげで船は木っ端微塵だわ。大方、アタシたちを巻き込む算段だったんでしょうけど……残念だったわねえ、一人で勝手に死んじゃって。今頃、船の破片と一緒に海に沈んでるんじゃないかしら?」
「く、てめえ……!」
呆れたように、ため息をつき。守るべきものを、命を賭けてまで守ろうとしたヒメを、類はバカにしたように嘲笑う。
――おかしいとは思っていた。
小夜はヒメのソウルハートを手に持っていた。他には何もなく、ただそれだけを。ヒメがいたのなら、魚たちを使って体ごと持ってくることが出来たはずなのに。
ソウルハートはヒメの心臓となる部分だからなのか、ただの衝撃では砕けないような、非常に丈夫な造りをしていた。ヒメの体がソウルハート以外に見つからなかったこと。それは、彼女が自爆をしたことを裏付けていた。
命を散らしてもなお傷つけられるヒメに悔しさが募ったしずりは、類に掴みかかりそうな勢いで彼を睨みつける。その険悪な状態の中、静止するように横からじいの手が差し出された。
「……落ち着いてください、お嬢様。今日は、争いに来たわけではないのでしょう」
「……っ、悪い。ちょっと、頭に血が上ってた」
「ほっほ、お気持ちはお察ししますよ。……私も、彼の命を軽んじる発言には憤りを覚えますゆえ」
物腰はいつも通り柔らかいものだったが、類たちを見つめる眼光は、鋭く険しかった。一触即発の空気。それでも、じいとしずりは静かに踏みとどまっていた。
「ふふ、何でしょうね。あの人たちから敵意は感じますけど……戦う意思はなさそうに見えます」
「あら奇遇ね、灯ちゃん。アタシもそう思ってたところよ。……あのガキ、何を企んでるのかしら」
夕日色の髪をなびかせながら類に小さく話す灯は、ニコニコとしずりたちの出方を伺っていた。それは類も同じようで、含んだ笑みで目の前を見つめる。……片手は、そっと腰の刀に伸ばしながら。
「……今日は、お前らに頼みがあって来たんだ」
「……ふうん、頼み? 頼み事をするヤツの態度には見えないわねえ。"それ"、アンタたちの武器なんでしょう? 敬語もなってないし。もっとちゃんとした姿勢を見せてくれないと困るわねえ」
「……ッ、分かっ、た」
高圧的な態度を崩さない類に、しずりはグッと顔を歪める。だが、反抗する訳にはいかなかった。しずりは手に持っていた傘を離し、じいにも杖を外させる。それぞれの倒れる音が地面で鳴った。
そして、彼女はゆっくりと腰を下ろし、倒れるそれらと同じように、膝をついて手と頭を地面につけた。
「……お願いします。話を、聞いてください」
「アハッ、なあんて滑稽なの! 人生狂わされた相手に頭下げるなんて、相当切羽詰まってるのねえ! ふふ、面白いもの見せてもらったし、話だけでも聞こうじゃない」
ゲラゲラと下品な笑い声がしずりに向けられる。彼女はただ黙って唇を噛み締める。土をえぐった拳からは、彼への憎悪が見て取れた。
それを横目で見たじいは、一歩彼女の前に出る。しずりの類に対する憎しみや怒りは、傷つき倒れる彼女に出会った彼だからこそ、よく分かっていた。
――これ以上、彼女に惨めな思いはさせない。そんな気持ちを、心に宿しているようだった。
「……お嬢様、ここからは私が承りましょう。類様、もう無駄な争いはおやめになってください。本日はそのことをお願いしに参りました。争いは何も……生みません。人は傷つき、自然は崩れていくばかりです。どうか、お願いいたします」
「あたしからも、頼む。これ以上、被害は生みたくない。……誰にも傷ついてほしく、ないんだ」
「へえ、なるほどねえ……そういうことなの。例えばだけど、争いっていうのはこういうのも含まれるのかしら?」
しずりが立ち上がり、再び頭を下げた時。膨大な熱量が辺りを覆った。
その異変に彼女が顔をあげると、付近の森がパチパチと音を立て勢いを増しながら燃えていくのが目に映った。緑を飲み込んでいく赤い炎。瞳に揺れるその隣には、涼しい顔で指に火を纏う灯と至福の笑みで彼女を見下す類の姿があった。
