宿命の奇劇にピリオドを(3/4)


「……ん、」


うっすらと、目を開く。
差し込む光に眩しさを感じながら、彼はぼやけた頭を左右に動かした。覚醒しきれてない視界で把握できたのは、ここが室内ということだけだった。


「ここ、は……」
「ッ霙! 目が覚めたのか!」
「しずり……?」


彼が数回瞬きをしている間、それに気づいた少女が慌ただしく駆け寄る。視界に突如入る白に、彼は少し驚きを見せるものの。彼女の姿を見間違うはずもなく、"しずり"と彼はそう呼び掛けた。目の下には少しばかりクマが出来ており、あまり眠れていないであろうことが伺えた。


「お前、3日も起きなかったんだぞ……!」
「……そっか、俺あいつにやられて……随分、寝てたんだ。……そうだ、しずり。ヒメちゃんは、」
「……ヒメ、は……連れ去られたまんまだ。昨日も、おとといも探しにいったけど、まだ見つかってない。だから、今日も探しに行くつもりだ」


3日。そう聞かされ彼、霙は小さく苦笑を漏らす。通りで身体が重いはずだ。

徐々に蘇る記憶を辿って、霙はハッとした。彼女の、ヒメの姿が見当たらないのだ。気の利く、優しい彼女のことだ。もしいれば、しずりと同じくこの場にいただろう。しかし、その姿がない……と、いうことは。

そんな思いを巡らせしずりに問うと、返ってきたのは不穏な知らせだった。……彼の予想は、見事に的中していたらしい。


「そう、なんだ……じゃあ、俺も……」
「……お前は来るな」
「……どうして、俺だってヒメちゃんを、」
「どうしても、だ。そもそも、あたしの問題にお前らを巻き込んだのが間違いだった。……もう、お前はこのことに関わるな」


霙は身を起こそうとするが、彼女の声がそれを止めた。

――あの時と同じだった。あの天文台で、輝く星を眺めた夜。 彼女に感じた境界線と、今の彼女が示す拒絶の意思は、どこか似ている気がした。


「……ねえ、しずり教えて。あの海賊に、そこまで固執する理由は……なに?」
「……そういえば、お前には話してなかったな」


きっと、彼女の過去に関わっているのだろうと推測はできた。彼女はあまり過去について話そうとはしない。恐らく、聞かれたくはないのだ。そう、理解はしつつも。聞かずにはいられず、霙は覚悟を決めた面持ちで問いを投げる。

しかし、意外にも彼女の反応はすんなりとしたもので。拍子抜けした霙の顔を気にしたようすもなく、彼が寝るベッドの傍に椅子を引き寄せ話始めた。


「せせらぎの丘放火事件……お前も名前くらい聞いたことあるだろ?」
「えっ、まあ……そりゃあ、ね。確か……アーカラにあるせせらぎの丘が、跡形もなく全焼したっていうやつでしょ? あれから結構経つけど、大きなニュースになったから知らない人はいないんじゃない?」
「……だろうな。あたしは、元々そこに住んでたんだ。お嬢様でもなんでもない、ただの野生のポケモンだった」


傍らで座る彼女の話は唐突なものだったが、霙は前に流れたニュースをすぐに思い出した。"せせらぎの丘放火事件"、あれは誰もが知っているであろう大災害だった。不幸中の幸いか、負傷者は多かったものの死者は奇跡的にいなかったという。

……まさか、彼女の故郷がその場所だったとは。


「じいさんが言ってたのは、そのことだったんだ……」
「……じい?」
「うん、前にちょっとだけ……しずりの昔の話、聞いたことあって。しずりには、その……故郷がないってさ」
「……何だ、聞いてたのか。じいのやつ、勝手に喋りやがって」


まだ出会って間もない頃。彼女の執事である彼に聞かされた内容が、霙の脳裏を巡った。故郷を失った、とはそういうことだったのだ。中庭にいるポケモンたちは、その時に傷を負ったのだろう。

