よく晴れた空の下、霙はあの中庭で膝を抱えてひたすらに流れる雲を眺めていた。ゆるゆると動く綿菓子のような白い雲。……白、それが連想させるのは、同じく白い髪をなびかせる彼女の姿で。
明らかに上の空で微動だにしない彼に、中庭のポケモンたちは警戒しているのか近づいたり離れたりを繰り返している。それにすら気づかないほど、彼の心は空っぽだった。
(……ほんと、あんな色気……どこで覚えてくるわけ…)
どうしても思い出してしまう、あの夜を。
潤んだ目と上気した頬、悩ましそうに眉を下げて見つめる視線は、さながら大人のような雰囲気を、纏っていて。普段の彼女と結びつかないから…、余計に。
今思い出しただけでも、ドキリと心臓が揺れる。仄かに熱を持つ頬を手のひらで隠して、そしてまた。声を押し殺して泣いていた彼女を思い浮かべ、後悔の波が押し寄せる。
何度も謝りたいと思っては、ここに訪れていた。しかし、タイミングが悪いのか……もしくは、避けられているのか。なかなか彼女に会えない日々が幾度となく続いて。もし、後者の理由だとしたら…、そう考えてズキリと心が痛む。できれば、そうあってほしくない。
「……って、いやいや。何それ、まるで俺がお嬢さんに気があるみたいじゃん。なはは、ないない! だって、まだ全然子どもだし! あの時は夜ってこともあって、ちょっと浮わついてただけだって。そーそー、一瞬の気の迷い…、」
「おや、霙様。今日は中庭に居られましたか」
「んわーーッッ!?」
突然立ち上がった霙に、周りにいたポケモンたちは一瞬にして草むらの陰に隠れてしまった。よく分からない理由を連ねた、大きめの独り言。自分に言い聞かせるように口早に喋り続けていると、後ろから突然声を掛けられた。
自分しかいないと思っていた霙はあまりの驚きに、声を掛けた主であるじいの傍から数メートル飛び退く。バクバクバク、とはち切れそうになりながら音を鳴らす心音。そして、そこを押さえる手には、大量の汗が滲んでいた。
「じっ、じ…じいさん、何で、ここに…!」
「何やら声が聞こえましたので。ちょうど話もありましたし、お会いできてようございました」
「あ、ああ、そう……びっくりしたー。てか、俺に話って何? 何かしたっけ、俺」
どうか聞こえていませんように。
そう願いながら、彼の言葉に耳を傾けるが……色々と思い当たる節があり、平静を装う裏でたらりと冷や汗が落ちた。
――契約の解除方法は主に2つ。契約書を破棄する通常解除、そしてあと1つは……護衛依頼所からの強制解除。依頼人からの通告が入りそれが認められれば、強制的に契約は解除することが出来るのだ。
よっぽどの契約に逸れた違反をしない限り強制解除は行われないが、今回は依頼人に怪我をさせた挙げ句――手まで、出している。もしも、彼女が依頼所へ連絡を取っているならば…、難なく解除の許可は降りるだろう。
「ああ、いえいえ。霙様の部屋をご用意しましたので、その旨を伝えておこうかと思いまして」
「……俺の、部屋?」
どうやら、彼の不安に思っていたことは杞憂だったようで。まだ、彼女には言うべきことがある。ここを離れることにならず、ほっと安堵したのもつかの間。心当たりのない内容に、きょとんと頭をひねる。
……頼んだ覚えは、ないのだが。
「ええ。こちらへ来たときに、ご自身の部屋がないのは何かと不便でしょう? ですから、一応用意してやれ、とお嬢様が」
「…へ、へえ〜……お嬢さんが、ねえ…」
"お嬢様が"
そのワードに、あからさまに目が泳ぐ。どうせたまにここへ来る俺を見て、いらない気でも回したのだろう。
……〜〜っだから、そういうとこなんだって!
