「……よお、忍」
「…、おじょう、さま…」
訪れた玄関前。
一番会いたかった人がそこにいた。
「久しぶりだな」
「…久しぶり、本当に……元気にしてた?」
「……まあ、そこそこ」
「そっ、か…」
目の前で動いて、自分の目を見て話す彼女。
想像の中ではなく、ちゃんとそこに立っている。
数週間ぶりに見る彼女の、薄く微笑む顔や落ち着いた声に、何となく心が落ち着かない。向けられた視線にも、上手く目を合わせることが出来なかった。話すことには慣れているはずなのに、思うように言葉が出てこなくて。……今までどんな風に話していたのか、思い出すことが出来ないでいた。
「…あ、えっと……」
「……あたしの部屋、来るか?」
「うえっ!?」
何を話そうか口ごもっていた彼に、彼女から思わぬ提案が寄せられた。予想だにしない言葉が耳に入り、彼の頬はかあっと熱を帯びる。口を開いて固まってしまった彼を見て、しずりは腕を組みながら怪訝そうに頭をかしげた。
「……話があるんなら、その方が話しやすいかと思ったんだが」
「あ、あ〜…、そういう、ことね…。いや、さすがに女の子の部屋に入るのはどうかって、思うし……俺の部屋にしない?」
「…へえ、お前もそういうの気にするんだな。まあ、それで構わねーけど」
親切心で誘ってくれた彼女に、から笑いで言葉を返す。別に何があるという訳でもないが、彼女の部屋に二人きりというのは、あまりよくない気がした。
どぎまぎする気持ちを抑えながら、きっと久々に会って気分が上がっているだけだと、そう思い込ませる。多少疑わしそうに眉を寄せていた彼女だったが、納得してくれたのかくるりとその背を向けた。……彼女は誰にでも、同じように接するのだろうか。
◆◇◆
……いや、誘ったのは自分…なのだが。
「…なんだよ、黙り込んで」
「……あ、そーだね…えっと、…そういや、おとといは山登りに行ってたってじいさんから聞いたけど、お嬢様って登山とかするんだね」
「あー……、そうだな。山は、好きだ」
じい、もっとマシな嘘があっただろ…、と彼女が心の中で呆れ果てていることなど露知らず。ベッドの上、隣にちょこんと座る彼女に彼は気が気ではなかった。彼女の部屋にしろ自分の部屋にしろ、二人きりであることに変わりはないのだ。
言いたいこととは違う内容の言葉が出てしまい、霙は目元を押さえる。……最近の自分は、何だかおかしい。押さえていた手をそのまま口へと移動させ、はあと一息、外へと押し出した。
「……謝りたくて。この前のこと」
「この前…?」
「その、夜…のこと。本当に、酷いこと…してしまったから。俺…、お嬢様のこと、傷つけた。だから、ごめんって…一言、言いたくて。許されようとか、思ってる訳じゃないけど……謝りたかった」
「……ああ、そのことか。気にすんなって言っただろ…つーか、忘れかけてたのに思い出させんじゃねーよ」
ぽつぽつと話す彼の言葉を、しずりは黙って見ながら聞いていた。彼の話が途切れ、彼女もその時の状況を思い出したのか、少し恥ずかしげに霙を睨む。その表情に、またとくりと、心臓が揺れ動いた。
「そ、れと……この部屋、ありがとう。結構助かってる。ベッド、すげー気持ちいいし。こんなの初めてだったから、びっくりした」
「……そうか。お前だけ部屋がないのも何だしな、一応用意しただけだ。まあ、用意したのはじいだから…礼ならじいに言え」
「…ははっ。何、一応って」
……本当に彼女は、肝心なことを言おうとしない。
隠れた優しさが嬉しくて、つい笑ってしまう。収まらないにやける口元を手のひらで覆っていたとき、彼女のじっと見つめる視線を感じた。一向にそれは逸らされそうになく。困惑した表情のままぎこちなく振り向けば、彼女の黒い眼差しとかち合う。
「…な、何?」
「お前、ちゃんと笑えるんだな」
「……え?」
「いや、いつも無理して笑ってる気がしたから。面白くもないのに笑うの、疲れねーか? ……あたしは、そうやって笑う方がいいと思うけどな」
「……っ、」
気づかれないと、思っていた。
笑顔で本当の気持ちは、隠せていると思っていた。
初めて言われた言葉に戸惑う。常に、心から笑えているつもりだった。笑えば、誰だって一緒に笑ってくれたから。心を見透かされたようで、瞳が揺れる。いくらでも、作り笑いでその場を凌ぐことはできたのに、今はどうにも笑うことが出来なくて。
もう用がないなら行くぞ、と立ち上がった彼女に、何故だか焦りが募る。離れようとする彼女の手を掴んで、思わず引き留めてしまった。
「待っ、て…」
「……何だ、まだ話があるのか?」