じいから聞かされていた事実を躊躇いがちに彼女に告げると、少しむくれたように顔をしかめてしまった。


「まあ、それはいいとして……そのとき森を襲ったのが、あいつらなんだ。どうしても、許せなかった。あたしはともかく、何の理由もなく、森や仲間たちを傷つけたあいつらが。だから、ずっと探してた。そして、やっと見つけたんだ。……今さら引き下がるなんてこと、できるわけがないだろ」
「そっか……じゃあ、なおさら。俺も一緒に行かせてよ」
「何が、なおさらなんだ」
「なはは! だって、俺の好きな子が困ってんだもん。助けたいって思うのは普通でしょ?」


彼女が語る内容は、理由としては充分すぎるものだった。正義感の強い彼女が、またとない機会を見逃せるはずもない。……それならば。

霙の心に自然と宿ったのは、"彼女の助けになりたい"という気持ちだった。彼らは一筋縄ではいかない。身をもって経験したことだからこそ、彼女にはそんな危険を冒してほしくないと。

いつものようにへらりと笑顔を作って笑いかけると、しずりは複雑そうに視線を揺らして目を伏せる。――苦し気に、しかしキッパリと。返された彼女の答えは、そういった声色だった。


「……ダメなもんは、ダメだ」
「っなんでだよ! 何でそうやってしずりは、一人で全部抱え込もうとして、」
「もうッ、嫌なんだよ! あたしの目の前で、誰かが傷つくのは! 最期くらい、後悔がないように、ッゴホ、ゴホッ!」
「しずり!!」


頑ななしずりに、たまらず霙が声を荒げる。
それを遮るように叫ぶ彼女は、興奮からか激しく咳き込んだ。たちまち顔色を悪くする彼女に、彼は慌てて布団から身を乗り出す。

そして、気づく。口元を抑えるその小さな手の隙間から、赤い液体が流れていることに。


「え、待ってよ……しずり、血が、出て……」
「……ックソ……」
「ねえ……さいごって、何? 変な冗談、やめてよ。それは、ただの風邪……なんだよね……?」
「……冗談なんかじゃねえよ。きっと、あたしの命は……そう長くはない」


時が、止まるようだった。
けれど、滴り床に広がる赤い染みは本物で。彼女の肩に添えられた彼の手が、小刻みに震える。悪態をつきながら口を拭う彼女は、"しまった"といった表情で目を逸らす。

ただの風邪、ではなかったのだ。心配をかけないための、彼女なりの嘘だったことに気づかされる。死期が近い、そんな恐ろしいことを。彼女は、何でもないことのように口にする。自分の一回りも幼い、まだ年端もいかない少女だというのに。

実感の沸かない言葉だった。しかし、目の前に見えるものが全てで、その現実が彼の心に深く重くのしかかる。――絶望。そう呼ぶに相応しい感情だった。


「うそ、だ……」
「……嘘じゃない、本当だ。多分、煙を吸いすぎたんだろうな。あたしの身体には毒だったみたいで、段々悪化してきているのが自分でも分かる。だからせめて、死ぬ前に……あいつらとはケリ、着けときたいんだ」
「……っ死ぬとか、簡単に言うなよ! まだ、治る可能性だってあるだろ! 簡単に諦めるとか……しずりらしく、ないよ……」
「フン、あたしらしいかどうかは自分で決めることだ。それに、自分の身体のことはあたしが一番よく分かってる。……今さら手をつけても、もう遅いんだ」
「……そ、んな……」


彼女の肩を強く揺さぶるが、とうに覚悟を決めたような表情は変わらない。恐らく、"月の光"程度では取り返しのつかないほど、彼女を巡る毒は身体を蝕んでいるのだろう。……気づいた頃にはもう、遅かったのだろう。

態度には出さない彼女だが、そこまで病に侵されているのだ。苦しくないわけがない。掴まれた手からすり抜けるように席を立つしずりを見て、霙の瞳からは無意識に涙が零れていた。