◆◇◆
彼が案内した一室は、ひとりには充分すぎる広さの部屋だった。ベッドとテーブル、そしてテレビ。必要最低限のものしか置かれてないせいか、より広く見える。窓は壁いっぱいにはめ込まれており、日当たり良好。……ただの護衛人にここまで気を使ってくれる依頼人は、初めてのことだった。
「では、ごゆるりと。部屋のものや屋敷のものは、ご自由に使用していただいて構いません。必要なものがございましたら、私にお申し付けくださいませ。数日でご用意は出来るかと思いますので」
「…え? ああ…、うん。寝る場所あるなら、それで充分だよ……」
……手厚すぎて、ちょっと引いた。
これまでにない待遇のよさに、どうしていいのか分からない。
そうでございますか、とにこやかに笑った彼が部屋を出るのを見届けて。ようやく状況を飲み込んだ霙は、綺麗に整えられたダブルベッドにボフッとうつ伏せに倒れこむ。衝撃は吸収され、ほとんど弾まなかった。
「うーわ、すげーフカフカ……何かもう、軽くパニックなんだけど…」
低反発素材のマットが自分の形に沈み込み、動くのが億劫になってしまうほどに気持ちがいい。危うく動かなくなりそうだった身体を無理やり転がせば、また形が変わりじわりと身体が落ちた。仰向けのままごそりと動いて、空になった口の中に新しい飴を放り込む。
薄黄色のそれをガリガリと噛み砕くと、甘酸っぱい味が口の中に広がっていった。
「……俺が好きなのは、おっぱい大きくてエロい体つきした子だし…」
ベッドに身体を預けた彼が思いを馳せるのは、やはりあの少女のこと。何もしていないときは、無意識に彼女の姿を浮かべてしまう。
今までの子とは、全く違うタイプの女の子。ちっとも笑顔を見せないし、口だって悪い。胸も身長も全然なければ、強情ですぐに怒りだす。
そんな彼女より、甘え上手でたくさん笑うあの子達の方が断然可愛いはずなのだ。
「…いや、顔のよさと色っぽさで言ったら……、だーーっ、もう! だから、そうじゃなくて!! 大体、こうなってんのもお嬢さんのせいなんだよ。こっちは謝りたいのに全然会えないから、ずっと考えるはめになって…! もー、すげーモヤモヤする!」
ガバリと身を起こして、上手くいかない現状に片手で頭を掻きむしる。また思い出しかけた姿を頭を振って揉み消し、言い訳のようにも聞こえる言葉を、声を荒げながら口にした。
「……はあ、何か疲れた。ちょっと頭スッキリさせてこよ…」
肩で息をしていた彼は大きく深呼吸をして、空気を全て押し出すかのように、深く溜め息を吐く。一旦考えることを諦め、ボサボサの髪のままベッドから腰を上げた。
遊びにでも出掛けよう、とポケットからいつもの調子で携帯を取り出す。そうだ、彼女達と話して、じゃれて、夜を交わして――同じような変わらない1日を過ごせばいい。そうすれば、余計なことだって考えなくて済む。
しかし、その気持ちとは裏腹に。画面に浮かせた指はそのまま止まり、なかなか動いてはくれなかった。
「…ねえ。どこにいるの、お嬢様……」
◆◇◆
じいが霙の部屋を案内した後。
彼はその足を、ある部屋へと向かわせていた。
「お嬢様、入りますよ」
美しい彫刻で彩られた扉に、彼はコンコンと控えめにノックをして、中にいる人物へと声を掛ける。一向に返事はなかったが、彼は丸いドアノブをゆっくりと回しながら彼女の身体に響かないよう、そっと押し開けた。
キィ…、と蝶番の軋む音が鳴る。視線の先には、布団にくるまれて目を閉じるしずりの姿があり、近寄る足音に気づいたのか彼女はゆるりとその瞳を覗かせた。
「……じい、悪い。気づかなかった」
「いいえ、お気になさらず。…まだ、体調は思わしくないようですね」
「……そうだな。今回は、結構…、長引いてる」
彼女が横になるベッドの前で正座を組んだじいは、話している間にも咳き込む彼女の身体を布団越しに優しく撫でる。……2週間程、ずっとこの調子だ。
「今日は霙様が来てらっしゃいましたよ。部屋もご用意出来ておりましたので、そちらへ案内しておきました」
「…そうか、ありがとう。チャラついてどうしようもねえ奴だが…、悪い奴ではなさそうだしな」
顔色悪く微笑む彼女の身体が、またひとつ揺れる。
最近の彼女は、こうして寝込むことが多くなった。また、その時間も。辛そうに息をする彼女を気の毒に思いながら、落ち着かせるようにポンポンと手を動かすと、些か呼吸が軽くなったように見えた。
「……お嬢様、彼には本当にお伝えしなくてよろしいのですか? お嬢様に、会いたそうにしておられましたよ」
「いい。変な気を使われても困るだろ。……悪いな、嘘をつかせて」
「とんでもございません。この程度のこと、朝飯前でございます」
「…ふふ、それなら……、よかった」
筋肉を見せつけるように腕を折り曲げて、おどけた口調で話すじいに、しずりは思わず顔に笑みを浮かべる。彼からのリズムよく乗せられる手に安心したのか、しばらくすると彼女はすう…と眠りに落ちた。
「……おやすみなさいませ、しずり様。一刻も早く善くなられることを、心よりお祈りしております」