「……、うん。あと、ひとつだけ…聞いてくれる?」
懇願するかのような彼の目を見て、彼女は仕方ない、とでも言いたげな表情で息を吐く。元の場所に座り直すと、彼は少しだけホッとしたような顔を見せた。
「…で、何だ? 話って」
「……つまんないかもしれないけど、俺の…昔話」
にこりと切なげに目を細めて笑う彼に、しずりは僅かに目を大きくする。彼女の手を繋いだまま、彼は呟くように話し始めた。
◆◇◆
――数年前のこと。
彼がまだ幼い――、ちょうど彼女と同じくらいの子どもだった頃の話だ。
「霙〜! まーたお前失敗したのかよー! だっせーの!」
「う、うるせー! お、俺だってもう少しすればすげー忍者にだな…!」
「あはは、無理無理! 諦めろって!」
忍者学校のテスト日、霙の成績はまたしても一番下を記録していた。周りの仲間たちに茶化され、ぐりぐりと頭を掻き回される姿はもはや恒例行事。しばらく、ぐぬぬ…、と悔しがっていた霙だが、すぐに笑顔を溢す。
明るく話上手な彼の周りにはいつも誰かいて、一族の中では中心的存在だった。……まあ、忍術の面では目も当てられないほど、残念な仕上がりなのだが。
それでも、仲間たちに囲まれる日々を過ごして、毎日が幸せだった。そんな幸せが、ずっと続くと思っていた。――あの日までは。
「……あれ? 霙の色…、俺たちと何か少し違うくね?」
「そ、そっかな? あー、何かほら…光の当たり具合、とかじゃない?」
「んー、そう言われればそんな気もすんな! 気のせいか」
彼が違和感を感じ始めたのは、ゲコガシラに進化した頃。ちらほらと不思議に思うものもいたが、彼はいつもの上手い口回しでそれを誤魔化していた。
……気のせいではない。明らかに、他の彼らと色が違っていた。身体の一部が、彼らよりも色濃くなっているのだ。
「どーなってんだよ、これ……」
確かな異変に、彼の心臓がどくどくと早鐘を打つ。しかし、彼自身にも何が起こっているのか分からず、心に不安を抱えたまま、ただただ流れる日々を過ごしていくしかなかった。
――そして、その日は訪れた。
「……おい、あいつ…」
「うわ、すっげー色」
「やだわ、黒色だなんて……なんて不吉なの」
ゲッコウガに成長した彼は、周りの者とは見るからに違う、真っ黒な姿になっていた。ヒソヒソと耳打つ声が、全て彼へと向けられる。
――黒くて不吉、彼は不幸を呼ぶ。
いつしかそんな、根も葉もない噂が一族中に広まるようになった。誰も彼には近寄ろうとはせず、さらには一族の中から追い出そうとする者さえも。幼い頃から共に過ごしていた仲間たちですら、誰一人として彼を救おうとはしなかった。
そして、身も心もボロボロに傷つけられた少年は、あることを思いつく。
『他人を信じるから、傷つくのだ。そうなるくらいなら、初めから誰も信じなければいい』
それが唯一の――彼が自分を守るために残された、たったひとつの方法だった。
◆◇◆
「……これで、おしまい。俺、バカだからさー…みんなと同じだって、思ってたんだよね。生まれつき色が違うってこと、気がつかなかった。ほんと、笑っちゃうよね」
「…………」
「おまけに、バカみたいに練習しちゃってさ。誰にも負けないくらい技も覚えたのに、だーれも認めてくんないの。真面目にやってたのが、ほんとアホらしーっていうか。ま、そのおかげで護衛の仕事出来てんだけど」
「…………」
「あっ、でも家族は見放さないでくれて……それだけが救いだったかな。……ね、おかしいでしょ?」
あはは、と笑いながら繋げ続ける彼の言葉を、しずりはずっと黙って聞いていた。話す彼の声は震えていて、その赤い瞳は苦しいと叫んでるようで。眉を下げて問いかけた彼の手を、彼女は一度解き、そして力強く握り返した。
「……何も、おかしくない」
「……っ、」
「泣きそうな面して、無理に笑ってんじゃねーよ。大体、その程度で離れていく奴らなんざ、気にする必要もねえだろ。……安心しろ。少なくともここには、そんな奴は一人もいねーから」
彼女から向けられる、真っ直ぐな目とぶつかった。その、言葉ひとつひとつが嬉しくて。欲しい言葉をくれる彼女に、救われる自分がいた。唇を噛んで、込み上げそうになる涙を見せたくなくて、顔を俯かせる。……それでも、彼女は。
「…なに我慢してんだ。泣きたいなら泣けばいいだろ。……胸くらい、貸してやる」
「……っ、ない、くせに…」
「ああ!?」
「…はは、嘘……ちょっと、借りる…」
「……おう」
怒る彼女に少し笑いながら。そっとその身体に頭を預け、静かに涙を流す。
――何年も自分を縛っていた鎖が、溶けてなくなった気がした。