「……それよりも、小夜の方が心配だな」
「……チビ、ちゃん?」
「昨日ここを出ていったっきり、戻ってこないんだ。無事だと、いいんだが……」


部屋に備え付けられた洗面台で血を洗い流しながら、彼女はそう呟く。そう言われれば確かに見当たらない。いつもは彼女の周りにいるはずの、小柄な少女の姿が。

――話題を逸らされたような気もする。先ほどの話には、これ以上触れてほしくないということ、だろうか。


「お嬢様、霙様。失礼いたします」
「……じいか? どうした」
「小夜様が、戻ってこられました」
「っ小夜が!? 無事なのか!」
「ほっほ、焦らずともご無事ですよ。……少し、広間の方へ来ていただけますか」


コンコン、と部屋の中にノック音が響く。
数秒の間を置いて入ってきたのは、じいだった。彼が告げる内容は、小夜が帰って来たというもの。ちょうど話していたこともあり、しずりはそれに瞬時に反応する。駆け寄る彼女にじいはにこりと微笑んだ。

連絡を終えたじいは、ひとつお辞儀をして先に部屋を後にする。少女の帰還に、しずりはホッとした表情を浮かべていた。


「……っ、てて……」
「おい、まだ痛むんならお前はここで休んでろ」
「なはは、大丈夫だって〜。もしかしてしずり、俺のこと心配してくれてんの?」
「……心配に決まってるだろ。3日……3日もお前は、目を覚まさなかったんだからな」
「えっ、あ、まあ……そっか。……その、ありがと」


広間に行くべく霙は立ち上がろうとするが、力を入れた拍子にズキリと傷口に痛みが走る。彼の苦痛に歪む顔を見て、しずりは窺うように歩み寄る。

――きっと、普通に。彼女との話はなかったことにして、普通に振る舞うことが彼女の望みなのだ。そう思い、彼は調子よく笑いかけるが。真剣な眼差しで見つめる彼女に、彼は狼狽えてしまう。

なぜ、彼女には焦りがないのか彼には分からなかった。……いや、死期を悟っているからこそ、他人を心配できる余裕があるのだろうか。


「……ったく、行くんならさっさと行くぞ」
「う、ん……ごめん、行こっか」


呆れた面持ちで扉へ向かう彼女に続くように、霙は腰を上げる。やはり、傷が響くが我慢できないほどのものではない。

足裏で床に落ちた赤い染みを気づかれないように消して、彼も扉へと歩みを進めた。



◆◇◆



「しず、しずりちゃ……しずりちゃあああん……!」
「小夜! どこに行ってたんだ! それに、身体もずぶ濡れで……何が、あったんだ」
「ごっ、ごめんね……しずりちゃん。小夜も、みんなの役に立ちたかったの。お姉ちゃんを、たすけ、たかったの……でも、でもね……う、ううっ……」
「……これ、は……」


少女の第一声は、しずりの名前を呼ぶわめき声だった。全身が濡れていたようで、その身体はひんやりと冷たい。服だけはじいが取り替えてくれたようだが、頭はびっしょりと濡れたままだった。しずりがじいに用意されたタオルで拭いてあげるものの、それは一向に乾きそうにない。

メソメソと泣きながら差し出された少女の手には、輝きを放つ宝石のようなものが置かれていた。赤と青。見覚えのある、それは――。


「ヒメ様のソウルハート……でございますね」
「お魚ちゃんが……見つけて、くれたの……」
「ヒメ、ちゃん……」
「……ックソ!」


じいの一言が決定的だった。そして、その場にいる全員が全てを察していた。彼女の心臓とも言えるソウルハート。経緯は不明だが、それが彼女の身体から離れているということは、つまり。

残された彼女の遺品を中心に、それぞれが悲痛な表情を浮かべる。機械の身体を持つ彼女ではあったが、心を宿したその姿はもはや人間と言っても過言ではなかった。他人の気持ちを理解することができる、優しい人間だった。そんな彼女を死に追いやったのは、間違いなく、彼らなのだ。

頑丈に作られているらしいそれは、傷ひとつなく小夜の手のひらで煌めいている。しずりは落とさないようそっと受けとり、テーブルの上へと移動させた。


「……やっぱり、あいつら放っておけねえ。これ以上被害が増える前に止めねえと……!」
「……行きますか、お嬢様」
「俺も行くよ。このままやられっぱなしってのも癪だしね。ヒメちゃんの、敵を取るためにも」
「さ、小夜も! もう、泣いて待つばっかりは嫌だから……!」
「霙……小夜……」


