僕のクラスでは所謂イジメが勃発していて、そのイジメの対象と言うのは僕のふたつ隣の席の女の子である。何が原因だったのかは知らないし、イジメている奴らもほとんど覚えていないと思う。理由なんてそんな事はどうだっていいからもうその行為自体がメチャクチャ楽しいというような様子が見受けられるし、そんな感じの事を話しているのをいつだか通りすがりに聞いた。ふたつ隣の席の子は○○さんと言って、まあこれと言って特徴のない普通の子だった。普通。勉強も普通、見た目も普通、イジメられやすさも普通。だから今白羽の矢が立っている。そんな感じ。今日もいつもみたいに彼女の机に生ゴミが詰め込まれているのを、僕は鞄から教科書を取り出しながら横目で見ていた。


「ねぇ、めっちゃ臭いんだけど。やばくない?」
「やばいね」

お前がやったんだろ、と心の中で突っ込みを入れながら適当に返した。閉め切った教室は腐敗しかけた生ゴミの匂いで充満していた。みんな鼻をつまみながら窓を開けて、下敷きでバタバタと換気をしている。○○さんは、机の中の生ゴミを雑巾で掻き出してビニール袋にガサガサと移している。手慣れた手つきだった。誰も手伝おうとはしない、僕も含め。

「あいつ、ゴム手袋常備してるんだって。清掃のババァかよ」
「将来の働き口が決まったね」

イジメはいじめられる方にも原因があるみたいな言葉があって、それを全て肯定する訳ではないけれど、一切抵抗する素振りを見せないで全てを諦めたみたいに受け入れている○○さんを見ていると、その言葉もあながち間違っているとは思えなかった。辛抱強く耐えていれば、誰か助けてくれると思っているのだろうか。それだったら余りにも浅はか過ぎる。

帰り道、校舎の隅に人が蹲っているのが見えた。何だろうと思って、本当に何気なく様子を見に行ったら、そこには○○さんがしゃがみこんで地面に向かって何がをしていた。よくよく見ると、例のゴム手袋を嵌めてシャベルで穴を掘っている。何だよ、生ゴミ処理かよ。面倒くさい事には関わりたくない‥‥。早々に立ち去ろうとした瞬間、鳥の羽みたいな物が視界の隅に入った。‥‥あれは絶対に生ゴミじゃない。

「‥‥何してんの?」

気付いたら声を掛けてしまっていた。しまった、と思っても時既に遅し。○○さんは僕を見ていた。仕方なしに愛想笑いを浮かべてみたものの、笑顔が返ってくる事はなく、彼女はそのまま地面に視線を戻した。

「埋めてるの」
「‥‥何を?」
「死んだ鳩」

更によく見ると、彼女に左手には灰色の塊が乗っていた。それは鳩だった。車に轢かれたのかカラスに襲われたのか、羽の半分がひしゃげてしまっている。こいつ、校庭内に勝手に鳩の墓標でも立てようとしていたのか。それかイジメられてメンタルが病んでるのかもしれない。どっちにしろ深く関わりたくない。

「そんなもの、保健所に連絡すればいいじゃないか」

思いとは裏腹に、口が勝手に動いていた。

「保健所に連絡したら、ゴミと一緒に燃やされるんだよ」
「そんな鳥、いくらでもいるでしょ。それとも何、可哀想な死骸を埋めてあげて満足感に浸りたかったの?」

衝撃的な光景が目に飛び込んで来たからか、思ったことがそのまま口から出てきてしまっていた。こんなこと、クラスのみんなの前では絶対に言えない。

「この鳩片脚がないんだよ」

彼女の片手にある鳩をよくよく見ると、左側のピンク色の足が途中で途切れていた。生まれつきか、何かで切られたのだろうか。

「だから何?」
「海に行くと、釣りをしてる人たちがいっぱい居て、脚のない鳩もたくさんいるの。釣り糸に引っ掛けて脚が切れちゃうんだって。片脚だけでジャンプするみたいに歩いてるの」
「それで?」
「鳩は、例え片脚がなくなっても平気な顔して魚とかパンくずとか食べてるの。わたし、鳩見てるの好きなんだ」
「○○さん、イジメられ過ぎて頭がおかしくなったんじゃない?」
「ここに立派に生きた一羽の鳩を讃えて、墓標を立てようと思うんだ」

やっぱり墓標を立てようとしていたのか。


「花沢くん、なんか棒とか持ってない?」と聞かれ、持ってる訳ないだろ‥‥と思いつつ鞄を探ると、コンビニで貰ってからずっと入れっぱなしにしていた割り箸が出てきた。無言で投げてみると、「ありがとう」と言ってペンケースからマジックペンを取り出し、繋がったままの割り箸に「ハト」と書いた。既に掘っていた穴に鳩を埋め、土を被せ終えるとその滑稽な割り箸をど真ん中に刺した。本人は奇を衒うつもりはないのだろうけれど、今の彼女の一通りの行為が、この世のどんな事よりもバカバカしくて滑稽に見えた。それと同時に、彼女がイジメられているとか、こっちを向いてしゃがんだ時に見えた内腿の青痣とか、物凄くどうでもいい事に思えた。毎日詰め込まれる生ゴミも、見えない所に付けられている痣も、○○さんにとっては片脚のない鳩に比べたら、たいしたことではないんだと思った。

「わたし帰る。割り箸ありがとう」
「‥‥しゃがむとパンツ見えてたから、気を付けた方がいいよ」
「花沢くんも、人のパンツとか見るんだね」
「女の子のはね」

彼女の後ろ姿が校門を潜って見えなくなるのを確認してから僕も家に帰った。鶏肉が食べたくなったから帰りにコンビニで唐揚げを買った。


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