「っおい……何してんだ、やめろ!!」
「アハッ! アタシが素直に言うこと聞くとでも思ったのお? アタシはアンタたちのそういう、絶望に満ちた顔を見るのがとっても好きなの。今さら、やめられるわけないじゃない」
「この、ゲス野郎……!」
ドサリ、と地面が揺れる。気がついたらしずりは類に掴みかかっていた。倒された類は痛がる素振りもなく、まるでこうなることが分かっていたかのように、ニヤニヤと嬉しそうに、楽しそうに笑っていた。
「何で……何でこんなことするんだよ。こんなの、ただ憎しみを生むだけだろうが! 何が目的なんだ!」
「……さっきも言ったでしょう、他人の絶望した顔が好きだって。ムカつくのよ……平然と、何の苦労も知らないでのうのうと生きてるヤツらが、この世で一番嫌いなの」
涙を浮かべるしずりに、類はニヤつかせていた表情を止めて、真顔で冷たく言い放つ。冷めきった片目に彼女は少し怯む。しかし、それは彼のエゴでしかない。自分勝手なその思想が、さらに彼女を奮い立たせた。
「…ッてめえの私情だろうが、そんなもんはよ! 今すぐ、消せよ……おい、聞こえてんだろ!」
「あはは、すみません。これ、一回つけちゃったら俺でも消せないんですよね。この辺りの森は残念ですけど、諦めてください」
「……っクソ、ふざけやがって! 元はと言えば、お前のせいで……!」
しずりは側にいた灯をキッと睨みつける。それを気にした様子もない彼は、ヘラリと困ったように両手を広げた。その間にも、刻一刻と火の手は広がっていく。だが、いい策も思いつかない。焦りがじわりじわりと彼女を侵食していく。
――その時だった。
冷たい飛沫が上空から降り注いだのは。
「おまたせ、しずりちゃん!」
「……お前ら……何で、ここに……」
「えへへ、すごいでしょお! 今度は小夜が、しずりちゃんを助けるからね。しずりちゃんはそこにいて!」
「なはは、俺もいるからね〜?」
驚いて、見上げた先。森の上空には、霙の背に乗った小夜の姿があった。二人から放たれた流水は一面に広がる炎を消していく。着地する頃には、残り火は一つも無くなっていた。
「まったく、チビちゃんはすぐいいとこ取りしちゃうんだからー」
「お前、あれほど来るなって……!」
「話はあとあと! まずはこいつらとカタつけなくっちゃね〜」
類から離れ、ズンズンと霙に近づくしずりは鬼のような形相をしていた。服から覗く胸元の傷跡に、彼女はより一層顔をしかめる。気づいていないのか、そのフリをしているのか。霙は小夜を降ろしながら、ヘラヘラと笑っていた。
「……だめだ。霙、お前は帰れ」
「大丈夫だって、しずり。俺は……」
「これは命令だ」
僅かだが、小夜を支える腕が小さく震えている。きっと、痺れが完全には取れていないのだ。そんな無茶な状態で来たうえに、まだ傷の癒えは浅い。それのどこが大丈夫だというのだろうか。
彼女の真剣な顔にしばらく黙っていた霙は、頭を掻きながらあるものをポケットから取り出した。
「あー……そういえば、忘れてた。これのこと、だよね?」
「ああ、お前は契約の身だろ。雇用者の命令は絶対のはずだ」
「なはは、そうだねー。うん、そう。……じゃあさ、これ無くしちゃえばいいよね?」
「は? お前、何言って……」
そう笑顔で話した直後、シワのついた一枚の契約書が細切れになって宙を舞った。ビリビリと容易く破かれ、目の前を落ちていく紙片にしずりは唖然とする。目を丸くする彼女に、霙はニカッと爽やかに笑った。
「はい、これで契約は破棄!」
「お前……っ! 勝手なことしてんじゃ、」
「……ねえ、しずり。言ったでしょ、俺しずりのことが好きだって。最近ずっと思ってた。義務的な護衛は、もう嫌なんだ。……これからは、一人の男としてしずりを守らせてよ」
――あの時と、同じように。
膝をついた彼がしずりの手を取り、真っ直ぐに見つめる。突き放しても突き放しても向かってくるその目。優しくもあり、譲れないという揺るぎない強い意志。契約は破られた。彼を制することは、誰にもできない。