しずりとじいが足を踏み出そうとすると。すかさず、霙と小夜が二人の前に回り込む。青年は緩く笑顔を作りつつも、意志を固めた瞳をして。少女は泣きそうに目を潤ませながらも、ぐっと拳を握り折れない心を表して。立ち塞がる二人を見て微かに戸惑うような顔を見せたあと、しずりは何かを考え込むように目蓋を閉じる。

時間にして、数秒。彼女は再び目を開くと、目の前に立つ霙にふわりと抱きついた。


「え、しずり……どうし、」
「……悪く、思うなよ」
「……ッ、!?」


思いもしないことに彼の身体が強ばる。普段から、人に甘えるようなことをしない彼女だ。ましてや、彼女から抱きつくなんて一度たりとも。困惑する彼をよそ目に、彼女は動く素振りを見せない。

が、しかし。霙が彼女に声をかけた瞬間。ぽそりと一言だけ呟いたかと思うと、彼女の身体から目映い光が放たれた。バチチ、という電気音と共に電流が彼の身体を駆け巡る。

ーー"電磁波"。
強い痺れに、彼は動けずそのままバタリと倒れ込んだ。


「し、ずり……何で……ッ!」
「……言っただろ、あたしの問題にもう誰も巻き込みたくねえんだよ。お前はそこで休んでろ」
「ふざ、け……ッ」
「小夜、悪いがお前も眠っていてくれ」
「……っ!」


麻痺して朦朧としながらも、彼はしずりを睨みつける。少しは頼ってくれていると、思っていた。だからこそ、その行為は彼にとって裏切りのように感じられたのだ。見下ろす彼女の視線には感情がなく、告げられる言葉も突き放すような、そんな冷たさを纏っていた。

彼女は途切れ途切れに紡ぐ彼の話を聞き入れることもなく、今度は小夜に向かい手のひらを掲げる。その手からは瞬く間に青白い粉末が舞い上がり、怯える少女の元へと降り注いだ。


「しずりちゃん、や、だよおっ……! 小夜も、しずり、ちゃ……と……」


泣きじゃくる小夜だったが、段々とその声は小さくなっていく。徐々に力を失い床に崩れ落ちた彼女は、すうすうと寝息を立てていた。どうやら、周りを漂う"眠り粉"を吸い込んでしまったらしい。

足元で寝転ぶ二人を横目に、しずりはじいを連れてリビングから出ていく。……その背後では変わらず、霙の覚束なく呼び掛ける声が聞こえていた。


「……これでよろしかったのですか、お嬢様」
「ああ。……あいつらがいなくなるより、ずっといい」


リビングを出た扉の向こう。しずりは暫く思い詰めたような顔で、その場に立ち尽くしていた。

ーーじいの、質問の意図は分かっていた。恐らくは最悪の形で、彼らと別れを告げてしまったのだ。信頼していないとでも言うように。……いや、むしろ。信頼している二人だからこそ。信頼をおける大事な仲間だからこそ、危険なことからは遠ざけたかった。

彼らには、生きていて欲しい。


「……そうだ、じい。行く前に、中庭に寄ってもいいか?」
「ええ、もちろんですとも」
「ありがとな。じいには……付き合わせて悪いと思ってる。あと少しだけ、力を貸してくれ」
「何を仰いますか。私はお嬢様に仕える身。頼りにしていただけて、これほどに嬉しいことはございません」
「……悪いな」


強く丸めていた手を解いて、しずりはスッと前を向く。そして、じいにひとつだけ提案を述べた。快く引き受け深く頭を下げる彼に、しずりは柔らかく微笑んだ。

玄関を抜けた先。白い花の前でしずりは静かに座り込む。いつも通り持ち歩いていた傘を隣に置いて、そのままゆっくりと両手を組み額へと押し当てた。希望を乗せた願いの声が、風に運ばれ消えてゆく。


「……これで、終わりにするんだ」


――あたしに残された、僅かな時間にすべてを託そう。

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