強く握られた手に、初めて彼女は何も言い返せなかった。
「……さてと。そんじゃ、あのときの借り……返させてもらおうか、船長さん」
「まだ、しぶとく生きてたのねえ。まあ、何回やっても結果は同じだと思うけど。アンタとアタシじゃ違うのよ……殺しに対する覚悟がね」
「はは、言ってくれるねー。俺だってとっくの昔に出来てるぜ、あんたを殺す覚悟ならな」
ニコッと一度だけ微笑んだ霙は、しずりを横切り類の前に立つ。彼の眼光が鋭くなる。それは、へらりと笑い場を和やかにするものでも、先ほどしずりに向けたような優しいものでもなく、ただ標的だけを見据えた忍の瞳だった。
空気の変わった彼に、類は静かに舌なめずりをする。腰に置いた長刀を引き抜く刃の擦れる音だけが、二人の間に流れた。
「……類さん楽しんでるなあ。それじゃあ、俺は……小夜さん、でしたっけ。あなたと戦えばいいんですかね?」
「し、しずりちゃんのこと、いじめるなら……小夜、負けないよッ」
「ふふ、そうですか。……すみませんが、邪魔立てする気なら子供でも手加減はしませんよ」
キィン、と刃の交じる音を聞きながら、灯は不敵に微笑む。視線の先には、自分よりも遥かに小さな女の子。ゆるりゆるりと間を詰めていけば、彼女はビクリと肩を揺らす。それでも、力強く握った二つの拳は降ろさずに、恐怖を噛み殺すように灯をしっかりと見据えていた。
彼は、くすりとひとつ笑う。
見た目はか弱くいたいけな少女。けれど、その芯は見た目からは計り知れないほどに、強く深いものらしい。
「あーあ、始まっちゃったね」
「ど、どうしよう葉羽……大変なことになる前に、と、止めないと……!」
「そ、そうよ! あんた、何とかしなさいよ!」
「……プティは知ってるでしょ。僕らが何言ったって、あの二人は止まらないよ。類さんの気が済むまで、この争いは終わらない」
焼けつく炎と渦巻く水がぶつかり合い、うだるような熱気が森の中を吹き抜ける。ほとばしる水蒸気を気にも止めず、交わる刃は幾度となく火花を散らす。
少し離れた場所でその光景を見ていた三人は、声を抑えて話し合っていた。慌てるプティと霰に対して、葉羽はひどく冷静に、至極当然のように目の前の死闘を見守っている。
切り裂かれ横たわる巨木。土に紛れる血痕。飛び火した火炎が再び木々を焦がしていく。激化する争いは止む気配を見せない。舞う砂塵と濁った煙は混じり合い、徐々に視界を晦ませる。
焦げ付く臭い、曇る世界。
まるで、これは――
「ちがう、違うんだ……頼むから、もう、これ以上戦わないでくれ……これじゃ、一年前と何もっ、ゴホ、ゴホッ!!」
一番避けたかった惨状が、今まさに起ころうとしている。守りたかった。ただ、当たり前に過ごしていく日常を。しかしそれは、恐ろしいほど簡単に壊れていく。しずりは震える瞳で、唇を噛み締めながら。阻止しようと走り出すが、その足はすぐに地面に崩れ落ちた。
激しく咳き込む彼女は、胸を強く抑えて屈み込む。すでに煙の毒に蝕まれていた小さな体は、もはや立つことすら限界の域に達していた。蒸し暑く煙る空気を吸い込んだしずりは、苦しげに呼吸を繰り返す。彼女の様子がおかしいことに気づいたじいは、すぐさま彼女の元へと駆け寄った。
「っお嬢様、煙が……!」
「……大、丈夫だ、じい……あたしは、この争いを、終わらせなきゃなんねえ……無意味な、血は、もう流させない……!」
「お嬢様!!」
体を支える彼の手をそっと外して、しずりは足元に落ちた傘を手に持つ。覚束い手つきで傘を開くと、ゆっくりと、柄の部分を回した。カチリ、と小さく音が鳴る。同時に、傘から小さな何かが飛び出した。
それを見届けた彼女は小さく笑顔をこぼして、どこか緊張の糸が切れたように、ドサリと地面に倒れ込む。動かない彼女を心配するじいの悲痛な声。それは、当然彼らの耳にも届いた。
「……しずり?」